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025_喫茶ハニーポット

 昼休憩の時間である。私はガスタに怒られた傷を癒すために喫茶――ハニーポットを訪れた。ここはワークツリーのすぐ近くにある喫茶店で、多くの社員がお昼ご飯を食べに来る。私もアセロラと既に二回、この喫茶を利用していた。

 お店はマスターと奥さんが二人で切り盛りしており、たまにバイトの女の子がいるらしい。マスターは四十代くらいで綺麗さっぱりハゲている。アキニレ曰く「あのスキンヘッドこそが、この喫茶のトレードマーク」だそうだ。

 今日は少し早めの昼休憩だから他の社員はいない。店内には様々な観葉植物が設置されており、オルゴール調の優しい曲が流れている。カウンター席に座って野苺のサンドイッチを待っていると、鬼人――レードルが入店してきた。彼は私の席から二席分離れた椅子に腰かける。


「お、お疲れ様です」


「お疲れ様です」


 一先ず挨拶をしたところ、向こうからも同様に返って来た。鬼人の横で昼ご飯を食べるのは初めてだ。私は隣をちらりと盗み見た。レードルはメニューの端から端まできっちり吟味している。流石は料理人…ということだろうか。

 

「卵と鶏肉のサンドイッチをお願いします。それとブレンドをお願いできますか」


「かしこまりました。コーヒーは食後にお持ちしますか?」


「はい、お願いいたします」


 奥さんは私達の注文を聞くと厨房に引っ込んでいった。マスターはいつもカウンターの隅でコーヒーを淹れている。フィルターにセットされたコーヒー豆にお湯が注がれると、ボコボコと小さな音がした。ラムスは店内BGMを聞きながらウトウトいびきをかいている。私は再び鬼人の様子をうかがった。


 ――やば、話す事ない。

 

 当然のように訪れる沈黙。レードルが寡黙な人なのは分かっていた。こういう時って何を話せば良いのだろうか。(いや、そもそも話す必要があるのか?)私は朝から何度も怒られているから、仕事の話は避けたい。でも私はスイーツに詳しいわけでもないし、知ったかぶりをして痛い目を見るのも御免だ。何も共通点ないなあ。そう思った時、ふとレードルのゴツゴツした手が目に入った。

 

 ――職人の手である。


 直観的にそう感じた。鬼人だからゴツゴツした手なのは間違いない。それに私はパティシエの手がどのようなものかも知らない。が、そうではない。そこには職人にしか辿り着けない〝何か〟があった。彼の手を見た時、私は確かに姉のことを思い出したのだ。


 ――姉は本物の画家だった。


 私はレードルに向けて恐る恐る口を開く。


「あの、私の姉が絵を描くんです」


「絵…ですか? いいですね」


 突然切り出したにも関わらずレードルは私の目を見て頷いてくれた。ちゃんと顔を合わせて話すのは初めてかもしれない。


「はい、カッコいい絵です。私は凡人だから最後まであんな絵は描けませんでしたが…」


 そう言って私は苦笑した。レードルは私の話を黙って聞いている。「まだ二十代なんだから、諦めたようなことを言っちゃいけないよ」とか…そんなことを言ってくる人は苦手だ。私はその後も少しだけ自分の情けない学生時代を話した。

 姉は基本的にダメな奴だ。朝は起きられず部屋も散らかしっぱなし。仕方ないので私が部屋を片付けて、彼女をリビングまで引きずっていく。朝食のパンをかじっている時でさえ、彼女はずっとウトウトしていた。学校では勉強をせず、友達も作らない。暇さえあれば絵を描いており、私は彼女の学校生活がいつも心配だった。


 ――そんな彼女は天才だ。


 彼女は思いつくままに絵の具をドンドン消費する。偶然と偶然が幾重にも重なるが、それは彼女の閃きによって必然に変わるのだ。私の頭ではあんなに沢山の情報を処理することは出来ない。だからこそ〝必然〟みたいな薄っぺらい言葉でしか彼女を語る事が出来なかった。


「普段は両目とも死んだ目をしているのに…絵を描く時だけギラリってハイライトが入るんです」


 あのゼロか百かの性格が羨ましかった。私は彼女の短所も全部ひっくるめて「天才っぽいなあ」とか思っている。そんな姉は数年前に古郷を出た。今は何をしているのかもわからない。まあ絵を描いているのだろう。今度はレードルが静かに口を開いた。


「私も最近、技術のあり方について考える事があります」


「技術のあり方…ですか?」


 私はちょっとギクリとした。ガスタから「技術を魔法で自動化すれば職人の仕事が減るかもしれない」と聞いていたからだ。彼の話はまさしくそれだった。


「技術を魔法によって自動化すれば多くの人が同じように技術を用いる事ができます。私は二十年近くパイを焼いてきました。しかしパイ生地を生成する魔法が完成すれば、誰でも私と同じ様にパイ生地が作れる様になるでしょう?」


「それは…そうですね」


「それはある意味、素晴らしい技術です。ただ、私自身がどの様に受け入れるべきか…その答えが見つかっていないのです」


「レードルシェフ…」


「それに我々は毎日心を込めてパイを調理します。もし各工程を自動化してしまったら…我々のパイには誰が心を込めるのでしょうか?」


 彼がぶつけてくれたのは現場にいる職人の声だった。それが少し光栄ですらある。けれど私はレードルに伝える言葉を捻り出せずにいた。


「野苺のサンドイッチと卵と鶏肉のサンドイッチです。それからブレンドコーヒーをお持ちします」


 奥さんが両手にサンドイッチの皿を乗せて厨房から現れた。今度はレードルが苦笑すると、サンドイッチの前で両手を合わせた。


「すみません、愚痴っぽくなってしまいましたね」


「い、いえ、そんな…」


 私もそれに続いた。無口な私達は黙々とサンドイッチを食べて、時々「美味しいですね」とか短い会話を挟んだ。


 ――本来、私は職人という人種を無条件に尊敬している。


 姉もレードルシェフも雲の上の存在だ。職人とは己のアイデンティティを技術という形で手元に置いておける生き物である。だが私は心のどこかで、レードルを「魔物である」と差別していたのかもしれない。改めてそんな自分を恥じた。

 私はサンドイッチの最後の一かけらを口に放り込む。考えることに集中していたが、それでもサンドイッチは美味しかった。食べ終わるスピードもレードルと大差ない。彼は残ったコーヒーを飲み干すと「そろそろ行きましょうか」と席を立った。そんなレードルを私は後ろから鬼人を呼び止める。


「あ、あの…!」


「どうしましたか?」


「魔法によって単純作業が自動化すると、その分は別の作業に注力できるそう…です」


 私は先輩からの受け売りをそのまま言葉にした。昨日、ガスタは「クリエイターによっては簡単な雑務をゴーレムに任せて、より創造的な仕事に集中することができる利点もある」と話していた。それは間違いない。自分でも当たり障りのない回答だったとは思う。レードルは「ありがとうございます。貴方は優しい人ですね」とほほ笑み、喫茶店を後にした。

 本当にこれでよかったのだろうか。もっと伝えたい〝何か〟があった気がする。それは歯の間にエリンギが挟まった時のような、そんな感覚だった。


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