彼の未来と、その影響
「仕事、辞めようかな……」
深夜1時近く。既に眠っている両親を起こさないよう、そっと自分の部屋に戻った彼は、ベッドの上で誰にともなく呟いた。
彼が社会人として働き始めてから、今年で3年目。入社した当初は、残業もほとんど苦ではなかった。仕事に慣れれば、残業時間も短くなるはず。そう思っていたのだが、仕事に慣れた今も、残業時間はほとんど変わらない。
このままでは、体を壊してしまうのではないか。体を壊して、両親に迷惑をかけてしまうかもしれない。
そんな事を考え、どんよりと落ち込んでいる彼の耳に、
シャラン
微かな鈴の音が届いた。部屋の入り口に目を向けると、一匹のトラ猫が器用にドアを開けてやって来た。
かれこれ10年以上、彼と一緒に暮らしている「ジュン」である。
「……どうした?」
寝転がったまま彼が訊ねると、ジュンは無言でベッドに飛び乗って来た。
そのまま、彼の枕元で丸くなってしまったところを見ると、ここで眠るつもりらしい。
「こら、寝るなら俺の足元で寝なさい」
ジュンの頭をグリグリするが、移動する気配がない。
(仕方がない奴だな)
彼は諦めて、部屋の電気を落とした。瞼を閉じると、仕事で疲れていたこともあり、彼は直ぐに眠りの世界へ旅立っていった。
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重たい瞼を開けて、まず彼の眼に飛び込んで来たのは、丸々としたジュンの顔だった。
「おはよう」
挨拶してから、枕元の目覚まし時計に手を伸ばすと、時刻は5時半を少し過ぎた頃だった。
今日は土曜日のため、7時ぐらいまで起きる必要がない。
(嫌というか、なんというか。微妙な夢だったな)
目を閉じながら、彼は先ほどまで見ていた夢を思い返す。
夢の中の彼は、仕事を辞めていた。好きな時に起きて、ゴロゴロしながら本を読む。まさに『夢』のような生活を送っていたが、コツコツ貯めていた貯金はあっという間に底を尽いてしまう。
そして何故か、「ネコ缶を買ってあげられなくて、ごめんな」とジュンに謝っているところで目が醒めたのだった。
(もし俺が仕事を辞めたら、こんな未来が待っているかもしれないのか)
悲惨な未来を回避するためにも、仕事を辞めるのは宝くじが当たってからの方が良いかもしれない等と考えている内に、彼は静かに寝息を立て始めた。
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(やれやれ。これで安易な考えを改めてくれると良いのだが)
飼い主の寝顔を眺めながら、ジュンは先端が分かれた尻尾を軽やかに揺らした。
民間伝承等で「老いた猫は猫又という妖怪になる」と語られているように、10年以上生きているジュンも猫又になっていた。
そして、猫又になった事で得た『力』を使って、仕事を辞めた飼い主の未来の一つを夢で見せたのだ。
どちらかというと悲惨な未来を見せたのは、飼い主である彼が、安易に仕事を辞めないようにするためである。
(飼い主殿には、まだまだ私を養ってもらう予定だからな)
激励の意味も込めて、ジュンは眠っている彼の顔をポンポンと叩いてから、丸くなって眠るのだった。
了
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