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8. 影狼との邂逅

 農園を出て、南の街道をしばらく進んだところにある交差点に、小さな休憩所のような広場があった。ラトじいが前に「昔はここで商隊が野営していたらしい」と教えてくれた。

 そこは旅の待ち合わせ場所のようになっていて、無人の小屋もある。


 使者からの手紙には、王妃様からのものとは別に指令書のようなものが同封されていた。

 そこには農園ではないこの場所を指定し、そこで待つように書かれてたので、私たちは王都からの使者を数日前から待っていた。

 ルゥは布にくるまれて私の腕の中。カランは近くの切り株に腰かけ、上機嫌に笛を吹いている。


 それにしても――。


(遅いな……いや、きっと向こうも慎重なんだよね)


 どんな人が来るんだろう。王妃陛下の手紙には「信頼のおける護衛を送る」と書かれていたけれど――。


 私の脳裏に、以前やってきた騎士団の姿がよぎった。その中でも、厳しい眼差しの、白銀の甲冑を着た男性――。


 その記憶が浮かびきる前に、遠くから蹄の音が響いてくる。


 風が草を揺らす中、しばらくすると複数の馬が私たちの前に姿を現した。


 先頭にいたのは、まさしくその男だった。


 馬を降りた彼が、無言でこちらへ歩いてくる。

 1ヶ月前、農園で一度顔を合わせたその冷たい目が、まっすぐに、こちらを見下ろしてきた。


「リイナ殿。セレスティア陛下の命により、あなたを王都へお連れする。……そのドラゴンも含めて」


 彼の鋭いまなざしは、まるでこちらの真意を測るかのようだった。

 ルゥを腕の中で感じながら、私はぐっと気持ちを引き締める。転生する前から、私のモットーは、“自分の目で見て決める“だった。だから今回も、自分の目で王都を見て、これから先のことを考えようと決めていた。


「……分かりました。来てくれてありがとうございます」


「その竜は、以前よりも明らかに力を帯びているようだ」


 彼はルゥをじっと見つめて言った。感情を交えず、ただ事実として。


「共鳴によって進化すると聞いている。あなたが意図せずそうしたのなら――奇跡だ。だが……」


 彼は目を細めた。そこにあるのは、迷いか、あるいは戸惑い。


「……同時に、制御不能な存在をこの世界に増やす危険性を、俺はこの国の騎士として、認めるわけにはいかない」


 その言葉は冷たかったけれど、心の奥底から来る「恐れ」と自分に課せられた「使命」への迷いが混ざっているように見えた。


 私は言葉を選びながら口を開く。


「それでも私は、ルゥを見捨てるわけにはいかなかった。……あの時も、今も」


 ルゥが小さく唸るような声を出し、私の指を舐めた。その温かさが、私の胸の中にゆっくり灯をともす。


「……話は道中で聞く。今は、あなたを王都へ届けるのが任務だ」


「はい。お願いします、クレイス副団長」


 私たちの心に、まだ信頼はない。

 けれど、彼の目の奥にほんのわずかに宿る揺らぎが――どこか、過去に囚われているように感じるのだった。



     * * *



 馬車に揺られて走ること、3日目の夕暮れ。

 さすがにお尻が痛くなってきた。


 クレイスは寡黙そのもので、私と話すのも必要最低限。

 でもその分、ルゥとカランがにぎやかに盛り上げてくれて助かった。


「るぅたん、お空が綺麗だよー。今日は空気が乾いてるから山脈の稜線がよく見えるなぁ」


 カランってこんな性格だったけ?

 年齢不詳の眼鏡男子は、いつの間にかレミィのようにルゥのことを「るぅたん」と呼ぶようになっていて、いつも猫可愛がりしてる。ルゥの方は、あんまり相手にしていない様子だけど…。


 ルゥはカランの言葉を聞いているのかいないのか、私の膝の上で丸まり、ウトウトとまぶたを閉じていた。

 ほんのりと、背中の鱗に金色の光がにじんでいて……気のせいじゃなければ、少しずつ成長してきている。


(でも、きっと大丈夫。このまま無事に王都に着けば――)


 そう思った矢先。突然沸き起こる嫌な感覚にはっと顔を上げる。

 草むらの中からカサリと不穏な音。背筋が凍るような雰囲気に、私はすぐさま危険を感じ取り辺りを見回した。


「……馬が落ち着かない。周囲を警戒しろ!」


 クレイスの一声に、騎士団員たちが剣の柄に手をかける。


 ――その瞬間、空気が変わった。


 ぴりりと肌を刺すような気配。心の奥に訴えかけてくる“何か”の存在。そして灰色の残像が“視えた“。


(来る……!)


