鬱憤
(HSAはキライ)
油臭い工房を通りながら、サリナはそう思う。
サリナはHSAが嫌いだった。はたから見ればありえないことかもしれない。サリナほど、子どもの頃からHSAに関わり続けた者もいないだろう。
「嬢ちゃん、おかえり!」
工房の古株、ハタが学校帰りのサリナに声を掛ける。
「ただいま、ハタさん」
この工房で働く人は皆親みたいなものだった。でも一人だけ気に入らない者もいる。
(ライナーはもっと嫌い……)
最近、この工房で働き始めた……HSAの話となると、子どもの様にはしゃぎだす少年。サリナは彼が喉に刺さった骨の様に感じていた。
「……いい機体ね」
サリナはハタにそう言った。
嫌いでも、子どもの頃からHSAばかり見てると自然と見る目も養えて来る。
「だろ!! いいHSAだよなぁ!」
サリナの言葉に、ハタではない少年が口を挟む。
「……」
「いいなぁ、こういうHSAが欲しいなぁ」
少年は目を輝かせてそう言う。
(この目……)
何か、面白くない。
「うん、どうした?」
少年は話を中断してサリナの様子を伺う。
「……フン」
サリナはまるで少年が目に入らないかのように工房を後にする。
「私は、HSAもライナーも大っッ嫌い!」
「なんだってんだよ」
捨て台詞を残して去ったサリナに対してクリュウはそうこぼす。
「……ボウズ、サリナちゃんに嫌われてるなぁ」
ハタはクリュウを哀れむ。
「あんなにいい娘が、なんでボウズだけを……ハッ!!」
ハタが何か思いついた様だった。
「……ボウズ……お前、嬢ちゃんに何か疚しいことしたんじゃねぇだろうな!」
「いや……」
「テメェ、俺の孫……いや子どもみてぇな嬢ちゃんに手を出してみろ!! 三途の川を3回渡してやる」
工房の面子は皆サリナを猫可愛がりしていた。だから、何かあった時には誰もが必ず気づく。
「誤解だ!! なんでオレがあんな奴を……」
「あんな奴……だと……」
「しまった!!」
これは失言だった。
「テメェ……嬢ちゃんのどこが気にくわねぇっつんだ!!」
「オレにどうしろっていうんだよ!!」
クリュウはハタに胸倉を掴まれながら思わずそう叫んだ。
「相変わらず、ここは賑やかね」
そんな騒ぎの中、上品な声が工房に響いた。
「おお、いらっしゃい」
「どう? 調整は」
アイザがHSAに乗る時とは違う、お嬢様然としたドレスとも取れる私服姿で現れる。
「バッチリでさぁ。とはいっても御嬢の方が絶好調だがな」
アイザは《ホープ》に乗り換えて以来、素晴らしい戦果を上げていた。中には2RBにならなかったとすら言われる試合も多々あるほどに。
「そうね。この子は最高ね」
アイザは満面の笑みでそう言った。
その笑みがチクリと、クリュウの心に刺さった気がした。
「どうしたの? ムっとした顔して」
アイザがクリュウの顔を年相応の表情で覗き込む。
「なんでもねぇよ……」
クリュウはアイザから視線を逸らす。
「御嬢、コイツあさっき女に振られたばっかでね」
ハタが、クックと笑う。
「あら、まぁ」
冗談と分かって、アイザも笑う。
「違げぇよ!!!」
だがクリュウは大声で怒鳴った。
ハタもアイザも目を大きくして驚いた。
「チッ」
クリュウはバツが悪くなり、その場を後にする。
「なんだかなぁ……」
クリュウは一人になってそう漏らす。
最近アイザは、よく工房を訪れる。《ホープ》の調整として何度もアイザは工房にHSAを持ち込んだ。その度にクリュウはアイザと相手を行った。
その度に自分でお金を出すことなくHSAに乗れて、しかも報酬を多く貰えた。
だがそれなのに、最初の《ホープ》と《スカイ》の2RB以来、回を増すごとにHSAに乗っていても満足することは無くなってしまっていた。
「はぁ……」
クリュウのため息は増すばかりであった。
ハタとの会話後アイザはアドウの元を訪れた。そこにはゴンドの姿もあった。
「おお、御嬢」
アドウはアイザを見てヒラヒラと手を振る。
アドウとゴンドは、ちょうど決算をしている様子であった。
それも普通の光景とは大分違った。
「ですから、受け取ってください」
色を付けて、多めに費用を受け渡そうとする、ゴンドに
「駄目だ。受け取れねぇ」
と、それを拒否するアドウ。
そのように立場が逆転していた。
「御嬢、これは受け取れねぇよ」
