残念美人の誕生 4
「あら?なにかしら?」
オリヴァーが不在の中、3人からのダンスの申し込みを断った時点で、面倒になったジェシカ。要は目が合うのがいけないのよと、窓の外を見ていた。ちょうどその時。おそらく、上の階からだろうか?白い布がひらひらと舞ってきたかと思ったら、そのまま木に引っかかってしまった。
「大変!!」
あれだけオリヴァーに動くなと言われたことは、一瞬で忘れていた。ささっとあたりを見回して、外に出られそうな窓を見つけると、足早に向かうジェシカ。なんとなく彼女の様子を目で追っていた男達の視線が、その様子を追う。あの天使の心を惹きつけたのは、一体なんだったのかと。
しかし直後、とある男がそれを遮り、まるで威嚇するような鋭い視線を向けられたため、男達はそそくさと視線をそらして他へ向かった。
「ハンカチ、のようね」
ちらりと二階を見上げれば、まさしく“ああ……”と嘆き声が聞こえてきそうな顔のご婦人がいた。おそらく、上の階の控室で休憩でもしていたのだろう。少し赤い頬は、飲みすぎてしまった証かもしれない。
ジェシカは自分の着ているドレスと靴を見下ろし、続いて木の全体像と引っかかったハンカチの位置を素早く目測した。
「いける!!」
オリヴァーがいたら間違いなく“何が?そんなわけないでしょ”と、冷めた目を向けられていたことだろう。だが、幸いなことに今弟はここにいない。
木登りは慣れている。それに、この木は自分にしたら低すぎるぐらいだ。靴は脱ぐとして、ドレスは濃い目の色だから多少の汚れは目立たないだろう。そもそも、汚してしまうような腕ではない。楽勝だ。
たかがハンカチ一枚と、鼻で笑う人もいるかもしれない。けれど、まだ使えるものをみすみす捨てるなんて、ジェシカにしたらとんでもないことだ。おまけに、手元を離れたハンカチをずっと見つめ続ける女性の、あの残念そうな顔。なにか、思い出のある大切なハンカチなのかもしれない。そう思ったら、いてもたってもいられなかった。
ささっと木に近付くと、なんのためらいもなくポイっと靴を脱ぎ捨てたジェシカ。そのままするすると、それはもう危なげもなく手足を木にかけて登り、目的のハンカチを目指す。
「まあ」
やっとジェシカの存在に気が付いたのか、二階にいたご婦人が声を上げた。
「危ないわ」
「平気よ。私に任せて」
「でも……ああ……人を呼んでそちらに行くわ。動いちゃだめよ」
動いちゃだめもなにも、中途半端なこの位置にとどまり続けるのは、さすがに慣れたジェシカでも辛い。
「よし、あと少し」
「なにをしている」
ご婦人の到着は、自分が地面に降り立った後だろうと思っていた。それがまだ木につかまっている状態で、突然下から声をかけられてジェシカは思わず手を滑らせてしまった。
「きゃあ」
(よし、ハンカチも今の振動で落ちてくるわ)
思わず声を上げたものの、木登りも木からの落下もそれなりの経験のあるジェシカは、目的だったハンカチを見届けるぐらいの余裕も持っていた。あとはいかに痛みの少ない落ち方をするか。と、瞬時に頭を働かす。
(体を丸めて、頭を守って)
地面!!と覚悟を決めて目を閉じ、歯を食いしばったジェシカが落下した先は……
「ん?痛くないわ」
ちょっとだけ衝撃はあったものの、地面に打ち付けられたような痛みは全くない。
「それはよかった」
「え?」
思いの外近くから聞こえてきた声に驚いて目を開ければ、そこは地面でもはたまた天国でもなく、大柄な男性の腕の中だった。
(おかしい……私、木から落ちたはずよ。だとすれば、たどり着くのは地面のはずで……)
「まあ!!大丈夫でしたの?」
状況が掴めない中、また別の人の声が聞こえてくる。こちらは二階にいたご婦人のようだと、すぐに思い至った。
「お二人とも、怪我はありませんか?」
「団長でしたか。大丈夫ですか?」
心配するご婦人の声と共に、また別の声が聞こえた。
「ああ」
「団長?」
再び自分のことを腕に抱えている男性に目を向けた。
「いかにも。二度目だな、ジェシカ嬢」
(……このやりとりは、以前にもあった気が……)
「あっ!!団長さん!!同志の!!」
「同志?」
一体何のことかと首をひねるフェルナンに、“そうだ、そうだ”と一人納得したジェシカは、“降りますね。すみません”と呑気に笑顔で言いながら、身をよじりだした。
「ちょっと待て。足が汚れてしまう」
「今さら!?」
