14話 結果
投票までの残り6日間、信秀は文字通り動き回った。
区内の各駅を通勤、帰宅の時間帯に合わせて練り歩き、日中は買い物客の多い場所を狙い歩いた。
キスクラと武宮の件がニュースや新聞でも少々取り上げられたことも相まって信秀の名は広まっていた。
他の候補者も信秀の勢いを察したのか行く先行く先に現れたが、すでに大勢は決していた。
そして1989年7月2日(日)、投票日。
信秀は当選した。
3枠ある内の3位であったが、次点の候補者とは僅差であった。
それに1位の現職議員、2位の初当選の藤井竜山…選挙活動当初から信秀の回りを狙い撃ちしていた感のある候補者には万票近く差を開けられていた。
しかしそれでも初立候補かつ無所属という状況での当選は快挙と言えるものだった。
信秀の戦略勝ちだ。
この結果を見て信長は
-親父殿の戦略が見事に嵌ったようじゃが、辛勝といったところ。結局はそもそも地盤のある者、後ろ盾がある者には勝てなんだ。これは戦場に立つための戦とでも言うべきか。民に選ばれて初めて議会という戦場に立てる。これが今生の戦の形か。
と一つの答えとも呼べる思考へと至った。
ただ、その上でさらに発展して考える。
-それでも他の当選者のように地盤や後ろ盾…これも結局は大事だということ。そして従来のやり方はそれらを活用するうえでならばおそらく有効だということ。古きは悪ではなく之もまた取り込むべき要素はある。全てを飲み込み、そして新しいものを創る。この思考は捨ててはいかんな。
結局は信秀よりも票を獲得した候補者がいる、という事実を信長はしっかりと受け止めていた。
そして結果がそこにある以上、それは有効な手段であると結論付けた。
そもそも信長は改革者であれど革新者ではない。
というよりも根本が自らの意思を貫く、そのためならば何でも使えるものは使う。
そういった思考が基本なのである。
古きものの駄目な部分は徹底的に排除するが、良い部分は活用するのだ。
信長はこの時点で自分が選挙に打って出た時の戦略の大枠をすでに完成させていた。
もちろんその時分における情勢や周辺環境による変更はあるだろうが、大方何をすべきかの構図が出来上がっていた。
そんな信長の思考は当然ながら今はまだ誰にも伝えることも伝わることもなかったが、確実にこの信秀の選挙活動は信長の糧となっていたのであった。
夜23時。
信秀の当選が確定し、事務所での当選祝いもひと段落した藤原邸では道岳、時子、春花によって祝いの席の準備が進められていた。
道岳は自分のことのように舞い上がっていてすでに祝杯をあげていた。
そんな道岳に時子がいつものように一刺し入れ、場が和むいつもの光景が繰り広げられていると信秀が帰ってきた。
「ただいま!いやーなんとかなってよかったわー!」
「なんだかんだで無所属の時点で博打なのにさらに博打を重ねおったからのう。これで落選しておったら勘当もんじゃったぞ!」
などと信秀の発言に強めに被せる道岳。
そんな道岳に再度時子が刺す。
「そんなこと言ってさっきまでさんざん浮かれてたのはどこのどなたでしたかね?」
「嬉しいもんは嬉しいじゃろ!だがギリギリだったのもまた事実であろう。」
「それが事実でも軽口に勘当などど言うもんじゃないでしょうに。」
「…それはすまんかった。」
たまにはちょっと反撃したい道岳であったがすぐにやり込められていた。
そんな両親のやり取りを見て信秀は緊張の糸が切れたようでどっかとソファーに座りこんだ。
「結局帰ってきていつもの光景でなんか助かるよ。正直勝算は3割程度の見込みだったから本当にやり切った感があるね。」
と本音が飛び出した。
しかしその発言に道岳が反応する。
「確かにお前はようやったと思うが、議員になることがお前の目的か?違うじゃろ!!ここがスタートじゃ。お前がやるべきことは議員になってからが始まりじゃ。それを忘れてやり切ったなどと言うでないわ!!」
そこには敏腕経営者たる道岳の顔があった。
事実そうなのだ。
信長も既に気づいていたように、議員になるのは手段でしかない。
その手段を手に入れた、まだそれだけなのだ。
