#7 考えた
俺がまだ小学生だったとき、水泳の授業といえば、家から水着を着てくる勢力、タオルで体を隠す勢力にほとんど二分されていたような記憶がある。小学校低学年のときなんかは男女同じ教室で、目隠しになるようなものもなにもなかったから尚更か。
ちなみに俺はそのどちらにも属していなかった。第三勢力、むしろ見せびらかすように、見てる者の方が申し訳なくなるくらい堂々と、何でナニを隠すでもなく、普通にパンツ(下着)を脱いでパンツ(水着)を履いたものだ。
まあ、とは言っても別に見せびらかしていたつもりはなかったが、そんな、特に隠すでもなく着替えていた俺としてはなんとなく不思議に思っていたことがある。
家から履いてくる勢力のことだ。タオルで隠すのはまあそういう人もいるくらいの認識だったと思う。
とにかく、家から、制服の下にあらかじめ水着を着てくる勢力である。確かに、そうすることで楽しい水泳の授業に水着を忘れてくることはなくなるだろう。小学二年の時、水着を着て来たにも関わらず、皆が水着に着替える中、着替え用に持ってきたパンツに履き替えてプールサイドまで行った日野と言う女がいたが、奴は論外だ。着替えるときは隠さなかったくせに、着替えた後はバスタオルを巻いていたものだから誰も気付かなかったのであるというのは余談で、つまりなにが言いたいのかということだが、家から水着で来るのはなんとなくみっともないなと思っていた、そういうことだ。
当時はなんとなく、家から履いてくるのは違うんじゃないかと漠然と感じていたのだが、ぶっちゃけ、不衛生だと思っていたのだろう。きっと。
だから俺は、水着を忘れるかもしれないというリスクを冒してまで水着は持っていく派だった。タオルで隠さなかったのは面倒だったから。男子は当たり前に、みんな生えているモノの、何が恥か。ナニが恥なのか。
ちなみにブーメランです本当にありがとうございました。
……問題はそこであった。何がって、ナニがである。某股間州における某ちん子氏の不在問題だ。裸になれば、俺がちん子に振られたことがバレてしまう危険性が非常に高い。でも、家から水着を履いて、というのもどうにも抵抗がある。
二学期は、先週の月曜日が始業式で、金曜日までは四時間授業だったが、週末を挟んで明日からは七時間授業であり、俺の憂鬱の種である水泳は月曜五時間目に待ち構えているのであった。
バスタオルで隠すことも考えたが、よくあるボタンがついた、スカートみたいにできるアレはうちにはないし、かといってうちにある奴では腰に巻くにはわずかに丈が足りない。どうやら考えるまでもなく、水着を着ていくしかないようであった。
それでもまだ立ち塞がる、心理的な壁。でも、打開案はことごとく駄目だったとあらば、もはや家から水着を着ていくことは不可避である。
俺は机に両肘を立てて組んでいた指を解き、袋の中にタオルとゴーグル、帽子を入れ、海水パンツを袋の上に出して置く。
その動きはどうしても緩慢なものになってしまった。
……言うな。
それにしても、エヴ○のゲ○ドウのポーズで延々「水着を履いていくか否か」について考える図は、一応受験生の主人公としてはどうなんでしょうか。勉強しろよ(ブーメラン