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ユークリッド国は大国のうちの一つで、王都は特に移住も多く、受け入れもしている。
私たちは父が用意した、平民には大きいであろう家に移り住んだ。
「セナ様、こちらが用意されたお屋敷です。アスワン様とギルバート様から金銭の方もお預かりしております」
そう言ってある部屋に連れられて見せてくれた金庫には見たことのないお金が詰まっていた。
「こちらはユークリッド国の貨幣になります。まあ、一生遊んでもお釣りがくる額ですのでご安心ください」
「ひえっ」
金庫の中を見ると金貨がゴロゴロと入っていた。確かに一生遊んで暮らせそうだ。そんなことはしないけれども。
リンファは金庫の鍵を閉めると、その鍵を私に渡した。
「予備の鍵はアスワン様がお持ちですが、すぐに取りにはいけませんので、くれぐれもなくさないようになさってくださいね」
「……はい」
鍵にはネックレスぐらいのチェーンがついていたので、私はそれを首にかけ服の中に入れて見えないようにした。
この部屋を出るとき、リンファは部屋に結界を張り、出入りが自由にできないようにした。
「リンファは魔法が使えるのですか?」
「一応、一通りは習得しております」
「それなら私に教えてくれませんか?」
私は魔力量が多いらしいが結局魔法を使ったことがない。期待を込めてリンファに聞くと、快く引き受けてくれた。
ただ、この屋敷では練習できそうな広さがないため、場所を探してからということになった。
新しく移り住んだ家は家具も備わっており、通いのメイドたちがいて、食事にも掃除にも困らなかった。このメイドも元はうちで働いていたらしく、事情を知った上で雇われているらしい。この国の食事はラッセンとは少し違った味付けだったが、じきに慣れた。これはこれでおいしい。
一月もするとここでの生活に慣れてきて、私はリンファに相談をした。
「いつか、自分のお店を持ちたいのだけど……」
「何のお店ですか?」
「パンや……さんです……」
リンファからは反対することなく、それなら市場調査をしましょうともっともな提案をされ、しばらくはパンばかりの生活となった。ユークリッドのパンはフランスパンのような硬いパンばかりで、公爵家で食べていたやわらかめなパンとは違っていた。
「あのパンはセナ様専用ですよ。セナ様が食べやすいように料理人が工夫してました」
リンファはさらっと言った。私はどうやら料理人にも気を使わせていたらしい。
それからというもの、私はユークリッドのパンの作り方を学び、ロイとサイは護衛だというのに私と一緒にパン作りに精を出した。パン作りはたくさん作ると生地が重く力仕事なのもあり、細腕の私よりも二人はずいぶんと手際が良い。
硬いパンの材料はシンプルだが、元日本人としてはやはり柔らかいパンも食べたくなり作ってみることにした。
「えっ! バターも入れるのですか?」
「公爵家で食べていたものに入っていたような気がするの」
本当は前世の記憶から知っていただけだが、そのことをばらすわけにはいかない。
「牛乳も入れたらおいしいかもしれないわね」
牛乳を更に入れるとロイが目を丸くしていたが、私が構わず生地を捏ねていると、サイがかわってくれた。
「次は何を入れてみましょうか?」
サイはとても楽しそうだ。
「んー……ではマーマレードジャムも入れてみます」
その後発酵させたり生地を丸めたり、ガス抜きしたり。そして二次発酵後低めの温度で焼くと、なつかしいパンができた。
ホカホカのうちに一つ取り、一口食べてみると思いの外おいしくできていた。
「みんなも食べてみてください」
サイは楽しそうに、ロイは慎重に、リンファは目を輝かせながらそっと一口食べてみる。
「「「おいしい!」」」
私は思わずクスクス笑う。
皆が顔を見合わせて笑顔を浮かべると次々に感想を言い出した。
「やわらかい! こんなにやわらかいパンは初めてです」
「それに甘いパンというのも初めてですよ」
「ふわふわでしっとりしてますね」
三人はやわらかいパンを受け入れてくれたみたい。私も自然と笑顔になる。
「私もとってもおいしかったの。レシピを書いて……あとは知り合いにも試食してもらいましょう」
私たちはその後もいろいろなパンを何度も何度も作っては知り合いに試食してもらった。最近はその評判を聞いた人から譲ってほしいと言われるようになっていた。
「そろそろ出店準備をしてもいいかもしれませんね」
リンファは五十のレシピを見ながら言うと、私もいよいよかとドキドキしていた。
家を出てから一年が経ち、私は十七歳になっていた。