そしてここからが真に難題なのだと思い知ることにもなるのであった。
この道岳の一喝に信秀は
「そうだよな…親父の言う通りで俺はまだ何かを変えたわけじゃないし、自分の主張を遂げたわけじゃない。ちょっと浮かれてたよ。喝入れてくれてありがとう。」
「うむ。浮かれるのは仕方がない。じゃがもう軽々に言葉を発するな。お前はもうそういう立場なのだから。」
と場を締める道岳。
会話がまとまったことを察した時子が割って入る。
「つい今しがた軽々と発言してた方の言じゃ説得力がありませんよ。さぁ時間も時間だからみんなで一杯だけ祝杯をあげましょう。」
そんな一言で藤原邸は家族の団らんの場になった。
眠い目をこすりながらこのやり取りを見ていた信長は
-祖母上殿はやはり優秀な方なのだな。強い言葉を吐くようでその実誰にも不快にさせていない。いや祖父上殿は多少なりとも何かあるかもしれんが…。それでも人の情の機微に敏い。人は利と理で大半が動く。そして統治もまた同じ。しかしそこに情がなければ結果続かぬ…か。情も弱者ももっと考えんといかぬようだな。わしはまだまだ足りておらん。全ては学びじゃ。
こんなやり取りからもすべては学びと、信長は思考を巡らせていた。
そんな信長をよそに信秀たちは乾杯し談笑して夜は更けていった。
その頃信秀の選挙選や活動に顔を出すことがなかった元親は自宅で信秀当選の報を受け嫉妬に飲まれていた。
小雪はそんな元親を見てため息を吐く。
そしてこういう時の元親に何を話しても無駄だとわかっているのでそっと寝室へと消えた。
1人ソファーに腰掛けながらウイスキーを呷る元親。
「結局兄さんはそうやってやりたいようになんでもやってしまう…。なんでもないようにやり遂げてしまう…。」
部屋にはグラスの中の氷が解けて転がる音だけが響く。
元親の精神が本格的に壊れていく始まりだった。
1人寝室に籠った小雪は
-お義兄さんのことなんか気にしなきゃいいのに…もとくんはもとくんなのになー。こういうのは本当に疲れる。
小雪は元親のいいところはわかっていた。
だから結婚した。
しかし元親の信秀に対するコンプレックスだけは理解も受け入れることも受け止めることもできなかった。
そしてこの感情がのちに小雪にとって1つの決断を下す要因にもなるのであった。
1つの結果が出て、良いも悪いも様々な事象がスタートラインに立った1989年7月2日はこうして終わっていった。
1989年7月4日
信秀の初登庁の日だ。
信長はいつも通り5時に起きて形稽古をしているとリビングから人の気配がした。
気になった信長は寝ている春花を起こさぬようにそっと寝室を出て様子を伺いに行くと、そこにいたのは信秀であった。
「おう!早いな信長!起こしちゃったか?」
信秀はそう言いながら信長を抱き上げた。
抱っこされながら信長も応える。
「んーん。おはよー。」
と2歳児っぽくとりあえずの返答だ。
正直2歳1か月でここまでちゃんと話せる時点でなかなかに異常な言語機能の発達なのではあるが親バカかつ初子であるため信秀はその異常さには気づかない。
信長を抱っこしながら信秀が話始めた。
「今日から俺は新しいお仕事だから目が冴えちゃってねー。また寝るのももったいないから一緒に遊んでよっか。」
「あそぼー!」
「なにするのー?」
「けんー!」
そういうと信長はするりと信秀の腕から降り2mほど離れて信秀の真正面で構えを取った。得物はなく無刀ではあるがスッと芯の通った綺麗な上段の構えだ。
そんな信長を見て信秀は
-親父がまた色々と仕込んでんな…
と道岳に内心愚痴を吐きつつも乗っかることにした。
「剣道ごっこかー!いいぞー!ほれ!打ち込んできな。」
そう言われ信長は口元に笑みを浮かべた。
そして全力で打ち込みに行ってしまった。
2歳児とは思えない俊敏な動きで信秀の懐へともぐりこんでその手を振り下ろす。
本当に刀があったとしたら信秀は間違いなく切られていたであろう一撃であった。
ありえないとしか思えない信長の動きを見て信秀は
-これはちょっと才能ありすぎだろ!?というか親父やりすぎ!!
