039_パティシエのレードル
「リン、楽しんでいますか?」
レードルが新しいパイを運んできた。私は慌てて空いたお皿をまとめ、テーブルに空きスペースを確保した。
「はい、パイも本当に美味しいですっ」
レードル達の焼きたてパイは本当に絶品だった。ガスタがワークツリーで焼いたものとは天と地以上の差がある。このアップルパイも生地はサクサクで、中のリンゴはしっとりシャクシャクしている。残念ながら私の語彙力が不十分だ。レードルは両手のパイを机に下ろすと本題を切り出す。
「魔法による技術の自動化…私も改めて考えました」
〝技術の自動化〟については今回の案件で何度も考えさせられた。
魔法によって技術を自動化すれば、多くの人が同じように技術を用いる事が出来る。今回【パイ生地を生成する魔法】が完成した事で、誰もが何の知識もなくプロのパイ生地を作れる様になった。レードルはこの道で二十年も修行を積んできたというのに…。
自動化をどう受け入れるべきか分からないと話すレードルに対して、私は「技術は…人の人格そのものだ」と返答した。正直自分でも論点が少しずれているような気がする。それでも今の自分の精一杯だった。
レードルは私の言葉をどう感じたのだろうか。少なくとも目の前の彼は優しい笑顔でほほ笑んでいる。「彼が鬼人だから…」という差別意識はとっくに消え失せていた。彼は本当にいい奴だ。
「貴方の言葉を聞いて思い出したことがありました」とレードル。
「思い出したこと…ですか?」
「私が何故パティシエを志したのか…です」
そう告げると彼はそっと瞼を閉じた。そのパティシエは穏やかな口調のまま自身のバックボーンについて教えてくれる。
「鬼人と人間は微かに味覚が異なります。私がパティシエとなることで、そんな両者の橋渡しをしたかった。魔物と人間が楽しいひと時を共有する事の出来る空間を作りたかったのです」
「それは…壮大な夢ですね」
「はい、具体的には魔物を使ったスイーツなどを考えていました」
――え、それは…どうなんだろうか?
「なんというか…斬新ですね」
私がやや引きつったような笑顔になると、彼はイタズラっぽく微笑んで見せた。予想の斜め上の提案である。いや、彼の手にかかれば見た目も味も一級品になるのかもしれないが。(私の地元ではスライムを食べる文化はあったが、それ以外の魔物は流石に食べたことはない…)
「魔法陣を使えば私の技術を模倣することは容易です。しかし私の志を模倣することは不可能。技術と志…この二つが揃う時に誰にも真似できない〝何か〟が生まれるのかもしれませんね」
「レードルシェフ…」
これから魔法が進歩すれば、職人から技術を模倣する事例はどんどん増えるかもしれない。しかし職人達が技術を扱う理由まで真似することはできっこない。それだけは魔法で自動化することも不可能だ。ずっとモヤモヤしていた何かがストンと腑に落ちたような気がした。
「それと最後に…貴方に謝らなければならないことがあります」
「へ? なんでしょう」
「あの喫茶で私は『我々は毎日心を込めてパイを調理します。もし各工程を自動化してしまったら…我々のパイには誰が心を込めるのでしょうか?』と貴方に聞きましたね」
「ああ、そういえば…」
「確かに我々が携わる工程が減る事は事実。しかし貴方達――魔法道具の職人が作った魔法陣には確かに心が宿っていました。だから今のパイには我々と貴方方、二つの心がきちんと収まっている筈です」
レードルはニコリと口角を上げ、厨房へと戻っていった。今日、彼に会うのはそれが最後だった。本当に何から何まで丁寧な人だ。「こういう人が一流になるんだろうなあ」とつくづく実感させられる。
――技術と志…か。
私も彼の意見には大方賛成である。勿論その技術と志を手に入れる事が非常に難しい訳だし、そこには才能と呼ばれる個体差も存在する。でも確かに技術だけではダメなんだろう。
レードルにも伝えた通り、私の姉は絵の天才だった。仮に彼女そっくりの絵を描く魔法が作られたとしよう。もし私がそれを使ったとしても、きっと彼女に絵で勝つことはできない。それくらい私は彼女の技術を信頼している。そして自分のそういった部分は諦めていた。
――今、姉はどこで何をしているのだろうか。
五年前、古郷を出てから音沙汰はない。でもあの人は絶対に絵を描いている。私はまだ「会いたい」とは思えない。もっと今の仕事を頑張る必要があった。そして少しでも自分を誇れるようになったら――
今はそんな風に思っている。大変な事も沢山あったがとても楽しい夕食だった。こうしてパイ生地を作る魔法の依頼は幕を閉じたのだった。