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ゴーン  作者: 京本葉一
8/10

 円月は天高く昇りつめた。

 妖しくも美しく輝かしい夜に、梵鐘の音が鳴り響く。

 それを合図として、仏殿の下に設置した装置が異界との共振をはじめる。

 修行者以外立ち入ることを禁じた寺院のなか、結界の中心である仏殿の屋根の上に坐し、紅く染まってゆく夜空をながめる。

 私である。

 ゴーンである。

 時空間の変容と下方、動揺をおさえきれない未熟者たちの様を見物する。彼らにはすでに伝えてある。現世で鐘の音が鳴り響き、消え去るまでの合間に、一生分の体験をさせてやろうと。


『うむ、我ながら見事な演出である』


 わざわざ梵鐘をキーアイテムに設定した甲斐はあった。


 寺院の外から唸り声が響きわたる。醜悪な存在があふれてはいるが、唸るだけで襲っては来ない。あいつらは己の業に縛られており、他者の存在に気づくことさえない。とはいえ、暗く重たい負のエネルギーに満ちたこの世界は、滞在するだけで苦行となる。


 煉獄は生命の道を外れた愚か者たちの流れつく場所。

 世界そのものが怨嗟で成り立っている。

 ヒトの肉体など呼吸ひとつで腐り果てる不浄の世界。


 結界内部であっても、怒り、敵意、後悔、絶望、悲しみ、恐怖、怨み、妬み……様々な悪感情が襲いかかり侵食をはじめる。まともな感覚をもったものが、理不尽な悪意や怨嗟を四方八方から途切れることなく無防備に全身で浴び続けると、どうなるのか。


 道虫であっても、当初は正気を保つのが限度、清めるどころではなかった。

 未熟者に耐えられる環境ではない。

 塗りつぶされ、発狂する。


 一方、どれほど墨汁をそそぎこもうと大海を黒く染めることができないように、存在の格が違う私は影響を受けない。むしろ逆である。私ほどになれば存在するだけで場を清めることになる。かわゆい娘たちの姿を思い起こすだけでも極楽の波動を放ち、煉獄そのものを浄化することができるかもしれない。いける気がする。


 世界の支配者たるか、世界に支配されるのか。


 怒涛の如く襲い来る負のエネルギー。小さきものに抗う術などない。なかなか掴んで離せない仮初の自己がどれほど小さく無力であるかを悟り、手放し、大いなる存在に身を任せることにつながる。

 良い修行法ではある。

 何回でも発狂してよいのなら。


『なぜ周囲の影響を受ける、道泥(どうでい)よ。苦しんでいる理由はなにか。囚われているのは誰か。受け流せぬのはなぜか。ちっぽけな己など捨ててしまえ。無となり、空となりて、真なる己を発見せよ。内にある力を知るがよい』


 さっそく発狂しそうな未熟者たちに近寄り、場の悪影響から守ってやりつつ激を飛ばす。尋常ならざる体験、自我崩壊の危機により、能力に蓋をしていた固定観念が外れ、私の思念も伝わりやすくなる。

 能力開発という意味でも良い修行法ではある。

 放置するとすぐに発狂するので、リカバリー役の私がしんどいだけで。


『苦しみに耐えることが行ではあるまい』


 果てなき苦しみの世界。

 永劫なる刹那。

 現世で鐘の音が消え去るまで、煉獄で体感する時間は、どうなるのか。


 ぜんぜん平気な私の体感時間としては、せいぜい一晩程度であるが、存在力の小さきものにとっては、数年に感じるほどの濃密な体感となろう。このまま放置した場合ここで生涯を終えてしまう確率は100%なので、一生分の体験といっても過言ではない。苛酷さでいえばそれ以上ともいえる。


『修行者は仏殿に集い、坐して経文を唱えつづけよ』


 浸みこんでくる悪感情を祓い清める。祓い清めなければ侵食されて狂い、祓い清めているうちは正気を保てることに気づく。やれることはそれしかない。一心不乱に取り組めば、清める力もついてくる。やがては己のうちにある同種のものを祓い清めていることに気づく。


『捨てるがよい。清めるがよい』


 どれだけ祓い清めても、それらは果てることなく存在する。

 悔やみもしよう。

 毎日毎日、同じことをやっていたはずなのだ。

 幾度もくり返してきた日常の行に、これほどの真剣さで取り組めていればと。


『その後悔さえも捨てるべきものと知れ』


 余計なことは考えず、ただ清める。

 集団でやれば効果も上がる。

 しだいに仏殿内くらいは清められるようになってきた。


『うむ、及第点といったところか』


 ここに至るまでには入念な準備が必要であった。なにもしなければ煉獄の悪影響は結界内に存在する虫や植物や建築物など場のすべてに伝わってしまう。私と修行者以外に負担がかからぬよう細かく設定はしてあるものの、煉獄に侵食された修行者自身が放つ邪念の悪影響までは防ぐことができない。