と、実際は信長の鍛錬と中身の経験によるものなのであるが道岳のせいにされていた。
当の信長はというと
-親父殿とこんな稽古ごとはしたことなかったから新鮮じゃのう。
と純粋に楽しんでいた。
現代の人間である信秀に前世の姿を重ねていた。
ある意味親子でキャッチボールくらいの感覚だった。
「本当に信長はすごい子だなー!剣道ちゃんとやったらきっと日本一になれるな!俺ももっと頑張らなきゃなー!」
そんな親子のひと場面で信秀は今日から始まる議員としての生活に気合を入れなおしたのであった。
その一方で信長の自重の感じられない打ち込みを見ていたコアトリクエ。
「相手が信秀さんだったからいいものの信長さんには年相応の行動するように言っといたほうがいいかなー…。でもたぶん基準が微妙だから言ってもできないんだろうなー…。まぁ身内相手ならできる子くらいで片づけてもくれる…か。」
と真面目に心配はしていたが完全にあきらめてもいた。
そして
「とりあえず順調に進んでるから私も次のミッションやっつけますかー!」
と切り替えて神としての仕事に取り掛かるのであった。
信秀が初登庁を迎えてから3か月が過ぎた。
すっかり秋になり過ごしやすい気温になった。
信長は相変わらずの日々だったが、信秀は日に日に憔悴していっているようだった。
というのも、結局信秀の主張するような政策を通せる見通しが全く立たなかったのだ。
日経平均株価はいまだ上昇を続けており、信秀の言う不況の幕開けの気配がなかったこともあり相手にされていなかった。
与党系議員たちが大半を占める議会において信秀の発言権はほぼないに等しい状態だ。
そんな状態が続いたために信秀も憔悴していたのだ。
そんなある日の夜、信秀が客を連れて帰宅してきた。
その客は同期当選の民自党所属、藤井竜山であった。
藤井とは同期当選かつ共に初当選ということもありそれなりに仲が良かった。
政治的な主義主張は立場的に違うものの気が合うのは確かで友人感覚での付き合いが出来上がっていた。
そしてその日、藤井が道岳に会ってみたいということでスケジュール的にも余裕があった道岳に会わせるために連れてきたのであった。
リビングへと連れ立ってやってきた信秀と藤井。
信長はその藤井の顔を見て目を見開いた。見知った顔であったのだ。
-近衛…じゃな。あれは間違いないはず。猫神!あれは近衛か?近衛前久であるか?
呼びかけられコアトリクエもすぐに応えた。
-そうですよー!信長さんの鷹狩友達の近衛さんです!
-鷹狩の腕はわしのほうが上じゃったがな!親父殿同様に記憶はない…と考えてよいのか?
そんな信長のちっちゃなプライドに笑いを堪えながら応えた。
-…ぷっ。はぁー。えっとその通りで前世の記憶はないです。例外は信長さんみたいにあるんですが基本は魂の記憶は戻らないですから。
-…そうか。にしてもおぬし今笑いおったな?
-えー?気のせいじゃないですかー?それにこっちに気を取られてると会話聞き逃しちゃいますよ?
-…おぬしあとで覚えておれよ。
-聞こえませーん。
そんなふざけたやり取りはあったものの目の前にいる人物が近衛前久の転生体であるということは確認できた。
前世において公家の中でも異質で信長とも気が合い、何かと朝廷が絡む時には窓口になっていた男である。
対本願寺との10年戦争が終結した時には「天下一統の後に一国を与える」とまで信頼していた人間であった。
それゆえにまた話せるなら話したいと思っていたため、わかっていながら記憶の有無を確認してしまったのである。
しかし、近衛が転生してきたとなると信長には一つの疑念もまた沸くこととなった。
本能寺の変に関係している可能性である。
信長が以前に絞り込んだ可能性のある5人には近衛は当然入っていなかった。
だが、ここに可能性が出てきてしまったことで、今現実に目の前にいる近衛改め藤井竜山がどういう人間で、何を目的として藤原家に近づいてきたのか。
この全てを見極める必要が出てきたのだ。
-もし近衛が関わっているのなら朝廷の命であった可能性がある…か。薄い気はするな。繋がりもある。理由もなくはない。しかしそれなら猿が天下を寝取ることはまずなかったはず。
信長はそれでも近衛前久を疑う気はそこまで起きなかった。
近衛を気に入っていたのもあるし、何よりも朝廷が絡んで錦の御旗を光秀が掲げていたのなら秀吉が天下を取る、という史実には至らなかったと考えたからであった。
