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1. アラフォー女、転生する

「……ほらほら、ゲージに入る時間だよ。あ、ちょっと待ってね、モカ、ラテ。今日はもう閉店だよ」


 夕暮れの柔らかな光が、ガラス越しに店内を淡く照らしている。

 中央に置かれた木のようなキャットタワー、香ばしいコーヒーの香り、猫たちの気ままな足音と鳴き声。

 「ねこもふ」は、静かな住宅街の一角にある保護猫カフェだ。オーナー兼店長である私── 佐伯里衣奈(さえき りいな)は、いつもと同じルーティンで棚を片づけながらも、猫たちをゲージ部屋に入れていく。


 丸くなった猫たちに声をかけ歩きながら、私はキッチンにいる小さな人影にも声をかけた。


「ほんと、今日もよく働いたねぇ……。茉里ちゃんも、お疲れ様!」

「里衣奈さん、お疲れ様ですー」


 現在ねこもふ唯一の戦力である片瀬茉里(かたせ まり)は、食器を棚に仕舞いながら笑顔で返事をしてくる。小さくて可愛くて気の利く、本当にいい子。

 母方の親戚の子で、今年の春に猫専門コースのある専門学校を卒業したばかり。猫のケアからトリミング、病気の対処や保護の仕方まで、大人の私から見てもとても頼りになる、知識とやる気に満ちた20歳だ。

 ちなみに、私は妹とこのカフェを共同経営していたのだけれど、妹の沙耶は先日出産し、育児が落ち着くまでは戦力外。

 今は本当に、茉里ちゃんが頼りの綱!


 私といえば、行き遅れたアラフォーの38歳。少し年齢を重ね、体力は落ちてきた…とはいえ、まだまだこれから!と意気込みだけは若者には負けない。

 保護猫活動に精力的に取り組み、今年で15年目となる節目の年。

 人より動物といる時間の方が長かったからか、人の言葉より生き物の声の方がよくわかる気がする。昔から、ずっとそうだった。


 その日も、いつもと変わらない一日になるはずだった。


「……ん?」


 閉店作業を終えて、茉里ちゃんの退勤を見送ってから店のシャッターを下ろし、二階の事務所兼自宅へ戻ろうとした、その時。

 路地裏の薄暗がりから、小さな──かすかな鳴き声が聞こえた。いや、鳴き声というより、「助けて」という意味に聞こえて、私ははっとした。


「……みゃーーー…」


 慌ててシャッターを開け、鳴き声をたどるように周辺を探索すると、近くにある公園の入り口からその声は聞こえてくる。無造作に置かれたダンボールの中を覗くと、黒と白の毛がまじった小さな子猫がいた。

 まだ生まれて間もないのだろう。かなり痩せていて震えている。十分な愛情を与えられることもないまま、誰かに捨てられたその小さな命。


「……どうしてこんなとこに。寒かったでしょう」


 私は物心ついた頃から、猫や犬、鳥や小動物といった生き物を拾いがちだった。学校の登下校の時や、バイト先、仕事帰りや散歩中など。本当によく、こういう場面に出くわす。


 こうやって保護活動をする前までは、拾った生き物は基本的に保健所に連絡して引き取ってもらっていたけれど、ある時から、私は自分の力で保護活動をするんだ、と決意した。


「大丈夫だよ。お家に行こう」


 子猫は力無く震えながらも、みゃー、と鳴き続けてる。お腹が空いた、足が痛いと言う声が、なんとなく聞こえてくるようだ。

 無意識に手が伸び、そっと抱き上げようとした、その時。

 子猫はさっと私の手をすり抜けて、大通りへと向かって走っていってしまった。


「なっ! ちょっと待って!」


 私は慌てて子猫を追いかけた。どこにそんな元気が残っていたのか。…私も私だ! 子猫の警戒心を考えることもなく、すぐに触ろうとするなんて。

 子猫が車の往来する通りを無謀にも横断しようとしていて、私は迷う暇もなく子猫へと手を伸ばした。

 その瞬間、ふわりと息が漏れて──。


 キイィ──ッ!