最後にアドウは、アイザに向かってそういった。
「そう……、確かに、これは貴方のプライドを傷つけるものだったわね。ごめんなさい」
アイザは真摯に詫びる。
「そんなんじゃねぇんだよ。これはただの下らない老人の意地なんだよ」
そうアドウは咥えた煙草を口から放し、紫煙を吐き出した。
「それはそうと、調子いいじゃねぇか」
アドウは話題を変える。
「そうよ。そうなのよ。あの子の走りっぷりったら……くぅ~~~!」
身悶えるようなアイザの素振りにアドウとゴンドは苦笑する。
「調整は完璧。テスト飛走の相手も悪くない……いや、そこら辺のライナーに比べれば格段に上……」
そう言った所でアイザはハッとする。
「そういえば、最近の彼おかしくないかしら?」
付き合いが長い訳ではないがアイザが抱くクリュウの印象は、常にHSAの前では子どもの様にはしゃいでいる少年だった。
ところが最近の彼は、まるで膨らんだ風船が張り裂けそうな……、そう感じていた。
「そりゃあ、そうだろ」
アドウは既に理解しているようであった。
「どうして?」
「おめぇさん自身がHSAに乗れるが2RBが出来なったらどう思う?」
そんなこと考えられる訳が無い。
「何をバカな……あっ!」
その訳が一瞬で氷解する。つまり、彼は目の前に人参をぶら下げられた馬状態。HSAには乗っているのに2RBに出れない、だから気持ちが空転してしまっているのだ。
「と、とんだHSA馬鹿ね。しかも、ガキじゃない」
自分の気持ちも律する事が出来ないなんて、とアイザはクリュウをそう評価した。
「プッ」
するとアドウが噴出した。
「ハッハハハハ!!」
それはもう、部屋中に響く大声だった。
見ればゴンドもアイザから顔を逸らして口を隠して、笑っている。
「な、何よ……」
アイザはむくれた。
「ヒッヒヒ。いや……腹が……捩れる」
苦しそうにアドウがそう言う。
「元祖お子様HSA馬鹿のおめぇさんがそれを言うか。はっはっはは」
アドウの爆笑はしばらく収まりそうになかった。
アイザが再び飛走都市を離れて、何時もどおりの工房のある日、
「……ってー!!」
アドウの怒鳴り声と共にゲンコツがクリュウの頭に落ちた。
「テメェ、今日何回目だ!!」
余りにもミスが立て続きアドウが鉄槌を下したのであった。
「もういい、オメェは明日来るな」
(ク、クビ!?)
クリュウはこの世の終わりが来たように落ち込む。
「何おちこんでやがるんだ。久々の休みだろうが、羽を伸ばして来い」
「え……は……ははは、休み……か」
ホッと胸を撫で下ろす。
「なんでも中古のHSA市があるらしいじゃねぇか。そこにでも行って自分の身の丈でも理解して来い」
アドウは戒めるつもりでいっているのだが、等の本人は、
「親方、それ本当!?」
飛び上がらんばかりに浮かれていた。
(そうか~中古か!)
中古のHSAならひょっとすれば手が届くかもしれない、そうクリュウは心躍らせた。
で、翌日。
「ココ、ドコ?」
クリュウは、街の中で迷っていた。
飛走都市スカイレイルは、大きく分けると工業区、居住区、スタジアム区と3つに分けられる。それぞれ3つは迂回することなく行き来が出来る。
だが、今回HSA市が行われるのはスタジアム区と居住区の間のイベント開催であった。
居住区を通って、イベント開催地にショートカットしようと思った末の悪策が裏目にでた。
思ってみれば、クリュウはこの飛走都市スカイレイルに来て以来、工業区とスタジアム区以外行ったことがなかった。
ものの見事に迷子だった。地図を片手に歩いているものの、居住区はレンガ造りの2~3階の建物が入り組んでいるのでまったく頼りにならない。
「キャっ」
「うお!」
地図にばっかり目がいってしまった為か、曲がり角で人にぶつかってしまう。
「ご、ごめん」
「どこ見て……って新入り!?」
ぶつかった人物は、顔見知りの少女であった。
この人物がクリュウにはこの瞬間神にも見えた。
「さ、サリナちゃん……」
「うわ、何泣いてるのよ!!」
突然涙を浮かべた、クリュウにサリナは動揺した。
「道に迷ったって馬鹿じゃないの」
サリナはそう言って切り捨てる。
そう口では言うもののサリナは学校帰りだと言うのにきちんと道案内をしてくれていた。どうやら学校は今日午前中で終わりだったらしく、それにクリュウは救われた形になった。
