206_盗賊のアロエス①
一瞬の隙をつき、私は全力疾走で来た道を戻る。直後、ブリックが「おい、そっちじゃない!」と叫んでいた。
「そっちじゃない?」
私は間違いなく、駅側に向けて駆けだしている。このまま麓へ降りて、自警団員の駅前支部に駆け込めばいい。時間に猶予はない。余裕のない私は、それ以上異変に気が付くことができなかった。
がむしゃらに走る。通りに出れば人通りが多くなるし、自警団支部もすぐだ。ブリックのため、早く応援を呼ばなければ。ところが地面が歪むような錯覚を覚え、私はバランスを崩してしまった。何かがおかしい。
――なんで私は…坂を上っているの?
周囲を見渡すが全然駅の方へ近づいていない。むしろワークツリーに向かう途中にいた。完全に逆走しているではないか。ここはブリックが戦っている場所以上に人通りが少ない。閑散とした一本道には、私一人が立ち尽くしていた。
――錯乱して、道を間違えたのか…?
いや私は業務中こそオドオドしているが、戦闘では冷静なはず。襲ってきたのが魔物じゃなくて、人だからパニックを起こしている…のか? いや、そんなこともないと思う。とにかく自警団の駅前支部に向かわなくては。だがブリックの戦闘エリアを通るわけにはいかない。遠回りして麓まで降りよう。そう決意し振り向いた直後、私は蛇に睨まれた蛙のように固まってしまった。
「へえ、なかなか勘が良いコね」
私の行く手を塞ぐように、例の盗賊女が現れたのだ。ワイルドな風貌の褐色美人…エメラルドブルーの髪が風になびいている。彼女は私に向かって優しく微笑みかけた。いや、これは余裕の表れか。
「自己紹介が遅れたわね。アタイはアロエス。盗賊団――バグリアのリーダーよ」
私が知りたいのは〝そこ〟じゃない。
「何故ここにいるんですか? まさかブリックを…」
「いいえ、あの自警団員は強いもの。そう簡単には倒せないわ」
彼女にとってはネガティブな話のはずだが、アロエスは嬉しそうに話す。私はそんな彼女を心底警戒した。
「じゃあどうやって…ここに?」
「アタイの仲間に吹き矢使いのコがいたでしょう? 彼の本質は幻影使いなの」
「げ、幻影…!?」
「貴方が逃走ルートを間違えたのは幻影のせい。そしてアタイがここにいるのも幻影のお陰。アタイは、アタイの幻覚と入れ替わって、戦闘を抜け出してきたの。流石の凄腕自警団員も、戦闘中じゃ気づけなかったみたいねえ」
そう言ってアロエスはクスクスと微笑んだ。この場を支配しているのは彼女、私の直観が「この人に勝てない」と告げている。
多分、私が出会ってきた女性で、一番強いのは冒険者――フリュウポーチだ。彼女からは魔物や獣に通じるような、生き物としての大きさを感じる。だがしかし、戦いは「強さ」だけで決まるものじゃない。戦略や武器、地形、運、相性など様々な要素が影響し合う。それを私に教えたのはお婆ちゃんで、この盗賊――アロエスからはお婆ちゃんに近い何かを感じていた。
明らかに私の手には負えないタスク。だが今の私に手を貸してくれる者はいない…。
「それなら私が…やるしかない」
私は覚悟を決め、魔導書を取り出した。一方のアロエスは「そうこなくっちゃ」とばかりに、左手にククリ刀を構える。
ククリ刀の実物を見るのは初めてだ。刃渡りは四十センチ程度で、刃が「くの字」に湾曲している。これにより重心が高くなり、小さな力で大きな破壊力を生むことができるそうだ。それに湾曲刃を用いた変幻自在の攻撃も非常に危険。相手は洗練された武器と、蓄積された技術を持ちあわせている。
一方、私の魔導書はセットアップしたばかり。戦闘用の魔法陣は何も登録されてない。要するにこれはダミーでしかなかった。今、私が頼れるのは、口頭詠唱できる【投石強化の魔法】と【球状の結界魔法】のみ…。それを悟られる訳にはいかない。ところが彼女は全てを見透かしたように、口角を持ち上げる。
「その新品の魔導書、使いものになるのかしら?」
――見抜かれている。だがここで引くわけにはいかない。
「戦いは…武器の強さだけで決まらない」
「へえ、じゃあ何が決め手になるのかしら?」
決め手…か。戦いに精通した盗賊、アロエスは私が素人であることを分かった上で、この質問を投げかけている。意地の悪い敵だ。だがいきなり全力の戦闘に持ち込まれるよりずっといい。私は彼女への警戒を続けたまま、秀逸な回答を捻りだそうとする。こんな状況だけど…こんな状況だからこそ、私はお婆ちゃんの言葉を思い出していた。