『杞憂であったな』


 異なる世界と共振して場をつなげる行為は、それなりの危険をともなっている。異界側による逆干渉の可能性が指摘され、騒がれていた時期もあった異界体験シリーズ。私の知るかぎり被害例は存在しないものの、異界侵食現象の誘発は、惑星が崩壊するレベルで危険だったりする。

 共振からの侵食。

 それは小さな個の浸食から始まり、広がり、やがては惑星そのものを侵食する。

 終末論のひとつ。

 現状をみるかぎり杞憂でしかない。装置の長期連続使用が原因で場が歪みやすくなる事例はあるが、それほど留意する必要はないだろう。ここが煉獄にもっとも近い場所となった可能性は否定できないとしても、ヒトという個が煉獄と共振しやすい可能性を考慮したとしても、穢れきった煉獄側から逆干渉するとなれば、よほど場が穢れていなければならない。

 血で穢すだけでは足りない。

 憎悪や怨念が渦まく殺戮行為が必要となる。

 最悪それがあったとして、穢れきった愚か者が煉獄と共振したとして、惑星の自浄作用を凌駕する侵食はなるまい。個のレベルで止まる。煉獄が侵食レベルを拡大させるには、床下の装置を利用するほかない。しかし、深く共振したヒトを操り、起動できたとしてどうなる。

 機器の操作は思念。知識も不可欠。スイッチを入れるくらいはできても、複雑な設定変更まではできまい。場の残存思念を読み解き、キーアイテムを使用あるいは排除して再設定。たとえ異界化現象は起こせても、結界があるかぎり侵食は限定される。

 侵食は浅く、そして狭い。結界の本来の目的は空間を限定することにあり、内側にいるのものを保護する機能はオプションでしかない。結界がなければ装置はシステムダウンする仕様となっている。

 装置を利用したところで、煉獄で消滅する愚か者の邪念が残る程度となろう。

 とはいえ、ここまでくると己の浅慮を疑ってしまう。

 愚か者が絶えることなどあるだろうか。

 一度や二度で終わるとは思えない。

 蓄積された邪念。

 執念が為す、恐るべき業。

 長期連続使用により場を歪めたなら、煉獄の逆干渉は強まり、影響を強く受けて、場はさらに穢れてゆく。愚か者が引き寄せられる。サイクルができあがり、侵食の度合いは深まる。

 清められることなく、土地そのものが煉獄の一部と化したなら、装置は用済み、裏返し。システムダウンさせれば、結界はなくなる。

 惑星の自浄作用を超えるとき、侵食は拡大をつづける。いずれは惑星そのものが煉獄に飲まれる。どれほどの深度で共振した愚か者が、どれほどの数を必要とするのか、計算できないことはないが……。


『ここは清めることを生業とする僧侶たちの修行の場であり、なにより、この私がいる。この惑星を離れることがあったとしても、装置を回収しておけば、万が一にも滅亡は起こるまい』


 万全の態勢を整えるためにも様々な可能性を想定する必要がある。

 最悪の想定もやっておかねばならない。

 面倒なものである。


『苦労をしたせいか、あの日のことは忘れようもないな、道虫よ』


 いろいろと大変である。

 初めてならばなおさらである。

 修行終了後に、装置のスイッチを切り忘れてもしかたがなかった。

 明くる早朝。

 梵鐘の鐘の音が鳴り響き、ふたたび始まる異界化現象。

 私が寺院で寝ていなかったら、どうなっていたであろう。

 さすがの私も肝を冷やした。

 初回は。


「ゴーン殿ー! ゴーン殿ーー!」

「ゴーン殿はいずこにおられるかー!?」

「お戯れをー! どうかー、お戯れはやめていただきたいのですがーー!?」


 道虫トラップを乗り越えて、成長した彼らを待っていた新たなる試練(ゴーントラップ)。仏殿の屋根の上に伏して、慌てふためく未熟者たちの姿を見物する。


『いとおかし! いとおかし!』


 朝一番の梵鐘の響きによる異界化現象は、この修行の恒例企画とした。100年に一度あるかないかの荒行であり、口外を禁じられた秘儀である。パニック必至の鉄板企画となるのは必然であった。

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