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いとかわゆす。
あぁ~、いとかわゆす。
「おおっ、きつね様じゃ、きつね様が御姿をあらわされたぞ」
山から里におりるとニンゲンに歓迎されるようになった。
私である。
ゴーンである。
しみじみと可愛さに浸っていたというのに、ニンゲンとは、あいかわらず察しの悪い生き物である。
ニンゲンが私を尊ぶのは仕方がないとはいえ、もう少し静かにできぬものだろうか。私と同族たちの区別もついていないはず。明るいうちから堂々と姿をみせるのは私くらいなので問題はないだろうが、同族たちの警戒心が跳ねあがる振る舞いはやめてもらいたいものである。
「きつねさまだ~」「きつねさまが~きた~」
なぜ、この土地のニンゲンから崇められているのか。
もちろん私は悪くない。
可愛い娘たちを愛でる旅は幸福そのものといえた。真心をこめて世話をやく私のことをテラの同族たちも慕ってくれている。なぜなら私はゴーンである。平和主義者の紳士であって、若い娘だけに情をかける変態紳士ではない。
テラの同族たちは家族も同然である。
皆には幸せに暮らしてもらいたい。
やっかいなニンゲンどもに迫害されぬよう、母星の法の範囲内において、できることはしてやりたい。そう考えた私は、情報を集めるため、折りにふれてニンゲンたちに近づいている。社会構造をあるていど理解したほか、肉体から離れても生命の道がわからないニンゲンがいることなど、いくつかの発見があった。
どうやらニンゲンにも、思念伝達能力はあるらしい。
旅をしていると、私の思念を受けとり解することのできるニンゲンに、まれに出会う。ミコと呼ばれる存在が、そうである割合が高い。
「なにやら声がきこえます」
はじめて遭遇したときのことは、いまでもよく覚えている。
『そこのニンゲンよ。私の思念が伝わっているのか』
「聞こえる。これは、神の声」
『いや、私である』
「天から声が」
『どこをみておる。前をみろ。こっちをみろ』
「おおっ、神の御使いが」
『私である。だれの使いでもなく私である』
「かしこみ~かしこみ~」
伝わっているのに噛み合わない気持ち悪さは忘れようもない。うっかり深いところまで相手の思考を読み取って気づいたのだが、どうも余計な想念が邪魔をして、ちゃんと受けとれていないようだった。
何度か試してみて、
『キツネ、イイコ、ネズミ、ヤッツケル』
ぐらいは伝わったあたりでそいつから離れた。
以後、そういったレアなニンゲンに出くわすたび、コミュニケーションを試みている。レアのなかでも能力に差があり、そこそこに伝わる相手であると、私の存在は格上げされ、その土地で崇められるレベルに達する。災害を未然に防いだりしているので、崇められてしかるべきではあるのだが。
「おかげさまで豊作でして、こちら、この畑の朝どり茄子でございます」
ちょいと姿をあらわすだけで旬の野菜が捧げられるようになっているのは、どうなのだろうか。ニンゲンを利用して可愛い娘たちへの土産もとい農作物を育てているという自覚がある分、心苦しいものはある。
まあ不作となってニンゲンたちが飢えるのは気の毒という想いもあるにはある。実際、ニンゲンの利益にもなっている。同族たちが迫害を受けないことにつながるのならば、すべて良しとするべきであろう。
『うむ、励め』
「へへぇ~」
私はゴーンである。
たとえ相手がニンゲンであっても、誠意をもって対する紳士である。
同族たちの安寧のためにも、その土地の可愛い娘たちをたっぷりと愛でたなら、また旅に出る。
折りにふれてニンゲンに近づき、そして──
「むぅ、これは、妖の類か」
思念を受けとるニンゲンがいれば、共存共栄の道を探ろうではないか。