最終話
「──てぇあああああっ!」
ダンジョン『死霊の森』。
俺は一体のゾンビに向けて、スキル『ダブルスラッシュ』を発動する。
クロスする二つの斬撃が、ゾンビの体へと深く切り込む。
が、それだけで倒れてくれるほど、ゾンビの生命力は甘くない。
俺の目の前には、そのゾンビと、別の一体のゾンビ。
それら二体のゾンビは、鈍い動きからの緩急をつけて、思いのほか素早い動作で掴みかかってくる。
が、それよりも早く──
「……ファイアボルト」
背後の少し遠くから、ぼそりと呟くような、エルフ少女の綺麗な声が聞こえてくる。
と同時に、いつぞやのように、俺のすぐ横を高速で通過した火の玉が、無傷のゾンビに直撃した。
そのゾンビは瞬く間に炎上し、俺に手を伸ばしながらも、ばたりと倒れる。
これで残るは一体。
残ったゾンビが、鋭い爪を持った両腕で、俺に襲い掛かる。
俺はその攻撃を、左にステップを踏み回避する。
そしてすぐさま、右手に持った剣を振り上げた。
ゾンビのわき腹から斜め上へと斬り込んだその一撃で、ようやくそのゾンビも倒れる。
──ふぅ、これでこっちの始末は完了だな。
その頃には、少し離れた場所で、別の二人の冒険者が巨大植物のモンスターを仕留めていた。
その冒険者のうちの一人が、一休みしてから俺の方にやってくる。
彼は中年小太りの男性で、ウォリアーをやっている。
よくこの体で冒険者やってられるなぁとか失礼なことを思っていると、彼は俺に指を突きつけ、説教をしてきた。
「──あのなキミ、アーヴィンとか言ったか? 困るんだよな、こんなゾンビ如きに手間取って! 高い金払って雇ってるんだから、もっとしっかり働いてくれないと困るよ!」
中年小太りはそう言って、今度はのしのしと、俺の後方にいるエルフ少女の方へと向かってゆく。
そして彼は、エルフ少女の同じような調子で何かを言った後、その手を少女の腰へと伸ばそうとする。
──ちっ、あんのヤロウ。
この世界にセクハラ防止とかの観念がないからって、好き放題やりやがって。
いや、俺に人のことは言えないかもしれないが。
しかし、そこはエルフ少女の方も弁えたもの。
小太り中年の手をするりと躱すと、一言二言何かを言って彼をあしらってから、俺の方に向かってきた。
「……あいつ、ムカつく。……あの残り少ない頭髪の寿命、今日ですべて終わらせてやろうかと思った」
俺の元に来たそのエルフ少女──ミィルは、俺にそんな言葉を投げてくる。
「あはは……ファイアボルトで焼くの? それは泣くだろうなぁ、あの社長……」
「……アーヴィンも、何かひどいこと、言われなかった?」
「んー、ちょっと無茶を言われたけど、日当で銀貨16枚も払っていると思えば、言いたくなる気持ちも分からないではないしな。気にはしてないよ」
俺は剣を鞘にしまい、その手でミィルの頭を撫でる。
ミィルは少し顔を赤らめて、もじもじとするが、
「……外でこういうの、良くない。……あのデブが見てる」
「あ……」
見ると、小太り中年の社長が、こちらのほうを憎々しげに睨んでいた。
あー、しまった、つい癖で……。
「……アーヴィン、お金まだ、貯まらない? ……何だったら、私も少し、出そうか?」
ミィルが上目遣いで聞いてくる。
ミィルと出会った当初は、俺とミィルの身長は同じぐらいだったが、この二年ほどの間に俺の身長がぐんと伸びて、俺はいつの間にか、彼女を見下ろすようになっていた。
「いや、大丈夫。実は今日の分の賃金を受け取れば、銀貨3,000枚に到達する予定なんだ」
「……おぉ。……すごいすごい」
ミィルがぱちぱちと拍手をしてくる。
淡々としているようだが、この少女のこれが、実は相当な感動を表しているものなのだということを、今の俺は知っている。
──会社が事実上の破産をしたあの日から、およそ二年。
俺は一個の雇われ冒険者として、ほかの社長から雇われ、賃金を受け取っては、その半分ほどを貯蓄へと回してきた。
日雇いの冒険者というのは、思っていたよりも日々の雇用先を探すのが難しく、満足に働ける日ばかりではなかったが、それでもどうにか働き口を見付け、週に銀貨30枚程度の貯蓄を続けて来た。
