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私が屋敷にこもり出してから十二日が経った。自室と食堂しか行き来できなかった以前に比べると、今は屋敷の中を自由に動けるのでなんの不満もない。むしろこもることで迷惑を掛けていることが気になってしかたがなかった。
「キッチン使いますね」
毎日の日課でみんなが販売に行っている午前中にパンを作ることにしていた。
この国というか、この世界には食パンがない。バケットの中でもかためのものが主流で、スープに浸して食べるのが一般的だ。
「今日は何のパンですか?」
「はい。試してみたいパンがありまして……。うまくいくかは分かりませんがやってみます」
「楽しみにしてますねぇ」
今日のメイドはラウラが来ている。ラウラは公爵家では会ったことがなかったが、私が小さい頃はまだ勤めていたらしい。
前世の私は趣味の範囲でいかに柔らかい食パンを作るかに力を注いでいたが、今日は普通の食パンを作ることにした。不思議なことにこの世界にドライイーストはもちろん、スキムミルクもあるのはなぜだろう?それなら柔らかいパンもあってほしかった。
みんなの販売が終わり、屋敷に帰って来たころ、ちょうど昼食の準備ができた。サラダやスープはラウラに用意してもらったのは、食パンを万が一失敗したときのため……という考えもあったりなかったり。
みんながテーブルについてから焼きたての食パンを手で割いてみた。湯気とともにパンの香りがふわっとする。
「うわあ! また新しいパンですか?」
「なんとかできたみたいです。ジャムを付けて食べてくださいね」
食パンも概ね好評だった。私もいつもより食べる量が増えていたような気がする。ただ、食パンはジャムを付けて食べる習慣がこの国にないらしいので、販売の方はしばらくせずに、屋敷内だけのお楽しみとした。
夜になりベッドに入ると、リンファが明かりを小さくしてくれる。真っ暗だと眠れないので少しだけいつもつけたままにしている。
「セナ……おやすみなさい」
「リンファ、ありがとうございます。おやすみなさい」
そう言って目を閉じると、リンファは静かに部屋を出ていった。それからどれくらいの時間が経ったのだろうか。不意に意識が覚醒したものの辺りは暗く、まだ眠気で虚ろ虚ろしていると、扉の方からカチャリと音がし、静かに誰かが部屋の中に入ってきた。
またカチャリと扉を閉め、静かに私の側まで歩いてくるとベッドサイドに座り私の頭を優しく撫でた。
私……この感触……知ってる……。
撫でてもらうとふわっと気持ちよくなるのは、もうずいぶん前から知っている……ような気がする。
そっと目を開けると、開けたことに気づいたのか撫でていた相手がビクッとした。
「お兄様……」
私の呼び掛けに対し、しばらく固まったまま無言だった兄は、ふっと短く息を吐いた。
「セナ……起こしちゃったみたいだね」
そういうと、また優しく撫でてくれた。
「セナ、ずいぶん元気になったね。リンファたちに聞いたよ」
「お兄様は? お兄様はお元気……でしたか?」
「うん。私も父もエリサも元気だよ」
「よかった……」
「セナのパンはとってもおいしいね。新作ができるとサイが持たせてくれるのをいつも楽しみにしてるよ」
「サイが……」
なんとなくそんな予感がしていた。多目に作っても次の日には必ずなくなっていたパン。ロイやサイだけで食べられる量ではなかった。
「新作だけじゃなく、次は他のも持ち帰ってください。みんなに食べてもらいたいです」
「うん。ありがとう」
兄からずっと頭を撫でられているからか、私は兄ともっと話したかったのに、睡魔には抗えず会話の途中で眠ってしまった。
「おやすみ。また明日来るよ」
兄の声が遠くに聞こえた気がした。
◇
次の日の朝、リンファは何事もなかったかのようにいつも通り部屋に来た。
「セナ、おはようございます」
あれは夢だった?
「おはようございます」
「……今晩、セナが起きてるうちにギルバート様がいらっしゃるそうですよ」
「えっ」
「お約束されたのですよね?」
あぁ、夢ではなかった。兄は私に会いに来てくれていた。恨んでいたわけではないという父の手紙は本当だった。
「あっ、パンを……パンを持ち帰ってくださいって昨日、兄に伝えた、んです……」
「それでしたら、今日はパンをご用意しなくてはいけませんね」
リンファはニッコリ笑いながらカーテンを開けた。
「私……今日はたくさんのパンを作ってみます」
「きっと、どのパンも喜んでくださいますよ」
その日一日、私はほとんどの時間をキッチンで過ごし、食パンを含めた六種類のパンを用意した。




