10. 謁見の日
王都の朝は、農園のそれとはまるで違った。
目覚めた瞬間から、どこかぴんと張り詰めた空気が漂うのは、誰かに監視されているような気がするから。農園では全く感じなかった緊張感と、「待たされる」不安感で、私は落ち着かない数日を過ごしていた。
そんな私の気持ちを翻弄するかのように、昨日の夜突然お城からの使者がやってきて、光沢のある布に包まれた大きめの箱と、そこに添えられた手紙を渡してきた。
「……毎回毎回、なんの前触れもないんだもんなぁ」
私は軽く伸びをして、薄手の寝巻を脱ぎながら、昨日届けられたばかりのその綺麗な箱に触れる。
王都に来てから3日。
たぶんここはかなり高級な宿だった。部屋は広すぎるし、壁に飾られた絵や棚の上にさりげなく置かれた陶器の置物はどれも名品に見える。
滞在中の食事は、農園での質素なものとは比べ物にならないくらい豪華で、それこそ毎回フランス料理の高級コースのよう。
宿屋の中でもVIP専用と思われるその部屋は防音は勿論、邪魔するものはなく、私は人目を気にせず思い切りルゥやグリムと過ごすことができた。
そんな快適な宿屋生活だったけれど、どこか落ち着かないのは、明らかに今日の予定のせいだ。
――王妃セレスティアとの正式な謁見。
突然の使者の来訪。手紙と共に「明日、礼装でお城へお越しくださいませ」と、やや堅い口調で告げられれば、前世で散々恥をかいたり、苦労してきたアラフォーの私だってさすがに緊張する。
使者の雰囲気からすると、心からの歓迎ではなさそうだし。すぐにお城へ呼ばれなかったことや、宿屋に私たちだけで放置されていることを考えると、なんとなく分かる。
「どんな方なのかな。不安だなぁ」
思わず、小さな声で呟くと、部屋の片隅――小さなかごの中で身を丸めていたルゥが、ぱちりと片目を開けた。
「くうぅ?」
寝ぼけたような鳴き声。柔らかい金赤のうろこが朝日を浴びて、淡くきらめいている。
「だいじょうぶ。ちゃんと話をしてくるから。いい子にしててね」
そして、心の中でグリムに話しかける。
――少しの間お留守番になるけど、ルゥをよろしくね、グリム。
『承知した。何かあれば呼べ。我はお前の影。いつでもそこにいる』
具現化したグリムが、私の足元にもふもふの大きな体を擦り付けてからルゥの入ったカゴに向かい、ルゥを守るように体を丸め座った。
私はそんな二匹を見つめ、そっと手を差し伸べる。ルゥは小さな手でぎゅっと私の指を握ってきた。ほんの一瞬、言葉のいらない共鳴が胸を打つ。
それが、私にとって何よりの励ましだった。
* * *
約束の時間は、お昼過ぎ。
この世界の時間の概念は分からなかったけれど、王都に来てからは、朝、昼、夕の定刻にどこかから鐘が鳴り響いたので、それが時間の目安だった。
大抵ご飯を食べる前に鳴るから、私のお腹はその音とともにぐぅーーっと共鳴して鳴るようになってしまった。
私は時間を見計らって身支度を整える。農園で着ていた質素な仕事着ーー生成りのワンピースにエプロンという格好から、前世でも着たことのないようなドレスに着替える。
幸いなことに、頭からすっぽり被ってからリボンで腰の辺りを結ぶタイプのものだったので、迷わずに着ることができた。着るのは簡単でも、生地の肌触りや光沢、繊細な刺繍で、安いものではないことは分かる。
備え付けの鏡を見ながら、髪を整えて靴を履き替えると、私は完全なる王都のハイカラさんに早変わり。ハイカラさんって、もう死語かな…。
「いやー、私美人すぎないか…?」
改めてこうして全身を確かめると……、日本での佐伯里衣奈の気配など微塵も感じられなかった。スタイル抜群、嫌味のない優しげな眼差し、化粧なしでも肌艶よく、唇もそのままでほんのり桃色。これが自分なんて信じられない。
しばらく自分でないような自分に魅入っていると、突然宿の扉がノックされたので、私は「はい」と返事を返す。
「クレイスだ。リイナ殿を迎えに上がった」
まさか、お城からの迎えがまたもやクレイスだとは。この国、人員足りないのかしら。
ともかく、私はもう一度鏡で髪の毛を整えてから、扉を開く。
「突然すまない……、っ?」
開け放った扉の外で、相変わらず憮然とした表情のクレイスが立っていたけれど、私を一目見るなり、突然口を押さえ、一歩後後退りした。
「……? どうかしましたか?」
ちょっと意地悪したくなって、私は上目遣いでクレイスに近づく。すると思った通り、彼はさらに一歩下がり顔を赤くした。
鈍感な私でも、クレイスが私の姿に驚いているのが分かる。……だよね、この顔綺麗過ぎるもん。私だってクレイスの立場だったらそうなるわ。
「リイナ、どの、だな。……っんん! 支度が出来たなら行こう」
途中少し声が上ずるのに苦笑しつつも、私は頷く。
「ルゥ、グリム、行って来るね」
今回の謁見は、とりあえずルゥは連れて行かないことになっていたので、私は広い部屋の片隅で仲良く微睡む二匹に手を振ると、部屋に鍵をかけてクレイスの後に続いた。
宿屋の外には立派な馬車が待ち構えている。今回はクレイスも同じ馬車に乗るらしい。距離が何となく近くて、なんだか妙に緊張する。
城下の通りをゆっくりと進む馬車の窓の外には、朝の市場に集う民や、行き交う騎士たちの姿があった。
「リイナ殿に言っておかねばならないことがある。今、王宮の執務は……ほぼセレスティア様が執り仕切っている。国王陛下はご病気で、お姿を現すことは少ない」
馬車の中、私の前に座るクレイスが、突然少し硬い声でそう告げた。
「……病気?」
「詳しいことは、あまり開示されていない。ただ――国王陛下が政務を退いてから、すでに3年が経つ。その間、王妃が王命の代行者として国を動かしてきた。王妃陛下は……鋭く、そして賢明な方だ。言葉には、よく注意するように」
クレイスがこんな言い回しをするのは珍しい。私は静かにうなずいた。
「そういえば、私もクレイスさんに聞きたいことがあったんだ」
「……? なんだ?」
私は以前から気になっていたことを思い切って切り出してみた。
「クレイスさんはおいくつなんですか?」
「は?」
まさか年齢を聞かれるとは思ってもみなかったらしい。クレイスはしばらく表情を変えず押し黙っていたが、やがて「28歳になる」と答えてくれた。
「28歳かー!」
「そんなに驚くことでもないと思うが……」
なんと、10歳年下だった。まぁ、それくらいかなぁとは予測していたけど、なんだかちょっと、複雑。
でもこの世界の私はたぶん20歳くらいだと思うから、今の私から見たら年上になるけど。うーん。
アラフォーにもなると、歳の差がとっても気になるわけで。なぜクレイスに対してそう思うのか……。私は自分の気持ちにはまだ気づかないふりをした。
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