016_司祭服のプラナリ
「ここまで辿り着けてなによりだ」
背後から声がして私は咄嗟に振り向いた。振り向くとそこには例の神父服が立っていた。暗がりの中、魔法陣に照らされて深緑色の神父服が光沢を帯びている。
恐らく私より年上…だが具体的なところは推測し難い。大柄で男性らしい顔立ちをしているが肌は陶器のように白く、髪は淡いモスグリーン。そしてその目は死んだ魚のようにハイライトがなく、湖の底のような暗い水色をしていた。
あまりに突然の遭遇、私は一歩後ずさった。しかしこの神父服に遭遇した場合、何を伝えるかは決めていた。
「私の先輩を助けていただき、ありがとうございました」
「自分は君たちが引き返す事を危惧しただけだ」
「そ、そうですか…」
「そうだ」
男はそう言うと一枚の紙きれを手渡してきた。
――これは…名刺?
真っ白な紙に〝世界樹の青窓 プラナリ〟と記載してある。恐らくこの男の所属と名前だろう。名前の下には住所も記載されている。そして彼の神父服に刻まれている世界樹の紋章は名刺の右端にも記されていた。
「自分はプラナリ…〝世界樹の青窓〟の司祭兼、スカウトマンだ」
「あ、ごめんなさい。私まだ名刺とか持ってなくて…」
「構わない。まだ青くとも…苺はいつか赤くなるものだ」
「は、はい……?」
「…」
男は変な事を言い出したと思ったら、今度は黙ってしまった。重い沈黙が私の両肩にのしかかり、私はとにかく会話を続けるべきだと感じた。この男が何者かは分からない。だが少なくとも対話ができるという事を確信したかった。それに時間を稼げばアキニレ達が戻ってくるかもしれない。
「あの、何故私にだけ見えるのでしょうか? 他の人達はアナタの事が見えていないようで…」
「君が〝楽師〟に相応しいと判断したからだ」
――楽師?
彼の意図するところがまるで分らない。ちなみに私は酷い音痴である。
「音楽を奏でる楽師の事ですか?」
「否、業界用語だ」
彼がそう言った直後、今まで見えていた景色がグニャリと歪み出した。まるでダンジョンに出入りした時みたいだ。大きな扉もダンジョンの洞窟も全てが消え去り、残ったのは私と神父服、そして例の貴族風チェアだけとなった。
「こ、ここは…!?」
私達は満点の星空の下にいた。どこまでも草原が続いていて、それらは淡く金色の光を放っている。私はすぐに神父服の方へ視線を戻した。神父服はさっきまでと変わらない様子。一方で砂埃を被っていたチェアは新品同様、ピカピカになっていた。背もたれの革もパリッとハリがある。
――それだけじゃない。
その椅子には小さなドラゴンが腰掛けていた。二頭身で身長は四十センチほど…どうやら翼も生えている。ライトグリーンの身体は暗闇の中で淡く発光しているようにも見えた。チェアに深く腰掛けてなんだか偉そうに見えるが…両目は閉じており意識はないようだ。
ドラゴンは魔物の頂点。やはり神父服は魔物と繋がっていた。緊急事態だ、躊躇っている場合ではない!
「ヴレア・ボール!!」
私はプラナリに向けて火球を放った。「魔物との戦いでは先手を打て」がお婆ちゃんの教えだ!
「自分は煩わしい事を好まない」
神父服はどこからか魔導書を取り出すと、それを右手で撫で魔法陣を出した。青緑色の魔法陣、例の結界魔法だ。
「ナチュラテクト・バリア…」
【ナチュラテクト・バリア_自然を保護する結界魔法】
出た、表面が水面のように波打つ特殊な結界。半円形の結界が私の火球を打ち消す。
「っ!!」
次に神父服は別の魔法陣を取り出した。これも青緑色の魔法陣で全く見たことのないデザインだ。
「ウーデンドール…」
【ウーデンドール_樹人形を生成する魔法】
地面からボコボコと木の根が現れた。それらは針金の様に捻れていき、やがてゴブリンの様な大きさ、形状になった。それも三体。
「樹人形、対象を拘束しろ」
「っ!」
私はすぐに火球を放つ。樹人形にスピードはなく、三発のうち二発が命中した。しかし人形どもは火がついてもお構いなし。ゾンビの様に迫ってくるので私は更に距離をとった。マズイ、これではあの神父服とドラゴンが狙えない。
とにかくあの結界を壊さなければ…。
壊せれば勝機はある。
私にはとっておきの魔法があった。
それは投石強化の魔法と言い、具体的には投げた石の礫を加速させる魔法である。一見地味な魔法だが消費魔力が小さく使い勝手がいい。昔から幼馴染たちが派手でカッコいい魔法を練習する中、私は一人でこの魔法を練習し続けていた。(というかそれがお婆ちゃんの教育方針だった)
そもそも投石は普通に強い。急所に当てれば生物を一撃で倒すポテンシャルがある。(人間や人型の魔物であればなおさらだ。)学生時代、私はこの魔法一本で学年一、二を争う強さを持っていた。
火球で結界を破り…
不意打ちで神父服に投石を叩き込む!
しかしどんなに火球で攻撃しても結界が破れない!
人が瞬時に構築できる結界のレベルじゃないぞ。そういえばあの結界、表面が水面の様に揺らいでいた。水属性なのか? まさか火属性じゃ相性が悪いのか? 私はすぐに魔導書から他の魔法陣を取り出そうとした。ところが――
「時間だ……」
神父服はそう告げると自身の結界を解除した。するとドラゴンの体が一層輝きを放ちだした。魔物が魔法を使う時の現象だ。
――何か来る!
警戒を更に強めた直後、ドラゴンの両目が開く。紅色の大きな瞳…それは太陽の様に鋭く輝きを放ち、私や神父服を真っ赤に染め上げた。
「!?」
私は片膝をついた。
おかしい、全身の力が抜けていく…。
まるで魔力切れを起こした時の様である。まさかこのドラゴン…私の魔力も使って、自分の魔法を発動させているのか? どういう仕組みかは分からないが…そうとしか考えられない。
「…私の魔力を使って何をする気?」
「君にはどうする事も出来ない。苺はいつだって農家の都合で水や肥料を与えられるものだ。これが君にとっての肥料となるかは分からないが…」
そう言われて「はい、そーですか」となる訳がない。神父服の言葉にカッとなった私は気合で立ち上がろうと試みる。が、酔いが回った様に身体が安定しない。眩暈は酷くなる一方だ。
――やるなら今しかない!
私は手の中の礫を握り直し、大きく振りかぶった。今狙うのはドラゴン。最後の力を振り絞って石礫を投げた。そして投石と共に使い慣れた魔法を詠唱する。
「スロトンッ!!!」
【スロトン_投石強化の魔法】
めいいっぱい強化した投石は一直線にドラゴンへと飛んでいった。ドラゴンとはいえあのチビサイズだ。脳天に直撃すればただじゃすまない筈。
ざ、ざまあみろ…
ドラゴンに石の礫が命中したか確認する事は出来なかった。私の意識はそこで途切れている……。
――本当に社会人って大変なんだなあ。