11. 王妃セレスティア
馬車は王宮の石造りの階段の前で止まった。門を守る騎士が扉を開け、私とクレイスは荘厳な門をくぐる。
王宮内部は、言葉を失うほど美しかった。天井の高い回廊、彩色ガラスから差し込む光、静かに漂う重厚な空気。歩くだけで、背筋がピンと伸びるような緊張感に包まれてる。
やがて、ひときわ大きな扉の向こうから呼び出しの声がかかった。
「……リイナ殿、入室を許可する」
今日何度目かの扉が大きく開かれ、その向こうには玉座の間。有名なゲームの中のような豪奢な王座が2つ並び、その片方の前で佇む女性を私は見上げた。
王妃――セレスティア・ルクレティア・アールヴァイン。
その姿は、まるで時の流れから切り取られたように美しかった。銀の刺繍をあしらった薄紫のドレスは、まるで夜明け前の空のように輝き、静かな威厳をまとっている。緩く結い上げた金糸の髪には、銀色の髪飾りが月のように輝き、瞳は翡翠みたいに透き通る緑。こちらを見下ろす視線は穏やかだけど、どこか心の奥を見透かすような深さがあった。
「よく来てくれました、リイナ」
その声は、優しく、どこまでも温かい。でもすぐに感じた。――この方は、“本音”を隠している。
「……お招き頂き光栄に存じます。王妃陛下」
膝を折って頭を下げると、セレスティア王妃はわずかに微笑んだ。
「ずいぶんと、素直で素敵な方なのですね。良い意味で想像と違ったわ。あなたとわたくしは少しだけ似ています。わたくしもまた“巫女”の血を引き、そして“視る”ことができる」
その言葉に、私はわずかにピリつく気配を感じた。私と王妃様の力は確かに……似ている。でも、私には王妃様の真意を“視る”ことができなかった。何かの膜が張られているようにその心は隠されていた。
「私は、ただ……あるがままの私を、生きているだけです」
正直な気持ちを、そのまま返した。すると王妃様は、ほんの少し口元をゆるめた。
「今は見えませんが、共に生きる竜がいる、と報告を受けました。名はあるのですか?」
「ルゥ、と呼んでいます。禁忌だとは分かってはいますが、私はルゥを育てています」
「私は“共鳴”を知る者です。救い、救われる関係。……それは、かつてこの国にもあったもの」
ふと、王妃の声が低くなる。
「けれど時は移ろい、価値もまた、変わっていく。信じたものが裏切りとなり、守っていたものが脅威とされることもある。――それでも、あなたはルゥ共に在りたいと思うのですね?」
その問いは、試すようであり、どこか導くような響きを含んでいた。
「はい。何があっても……私は、ルゥを育てます」
私の言葉に、王妃はしばらく沈黙した。その静けさが、やけに長く感じられた。
「……あなたの瞳には、まだ濁りがない。けれど、この世界は多くを濁らせる場所。どうか、惑わされずにいてくださいね」
そのとき、王妃の微笑の裏に、ほんの一瞬、影のようなものが走った気がした。
なぜかその表情が気になったけれど、言葉にするには根拠がなさすぎて、私はただ静かに頷くことしかできなかった。
「これから先、あなたには何人かの人と会っていただきます。竜騎士団の面々や学術機関の者たち、そして……この国の未来を担う者たちに」
「……わかりました」
「どうか、リイナ。あなたの目で、あなたの心で、この国を見て」
王妃の言葉は、どこか深い意味を含んでいた。けれどその真意を、私はまだ知らない。
「リイナには、王宮と城下町の間にある、王家管理の屋敷を仮住まいとして用意しました。しばらくは、そこでルゥを育てながら、都の空気に慣れるといいでしょう。落ち着いたら、ルゥを見せに来て」
「……ありがとうございます」
「また、お話ししましょう。あなたが……変わらぬうちに」
その言葉は微笑みとともに放たれたのに――どこか冷え冷えとしたものを感じて、私は小さな胸騒ぎを感じるのだった。
* * *
「キレイなお姉さーん! いい野菜入ってるよ!」
「……えっ、あ、でもこれ、ちょっと小さくない?」
「へへっ、見てるねえ……じゃあ、3つ入れとくよ!」
城からの帰り道。私の希望で城下町を散策することなったのだけど、私があちこちの店に顔を出すから、付き添いのクレイスはすでに疲れ果てた顔をしてる。
