19. 城下町への買い出し
王都の朝は、空気までせわしない。
石畳を行き交う靴音、香草や焼き菓子の甘い匂い、商人たちの呼び声。
そんな空気を胸いっぱいに吸い込むと、寝ぼけていた頭がしゃっきりする。
今日は訓練の休息日。クレイスとノアが騎士団の買い出しに行くと言うので、私も一緒に参加させてもらうことになった。色々立て続けにあったから、何も考えず休みたい気分。今日はルゥも一緒。街の人が驚かないように、大ぶりのリュックの中に入ってもらってる。
「遅いぞ。市場は朝が勝負だ」
先を行くクレイスは振り返らずにそっけなくそう言った。甲冑を脱いだ普段着姿でも隙はなく、背中はやっぱり真っ直ぐで、近寄りがたい空気を纏っているのには苦笑い。こないだのあの優しい瞳はどこへいったのかしら。
ルゥは、目をキラキラさせてリュックの中から辺りを観察してる。
露店の木箱に鼻先を突っ込もうとするので、私はそれを慌てて止めた。
「これいい匂いがするよ」
ルゥの無邪気な声が聞こえるけれど、それは売り物だからだめだめ!ちゃんと教えないと。
「こら、触っちゃだーめ!」
足元にいたネラが軽やかな跳躍でリュックに飛び乗ると、ルゥの尻尾をちょいちょいと引っ張る。まるでルゥのお兄さんかお姉さんみたい。
「リイナさん、これ見て!」
いつの間にか隣にいたノアが、小さなペアの腕輪を差し出した。
「遠隔連絡装置だって。ほら、腕につけたら可愛いでしょ?」
すっと私の手にその腕輪を通し、ノアも自分の腕につけてニコリとする。ひやっとした感触に驚いたけど、“遠隔連絡装置“と言う名前に私は身を乗り出した。
「……確かに普通にアクセサリーとして可愛いけど、これって離れてても連絡が取り合えるとかなの?」
「うん、かなり高度な魔法がかけられてるみたい。持ってたら役に立つかも。もしかしたら、連絡を取り合わなきゃいけないような場面があるかもしれないし?」
ノアはそう言って、本気か冗談か分からない笑顔を見せた。
結局、私はその“遠隔連絡装置“と手のひら大の“温もり石”を買った。
ルゥが欲しがったこの温もり石は、撫でると春の日向のような温かさが広がる。
「これならルゥ、毎晩ぐっすり眠れるかも」
私が満面の笑みでそう言ったとき、クレイスがちらりと横目を向け、口の端をほんの少しだけ上げた……ような気がした。
そのときだった。足元で軽やかに歩いていたネラが耳をぴくりと動かし、尻尾を膨らませた。
「……ネラ?」
視線の先、露店の裏路地に、黒いフードを被った二人組が立ち止まっている。
怪しい男たちは一瞬だけ、こちらをちらりと見た。
次の瞬間、ネラが低く鳴き、私の足元に擦り寄る。
「リイナさん、動かないで」
突然カランの声が背後から響き、私は驚いて振り返った。いつの間にか市場に来ていたらしい。
「星紋猫は、魔力の“ゆらぎ”を感知します。今のは……何か、こちらを探ってた」
冷静なその言葉に、背筋がすうっと冷える。
黒フードの二人組は、気づけば人混みにまみれ消えていった。
「市場荒らしか何かですか?」
「いや……あれは、もう少し厄介かもしれない」
深く考えるようなカランの言葉は、それ以上続かなかった。
「僕、あの人たちちょっと追いかけてみますね!」
ノアはそう言いながら許可を取るようにクレイスを見上げる。クレイスは小さく頷くと、「俺たちはここを離れよう」と低く呟いた。
市場の喧噪を離れ、城下町の石橋を渡ったときだった。
「——あれ、また尾が光ってる」
カランが指さした先で、ネラの尾の先端に淡い青白い光がにじんでいるのが見える。
日差しの下でもはっきり見えるそれは、星屑を溶かしたみたいに瞬いていた。
「魔素の乱れかな……」
カランが歩調を緩めて、うーんと唸る。
「魔素って、魔法の……元?」
私が誰ともなく問いかけると、クレイスが辺りの気配に気を配りながら答えてくれた。
「そうだ。人や獣の気配と違って、もっと広く漂っている力で、ネラはそれを嗅ぎ分けられる。星紋猫は見た目は猫のようでも珍しい種のひとつ。普通であれば人間が嫌いというから、王都じゃそうそうお目にかかれない」
ネラはクレイスの説明に誇らしげに尻尾を立て、まるで「当然でしょ」とでも言いたげだ。
そのとき、狭い路地から甲高い悲鳴が聞こえた。クレイスがすぐさま声の方に駆け寄ると、荷馬車の影で少年が震えていた。足元には割れた魔道具の欠片と、薄い黒いもやのようなものがゆらゆらと漂っている。
