恐怖と涙
23時半。帰宅すると姪っ子はすでに眠っていた。
(ちゃんと布団も敷けたんだな)
しかし用意していったコンビニのおにぎりを食べた形跡がない。ポテトチップスの袋が破けている。
なぜか自責の念に襲われた。
(これじゃあ姉貴に怒られるよな)
て言うか俺にもまだこんなよくわからない気持ちが残っていたんだ。
翌日
仕事を辞めた俺はする事がない。一人で行かせるつもりだった学校に一緒について行った。
「今日からしばらく一人にはしないからな」
「仕事は?」
「辞めた」
「じゃあ温泉!」
「めんどくせぇよ」
「じゃあウナギ!」
「ウナギ? 高いから駄目だ」
「じゃあ温泉で我慢する……」
「ワガママ言うな」
まったくこいつは調子が狂う。
とりあえず、ファミレスの夕食で納得させた。
(金、あといくらあったかな?家賃や公共料金払ったばかりだからな)
金の確認の為に一度家に戻る。まあ金の事がなくても他に行く所はないのだが。
ドアの前に俺と同じくらいの男が立っていた。
「誰だオメェは?」
「淑次さんですね?突然申し訳ありません………単刀直入に言いますと淑美を迎えに来ました」
「は?」
「あの子の父親です」
「………と、とりあえず中に入れよ」
「はい。ありがとうございます」
散らかってるとか気にする事もなかった。父親と言う言葉が聞いた途端、全身の血の気が引くのをまざまざと感じていた。
そして、当然お茶も出さずにテーブルを挟んで対峙する俺と自称父親。
「父親と言ったな?俺の聞き間違いじゃないよな?」
「はい。間違いありません」
「つまり姉貴の彼氏だったと言う事か?」
「はい。申し遅れましたが、品川で開業医をしてます猪木と申します」
猪木だと?プロレスラーか?
今はそんな事を考えてる場合じゃないな。しかし、こいつは堂々としているな。眼力も鋭い。てか医者だと?
「で、猪木さんとやら、あんたは姉貴を捨てて逃げたんだよな?間違いないか?」
「間違いありません」
少しは申し訳なさそうにしろよ。
「で、そのあんたが俺の姪っ子を引き取りに来た。間違いないか?」
「はい」
「しかし、あんたが父親だって言う事をどうやって証明するんだよ?」
「DNA鑑定です」
「は? DNA鑑定をしたのか?」
「いえ。まだしていません。それをこれからさせて頂きたいのです」
「は?」
「私と香菜は一緒に住んでいました。そして子供が出来ました。あれこれ言い訳はしません。結論から言うと、あの時の若い私は自信もなく、正直怖くなり逃げ出しました。それは悔やんでも悔やみきれません」
「まあいいや………それで?」
「正直に言いましょう。私は現在結婚をして妻がいます」
「は?」
「私は妻に香菜との事を全て話しました。そして調べていたら香菜が亡くなったと知りました。そして名前が淑美と言う事、そしてその淑美が現在貴方様の所にいる事も」
「………」
「虫が良すぎる事は重々承知しています。ですが、きちんとDNA鑑定をさせて頂き、淑美を私の子供として正式に迎えたい。そう考えてお邪魔致しました。もちろん妻も賛成しております」
「ちょっと待てよ。ふざけてんじゃねーぞ。勝手に捨てておいて今更ノコノコやって来やがって!!姉貴がどんだけ大変だったと思ってるんだ?」
「はい。お叱りはごもっともです。どんな言葉も甘んじて受け入れます。ですが、誰にでも過ちと言うのはあるものではないでしょうか?私は出来る事なら、淑美を幸せにする事で償いたい。そう考えています」
「………」
何も言い返せなかった。
確かに過ちはある。
俺は猪木の言葉で自分の過去の過ちを償おうなんて考えた事もなかった。
妻が浮気をしたから離婚して、犯罪を犯してまともな仕事にもつかず墜ちる所まで墜ちた。あの時妻が浮気しなければ……そもそも俺がこうなったのも全て妻が悪い。責任転嫁をしていたのだ。俺は自分自身に負けていたんだ。悲劇のヒーローを気取って美化していた。
そう考えたら、何も言い返せなかったのだ。
「済まないが今日は帰ってくれないか? 考えたい」
「わかりました」
猪木は帰って行った。
俺は泣いた。
妻が浮気した時と同じ様に泣いた。
そして悔いた。
何故俺はこんな自分になってしまったんだろう。
今まで考える事から逃げていた自分に気付いてしまった。そして同時に姪っ子を取られてしまうかも知れないと言う恐怖もこの時に始めて感じていた。