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21. 広がる疑惑

「ルゥ!」

 私は声を張り上げながら屋敷中を駆け回った。

 自室、廊下、庭園、台所、使用人の詰め所——そのどこにも、あの愛らしい姿は見えない。

 いつもなら気配だけで見つけられるはずなのに、まるでルゥの気配ごと忽然と消えてしまったみたいだ。屋敷にはルゥがいた痕跡が全く残っていなかった。


 胸元のネックレスを確かめると、まだかすかに光を帯びている。

 でも、その光は普段の澄んだ輝きではなく、墨を混ぜた水面のように、暗く沈んでいるように見えた。


「……ルゥ、応えて……!」

 必死に呼びかけても、何の返事も返ってこない。


 一通り探し終え、がっくりと肩を落としていたその時、背後から低い声が響いた。

「リイナ殿」


 力なく振り返った先に、クレイスと数人の騎士団員が立っていた。彼らの表情は険しく、ただならぬ空気が漂っている。


「騎士団本部に連絡があった。——竜が失踪した、と」


 その言葉を突きつけられると、足元がガラガラと崩れるような感覚に襲われた。

 失踪、という冷たい響きが現実味を帯びて迫ってくる。


「そんな……そんなはず……」

 絞り出した声は、掠れていた。


 そこへ、団長とミレーユが駆けつけ、状況を確認すると、空気はさらに険しくなる。


「目撃者がいる」ミレーユが低く言った。「赤毛の騎士が、小さな竜を袋に押し込んでいたと」


 どよめきとざわめきが辺りに広がる。

 そして、その中心で投げ込まれた名前は——


「……ヴァルト、だ」


 息が止まった。


「嘘よ……!」思わず叫んでいた。

「ヴァルトさんが、ルゥをそんな……」


 しかし後からやってきた騎士たちは次々と報告を重ねる。

「門の近くで怪しい動きをしていた」

「市街に向かう姿を見た」

「竜はピクリとも動いていなかった」


 どれも曖昧で、確証には程遠い。

 けれど、証言か積み重っていくほどに疑いは濃くなり、ヴァルトが犯人確定だという空気が広まっていった。


「連行しろ」

 重々しい声でバルハルト団長の短く鋭い命令が下り、すぐに鎧の音が響く。


 ヴァルトは抵抗しなかった。

 ただ、鋭い瞳はこちらをひたと見つめていた。

「黒幕は……俺じゃない」

 リイナにだけ聞こえるような低く呟く声が、牢へと引き立てられる足音にかき消されていく。


 私は拳を握りしめた。

 ——ヴァルトは確かに怪しい。

 けれど、あの目、あの苦しげな表情は……何かを訴えかけていた。


 胸元のペンダントが、じりじりと熱を帯びている。

 それはまるで「これが始まりだ」と告げるように。


「待ってて、ルゥ……必ず見つけるから」

 私は心の中でそう強く誓った。





 石造りの小部屋は、外よりもずっと冷たかった。

 壁の松明がパチパチと音を立てるたび、心臓まで揺さぶられる気がする。私は騎士団の人に呼ばれ、ヴァルトが留置されている牢屋に呼ばれていた。


「見たこと、聞いたこと、全部話せ」

 ヴァルトを前にして、団長ギルハルトの低い声が響く。正面の椅子にはヴァルトが座らされ、両手を机の上に置いていた。

 その大きな手は、じっと見ていると何かを隠しているように見えてしまう。


「俺は何も知らない」

 ヴァルトはそう繰り返すけれど、証拠はあまりにも揃いすぎていた。


「リイナ、お前から見てどうだ」

 不意に団長が私に問う。

 息が詰まった。

 ——どうだなんて、分かるわけがない。

 でも、あの子を連れ去られたという胸の痛みが、私の声を奪い、思考を濁らせた。


「……私はその場を見たわけじゃありません。でも……、今1番怪しいのは……ヴァルトさんです」

 言葉の途中で、視界の端にクレイスが立っているのが見えた。

 その眼差しは、何も言わずに“お前は自分の目で確かめろ”と告げているようだった。


 取り調べは長引き、私が解放されたのは夜だった。

廊下に出た瞬間、クレイスが壁から離れてきて、小さく囁く。

「証拠が揃いすぎている時ほど、裏がある」

「……でも、現に今ルゥは……」

「焦るな。必ず手掛かりを見つけるぞ」


 その声が、胸の奥に小さな火を灯した。

 まだ終わってない。

 まだ、希望は必ずある。


「ついて来い」

 クレイスに声をかけられ、私はその背中を必死に追いかけた。




 外は夜気が冷たく、吐く息が白く広がる。

 街の明かりが遠くで揺れ、足元の影は濃く沈んでいる。クレイスはしばらく暗い裏道を歩いていたが、不意に足を止めた。


「……これを」

 低く抑えられた声。


 差し出された羊皮紙は、王都の地図だった。

 細かい印と走り書きがある。

「ルゥが連れ去られた現場の目撃情報だ。この訓練場裏門のあたりで最後の報告がある……だが、その後、痕跡は全て消えている」

 指先でなぞられた場所は、赤い丸で囲まれていた。


「痕跡を消した?」

 私がそう呟くと、クレイスは頷く。