「魔素が暴走してるのか…。なぜ」
クレイスが剣の柄に手をかけた瞬間、ネラが飛び出した。
尾の光が一瞬強まり、次の瞬間、その光が霧のように広がって黒いもやを絡め取る。
もやを包み込み、ふわりと舞い上がった光は、そのまま空気に溶けるように消え、漂っていた異様な気配は跡形もなくなった。
あまりにも一瞬の出来事すぎて、少年は何が起きたのかわからないまま、ただ「ありがとう」と呟いた。正直、私も何が起きたか理解できない。
「……ネラがいなかったら、あの少年は魔素酔いを起こしてたかもしれない」
カランはそう言って肩をすくめたけれど、その目には一瞬だけ鋭い光が宿った。
「魔素を乱すのは、自然現象じゃない場合もある。あの子が…いや、この場所が狙われたのは……偶然じゃないかもしれないね」
先ほどから続く不穏な気配。私の胸の奥に、冷たいしこりが残る。
けれど、ネラはそんなことお構いなしに私の足元へ戻ると、得意げに喉を鳴らした。
* * *
夕暮れの城下町を抜け、屋敷へ戻る道すがら。カランは再び王立研究所へ戻っていき、私とルゥ、ネラ、そしてクレイスは買い出しの荷物を手に、ゆっくりと舗装された道を歩いていた。
淡い夕陽に照らされるクレイスの横顔は、無表情に見えて——実は、少し考え込んでいるようにも見える。
「あの、クレイスさん」
私はずっと気になっていたことを、えいや!という気持ちで問いかけようと勇気を出した。
「……なんだ」
「王様って、本当に……ずっとご病気なの?」
問いかけた瞬間、彼は足を止め、わずかに眉を寄せた。
そう、王妃陛下との会話のあと、ずっとひっかかっていたフェンリル国王のこと。王妃様をはじめ、騎士団の団員たちもあまり王のことを話そうとしないのが、ひどく気になっていた。
「公的には、そうだ。数年前から重い魔力障害で床に伏しておられると聞く。治療は続けられているらしいが……」
言葉を切り、彼は少し視線をそらした。
「だが、国王陛下は元々、戦にも政にも前線に立つ立派なお方だった。それが急に表に出なくなったのは……正直、俺にも違和感はある」
「……王妃様は?」
「セレスティア王妃か。あの方はフェンリル随一の魔道士で、古くから続く名家の出。もともとは政略結婚ではなく、陛下が求婚されたと聞く」
「求婚……?」
「若い頃の陛下は、大陸遠征で各国を巡っておられた。その折に、遠征先の学術院で研究していた王妃と出会ったそうだ。互いに魔術理論の議論を重ね、やがて……という話だ」
その口調は事務的だけれど、ほんのわずかに羨望が滲んでいる気がした。
「ただ、今は……政の大半は王妃陛下が担っておられる。剣よりも言葉と知略で国を動かすお方だ」
ふと、あの淡く微笑む横顔が脳裏に浮かぶ。
柔らかそうに見えて、何もかも見透かされているような視線。
「……やっぱり、何か隠されてるような気がする」
私の呟きに、クレイスはしばらく黙っていたが、やがて低い声で言った。
「——それを探るのは、相当な覚悟がいるぞ」
* * *
クレイスと別れ屋敷の門をくぐる戻る頃には、西の空が茜色から群青へと変わっていた。
この屋敷は王家管轄の片隅にあって、外の喧噪とは別世界みたいに静かだ。
「ただいまー!」
どっと疲れが出てクタクタの私より先に駆け込んだルゥが、玄関ホールで翼をぱたぱたさせる。
その音に反応して、マロウが顔を出した。
「おかえりなさいませ。あら、その石は……」
「温もり石だって。市場で見つけたの」
それをマロウに渡すと、彼女はほうっと目を細めた。
「これはいい品ですね。とても優しい温かさを感じます」
ネラはといえば、さっさと暖炉の前に陣取って毛繕い中。
「……さっきのは、やっぱり怪しいやつらだったよね、ネラ」
ネラに問いかけても、ぴくりと耳を動かすだけで、あとは尻尾をくるりと巻き付けるだけ。
あの黒フードの二人は、今どこで何をしているのだろう。ノアは二人をうまく追いかけられたかな? 胸の奥に、じんわりと小さな棘のような不安が残る。
温もり石を抱えてうとうとするルゥを膝に乗せながら、私は思う。
——この静けさは、長くは続かないのかもしれない、と。
このところ全く手応えがないので面白くないのかも…と不安になってます…!読んでもらうのって難しい。気軽に反応もらえると喜びます!