 クラクション。

 近づく大型車。

 あっという間だった。


 目の前が真っ白になり、重力が反転したような感覚とともに、私の世界はすーっと途切れた。



     * * *



「……ここは……?」


 気がつくと、白い靄のなかにいた。

 意識だけが浮かぶような、不思議な空間。


 そんな奇妙な場所で私の前に現れたのは、一匹の──不思議な小動物だった。

 金と銀の光に包まれた小さな獣。狐のような、ウサギのような、見たこともない生き物が目の前に浮いている。

 どこか神々しくもある美しい造形に、私は目を奪われた。


「……あ、あなたは?」


『わたしの名はフォリア。

 時の彼方より、選ばれし魂を導くもの。……あなたに“使命”が降りたのです、佐伯里衣奈』


「え……?」


『あなたは命をかけて、小さき命を守った。いいえ、それだけでなく、これまで多くの命をその手で救ってきました。その優しさは、ひとつの“世界”に、必要とされている』


 フォリアの声は、音ではなく、直接胸に響いてくるようだった。


『願いはありますか? 新たな道を行くあなたに、祝福を与えます』


「私、猫たちが、あの子たちが心配で……でも……。でも、もし、もう戻れないのなら……これからも守りたい。愛したい。…誰かを」


『……佐伯里衣奈、あなたのその願い、受け取りました』


 フォリアはもふもふとした可愛らしい前脚を、私の頭上にかざしてくる。

 ——光の粒子が舞い、私の意識はその光の中にすっと引き込まれていった。



     * * *



 目を覚ました場所は、深い森の中だった。

 空気は澄み渡り、草木と土の香りがして、聞いたことのない鳴き声の鳥がさえずっている。


「ここは……」


 私は草の上で身を起こし、辺りを見回した。目の前に小さな蝶が飛び、菫のような小さな花が咲いている。日本にいた時と同じような春の気候なのが救いだ。これが雪深い場所だったら最悪だった。


 ふと自分自身を見下ろすと、これまでと服装が違っていた。私の定番スタイル・ジーパンに白Tシャツではなく、やわらかな黄色のワンピースのようなものを身にまとい、手には見慣れない袋──小さな冒険者バッグのようなものを握りしめている。


 そして。


「……みぃーー……?」


 ──か細い声が、森の奥から聞こえた。


 弱々しいけれど、必死に何かを伝えようする鳴き声。それはまるで、「助けて、さびしいよ」と言っているみたいだった。


 私はたぶん、今まで暮らしてきた日本とは違う世界にやってきたのだと思う。あの不思議な生き物──フォリアの言葉通りなら、私はあの時車に轢かれて、死んだ。

 そうしてこの世界にやってきたんだ。でもこの世界のこと、まだ何もわかっていない。どうしてここにいるのか、どこに向かえばいいのかさえ。

 けれど、鳴き声を聞いた瞬間、迷いは霧のように消えていった。


 小さな茂みの向こう。

 そこにいたのは、赤ん坊ほどの大きさの生き物だった。


 猫のようなまんまるの大きな瞳。

 けれど、体はうっすらと赤金に輝くうろこで覆われていて、ちいさな翼の芽のようなものが背中にふたつついている。

 尻尾はゆるやかにうねり、口元から、ちょろりと炎のようなゆらめきが見えた。


 よくファンタジー漫画やゲームなんかで見るこの生き物を、私は知っていた。前の世界では実在はしなかったけれど、とっても有名な…。


「……ド……ドラゴン……?」


 信じられない光景に驚きはしたものの、不思議と怖くはなかった。実在するんだ! という興味と感動の方が大きい。

 その小さなドラゴンは、体をふるふると震わせながら、じっと私を見上げている。


 よく見ると、鱗の隙間に小さな傷が見える。血はすでに乾いていたけれど、放っておいたら悪化するかも。


「……どうして、こんなところに……?」


 私が知る限り、ドラゴンっていうのは高い山脈だったり地下の溶岩の中だったり、そういうラストダンジョン的な場所にいるはず…。この世界でのドラゴンの位置付けは知らないけど、そうそう出くわすものじゃないような気がする。

 でも、今はそんなことを考えてる場合じゃない。


 私はしゃがみこみ、そっと手を伸ばした。触れようとすると、竜の子はかすかに身を引く。でも、逃げようとはしなかった。


 怖いよね。

 痛いよね。

 ──そして、寂しいんだよね。


 小さい頃から、私はときどき動物の「気持ち」がわかることがあった。猫カフェを始めてからは保護した子たちの心の奥に触れる瞬間があって……その感覚が、今、強くなるのを感じた。