「なんだって私がHSAなんかのところに……」
そういうサリナの後ろ姿は、明らかに不満に満ちていた。
クリュウはそう言うサリナに1つの疑問が浮かんだ。
(どうして、そんなにHSAを嫌うんだろう)
サリナはアドウの孫である。もし自分が常にHSAと関われる環境にいたならば嫌いになる要素は全くない。
「どうして、サリナちゃんはHSAが嫌いなんだ?」
聞いてみるが、
「……」
無視されてしまったようだ。
「ほら……着いたわよ」
明らかに、嫌々案内しました、と言う態度でサリナは言う。
「うおおお、すっげええ!!」
見ればそこは、HSAだらけ。クリュウからすれば天国の様な場所であった。
「もういい? 私は帰るけど」
そう踵を返そうとする。
「待って!」
そういいクリュウは、サリナの手を掴んだ。
「ちょ、な、何よ」
「帰り道……分からない」
サリナに案内されている間、考え事をしていたので道順などまったく覚えていなかったクリュウは縋り付く。
「分かったわよ!! 待ってればいいでしょ!」
サリナはヤケクソ気味にそう言った。
(ハァ……子どもは良いいなあ。お気楽で)
サリナはベンチに腰掛けて頬ずえを付く。
正直こんな所にいたくもなかった。
(でも放って返ったら、じいちゃんに何言われるか分かんないし)
クリュウといえば先ほどから色々なHSAを見て回っては大はしゃぎをしては落ち込んでいる。
――すっげえ、このHSA欲しい!!
そして、
――ゲェ!! 高けえ……
(大方、そんなとこなんだろうけど)
その姿は挫けては立ち上がる、まるでダルマのようだった。
「ふつー、女子一人おいてうろちょろする?」
ぼそっと愚痴がこぼれる。
見れば意外とカップルも多い。平日と言うこともあり2RBが行われないので、こういうとこしか見るところがないのかもしれない。
(ああいう、甲斐性の一つでも見せればいいのに)
見れば制服を着たカップルが仲良さそうに歩いている。
「いやいや、ムリムリ」
一瞬、クリュウとそうして歩いている姿が目に浮かんでその光景を、一蹴した。
「あ、喧嘩してる」
サリナが少し目を離した隙に、さっきまで仲が良かったカップルは瞬時にして仲違い……お互い背を向けてしまっていた。
(所詮恋愛ごっこか)
ふっと、分かれた娘の方と目が会う。
「あれ、サリナやないか~。どないしたん、こんなところで」
「なんだ、ソラか」
それはクラスメイトの一人だった。
「なんやん、珍しいなぁ」
「それより、いいの? 彼氏放っておいて」
「ええのええの、どうせ頭冷やしたら帰ってくるやろ」
ソラはあっけらかんと笑う。
「なんや、HSAのライナーになりたい、言うから、アンタならなれるんちゃう?、って言ったら急に怒り出してしもうてな。難しいなぁ、男の子は……」
「男子なんて皆ガキよ」
クリュウを思い浮かべてそういう。
「そこが可愛いやんか」
ソラがそう言う意味は、サリナには全く分からなかった。
「そういや、サリナはそういうことに興味ないん?」
「別に……」
「でも、……ほら、あそこで男の子がこっちに向かって手を振っとるよ」
サリナが顔を上げればクリュウがこっちに向かって手をブンブンと揺らしていた。
顔色が変わったのをみて、ソラがちゃかす。
「やっぱ、アンタも虫付きやったんやないか。ほら、手を振りかえしてあげな」
「違う違う、そんなんじゃないって」
本当に違うのだから、サリナは焦る。
「あれは……その……そう、飼い犬の散歩みたいなもんよ」
祖父が雇い主なのだから、間違いではないだろう。
「うわっ! ワンワンプレイかいな。やるやん、サリナ。そないな風には見えんかったわ」
「わわわわ、違う違う違う!!」
クリュウとサリナは年も似ている。考えて見ればそう言う風に取られてしまってもしかたがなかったかもしれない。
「それより、ええの? 行って上げなくて?」
「だから、違うんだってば!!」
いい加減にしてくれ、そうサリナは思う。
「うわ!! なんかグラサン掛けたのが、ニーちゃんに話しかけとるで、行かなくてええん……?」
ソラのその言葉にサリナも目を向けてみれば、クリュウと似たような背をしたサングラスの男がクリュウと話している。