“あは”と笑いながら、そのまま地に足を下ろそうとするジェシカを抑えたフェルナンは、ご婦人と一緒に駆け付けた騎士に靴を拾わせ、ベンチに座らせたジェシカに渡した。その横で、ご婦人が話しかけてくる。
「あなた、お名前は?」
「ジェシカです。ジェシカ・ミッドロージアン。ハンカチ、あなたのものですよね?」
途中でフェルナンが拾い上げたハンカチを、手渡した。
「ええ、そうです。本当にありがとう。亡くなった夫がくれた宝物でしたの。助かったわ。でも、女性がドレス姿で木に登るだなんて、危ないわ」
「私、木登りは慣れてるんです。ちょっと驚いて、手が滑っちゃったんですけど……」
ちらりとフェルナンに顔を向ければ、彼はなんとも言えない難しい顔をしていた。けれど、その肩が揺れているところを見れば、怒っているわけではないのだろう。おそらく、笑うのをこらえているのだ。
「団長さんが受け止めてくださいました」
「そうみたいね。よかったわ」
彼女が呼んできた騎士は、状況を見て持ち場にもどっていった。
どれほど時間が経ってしまっただろうか……そっともどって、しれっとさっきの場所に立っていれば、オリヴァーに気付かれずにすむかと、ジェシカは考える。
「なにか、お礼を……」
「いいですって、そんなこと。私が勝手にしたんですから」
「でも……」
「団長さんも、もう大丈夫ですから。ありがとうございました。先に中へもどってください」
こんな大柄で目立つ人と一緒にいたら、悪目立ちしてオリヴァーにいろいろとバレてしまう。お願いだからもどって欲しいと願いながら視線をさまよわせるジェシカ。その視線の先に、自分を探すように動いているオリヴァーの姿を見付けてしまった。
「まずい……」
「どうかしたのか?」
思わずもらした一言に、フェルナンが反応する。
こうなったら、彼を盾にして……いや、無理か。でも、そのままもどっても……
とりあえず、外にいたことさえバレなければ……お手洗いとかなんとかごまかせるかもしれない。
「なにか、心配事でもあるのかしら?」
このご婦人も味方につけて……ああ。でも、外にいた理由はどうする?
「ジェシカ嬢?」
うぅぅ……この二人は、敵なのか味方なのか……
ダメだ。時間が経ちすぎている。このままでは、オリヴァーが見張りの騎士に捜索を依頼してしまうかもしれない。
「まずいんです!!どうしたって……」
「なにがだ?」
「オリヴァーに……一緒に来た弟に、自分がもどるまで絶対に動くなって。料理は食べちゃダメだって……」
「ぶほっ」
思わず噴き出したフェルナンは悪くない。以前のジェシカを見ているのだから。けれど、“どうしよう”と狼狽えるジェシカは、フェルナンが吹き出したことなど全く気が付いていなかった。ついでに、必要もないのに料理を食べてはいけないと注意を受けていることまでばらしていることにも。
「おなかが空いているのかしら?」
「ええ。そこそこに。それなのに……あんな素晴らしい料理やスイーツが並べられているのに、今夜は食べたらダメだって……」
思わず涙ぐみながら語るジェシカに、同情する視線を向けるご婦人と、“だろうな”と納得するフェルナン。
「いいわ。こうしましょう。ちょっと気分が悪くなった私に気付いたジェシカさんが、外の空気を吸いに出た私に付き添ってくれた。そこにフェルナン様が気付かれて、追いかけてきた。調子を取りもどしたからって、一緒に中にもどるの。で、お話ししながら、スイーツをつまんで弟さんを待つ。どう?」
「のった!!」
「ぶほっ」
思わず前のめりに賛成するジェシカに、またしてもフェルナンが吹き出した。
ええい、団長さん。この素晴らしい提案を邪魔しないで欲しい。
「あら、フェルナン様。こんな可愛らしいお嬢さんのお願いだもの。あなたも協力してくださるわよね?」
「ええ、もちろん付き合いますよ、ロジアン夫人」
二人の協力が心底ありがたかったジェシカは、満面の笑みを浮かべた。これでなんとかなると。その頭の中に、ただでさえ冷たく見えがちなオリヴァーが、目を吊り上げてさらに冷気を纏って姉に詰め寄る姿は、もう一切見えていない。ただただ、さっき遠めに眺めたチョコレートとか、チョコレートとか、チョコレートしかない。
「ジェシカ嬢、どうぞ」
「まあ」
恭しく手を差し出すフェルナンを見てはしゃいだ声を出すロジアン夫人。フェルナンは彼女にも手を伸ばす。
「あなたもどうぞ、ロジアン夫人」
「私は大丈夫よ。それより、この可愛らしいご令嬢をエスコートしてあげなさいな」