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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

阿志岐山城の戦い

作者: 賀来麻奥

 朝鮮半島で百済は642年から新羅侵攻を繰り返していた。新羅から救援を求められた唐は秘密裏に出撃準備を整え、660年に百済へ侵攻。勢力に劣り、飢餓と政治の退廃が進んでいた百済は抵抗できず滅亡した。


 その後百済復興を目指す百済遺民とそれを後押しする伝統的な友好国である倭国の大和朝廷との連合軍が結成され、朝鮮半島にて唐・新羅連合軍と刃を交えた。しかし倭国の総勢27000名と800隻の船舶は戦場にいた半数以下の唐軍に大敗を喫した。通称白村江の戦いである。唐はそのまま勢力拡大を続け、高句麗を滅亡させた。その結果東アジアで唐に敵対するのは倭国のみとなった。


 倭国は唐との友好関係樹立を模索し、急速に国家体制が整備・改革されたが唐軍との和平交渉は実らなかった。


 そして遂に唐は倭国侵攻を決定し九州へ進撃を開始した。阿志岐山城での戦いが今始まる。

 大宰府より南に約80里。標高がおおよそ3丁に達する宮地岳みやじだけに築かれた阿志岐山城あしきさんじょう。風が唸りをあげてその土塁の城壁を叩き続ける。かつての時代の影は失われ、焦燥と不安が人々の胸を締め付ける。防人たちは故郷を遠く離れ、この西の果てで異国の脅威に立ち向かおうとしていた。


 前線基地の狼煙が途絶えたのは、つい先刻のことだ。それは唐の大軍が、いよいよこの地に到着したことを表していた。既に博多の浜は敵で染められている。九州の重要拠点大宰府を護る最後の防衛線、それがこの阿志岐山城なのだ。


 城壁の上からは、博多の沿岸をなぞる様に赤線が描かれているのが見えた。それは無数に連なった朱色の敵船首であった。計り知れない量の唐兵が軍船から浜に注がれている。それが幾度となく行われ、まるで獲物を見つけた蟻の群れのように陸地を埋め尽くしていく。


 防人たちの呼吸は荒く、喉はカラカラに乾ききっていた。彼らの半数は農民であり、武器を取ることが許されてからまだ日も浅い。剣の握り方すら覚束ない者も少なくない。しかし、彼らの胸には、熱い火が灯っていた。故郷を、家族を、そして大和の土地を守り抜くという、唯一の強烈な使命。


 城塞の中心部に位置する塔の上では、要塞の長、九摺氏(くすりし)が、地平線を睨み、注意深くその動きを観察しながら、伝令兵を通じて下部にいる兵士たちに指示を飛ばしていた。九摺氏は元々地元の名のある勇士であり、その勇敢さと知識は周囲の人々から深く信頼されていた。


「敵が来た。しかし者ども、まだ動くな!十分に引きつけるまで決して手出しするでない!」

九摺氏の声が、城壁の上に響き渡る。防人たちは固唾を飲みながら、敵の軍勢から目を離さなかった。


 唐兵は、整然とした歩調で、こちらに向かって進軍してくる。彼らの武器は朝日を浴びて光を放ち、その量と規律・外観は、見る者に圧倒的な威圧感を与える。唐の先方隊が城壁に近づく。唐兵の殿は未だに見えず、その数がますます増え、地面を揺るがすような大軍勢となった。


 九摺氏は、拳をしっかり握る。いよいよ、その瞬間がやってきたのだ。


「放て!」


 九摺氏の一喝と同時に、城壁の上から敵に向けて、数多の矢が放たれた。鋭い音を立てて空を切り裂き、地上を進む唐兵の群れに襲いかかる。同時攻撃は、唐兵の進軍を一瞬だけ足止めさせる。

 しかし、それもつかの間、すぐさま体勢を立て直し、盾を前に展開しながら、再び前進を開始する。唐兵も負けじと、矢を散らすように打ち返してきた。矢の束が城壁に飛び込み、防人たちの立てる粗末な盾を容赦なく叩いた。悲鳴とともに崩れ落ちる者、肩や腕に深々と矢が突き刺さり悶える者。赤い血しぶきが土塁をずぶずぶと染めていく。戦場は一瞬にして阿鼻叫喚の巷と化した。


 そのような状況にあっても、防人たちの勇気は衰えを見せなかった。彼らは更に自分の武器を握り締め、目の前の敵に向かって、恐れることなく立ち向かった。


「前衛、矢筒を空にしても構わん。敵を射続けよ!」九摺氏の指示が飛ぶ。矢の波状攻撃で牽制し、敵の進撃速度が落ちたところに側面への攻撃を仕掛けるのが彼の最初の策だった。


「強襲せよ!門を開け」


 突如門が大きな音を立てて開かれ、中から騎兵が百余騎が飛び出した。幾倍もの大軍を思わせる大地を揺るがす蹄の音。騎兵たちは研ぎ澄まされた剣を高々と掲げ、鬨の声を上げながら密集した唐兵の側面へとなだれ込んだ。九摺氏の命令を受けた虎の子である騎馬隊が、敵陣の側面を突くために攻勢に打って出たのだ。

 すさまじい突進攻撃に唐の前列兵士は倒れる。馬に蹴り飛ばされ、また剣で切り付けられた兵士が血を噴き出し倒れていく。しかし後列からは続々と兵士が現れる。鉄と鉄がぶつかり合う音、人々の叫び声、馬のいななき、全てが混然一体となり、戦場を混沌の渦へと巻き込んでいく。


 数に優位性がある唐兵は武器や戦闘技術も高く、体系化されたものを展開してくる。対する防人たちは数に劣るものの、地形を利用した巧みな戦術と、何よりも故郷を守り抜くという固い意志で、諦めず戦いを繰り広げていた。むしろ諦めるのが難しいほどの熱意であった。ある者は故郷に残してきた妻の織る布の温もりを、まだ覚えている。秋には黄金色に輝く稲穂が広がる父祖の代から受け着いだ田と幸せを踏みにじる者たち。断じて、通すわけにはいかない。

 漁師の家から来たある防人は海で鍛えられた腕により不慣れな剣も辛うじて扱えるようになった。故郷の浜辺で笑う子供たちの顔が、この合間に脳裏をよぎる。あの笑顔を守るためなら、この命など惜しくはない。この土塁の向こうにいる敵は、許されざる略奪者だ。


 戦いは日没まで続いた。太陽は水平線に沈み、戦場は夕闇に包まれる。しかし、両軍の雄叫びはやむことなく、双方の兵士達、闇の中でも彼らの武器を振るい続けた。


 阿志岐山城の防衛戦は、まだ始まったばかりに過ぎなかった。夜が明け、新しい日が訪れるとき、一体どのような未来が彼らを待ち受けているのだろうか。防人たちの心には、不安と期待、そして固い意志が入り混じっていた。

本作はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。


短編戦記「阿志岐山城の戦い」をお読みいただきありがとうございました。

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