16話 激動の幕開け
日本国民は期待していた。
いまだ好況ではあるが、前年にあった非常に大きな贈収賄事件。
これにより当時の内閣が翌1989年春に総辞職。
しかし、関わった大物政治家たちは逮捕されることもなく実質お咎めなし。
さらに後を継いだ首相も愛人問題で2か月で退陣。
端的言って『政治家不信』が蔓延していたからだ。
そんな中で前年の贈収賄事件にも関係者として名前もあがらず、さらに文筆家としても著名であった紙原が『真に国民が政治に参加する』と掲げた新党には期待しかなかったからだ。
そして1989年11月8日。紙原は正式に新党『真国政参加党』を結党した。
その結党演説にて紙原は
「皆さんもご存じの通り、今の政治家のほとんどはもうダメだ。民自も主民もダメ。だから真っ当な意思を持つ若い世代と共にこの真国政参加党を立ち上げた。やることはシンプル。政治を変える。日本を変える。政治は政治家のためにあるものじゃあなく国民のためのものだ。だから国会の在り方も変える。憲法だって戦勝国に押し付けられたものじゃなく主権国家日本としてのものに変える。一言にまとめれば全部ぶっ壊して全部を創造する。これが私たちの目指すところです。」
と、完全なる爆弾発言ではあったがこの大部分が大衆が感じていることと同調していたために好意的に受け入れられた。
当然他政党からは批判が相次ぐものであったが、その批判は世論に飲み込まれていった。
国民の声の代弁者たる政治家の姿勢を示していたのは間違いなく紙原であり『真国政参加党』であったのだ。
そうして日本の世間が紙原の新党結成に沸いている頃、世界も大きく動こうとしていた。
『真国政参加党』正式結党の翌日、東ドイツがベルリンの壁の通行を自由化した。
そしてその2日後の11日。
ベルリンの壁が崩壊した。
さらに翌月12月3日。
アメリカとソ連によるマルタ会談にて正式に形式上は世界中を巻き込んでいた東西冷戦が終結した。
世界の情勢が変われば日本の情勢もまた変わる。
このタイミングを見越していたかのような新党『真国政参加党』は後の政治史でも日本の歴史のターニングポイントであったと評価されるに至るのだ。
11月8日の結党から年末年始にかけて信秀は非常に慌ただしい毎日であった。
特に都議会においては今まで無所属で派閥もなく何もできなかったのだが、17名の勢力を持ったことにより議案提案権も手に入れ自身の主張であった不況対策を議案として提案し続けていた。
しかしそれでも現状は好況ではあるため議案が通ることはなかったのだが、それでも世論の後押しもあり議会の空気を一変させていた。
対して紙原は議会においての表だった動きは少なく、水面下での動きに徹していた。
国会内では完全なる少数派でしかなかったからだ。
それでも世論を味方につけていたため、保身を図る者や現在所属している党内への不満を持つ者などを取り込み着実に勢力を拡大していた。
そしてその人の動きと実際に経済が破綻する可能性が高いことを察している与党は政策による挽回を画策するが、その政策が自党と社会へのとどめの一撃となることまでは思考が至っていなかった。
こうして政界が慌ただしく動いている中信長はというと…完全に蚊帳の外であった。
それも当然と言えば当然なのだが、議会へ入りこめるわけでもなく信秀や藤井らに何かを聞くことも2歳児なのでできない。
紙原と接点を持つ、なども当然できるわけがなかった。
なのでテレビのニュースや家での会話から微々たる情報を得るにとどまっていた。
-かなり欲しい情報が転がっておるようじゃが…連れていけなどとは言っても無駄じゃったしのう。
信長は信秀に議会へ連れてけと喚いてみたこともあったのだが、やはりそれは叶わなかったのだ。
そうして思惑通り行かないまま1989年を終えていた。
明けて1990年。
年始の慌ただしさも終わり平常な日々に戻りつつあった日、とあるテレビ番組に信長は目をとめた。