「ああ、しかも魔法で。転移か、空間の捻じれ……。普通の賊の仕事じゃない」


 それまで静かにしていたネラが、私の肩から身を乗り出し、鼻先をぴくりと動かした。

 星紋が淡く輝きはじめる。

「……追えるかもしれん」

 クレイスがそれを見て、小さく目を細めた。


「行くぞ。公には動けない。だから二人と一匹……で」

 彼の視線がネラと、私が抱きしめるリュック——ルゥを運ぶ時に使っていたもの——に注がれる。

ルゥはまだ見つかっていない。でも、その匂いの残滓があるかもしれない。


 私は頷き、外套のフードを深くかぶった。


「行くぞ」

 クレイスは短くそう言うと、夜道を再び歩き始めた。






 王都の夜は昼よりも静かだが、その静けさは別の種類の沈黙を孕んでいる。

 遠くで犬が吠え、酔った客の笑い声が一瞬して、すぐ闇に吸い込まれていった。


 ネラは石畳をするすると進み、時おり星紋をまたたかせる。

「光るたびに、匂いを追ってるってこと?」

 私の問いに、クレイスが低く答える。

「魔力の残滓を感知しているんだろう。……その力は騎士団でも欲しがるものだ」

「……ネラはあげませんよ」

 思わず即答したら、ほんの一瞬だけ彼の口元が緩んだのが見えた。

 ……なぜだか今、クレイスの存在が私の心を保ってくれている。それは隠しようのない事実だった。


 やがてネラが角を曲がり、古びた門扉の前で立ち止まった。

 蔦が絡まり、誰も使っていないように見えるその重厚な扉。

 クレイスが錆びた鍵を外し、軋む音と共に扉を押す。


 すると、地下へ続く石段が現れた。

 湿った空気と土の匂い。

「……ここか」

 クレイスに続いて階段を下りていくと、その先には狭い通路が続いていた。クレイスが魔法で出現させた松明で辺りを照らすと、両側の壁には古い紋様なようなものが刻まれていた。


 ネラの光は一瞬強くなり、やがて――ふっと消えてしまう。


「ここで途切れた……?」

「転移の痕跡がある。……やはり誰かが隠しているな」

 クレイスの声に、背中が冷たくなる。


「情報屋に知り合いがいる。こっちだ」


 クレイスは複雑に入り組んだ王都の裏道を、迷いのない足取りで進んで行く。私は足早に歩くクレイスの背中を必死で追いながら、ふと周囲を見回した。

 街灯の光が届かない、地下道の入り口。いつの間にか華やかな王都の裏の世界に入り込んでしまったような感覚に胸がざわめく。


 地下道を抜けると、そこは王都の外縁部、裏通りのさらに奥まった一角だった。

 石壁の隙間から滲み出るランプの灯りが、かえって闇を深く見せている。

 ここは騎士団の巡回すら届かない区域——「灰影(はいえい)」と呼ばれる無法地帯だと、クレイスが教えてくれた。


 クレイスは大きな歩幅でどんどん歩いていき、私は半歩遅れてついていく。ほとんど小走りだ。

 肩のネラは耳をぴくぴくと動かし、時折低く唸る。

「……あまり長居はできない場所だ」

「来たくて来たわけじゃないです」

 小声で返すと、クレイスはふっと小さく笑った——けど、その目は闇の中で笑ってはいなかった。


 やがて辿り着いたのは、いかにも怪しそうな鉄扉の前。クレイスが慣れた様子で錆びた扉を二度ノックすると、中から背の曲がった男が現れた。片目が潰れ、もう片方は異様に爛々としている。……正直怖すぎる……。

「……お前か、黒鷲(くろわし)さんよ」

 男は嗄れ声でそう言うと、クレイスを値踏みするように眺めた。黒鷲?クレイスにそんな二つ名があるの?

 私の疑問に気づかないふりをして、クレイスは端的に質問した。


「話がある。竜を連れた奴らが、最近この辺りを通らなかったか」

 クレイスの声はいつも以上に冴え冴えと冷たい。男は顎をしゃくり、奥の部屋へと案内した。


 室内は酒と煙草と薬草の匂いが混ざり合って、頭がくらくらする。絶対にやばい場所だと本能的に感じた。この匂いも、何か催眠剤が入っていそう……。

 壁際には情報屋や用心棒らしき人物たちが立ち並び、こちらを興味深そうに眺めている。


「見たぜ。……竜っぽい小せぇやつと、目深にフード被った二人組だ」

情報屋の男が、指で数を示す。

「二人!?」

思わず声が上ずる。

「片方は背が高く、もう片方は……子どもみたいだったな」

 胸の奥がざわつく。子ども……?

 クレイスは満足そうに頷くと、それ以上何も言わず、銀貨を男の机に滑らせた。




 帰り道、私は耐えきれずに聞いた。

「子ども、って……どう思います?」

「……見た目は当てにならない。高度な魔法を扱える者は、姿を変えることさえできる」

 その一言に、私は何もかもがわからなくなってしまい、ため息を吐く。


「もう一度、ヴァルトさんと話したいです」


 頭の中は正直ごちゃごちゃだった。でも、疑いを持たれているヴァルトと、もう一度対話したい。その強い気持ちは変わらない。

 クレイスは無言のまま私を見つめ、ただはっきりと頷いた。

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