その間の生活はもちろん質素だったが、やりたいこと、目標に向かってお金を稼ぐ日々というのは、存外に悪いものじゃなかった。
雇用主によっては、腹の立つようなこと、理不尽なことを言ってくるやつもいたが、それも目標のためと思えば、愛想笑いで我慢できる。
そして今日ようやく、第一目標だった銀貨3,000枚というハードルをクリアする。
これではまだ一人しか同時に雇えないから、本当の目標はもっと先、さらに銀貨2,000枚を稼いだ先なのだが。
ともかくも今日で、うちの会社の事実上の再立ち上げが、可能となる。
この貯蓄生活を始めたきっかけはと言えば、もちろん、リアナさんのあの言葉だ。
「──普通に、地道に……?」
俺がリアナさんに聞き返すと、彼女はそれに頷く。
「はい。──社長はまだ、十分に若いです。会社の立ち上げ資金を稼ぐための期間など、これからの人生、まだいくらでもございます。……例えば、社長が冒険者として雇われ、週に銀貨50枚の賃金を得て、そのうち20枚でもコンスタントに貯蓄できたとすれば、三年間で3,120枚の銀貨を用意できます」
……言われてみれば、確かにと思う。
今すぐに銀貨3,000枚を調達するのは極めて困難かもしれないが、数年間という期間をかけて調達するなら、これはまったく不可能な額ではない。
リアナさんは、さらに続ける。
「失った金銭は、また取り戻せばいいのです。そして社長業とは一般に、そういったものだと聞き及んでおります。大きな成功をしている社長のほとんどは、それ以前に、大きな失敗を経験しているそうです。そして、そこで心折れずに何度もリトライした者が、やがて成功者となっているのです。……先代もそうして、この会社を築き上げたのだとおっしゃっていました」
先代──俺の父親か。
一代で冒険者カンパニーを立ち上げ、今の規模まで大きくしたのだと聞いていて、俺とはまったく出来の違う、会社経営のプロフェッショナルなんだろうなと勝手に思い込んでいたけど。
実際はそんな泥臭いやり方で会社を立ち上げ、失敗して、また立ち上がってなんてやり方をしていたとは、思いも寄らなかった。
もし生きていたら、その話を聞いてみたかったなと思う。
どんな失敗をして、そのとき何を思って、何を学んだのか。
そして思う。
俺は銀貨5,000枚を失って、会社経営が成立しなくなったと思って、すべてを失ったと勝手に思い込んでいた。
違う。
たった5,000枚の銀貨を、失っただけなのだ。
そこで得た経験は俺の中に残っているし、ロナやティアラ、ミィルといった冒険者と築いた信頼関係だって、残っている。
リアナさんの言う通りだ。
お金は失ったなら、取り戻せばいい。
そのための時間なら、俺の人生に、まだいくらでも残されている。
それに、お金を失ったとは言うが、それは本質的には、俺以外の誰かの手に回ったというだけの話だ。
そのお金は、蘇生魔法の儀式を行なう何十人という神官、彼らが明日生きるための給料になったに過ぎない。
俺たちがちょっとぐらい死んでやらないと、彼らもおまんま食い上げってわけだから、今回は彼らに恵んでやったというぐらいに思っておけばいい。
……まあ、もうビタ一文たりとも、恵んでやるつもりはないけどな。
「ありがとう、リアナさん。おかげで目が覚めた。──俺、頑張ってみるよ」
俺がそう言うと、リアナさんは嬉しそうに微笑んだ。
そうして俺は、雇われ冒険者として働き始めた。
その間で、ロナやティアラ、ミィルと疎遠になるかと思ったが、そんなことはなく、むしろ毎日顔を突き合わせていた、
それは何故かと言えば、冒険者カンパニーとしての活動を休止している間も、社屋での共同生活は続けていたからだ。
俺はリアナさんの給料を払う関係もあって、この社屋を眠らせておく手はないと考え、彼女らに、一日あたり銀貨2.5枚で、宿泊場所と食事の提供を提案した。
一般の宿屋暮らしであれば一日あたり銀貨3~4枚はかかることもあって、ロナ、ティアラ、ミィルの三人ともが、俺の提案に合意した。