 草むらの影から、黒い獣の群れが飛び出してきた。


 目を血走らせ、牙をむき出しにした魔獣たち。

 それは狼にも似ていたけれど、どこか影のように輪郭が曖昧で、瘴気のようなものをまとう異様な姿だった。


「“影喰い獣(シャドウイースター)”か!? 数が多すぎる――」


 剣を抜いた騎士たちが応戦するけれど、魔獣の一部は、まっすぐ私たちの方に向かってくる。


「リイナさん、後ろへ! 僕が前に――」


「カランさん……! 気をつけて!」


 私はルゥを胸に抱きしめた。


 その時、また“感じた”。


 ルゥの中で、なにかが弾けるのを。

 私の気持ちと、ルゥの心が、溶け合うように共鳴していく。


(守りたい。絶対に、誰も傷つけさせない……!)


 その想いは、私のものなのか、ルゥのものなのか。私の胸元で、ルゥの体が小さく震えた。

 赤と金の鱗が、一瞬、まばゆい光を帯びたかと思った次の瞬間――。


 ルゥの額に、小さな紋章が浮かび上がった。


 それは、以前共鳴の時に私と繋がった“竜の紋”。


 小さな体から放たれる光が周囲に広がり、近づいてきた魔獣たちがたじろいだ。


「……進化反応!? まさか、本当に?」


 クレイスが目を見開く。


 私は抱きかかえたままルゥを見下ろした。

 その目が、確かに――少し変化し、翼が大きくなったように見える。


「……ルゥ?」


 その時、さらに異変が起きた。


 闇のような魔獣たちが後退し、怯えるように身をすくめた先。


 闇の中から、静かに、それでいて圧倒的な存在感とともに――、一頭の巨大な獣が現れた。


 漆黒の毛並みに、銀の瞳。

 月の光に照らされたそれは、まるで影そのものが具現化したような存在。


「……影狼(シャドウフェンリル)、だと?。影食い獣の上位魔獣が、なぜ、こんな場所に……」


 クレイスが眉を顰め、そう低く呟いた。


 不思議だけど、恐ろしいはずの巨大な魔獣を前にして、私はなぜか怖さよりも懐かしさを感じていた。


 その狼は、私とルゥを守るように、魔獣たちの前でゆらりと壁を作る。すると魔獣たちは影狼の気配に気圧されたのか、低く唸りながらあっという間に森の中へと引き返していった。


(この子は……ルゥに呼ばれて、来た?)


 魔獣たちが去ったのを確認すると、大きな銀の瞳がじっとこちらに向かう。

 その視線には、敵意も、捕食者の本能もなかった。


 ただ、懐かしさと、哀しさがにじんでいるようで――。

 

 クレイスが「危険だ!」と静止するのを聞きながらも、私は引き寄せられるようにゆっくりとその狼に近づいた。

 ルゥが私の腕の中で小さく鳴く。目を細め、まるでこの狼を知っているような表情だった。


「……あなたは、ルゥを守ろうとしてくれてるの?」


 影の狼は、一度だけ頷いた。

 まるで“言葉”の代わりに、心で伝えるように。


 その瞬間、私の中で何かが共鳴した。


(わたしの“影”――?)


 影狼は静かに歩を進め、私のすぐ傍らへと近づいてきた。

 警戒していたクレイスや騎士たちも、なぜか動けずにこの光景を見守っている。

 この場には、目に見えない“意思”の力があった。


 影狼の輪郭がふわりと揺れ、そして――影そのものに溶け込んでいく。


「えっ……!」


 その影は、私の足元にするりと滑り込み、まるで私の影に重なるように――一体化した。


 私の影が、ふいに狼の形に変わる。


(……!)


 そして頭の奥に、言葉ではない、けれど確かに“感情の声”が響いた。


『……呼ばれた。おまえと、この竜の……光に』


 あたたかく低く響く、どこか寂しげな声。

 それは長い孤独を知っている者の声だった。


「……あなた、名前は……?」


『……今は、ない。けれど……お前が名づけてくれるのなら、それを我が名にしよう』


 私は、少し考えてから、頭の中に浮かんだ名前を口にする。


「“グリム”――という名前はどうかな」


 少しの沈黙の後、足元の影が、ふるりと震えた。


 それは、喜びのようにも、安堵のようにも感じられた。


『……その名、心に刻んだ。私は、おまえの影。必要とあらば、呼べ』


 次の瞬間、影の狼は再びすっと姿を現し、私の後ろに寄り添うように控えた。黒い艶やかな尾が私とルゥを包むように撫でてくる。こ、このもふもふはたまらない!


 大きなグリムの体は、どこか安心感を与えてくれる存在で――。

 それを黙って見ていたカランがそっと近づき、小さく驚いた声をもらした。


「リイナさん……君の影が、狼の形になってる」


 私は背後に伸びる影を見つめてから、小さく頷き、ルゥを抱きしめる。不思議なことばかり起きるけれど、なぜかその全てが繋がっているように感じていた。


「仲間が増えたね」


 クレイスはじっと私を見ていた。

 彼の表情は読めない。けれど、その目には、わずかな戸惑いと……なにか、動揺のような色があった。

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― 新着の感想 ―
このお話の雰囲気、とても好きです! 続きも楽しみにしています!
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