「い、いいのよ。犬なんだもの、自分で勝手に何とかするでしょ」
サリナはフイっと顔を背けた。
(知らない、知らない……)
そう無視を決め込むつもりでいた。
「ほ、ホントにええん? ニーちゃん懐から札束取り出したで……」
その言葉を聞いて、サリナは全速力で駆け出した。
「おう、任せときな」
「頼んだぞ」
クリュウはすっと手を離す。
そこへ、
「どりゃあああ!!」
そんな張り上げ声と共に、クリュウに向かってドロップキックが飛んできた。
クリュウは悲鳴を上げる間もなく横薙ぎに飛ぶ。
クリュウが倒れこむとその上に馬乗りになるようにサリナが着地する。
「グフッ……」
「ちっ外した」
そうサリナが舌打ちする。
「なんだか分からんが、じゃあな……」
そういうとサングラスの男は背を向け逃げるように立ち去る。
「あ、こら!! 待ちなさい!」
そういって、サリナはサングラスの男を追いかけようとする。
「わわ、サリナ待ちーな。このニーちゃん白目向いとるで! 」
サリナの後を追いかけてきた、ソラがあわててそう言う。
「ちょっと、何気絶してるのよ! 早く追いかけないと!!」
クリュウを掴みガクガクと振る。
「振ったらアカン!!」
その場でクリュウが目を覚ますことはなかった。
体のいたるところが痛い。頭部に鈍痛、腹部に激痛。
クリュウはうっすらと目を明ける。
日はいつの間に傾いたのだろうか。空は赤く燃えていた。
下は草むらなようだ。青臭い匂いがする。それでいて、首筋はほんのりと温かく心地よかった。
痛いところを摩るような感覚がある。
「……サリナちゃん?」
どうやら、自分はサリナに膝枕をされていることに気が付く。
あのサリナに膝枕をされていることに驚き、起き上がろうとする。
「待って!!」
サリナはそう声を出す。
実際起き上がろうとしただけで、眩暈がした。
「……もう少しそうしていなさい」
「……ごめん……」
「なんでアンタが謝るのよ。悪いのはこっちよ」
サリナがふてくされた顔になりフイっと顔を背ける。
「それにしても、なんであんなにお金持ち歩いてるのよ」
「なんでってそりゃ、HSAを買う気でいたからさぁ」
「……呆れた。そんなんだからカツアゲになんか会うのよ」
(カツアゲ?)
疑問に首を傾げそうになって、頭に痛みが走った。
「こら!! 大人しくしなさい」
サリナはそう言ってクリュウの頭を戻す。
「……アレ、アンタの全財産でしょ? HSAを買うために貯めてきた」
サリナは悲痛そうな顔をしている。
そこでクリュウはサリナが勘違いをしていることに気が付く。
「サリナちゃん違うんだ」
「へ?」
「アイツ、あれ? 名前なんつったかな、まぁいいや。アイツ、タヌキってあだ名で呼ばれてる、昔なじみでさ。まぁ、金にガメツイ男なんだけど、アイツがHSA譲ってくれるって言ってさ」
ようやく、痛みが引いてくる。少しふらついたが唖然とするサリナの膝から頭を上げる。
「それでも、ありがとう。心配してくれたんだな」
クリュウはサリナを立ち上がらせる為に手を出す。
「ば、ば、馬鹿じゃないの!? 心配して損した」
プイっと顔を背けた。
「でも、心配されたってことは嫌われてた訳じゃないんだな。オレ、てっきりサリナちゃんに何かしたんじゃないかって……」
「き、嫌いよ。大嫌いよ!!」
サリナはクリュウの手を借りずに立ち上がる。
「……帰るわよ」
「ああ」
クリュウはサリナの後を追うように歩く。
「……ところで、新入り?」
「うん?」
「アンタ、HSAを買ったって置き場所はどうする気?」
「あ゛っ!!」
確かに6メーヤもする巨体その辺においそれと置いておけるものでもない。
「やば、早く帰って親方に相談しないと」
ひょっとしたら空いてるハンガーの一つぐらい借りられるかもしれない。
クリュウは早く帰ろうと走り出す。
「ま、待って。アンタ帰り道も知らないくせにどう帰るつもりよ!!」
クリュウとサリナは大声を出しながら家路に着く。
赤く燃える夕日が二人の間にあった距離を少し縮めたようであった。
こんばんは。
3話投稿です。ご覧になってくださった方、どうもありがとうございました。
ドラコの時からですが1話毎に新キャラを出す癖が抜けない気がします。
次回、とうとう主人公のHSAが登場です。
皆さんの感想をお待ちしております。