表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
23/43

23. 痕跡を追って

 牢屋を出たあとも、あの強い視線が焼き付いて離れなかった。

 ヴァルトは確かにルゥを攫った。でもまだ何かが隠されてる気がする。あれは——もっと別のものを抱えている人間の目。なぜか分からないけど、そう確信できた。

 ……あの人は本当の犯人じゃない。他にヴァルトをそそのかした人がいる。


「ルゥはまだ生きてる」


 彼がなぜ私にそれを伝えたのか、わからなかったけど。言うつもりはなかったのに、不意に出てしまったというようなヴァルトの言葉には、彼の心の奥底にある迷いが現れていた。


 ヴァルトは……保護猫のなかでも関わるのに1番苦労した古株の虎丸に似てる。成猫になるまで満身創痍で生き抜いてきて、はじめは人間の手に全く慣れなかったあの子。自分の強い信念みたいなのがあって、大切な兄弟がいたのに、自分だけが生き残ってしまったことをずっと悔やんでいるような、そんな悲しい子だった。

 子供の頃、性善説とか性悪説とか勉強したことあるけど、私は最初から悪なんてこと、ないと思う。

 悪は“染まるもの”だと思うんだ。甘いかもしれないけど……。




     * * *




 屋敷に戻り、部屋の扉を閉めると同時に、私はルゥの名を呼んだ。

「ルゥ、聞こえる? 私だよ」

 意識を集中させ、胸の奥であの日の温かい光が灯るのを待つ。

 静寂の中で、呼吸が速くなっていくのを感じた。

 ペンダントの奥に潜む淡い脈動が、私の鼓動と重なって響いてる。何度もあの子と繋がってきた感覚を思い出しながら、心を澄ませて呼びかけた。


「ルゥ、ねぇ、無事なの?」


 けれど返ってくるのは、重たい沈黙だけ。

 まるで分厚い布で塞がれたように、気配すら掴めなかった。


「……どうして」

 声は自然と震え、無意識にペンダントを強く握り締める。そこから小さな熱が掌に広がるのに、あの子のぬくもりには届かない。


 焦りで胸が締め付けられた、その瞬間。

 ペンダントが淡く光ったかと思うと——黒い靄のような影が、すっと表面を走ったのが確かに見えた。


「……っ!」

 息を呑む。まるで何者かが、意図的に繋がりを断っているかのように感じた。


「やっぱり試してたんですね」

 背後から声がして振り返ると、カランが近づいてくるところだった。気配に全く気づかないほどに、私は集中していたみたい。

 彼は珍しく表情を険しくしていた。


「強い“遮断”の術が働いているようだ。……おそらくは王都にいる誰か……相当な魔力を持つ者の仕業だろうな」


 私は唇を噛む。

「ルゥは……無事だよね?」

「生きている…とは思います。ペンダントがそれを微かに示している」

 カランは淡々と告げた。だがその声には、僅かな苦みが混じっていた。


 私は胸にペンダントを抱きしめ、深く息を吐く。

 たとえ無事だったとしても、空白の不安は埋まらない。


「……必ず見つける。何があっても」


 カランの瞳が一瞬だけ柔らかく揺れた。

「そうですね。るぅたんが一人で泣いているかと思うと、居ても立っても居られない。僕も力を尽くしますよ。君が諦めない限り」


 その一言に、不思議と胸の奥の焦りが少しだけ和らいだ。


——ルゥ、待ってて。必ず迎えに行くから。


 カランは机の上に置かれた古びた地図を広げ、視線を落としたまま言った。

「……ペンダントの反応からして、るぅたんは王都の外に連れ出された可能性が高いでしょうね」


 私は椅子の背に手をかけ、ぐっと身を乗り出す。

「なら、すぐに追わなきゃ」


 カランは首を横に振った。

「焦らないで。表向きはヴァルトが犯人とされ、騎士団の目も厳しい今、君が動けば、ますます疑われるだけです」


「でも……!」

 思わず声が上ずる。胸の奥の不安が、怒りと焦りを伴って膨れ上がり、溢れ出す。


 カランは、そんな私をじっと見て、小さくため息をついた。

「君が一人で突っ走るのは目に見えている。……だからこそ、クレイスを連れて動くべきでしょう」


「クレイス副団長を……?」


「彼は表には出していないですが、すでに君の側に立つ覚悟を固めていますよ。夜明け前に出れば、騎士団の目もすり抜けられるはずです」


 私は唇を噛んだ。

「じゃあ、カランは……?」


「僕は残ります」

 迷いなく告げられた答えに、思わず言葉を失った。


「……残って、どうするの?」


「王都の中にいる“遮断の術”の使い手を突き止めるつもりです。あれほど強力な魔力を操れる者は限られている。……必ず手がかりを掴んでみせますよ」


 カランの瞳は冷たい理性の光を宿しながら、それでも私を射抜くように真っ直ぐだった。


「君は外を追ってください。僕は内を探る。——二つの道から迫れば、必ず辿り着けます」


 私は胸が熱くなるのを感じた。

 こんな状況なのに、不思議と心が落ち着く。


「……ありがとう、カラン。あなたが残ってくれるなら……私も、前に進める」


 彼の表情がほんの少し緩んだ。

「感謝は不要です。……君が竜を想う心は、誰よりも強い。それは他ならない大きな希望だということを忘れないで」


 その言葉に、思わず胸が詰まりそうになった。


——私は諦めない。必ずルゥを取り戻す。




     * * *




 まだ夜は深く、王都の空は薄墨のように重たかった。

 窓を少し開けると、ひんやりとした風が頬を撫でる。吐いた息が白く揺れて、胸の奥がざわめいた。


 部屋の隅に置いた小さな荷袋には、必要最低限の物しか入っていない。ルゥのために、余計なものを持っていく余裕はなかった。


——本当に、これでいいのかな。


 不安で何度も胸が詰まる。けれど同時に、もう引き返せないと私は決意していた。


「……行くんだな」


 振り返ると、いつの間にか扉の影にクレイスが立っていた。鎧ではなく黒い外套をまとい、いつもよりも軽装だったが、普段の凛々しい姿のまま私に近づいてくる。


「はい」

 私は小さくうなずいた。声が震えないように、喉の奥で言葉を押さえ込む。


 クレイスが私の前に立ち、静かに問いかけてきた。

「王都に残る方が安全だが、本当に行くのか?」


「……ルゥが一人で苦しんでいるのに、私が行かない理由がありますか? ……行かなきゃ。ルゥは、きっと私を待ってるから」


 自分でも驚くくらい強い声が出た。クレイスはわずかに目を細め、「そうか」と低く呟く。


 少しの沈黙ののち、彼は小さく息をつくと外套の端を翻した。

「ならば俺が連れていく。……ただし無茶はするなよ」


 その心強い言葉に、胸の奥がふっと軽くなった。

「はい……ありがとう、クレイス」


 私たちは扉を静かに閉め、足早に廊下を抜けると裏門へと向かう。

 見張りの交代の隙を突いて、二人で足音を殺して進む。


 夜明け前の街はまだ眠りに沈んでいる。

 石畳に靴音が響くたび、心臓まで跳ねるようだった。


 やがて城壁の外へ出ると、東の空がかすかに白み始めていた。

 新しい一日の始まり。けれど私にとっては、ルゥを取り戻すための戦いの始まりだった。


 クレイスが馬の手綱を引き、私に手を差し伸べる。

 その掌を握った瞬間、迷いはすべて吹き飛んだ。


「行こう、ルゥのもとへ」


 私はうなずき、クレイスと共に王都を後にした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