いつも通りの夕飯の食卓、何気なく道岳がザッピングして最後に止まったのがその番組だった。
『本能寺の変の謎に迫る!』
信長は今生の生を受けて初めて自身の歴史に触れた。
道岳も多少は気になったようでそのチャンネルで手を止めたのだが、信長がテレビを食い入るように見つめていたのを見て信長を抱っこしてテレビの近くのソファーまで連れていった。
「自分の名前がテレビで出てて気になったのかのう?一緒に見るか?」
「見る!」
そういつになく力強く応えた信長に驚く道岳であったが、突っ込むことはせずにテレビを見ることにした。
番組の内容は
『明智光秀が信長を本能寺にて自害へ追い込んだ』
『なぜ明智光秀は謀反に及んだのか』
『謀反に及んだはいいとしてなぜその後の行動が行き当たりばったりだったのか』
『黒幕はいたのか』
『信長はなぜ京都に防御が手薄な状態でいたのか』
『家康はどのようにして三河までたどり着いたのか』
『秀吉はなぜあそこまで迅速に戻ることができたのか』
この辺りを歴史学者が議論、解説するといった内容だった。
信長は自身の1度目の死後に何が起きたのかをあくまで後世に伝わる範囲でだが、初めて知った。
そして一つ一つ思案していった。
-まずは光秀じゃ。これはまず事実の1つ。やつの軍勢が本能寺に寄せたことは間違いない。
じゃがその後の対応がまずいのは光秀らしくない。明らかにおかしい。
何よりあの光秀が倍の兵力差があって正面から野戦に挑む?そんなの阿呆の所業じゃ。奴ほどの男がするわけがない。
伝わっておる兵数が実態と違うか、何か策があったか。現状ではこれ以上わからんな。
次に黒幕…というか協力者がいたかどうか。これはまだわからんが何かおかしい。ゆえに後回し。
わしが京にあの状態でおったのはわしの油断でしかない…堺には三七と五郎左があり仮に紀伊で何か起きても対応ができた。
丹波には光秀がおって近江は安泰の状態。謀反以外で何かが起こる状況ではなかった。
ゆえに寡兵での上洛。これはわしの落ち度。
城介に三職のいずれか任官させるつもりで一緒に京に置いたのも完全なるわしの失策じゃのう。
次はサルが迅速に戻ったと言うが…その行軍速度自体はすっ飛ばせばそんなもんじゃろ。わしの援軍がある前提で街道も整備しておったしのう。じゃが毛利と事前にある程度和睦の話を進めておったのはしでかしおったな。おそらく最悪に備えての保険をかけておった。ゆえにサルが早く戻れたのも問題ではない。
最後に竹千代か。堺から伊賀を越えて伊勢から海路で三河まで…これはわかる。おそらく長宗我部も動いておって堺からの海路も絶たれておったろう。
じゃがそこでなぜ穴山だけが死ぬ…?
一揆勢に襲われて死んだと伝わっておるようじゃが…これは竹千代がやっておるわ。
あの時点での戦国大名としての徳川の状況を考えれば北条を相手にするかこのまま織田に形式の上でも完全臣従して取り込まれるかの2択。
そして北条がわしに臣従を誓っていた時点で取り込まれる以外の選択肢はなく、安土に呼んだのもそれじゃ。
じゃがここでわしが横死したとなれば武田を滅ぼしたあとで織田の支配が浅い甲斐、信濃を切り取るという選択肢が生まれる。
そうなれば穴山は邪魔。なれば切るだろうよ。
竹千代が我慢の人間?笑わせおる。後世に上手く伝えたものよな。
あれは天下三指に入る戦国大名じゃったよ。あれだけ武田とやりあって滅んでおらんことを後世で正しく評価しておらんな。
となれば竹千代が一番怪しい…か。
竹千代と光秀が繋がっておったと仮定して、奴らの誤算がサルの大返しだったとしよう。
この前提なれば光秀はどう動く?
まず京と朝廷、安土を抑えて近江全域を平定。毛利、長宗我部、上杉へ連携依頼。これにて織田の主戦力を各地へ釘付け。
その間に竹千代が戻り北条と結び甲斐へ侵攻させ濃尾を明智、徳川の多方面同時侵攻にて平定。そこから五郎左、権六、サル、左近を各地の大名と挟撃。
うむ…だいぶ投機…とは言えこれは成るな。
誤算だったサルの大返し…これを当てはめるとどうなる?