「大丈夫。怖くないよ」


 私は持っていたバッグを開けて、中身を確かめる。不思議だけれど、少しずつ、この世界の「自分」が何をしていたのか記憶が戻って来るのが分かった。私は街へ買い出しに行った帰りにこの森を通りかかった。この森には薬草が生えるとっておきの場所があって、私はいくつか採取し終えて帰るところだった…と思う。

 バッグの中には確かハーブ入りの山羊乳があったはず。取り出すと、瓶はまだほんのり温かかった。


 蓋を開けて竜の子の前に差し出すと──くん、と鼻を寄せて、それから……ちゅう、と口をつけた。小さな舌で、慎重に、でも夢中で飲み始める。


 ──よしよし食欲あり!


 夢中で空腹を満たしている竜の子の背中に刺さっていたトゲを抜き、持っていた布と薬草で手当てをする。


 ぴくり、と身体が震えたけれど、やがてその目が私を見上げてきた。

 大きな、透きとおる赤い瞳。


その瞳に、ふと自分が幼い頃拾った子猫を思い出した。捨てられ、震えて、誰かの温もりを求めていた、あの子。名前を呼んであげることで、初めてここにいていいんだと、伝えてあげられたあの瞬間。


 そうだ。


 この子にも、名前が必要だ。私は不意に頭の中に浮かんだその名前を口にした。


「……ルゥ、って名前、どうかな?」


 特に何の由来もない。ただ、口にしたとき、優しく響いた音。この子の小さな鳴き声にも、どこか似ているような気がして。


 ルゥは、ぴい、と高い声で鳴いて、しっぽをぱたぱたと揺らした。まるで、「それがいい」と言っているように。


「ルゥ……私の、大切な子」


 そう口にした瞬間だった。ふわりと、胸の奥が熱くなる。


 私の中で、何かが熱を持つのを感じた。


「……ん?」


 ルゥの小さな身体から、あたたかな光が滲み出していることに気づく。赤金の鱗の奥──その心臓のあたりが、ふんわりと脈を打つように輝いていた。


 私の胸も、同じようにぽうっと熱を帯びてゆく。


 掌が、じんわりとあたたかい。見ると、私の手の甲に、細く淡い光の紋様が浮かび上がっていた。


「……なに、これ……?」


 それは花のような、翼のような――どこか竜の姿を思わせる印。私が驚いている間にも、ルゥの身体から伸びた光の糸が、私の紋に触れ、結ばれる。


 まるで、魂がつながったみたいに。


「共鳴、してる?」


 口にしたその言葉に、ルゥがふにゃ、と声を漏らして甘えるように私の胸元へ顔を寄せた。目を細めて、安心しきったように息を吐く。


 同時に、頭の奥に、何かが流れ込んでくる。言葉ではない、でも確かに伝わってくる想い。


 ──こわかった。ひとりは、いやだった。でも、あたたかい。やさしい。ここが、いい。


「……私もだよ」


 自然と、そう答えていた。


「こわい場所で、ひとりきりで、こんなに小さな身体で……。よく、がんばったね……」


 なんでか泣きそうになり、私は涙をこらえる。異世界とか、そんなこと、どうでもよくなっていた。


「もう、だいじょうぶ。私が、そばにいるから。私が……あなたを守るよ」


 その瞬間、光が一際強く瞬いた。


 私の手の紋が輝き、ルゥの額にも同じ印が、うっすらと浮かび上がる。


 言葉ではない何か……心の奥が、確かに繋がったような。


 私はその小さな身体をそっと胸に抱きしめた。

 この世界の理屈なんてわからない。どうして私がここに来たのかもわからない。けれど──。


 この子を見捨てるなんて、できない。

 目の前で震えてる命を、見て見ぬふりなんてできない!

 たとえ、ここがどんな世界だとしても。


 私の「異世界保護活動」が、ここから始まる。それがどんなふうにこの世界を揺るがすのか、まだ知りもせずに。

まだ投稿するつもりじゃなかったのに、間違えて投稿してしまった…。マイペース投稿ですが、ご感想などお待ちしています!

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