その上で、俺も同様に、一日あたり銀貨2.5枚を会社に振り込むことにする。
そうすると、週に銀貨70枚という収入が、会社に入ってくることになる。
社屋の維持費が、週あたり銀貨15枚。
リアナさん含めた五人分の食費等が、週あたり銀貨19枚ほど。
そしてリアナさんの賃金が、週あたり銀貨36枚。
合計で銀貨70枚の支出を、銀貨70枚の収入で支える。
ギリギリだが、これでどうにか収支を釣り合わせた。
ちなみにだが、この社屋を売って、会社の資本金を賄おうかという手も、一度は考えた。
だけど、それをしてしまっては、俺が求める社長生活の大事なものの一つを失ってしまう気がしたので、やめにした。
手段のために目的を捨ててしまっては、意味がないのだから。
まあそれはさておき、俺は冒険者として働き続けた。
10レベルだった俺は、すぐに11レベルになり、俺の日当相場は銀貨15枚から16枚になる。
これで週に六日ぐらい働き続けられれば、年間で銀貨5,000枚ほどの給料になるんだが、実際にはそこまでの働き口は見つけられず、週三~四日の労働先を確保できれば万々歳という塩梅だった。
このため、年収はおおよそ銀貨3,000枚弱といったところ。
そこから一日あたり銀貨2.5枚、年間で銀貨1,000枚弱が生活費として消えて行って、残るのは銀貨2,000枚。
ここから、日々の自分へのご褒美として、ちょっとだけ嗜好品に手を出して、年あたり銀貨500枚ぐらいが削られる。
日本円に直して、年間およそ60万円、月に5万円という額を嗜好品に使っているわけだから、そう我慢に我慢を重ねているというわけでもない。
そして、そんな生活を続けてきて、およそ二年間。
ようやく、最初の目標額である銀貨3,000枚が貯まった。
これが俺の、第二の社長業の門出だ。
俺はその日の食卓で、もうこいつらほとんど俺の家族ってことでいいんじゃないかなと思う四人の女性──ロナ、ティアラ、ミィル、そしてリアナさんに、冒険者カンパニー再開の報告をする。
「えー、というわけで、皆さまのご支援の甲斐もありまして、こうして再び、社長として復帰できましたことを、誇りに思うわけでありましてですね……」
「……社長、話が長い。……料理が冷める」
俺の演説の途中で、ミィルが冷静な突っ込みを入れてくる。
うう、ひどい……。
「……こほん。……えっと、そういうわけで、会社の再立ち上げは成ったわけなのですが、まだ現在の資本金では、同時に雇える冒険者は一人だけということになっておりまして、まだまだ皆様にはご迷惑をおかけするかと思いますが、何卒もうしばらく、お待ちいただいてですね……」
俺がそう言うと、ティアラとロナがにんまりと顔を見合わせる。
そして彼女らは、自分の懐から、じゃらりと銀貨が入った布袋を取り出し、テーブルの上に置いた。
……え、何それ?
「資本金が足りないんだろ。だったらあたしも出すぜ、銀貨1,000枚」
「私もです。これで合計、銀貨5,000枚。……三人雇うための必要額に、足りますよね?」
──げげっ、マジか。
共同出資、だと……?
そうすると、利益配分の仕方とか、また考えなきゃいけなくなるけど……。
うっわ、面白れぇ……!
「……信じられない。……そんなにあくせく働いて、お金を貯めるなんて。……私は、毎日だらだらするだけで、精一杯」
うん、一人平常運転なやつがいるな。
まあ、それもよしだ。
「……ありがとう。それじゃあ、共同出資ということで、会社の再立ち上げをします」
俺はテーブルの上から、ワインの入った盃を手に取って、四人の女性たちを見渡す。
彼女らも各々、盃を持って、立ち上がる。
それを確認して、俺は言う。
「それじゃあ、我が社の新たな門出を祝しまして……」
最後は、みんなで声を合わせて言った。
「──乾杯!」
──そしてここから、俺たちの新たな冒険物語が、始まる。
苦労も、失敗もあるだろう。
だけど、それらも全部呑み込んで、俺はこの人生を謳歌してやろうと思った。
何しろ、俺にとっては折角の、唯一の人生なのだから──




