5. 王国騎士団の足音
その朝は、空がいつもより静かだった。
鳥たちのさえずりがどこか遠く、風の流れが急に変わった気がして、私は手を止めた。畑の端で蝶々と遊んでいたルゥが小さく「くぅ……」と不安気に声を上げる。
「……どうしたの?」
問いかけながら抱き上げたその時だった。
重たい足音と、鎧の擦れる金属音。
風に乗って、聞き慣れない硬い音が農園の坂の方から迫ってくるのが耳に届いた。
私は反射的に、ルゥを胸に抱きしめる。
「リイナさん! なんかやばそうな人たち来ちゃいました!」
坂の途中で草刈りをしていたレミィが転がるようにしてこちらに走ってくると、農園の生垣の向こう側を指差した。
「来たか……」
カランが、小屋の戸の前で静かに呟く。まるでその到着を予測していたかのように落ち着いた様子で。
やがて、農園の門の前に現れたのは、十名ほどの騎士たち。青と銀の王国紋章を胸に刻んだ甲冑に身を包み、統率の取れた隊列で馬から降りてくる。
そして、その中でもひときわ冷たく鋭い気配を纏っていたのが──先頭に立つ男。その男は冴え冴えとした雰囲気で私たちの前に立つと名乗った。
「俺は王国騎士団副団長クレイス・ヴェルディア。この農園の者に問う。数日前、この森で“規格外の魔獣反応”が観測された。該当するものの引き渡しを命じる」
よく響く凛とした声。
鋭い目をしていて、判断の早そうな男だった。艶のある銀髪は短く整えられ、深い紺の瞳と、精悍な顔立ち。すらりとした長身は見上げるほどで、よく見ると誰よりも立派な長剣を腰に差している。
クレイスと名乗ったその王国騎士は、辺りを探るようにしていたが、すぐにその視線が、私の腕の中のルゥに刺さった。
「それだ。……赤竜種」
「待ってください。この子は――!」
「その個体は王家の軍用竜に指定された“特殊個体”の一つ。民間での飼育は固く禁じられている」
彼は私の言葉を遮ると、無感情にそう告げる。
そして、一歩こちらに近づいた。
「速やかに引き渡せ。命令だ」
「……い、いやです!」
気づけば私は、ルゥを庇うように背を向け、体を盾にしていた。まるでルゥを「物」のように扱うようなこの人に、ルゥを渡すなんて考えられない。
クレイスは眉を顰め、背後に控えていた騎士団の面々が剣の柄に手を添えたのが分かった。
膝が震えている。でも、それでも譲れなかった。
「この子は捨てられていたんです。寂しそうに震えて、ひとりぼっちで……。それを“ただの軍用生物”として扱うようなあなたたちに渡すなんて、そんなこと、できません!」
「お前の感情で国家法を覆すことが許されるとでも?」
クレイスは、表情ひとつ動かさずに言った。
「その個体はすでに資質を測定されている。その中でも“落ちこぼれ”の可能性が高いと判断された。王国は、これまでも数多くの竜を間引いてきた。なぜなら、懐柔できないドラゴンは暴走の危険があるからだ。──それが、王国の“常識”だ」
でも、その時。
ルゥの額の紋が、うっすらと赤く輝いた。
同時に、私の手の甲にも、ほんのりと光の波が広がっていく。
「……っ、その紋章……」
クレイスが、一瞬だけ息を呑む。
「……竜の共鳴現象……ありえない。記録では数百年前の……」
カランがすかさず前に出て、騎士たちの前に立った。
「クレイス殿。リイナさんと竜の間に起きているのは、かつて“契竜者”と呼ばれた伝承の再現かもしれません。軽率に手を出せば、国の歴史に関わることになるやも」
「黙れ、学者風情が……」
クレイスの眉間に皺が寄る。しかし、ルゥの光がまだ消えないことに、彼の視線は次第に揺れ始めていた。
「な、なんだ?」
動揺した声は騎士団の中から突然上がった。数匹の動物たちが、騎士団の足元を縫うようにして、こちらに駆け寄ってくる。
私の手の光に呼び寄せられたからか、私の家の周りに棲みつき始めた鳥や猫、リス、放牧中の羊の群れがわらわらと集まってきた。
「リイナとルゥ、まもる」という気持ちが私の心に直接響いてくる。
彼らは言葉を話すわけではなかったけど、私とルゥを守るように騎士団の面々の前に対峙した。
「なんだ、お前は……?」
動物たちの壁のようなものができ、私はその後ろでルゥを抱きしめる。その様子を見て、クレイスはわずかに動揺し、さらに騎士団も隊列を乱しこちらを見ては囁き始める
「私はここにいるすべての生き物の“保護者”です」
そう胸を張って宣言した時、さらに背後から馬の足音が響いた。
「……この件、王妃殿下に報告すべきでしょう。もしもこの者が本当に“契竜者”であるなら……全てが覆る可能性があります。異例ではありますが、強制連行は控えるべきかと」
赤髪の女性騎士が低く進言する。
クレイスは数秒沈黙していたが、やがて静かに息を吐いた。
「……いいだろう。だが、“その個体”をそのままにはしておかないと心に留めておけ」
冷たい言葉を残し、彼は馬に戻る。
「今回のことは、王都にて再審議し王妃殿下にすぐに報告を上げる。……貴女の名は?」
「……リイナと申します」
馬に騎乗しながら、彼は私の名前をどこか皮肉げに呟くように口にした。
「……覚えておく。リイナ殿」
そうしてクレイスは「行くぞ、フィル」と赤髪の騎士に声をかけると、団員たちを伴い農園を後にした。