王妃様は太っ腹で、帰る時に金貨の入った袋をくれた。ルゥを時々城へに見せに来ることを条件に、当面の王都での暮らしを約束してくれた。
親切すぎて、何か裏はあるんだろうなぁとは思うけど、とりあえず今は王妃の手の上で転がってみようと思う。
心配事はあれど、この城下町散策が楽しすぎてあっという間に不安は掻き消えた。
まるで海外旅行に来たみたい。色とりどりの野菜や果物。見たこともない装飾品。屋台で作られる不思議な食べ物。どうやら「この世界の私」も、こんな都会に来るのは初めてのようだ。
「この野菜、どうやって食べるのがおすすめ?」
「そうさな、軽く油で焼いて、イムをのせてシンプルにいくのがうまいぞ」
「カブみたいだから、天ぷらにしても美味しそうだなー」
私は悩むふりをして首を傾げながら、手のひらにその野菜をのせて重さを測る。
「うーん……せめて、もう一つおまけしてくれたら、買っちゃおうかなあ」
「そりゃ一本取られたね……まいった、まいった。サービスだよ!」
おじさんはニコニコして、結局同じ値段で6つも入れてくれた。こういうの、近所の八百屋さんを思い出すなぁ。
「……リイナ殿は買い物上手だな」
隣で私と店主のやり取りを呆然と見守っていたクレイスが、私のおばさんパワーに驚いてる。でも、歳を食うとこんなの恥ずかしくも何ともなくなるから不思議。
「おやおや、ご一緒だったのはクレイス副団長でしたか! うん? とするとこの綺麗なお人はクレイス様のこれで?」
全世界共通なのか、店主は小指を立てて私達をいたずらっ子の顔で見てくる。だめだめ!クレイスに冗談は通じないのに!と思った矢先、「違う!護衛だ!」と短く答えて、クレイスは背を向けて行ってしまった。
私は露店の店主に挨拶をすると、その背中を慌てて追いかける。
「クレイスさん、ちょっと待って!」
ずんずん先に進んでしまうクレイスを小走りで追いかける途中、私は不意に嫌な空気を感じた。
市場から少し外れた路地裏の方から、何か不穏な気配を感じる。しかもひとつやふたつじゃない。影食い獣の時の灰色の残像のような……。
私がその暗い路地の先で見たのは、小さな銀色の猫だった。そう、すっごく綺麗な猫!王都に住む猫は何だか雰囲気まで高貴な気がする。
光を帯びた美しい毛並み、夜空のように光る瞳──
「星紋猫が、なぜこんな場所に?」
気づけばいつの間に戻ってきたクレイスが、私と同じくその裏路地を見ながら呟いていた。聞けばこの子は猫ではなく魔獣の一種で、普段は人間を避けて暮らす希少種だという。……猫にしか見えないけど!
「にゃっ!」
「捕まえろ、逃がすな!」
その時、突然黒衣の男たちが路地の奥から現れた。
その手には、何か魔法を帯びたの鎖のようなものが……!
「グリム、お願い!」
咄嗟に私が叫ぶと、影からグリムがするりと抜け出して、男たちの足元へ突進した。
影が唸り、黒衣の男たちを足元を掬う。
「な、なんだこいつら──!?」
「やばい、こいつ影狼か!?」
さらにはクレイスが腰に帯びていた剣をスラリと抜き放った。それに気づいた怪しげな男たちは「王国騎士団だ、退け!」と小さく言い合って通りの奥へ走り去って行く。
私はゆっくりと星紋猫に近づくと、少し離れた場所から手を差し伸べる。すると、その銀色の猫は怯えながらも私に近づいてきて指先をぺろりと舐めた。
『ありがと』
確かにそう聞こえて、私は小さく笑う。
……たとえ相手がどんな存在でも、目の前の命は守る。それだけ。
「大丈夫だよ。怖かったね」
星紋猫はすっかり安心したのか、小さく「にゃ」と鳴いて、私の手に遠慮なく頭をこすりつけた。
「ふふ……懐かれちゃった?」
その一連の様子を見ていたクレイスは、剣を収めて聞こえないような小さな声でボソボソと呟く。
「お前は本当に、何でも惹きつける……」
そして、私の影に戻りながら、グリムもまた、「まったく…また増えるのか」とでも言いたげなため息をついた。
異世界でも値切るアラフォー主人公。そして少しずつ魔獣の仲間も増えてきました。
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