後世に伝わっておる内容からするに京と朝廷は抑えた。安土までも抑えた。
近江完全平定に至るまでにサルの大返しが発覚。
がしかし情報の真偽がはっきりせんといったところか?もしくは毛利への抑えを多く残していると判断したのか…いずれにせよ近江よりも河内、摂津対策が危急になる。
が、その先をサルに取られた。
おそらく後回しにしていたのをサルが上手く取り込んだとみるべきか。
となれば…サルは3万から毛利の抑えや播磨の各拠点に兵を残したとして残存2万。
そこから摂津を取り込んで2万5千。三七と五郎左が合流して3万強。
それで山崎の地で野戦…いやこれでは光秀は出ない。出ないといかん状況であるのはわかるがそれでも出ない。勝算がなさすぎる。
光秀は1万3千…近江諸勢力でせいぜい1万5千。
あとは丹後と大和。これがどちらも糾合できて2万5千。
しかし長岡は出なかったとある。
なればせいぜい2万…。
そうなれば状況的にも出る、出るが…素直に野戦じゃなく長篠をやる。正面からはやらんよ。
守りを固めて鉄砲で包囲せんと勝てんじゃろ。
まだ何か勝算があったのか?
徳川の援軍はまだ当てになる段階じゃない。…長宗我部か!
いや、それでも構えるべきは長期戦の構え。正面からじゃない…。
これは何か後世に至るまでに何か事実を消されとる…か。
誰がなんのために事実を改ざんした?
今のところの改ざんして利を得る可能性があるのは竹千代、サル、朝廷。
竹千代とサルはその後の統治に不都合に成り得たから光秀と繋がっていた事実を消すために戦の経過を都合よく改ざんした。
うむ…なくはない。が薄い。
朝廷なら?
光秀に錦を与えたが負けた。それゆえにその事実を抹消するようサルに働きかけそれを受け入れさせた…?
無理がある…か?
今わかるのはここまで…。
しかし納得までには至らんな…
信長はテレビ番組が当に終わっているがひたすら長考を続けていた。
道岳の膝の上で腕を組みながら…だ。
何度も何度も何度も道岳や春花から呼びかけられていたものの全く聞こえていなかった。
気づけば番組が終わって1時間が経過していた。
そこでやっと思考が途切れ声をかけられていたことに気づいた。
「のぶちゃん!!どうしたの?じーじ困ってるよ!」
-しまった…。
そう思い誤魔化すために信長は咄嗟に…寝た。
道岳の膝から倒れるようにソファーに転がったのだ。
「はっはっはっ。話が難しすぎて寝ておったんじゃろな。」
と手のひらで見事に転がってくれる道岳。
それでも春花は納得がいっていないようであったが、それ以上疑惑の目を向けることはしなかった。
-祖父上殿…単純で助かった…。
それが本心かどうかは別にしてこの場を終わらせてくれた道岳に感謝しながらも信長の思考は止まらなかった。
春花に抱っこされながら寝室へと連れて行かれる間も自身の真の敵は誰なのか、後世に伝わる本能寺の変以後の出来事を考察していた。
-ひとまず光秀は確定じゃ。じゃが確実に単独じゃない。
誰かまだいる。
今のところは竹千代が1番の候補。動機は多分にある。
そして近衛がこちらにおったから朝廷の線もあるかとは思ったが、今後世に伝わっておることが大半事実なのであれば朝廷もない。ついでに将軍家もか。
その辺関わっておるなら光秀は錦の御旗を掲げるだけで正当性も近江周辺の諸勢力もすべて糾合できた。
が、それは伝わっておらんようだ。
これが事実ならばない。が改ざんされておったならこれはあり得る話に返り咲く。
何より光秀がなんの根回しもせず、勝ち筋を付けずにこれだけのことはやらん。
やるなら全てやり終えてからやる。
あれとサルはわしの『戦に至るまでが戦であり戦の結果はそれまでの準備の結果でしかない』ということを家中の誰よりも理解しておった。
そして竹千代もまたそれを学んでおった。
まだ何かがある。
これで…当初の思案からすれば残るは1人…か。
親父殿のことに興味が傾いておったが、わしが望んだこの答え合わせもしっかりやらんとな。
今生で必ず思い知らせてくれようぞ。
今度は変に思われないように寝たふりをしながら思考を続けていた信長は仮定の段階ではあれど着実に答えに近づいたことを確信していた。
その確証を得るまでにはまだまだピースが足りていなかったが、それでも確実に近づいていた。
そして信長自身がコアトリクエに望んだように、真の敵たる人物は信長と同様にこの現代社会にいるのも確定している。
これからの出会い、関わりの中で答えは必ず出る。
その上で必ず前世の失敗を取り戻す。
これだけはどうやっても揺るがない決意であった。
こうして信長にとっても信秀にとっても日本にとっても世界にとっても激動となる1990年が幕を本格的に開けた。
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