4話
馬車が王都に到着したのは、クレマチスの街を出て10日目の事だった。
とても長い旅だった。
ただ、ひたすら馬車に乗っていただけだが、時には物資の荷運びを手伝わされたりもした。
女が2人がかりで大きな荷物を運ぶ。
エンジュは力が弱かったが、相方のリナリアがそれを補ってくれたのでなんとか運び出すことが出来た。
荷運びに失敗して、地面に落とせば、兵士や商人の男たちに鞭で叩かれることもある。
そんな恐怖に怯えながら仕事を手伝い、女たちは王都まで旅を続けた。
中には途中で逃げ出す者もいたが、その後その者がどうなったかは皆、考えないようにしてきた。
無事に逃げ延びて、生きていけるほどこの世界は甘くはない。
王都ブーゲンビリアはエンジュが想像するより遥かに大都市だった。
馬車から見えたその街の広さは何キロ先の山の上からでも全貌は見渡せないほどだ。
立派な城壁の門に着くと、女たちは一旦馬車から降ろされる。
そして、一人一人身体検査を行った後、再び馬車に乗せられて、城の近くにある官署まで連れていかれた。
大都市に入った瞬間に驚かされたのはその街の道の広さだった。
馬車が4台行き来しても問題のない広さ。
石畳が丁寧に惹かれていて、人もたくさん城壁の中で暮らしていた。
どの建物も頑丈で大きく、いろんな専門店が立ち並んでいる。
エンジュにとってその街はまるで夢の国のようだった。
官署に到着すると、女たちはすぐに地下にある牢に入れられた。
何処の部屋も捕虜の女たちでいっぱいで、皆、何かに怯えるように部屋の端に固まっていた。
何処からともなくすすり泣く声が聞こえる。
泣ける者はまだいい。
殆どの捕虜たちがもう涙を流すことさえも忘れてしまっていた。
その中にカルミアやアネモネはいなかった。
「今回は随分と多いなぁ」
牢を見張る兵士が近くにいた別の兵士に話しかけた。
「想像以上に増えちまった。今回の隊長殿がよほど寛大なお方だったんだろうよ」
男は皮肉そうに笑い、兵士の肩を叩く。
クレマチスという大きな都市を襲撃したことも理由だが、今回は無抵抗な捕虜が多かったのだろう。
エンジュのように本来捨てられる身の人間も情けのように連れてこられている。
数時間後には牢の扉が開けられ、順番ずつ外に出るように指示された。
エンジュたちの村の女たちは最後に呼ばれたが、外に出ると目の前には十数人の男たちが立っていた。
皆、人勾引の商人だろう。
手には柄杓のような棒を女たちの顎に当てて、顔や身体を撫でまわすように見ていく。
選ぶのにも順番があるようで、高値で買う商人から選んでいく。
彼らは役人や豪商、時には貴族などに上物を売りさばく。
だからこそ、この中でも容貌の優れた女しか買い取らない。
エンジュの村からは村一番と評判のカトレアだけが選ばれた。
そして、次々に商人たちが見定めていき、最後にはエンジュとリナリアと数名だけが取り残された。
「こんなやつら娼婦にもなれやしねぇ。奴隷として働かすしかねぇな」
そう言って、最後の男が残りの女たちを安値で買い叩こうとした時、エンジュに気が付き、顔を顰めて近づいてきた。
「おい、どういうことだい!?」
その男は兵士に向かって叫んだ。
「こりゃ、全然使えねぇじゃねぇか。まだ、子供だろう?」
すると兵士が近づいて来て、男を睨みつける。
「こんななりだが、12は過ぎている。前は羊飼いとしても働いていたそうだ。文句があるなら、ここに捨て置けばいい。後でこちらの方で処分しておく」
男はちっと舌打ちをし、エンジュだけ突き飛ばして他の女たちを買い取った。
リナリアが男に連れていかれる前にエンジュに向かって話しかけてくる。
「エンジュ。お前はお前の名前の由来の花を見たことはあるか?」
なぜ、このタイミングでそんな話をするのだろうとエンジュは顔を上げた。
もしかしたら、自分はこのままここで殺されるかもしれないというのに。
エンジュは無言で頭を横に振った。
「なら、一度見てみるといい。そうすれば、なぜお前の両親がお前にその名前を付けたのかわかるさ」
彼女はそう言って、突き飛ばされ尻もちをついていたエンジュに手を差し伸べる。
そして、エンジュを立たせると、優しく話しかけた。
「お前は生きろ、エンジュ。そして、いつかどこかでまた再開しよう」
それはここで諦めるなということだろうか。
エンジュは黙って、手を振るリナリアを見送った。
そして、最後に取り残された少女を何人かの兵士が取り囲む。
「どうするよ、こいつ。やっぱりあの時、他の子らと一緒に埋めておけば良かったんじゃないのか?」
「だけどよぉ、連れて来ると決めたのは隊長だ。このまま、ここで殺すわけにもいくまい」
兵士たちは何やら相談しているようだった。
このままでは本当に自分は殺されてしまう。
せっかくあの村で生き残り、ここまでこられたというのに、それでは何の意味もない。
リナリアにも生きろと言われた。
エンジュはぐっと奥歯を噛みしめて、兵士たちに懇願した。
「お願いです。どんなきつい仕事でもします。どうか、私を働かせて下さい!!」
エンジュは頭を下げて頼むしかなかった。
兵士たちも困った顔でお互いの顔を見合わせる。
すると後ろから来た、例の隊長が残ったエンジュを見つけ、兵士たちに声をかけた。
「城の地下に使用人たちの世話をする下働きがいただろう。とりあえず、そいつはそこにでも投げ込んでおけ」
「で、でも……」
話しかけられた兵士は異見しようとしたが、すぐに隊長に睨まれ、口を閉ざす。
「なら、今ここでこいつを殺すか? 俺はそれでも構わんが、街の景観を乱すことは許さんからな」
隊長にそう言われて、隣の男がその兵士に耳打ちした。
「隊長のいうこと聞いておけよ。あそこはいつも人手不足なんだからよ。それに先日も世話係が2人も死んだって話だろう?」
「だけどよぉ……」
命令された兵士はどこか歯切れが悪そうだった。
恐らくそれにも理由はあるのだろう。
それを見かねた同僚の兵士が変わって隊長に返事をする。
「わかりました! こいつは我々が責任もって城の地下へ連れて行きます」
「頼んだ」
隊長はそれだけ言い残して、その場から去っていった。
エンジュはひとまず殺されずに済んだらしい。
しかし、兵士たちの話からするとそこは死より凄惨な場所なのかもしれない。
「お前は簡単に言うがよぉ、あそこの奴らおっかないから関わりたくないんだよ」
「仕方ねぇだろう。あそこがうちの持場で一番きつい仕事なんだからよ。兵士や使用人として使えなくなったお荷物の溜まり場なんだぜ」
「俺もあそこにだけは死んでも行きたくないなぁ」
エンジュの隣で兵士の男たちがそんな話を繰り返していた。
そして、やっとエンジュの存在に気が付いて、乱暴に彼女の腕を引いた。
「今からそこに連れてってやる。覚悟しておけよ」
兵士はにやりと笑ってエンジュに話しかけた。
恐ろしかったが、男が言うようにここで覚悟を決めるしかない。
今、奴隷のエンジュが生きられる場所はそこしかないのだから。