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第12話:開かれる鳥籠と、絶対の宣告

翌日の午後。ルーシーは再び、ジュリアの豪奢な私室に呼び出されていた。


「……あんなけしからんメイド、今日付けでクビにしてやるわ」優雅に扇子を弄びながら、ジュリアは氷のような声で言い放った。


「私の部屋に勝手に入り、引き出しの手紙を盗み見た。……前の『シーター』と同じように、この館から惨めにつまみ出してやるの。実家への仕送りもなくなって、あの貧しい家族はどうなるかしらね?」


ビクリ、とルーシーの肩が跳ねる。自分が昨夜、その想いごと拒絶してしまったシーター。彼女が手紙を見たのは、他でもないルーシーのためだった。


「それが嫌なら、どうすればいいか……分かっているわね、アボット?」


親友のアニー。想い人のジミー。そして今度は、自分を慕ってくれたメイドのシーター。ルーシーの大切なものは、ことごとくこの悪魔の鳥籠に囚われ、人質にされていく。ルーシーは血の滲むほど強く唇を噛み締め、ゆっくりと、絶望に満ちた首を縦に振った。



その夜。ジュリアのエスカレートする支配欲は、いよいよ最終段階に入っていた。ルーシーは無表情のアルファとベータに両脇を抱えられ、大理石の浴室へと連行された。粗末な衣服を剥ぎ取られると、メイドたちは一礼して無言で退室していく。


密室に残されたのは、ルーシーとジュリアの二人だけ。


「……私が綺麗にしてあげる」ジュリアは自ら袖を捲り、たっぷりの泡でルーシーの体を洗い始めた。それは労わりなどではない。隅々まで自分の匂いを擦り込み、完全に「自分の所有物」へと作り変えるための、執拗でねっとりとした儀式だった。


抵抗する気力すら奪われ、ルーシーはただ虚空を見つめている。湯から上がると、肌が透けるような薄いピンク色のネグリジェを着せられ、鏡の前に座らされた。ジュリアの冷たい指先がルーシーの顎を固定し、真紅のルージュが乱暴なほど厚く唇に塗りたくられる。仕上げに、むせ返るような薔薇の香水が首筋にたっぷりと吹きかけられた。


「……ああ、完璧よ。私の可愛いお人形」


ジュリアは恍惚とした表情でルーシーを背後から抱きしめ、そのまま巨大な天蓋付きベッドへと引きずり込もうとした。完全に心身を壊され、深い闇へと堕ちていく——間一髪の、その時だった。


バンッ!!!


鼓膜を劈くような大音響とともに、ジュリアの寝室の重厚な扉が外側から蹴破られた。


「な、何事……!?」


ジュリアが悲鳴を上げて振り返る。そこに立っていたのは、ステッキを手にした厳しい面持ちの紳士・ブライトン氏と、冷徹な瞳をした本家の顧問弁護士・グリッグスだった。背後には、完全にパニックに陥ったペンドルトン夫人が腰を抜かしてへたり込んでいる。


「無礼者! ここをどこだと……!」


「無礼はそちらです、分家のジュリアお嬢様」怒り狂うジュリアの言葉を、グリッグスが氷のように冷たい声で一刀両断した。彼は懐から、ペンドルトン本家の厳厳たる紋章が押された『絶対の命令書』と、あの『銀のエンブレム』を突きつけた。


「彼女は泥棒などではない。当主様ご自身が、かつてこのエンブレムを与えた大切なお客人です。……それを小間使いとしてこき使い、あまつさえ虐待を働くとは、本家への重大な反逆とみなします」


「そ、そんな……ただの孤児よ!? 私のおもちゃなのよ!」


「お黙りなさい!!」グリッグスの雷を打つような一喝に、ジュリアは弾かれたように言葉を失い、その場に崩れ落ちた。本家の絶対的な権力と財力の前に、分家の鳥籠の女王など、羽をもがれた虫けらも同然だった。


「ルーシー……すまなかった。よく、私のアニーを守ってくれたね」


震えるルーシーの肩に、温かいウールのコートが掛けられた。ブライトン氏だった。彼は、薄着で強烈な香水を放つルーシーの惨状に顔を歪めながらも、父親のような慈愛に満ちた手で彼女を優しく包み込んだ。


「もう大丈夫だ。君は自由だよ」


大人たちの圧倒的な庇護。ルーシーの目から、せき止めていた涙がボロボロと溢れ出した。


ジュリアは、自分の完全な所有物だと思っていたおもちゃが、自分より遥かに高い身分(本家当主の後見)に引き上げられ、合法的に奪われていくのを、ただ歯ぎしりをして這いつくばって見つめることしかできなかった。



一時間後。


ルーシーは、自分のなけなしの荷物をトランクに詰め、屋敷の前に停められた本家の立派な馬車に乗り込もうとしていた。夜風が、毒のような薔薇の香りを少しずつ攫っていく。


しかし、自由を手にしたはずのルーシーの表情に、「清々した」という喜びはなかった。


彼女の視線の先。屋敷の巨大な柱の陰で、うつむいて立ち尽くす小柄な影があった。


メイドのシーターだ。


(私が去った後、ジュリアは必ずあの怒りをシーターにぶつけるわ。……あの子が、壊されてしまう)


馬車に乗り込んだルーシーは、御者が鞭を振るう直前、窓から大きく身を乗り出した。


「シーター!」


弾かれたように顔を上げたシーターへ向けて、ルーシーは躊躇うことなく手を伸ばし、その荒れた両手を固く握りしめた。


「シーター……どうか、元気で。……あなたのことは、決して忘れないわ」


想いを通い合わせることはできなかった。けれど、あの理不尽な地獄の館で、互いの痛みを庇い合い、傷を舐め合った唯一の戦友だった。


「アボット様……っ、アボット様ぁ……!」


シーターはルーシーの手にすがりつき、子供のように声を上げて泣き崩れた。


ヒヒーン、と馬がいななき、車輪がゆっくりと回り始める。二人の手は、残酷な物理的距離によって、指先から滑り落ちるように離れていった。


「さようなら……!」


遠ざかっていくペンドルトン館の黒いシルエット。そして、いつまでもいつまでも、小さく手を振り続けるシーターの姿。ルーシーは、馬車の窓枠にしがみついたまま、その姿が涙で完全に見えなくなるまで、暗い夜道を見つめ続けていた。


彼女の胸には、解放された喜びよりも、同じ地獄に一人残してきてしまった少女への、引き裂かれるような切なさが渦巻いていた。


(第一章 終)

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