6. 竜の記憶【クレイスside】
──あの女の目が、忘れられない。
リイナ、と言ったか。小さな竜を庇うように抱きしめて、まるで母鳥のように俺を睨み返してきた。
それはただの一市民の顔ではなかった。恐怖もあっただろうに、怯えるというより、怒りと祈りを感じ、確固たる意思が見えた。
まるで、自分の命よりもその竜を大切にしているかのように。
「……馬鹿な。どうして、そこまで……」
クレイス・ヴェルディアは王国騎士団の副団長であり、誰よりも冷静で、誰よりも竜の扱いに精通している──そう、自分で信じていた。
竜とは、制御すべき兵器だ。
どれだけ幼くとも、どれだけ従順そうに見えても、あれは時に本能のままに暴れ、喰らい、焼き尽くす存在。
俺はそう信じて疑わずにきた。
──そう思うのは、あの夜の記憶が、焼き付いているから。
* * *
まだ俺が十五の頃。
俺の生まれ育った辺境の町に、暴走した“野性進化の個体竜”が現れた。
王都からの連絡は遅れ、鎮圧部隊が到着した頃には、町の大半が燃え、消え去っていた。
父も、母も、妹も、誰ひとり残らなかった。
目の前で、空を割るように咆哮し、紅蓮の火を吐く巨大な竜。本能のまま町を焼き尽くし、凶悪な鉤爪は一瞬にして全てを壊した。
竜の眼に映る感情を、俺は読み取ることなどできなかった。言葉や人の意思が通じるわけもない。
あれが──“資質なし”と見なされた個体のなれの果て。
「……生かしておく価値はない。あれは兵器であり、飼い慣らせないものは脅威でしかないのだから」
俺を救ってくれた竜騎士は、はっきりとそう言い、容赦なくその暴走竜を討伐した。
孤児となった俺は騎士団に志願し、竜部隊へ進んだ。同時に、“不適格個体”の処分任務にも数多く関わってきた。
俺は制御不可能だと判断された多くの個体を死なせた。
無垢な目をした幼竜も、血を流しながら母を呼ぶ竜も。
それが正義だと信じていた。もう自分のような被害者を出さぬためにも。
──なのに。
あの小さな赤竜は、違って見えた。
人を恐れ、傷ついて、それでもあの女に身を委ねていた。
その目に映る光は、“信頼”だったと思う。人と竜との間にそのような関係が築けるなど、思ったこともない。
「……共鳴紋が、現れるなど……」
竜の額に浮かんだ紋章。
そしてそれに呼応するように光った、あの女の手。
俺の脳裏にも古代の伝承が浮かんだ。何百年も前に失われた契竜者──竜と完全な絆を結び、共に心を交わした存在。
それが事実なら、あの女は……。
「……だとすれば、余計に危険だ」
竜が一国を滅ぼす力を持つことは、史実が証明している。
そしてそれを従える者は、時に神よりも恐ろしい“異物”になる。
それでも。
俺の中で何かが、確かに揺れている。
──もし、あの竜が暴走しないとしたら?
──もし、彼女が本当に“竜と繋がることのできる力”を持つ存在なら?
「……俺は、何を恐れている」
馬上で、俺は独りごちた。
自分が信じてきた正義が、崩れてしまうことか。
それとも──。
あの女のように、己の信念を信じきる勇気を持てない自分自身か。
* * *
森をふき抜ける風が、靴にまとわりつく砂埃を巻き上げた。
王都への帰路。部下たちは隊列を組み、規則正しく後に続いていた。その先頭に立ちながら、俺の頭の中は、あの女と小さなドラゴンに囚われていた。
「クレイス副団長」
その時、部下のフィルが声をかけてきた。
「……先程の、あの竜と女性のことなのですが」
「何か情報が?」
フィルは「はい」と返事を返すと、馬上で器用に小さな手帳を開いた。
「あの農園にはこれまで老人と奉公人のみ住んでいたらしいのですが、数年前流れ者の女が住み着いたという話です。南部辺境の小さな農村「エルドレア村」出身で、身寄りがなかったのをこの農園の主が預かったとの記載があります」
俺は馬の手綱を握り、深く息を吐き出す。
「……“あの竜”を庇っていた女、彼女の中に、“巫女の気”を感じた気がする」
「巫女、ですか?」
フィルが眉をひそめる。今の若い世代には馴染みのない言葉だろう。
だが、俺の育った家ではなぜか“竜と心を通わす者”の伝説がお伽話のように語られていた。
今は軍にとって厄介な妄言でしかないが——。
「竜と心を通わせるなど、神話の中の話だと聞いていましたが……あの女性が、まさか」
「信じたくはないが……あの力は我らにはないものだ。竜の気と、人の気が重なっていた」
フィルが黙り込んだまま、視線を先へ送る。
「副団長は……その竜をどうされますか?」
「軍規に従えば、即時捕獲。適正試験を経て、処分対象なら“谷”送りだ」
「……しかし、あの竜、何か…違って見えました。私も、少しだけ……」
竜部隊は感知の特殊魔法の習得が必須。フィルもまた、その魔法の才能を見出されこの部隊に所属している。おそらくは、この赤髪の若い部下にも“視えた”はずだ。
俺はフィルの言葉を遮るように、静かに言った。
「迷いは剣を鈍らせるぞ、フィル。軍人にとっては命取りだ」
「……はい」
だが、誰よりもその“迷い”に心を揺らされているのが自分だと、痛いほど分かっていた。
彼女が竜を抱きしめたあの瞬間、あの小さな命が確かに“安堵”したのを、俺の竜感知の術が告げていた。
あの女は何者だ?
なぜ、あの竜と共鳴する?
そして――なぜ、俺の記憶を揺り動かす?
俺は唇を噛み、首を小さく振った。
(……迷うな。これは任務だ。個人の感情は、必要ない)
「本当に、報告を王妃陛下にされるのですか」
「いや。もう、王妃はご存知のはずだ。王妃の感知魔法は我らを凌ぐ。“竜と共鳴する民間人”……放ってはおけないだろう」
そうは言いつつも、まだ戸惑いと苛立ちがあった。
どこかで、あの時の光景──リイナと竜が寄り添い、動物たちが集まり守ろうとした様子が、心に残り続けている。
それを思い出すたび、胸の奥がわずかに軋むのだった。
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登場人物もこれから少しずつ増えていきます!恋愛強めかほのぼの継続か悩み中…