なのでそこまで警戒はせず、話の流れを見ていこうと考えていた。
リビングには道岳もやってきて、お互い挨拶を交わしていた。
他愛もない会話だ。
あのサニユニの創業者に会えて感激、経営の心得を、といった道岳の来客にはよくある光景だった。
しかしその目から何かの決意があることを道岳は察したようで、話の流れを切り一言放り込んだ。
「藤井くん。世辞はもう満腹じゃからさくっと本題にいかんかね?もしそれがとんでもないことならばわしの書斎のほうがよろしいか?」
道岳の声色が変わったことを察して藤井も本音をぶつけ始めた。
「さすが藤原社長。腹に一物あるのを見抜かれてしまいましたか。それに聞かれて困る話ではないのでこの場で構いません。本日は信秀さんのことで罷り越しました。単刀直入に言います。私は信秀さんと共に新党を立ち上げようと考えています。そのために藤原社長にもお力添え頂きたく本日ここに参上した次第です。」
「ほう。藤井くんは民自の所属であるのにそれを捨てて信秀と新党とな。その理由は?」
「これもまた単純なことです。信秀さんの主張する経済の破綻。私もこれは来年にもそうなると考えています。そしてその手立てが今何もされていないことを考えれば世情はどん底と言えるところまで落ちるでしょう。そうなった時に世の中と自分自身を守るためには今から手を打つこと。その最善策が信秀さんとの新党立ち上げだと愚考したゆえにです。」
この藤井のぶっちゃけに道岳は思わず声を上げて笑った。
「はっはっはっ!まっすぐな御仁じゃのう。堂々と保身も理由だと言ってのけるか。」
「藤原社長を前にして本音を隠すのも意味がないと思い。それに自分の思考を顧みて保身の気持ちが0ではないのもまた事実だったものですから。」
「なるほどのう。なかなかに面白いな。信秀も納得のうえか?」
ここ最近疲れた顔しかしていなかった信秀の目が少し力を取り戻していた。
そしてまっすぐ道岳の目を見て応える。
「じゃなきゃわざわざ連れて来ないよ。それにこの3か月で結局無所属じゃ何もできないのは身に染みたしな。それで藤井と話してたらいっそのことと思ってね。ただまぁ見切り発車でやると失敗するのも目に見えてるから親父の意見も聞いてみようってところだよ。」
「やってみたらいいと思うぞ。実際今のままだったらお前なんもできんじゃろ?藤井くん。君は与党議員の立場を捨てるわけじゃが、与党内でそういった経済破綻の話は出ているのかね?」
「そういう想定をしている人間はいますね。この地価の上昇はさすがに異常だと。ただその後の考えが自身の利権の確保にしか向かないようなのでおそらく政権交代まであると私は思います。ならば転覆する船に乗り続ける理由はないなと。」
「清々しいまでに政治家じゃのう。ならばまずはそのあたり先を見通してるものを抱き込んで5人、理想は10人程度まずは巻き込めたら上手く行くんじゃないか?わしに力を借りるのはそのあたりじゃろ?」
「ご明察通りです。地方議会、国会含めて抱き込むつもりでして。政治情勢を優先できて自身の利権絡みは一旦でも手放せる議員たちを取り込みたいのですが、所詮私も若造でしかないのでご助力頂ければと考えております。」
「じゃがわしとて企業の経営者であって政治家ではない。出来ることは限られておるぞ?」
「そこも当然理解しております。ただ間違いなく私たちよりも顔が利くのもまた事実ですから。」
「顔繋ぎ役か。腹芸はおぬしらよりもよっぽど慣れておるからのう。法に触れん範囲でなら協力しよう。」
この道岳の決断に藤井も信秀も顔がわかりやすく明るくなった。
「ありがとうございます。話を詰めるのは…また後日のほうが良さそうですね。」
それでも藤井は焦らずに時子や春花のいるところで詳細までは語るような愚は犯さずに話を切り上げた。
本当はすぐにでもできる限り具体化させたいのだが、そこはしっかり判断したのだ。
道岳や信秀の身内…当然信頼すべき人間たちであるが、情報はどこから漏れるかわからない。
注意を払う必要はあるのだ。
そういった政治家としての心得はしっかりと持っていた。
この一連の会話を聞いていた信長は
-まっすぐぶつかってくるあたりは何も変わっておらんのう。わしが信頼した近衛そのままじゃ。面倒なことはせんで心根そのままにぶつかってくるからこそ信が置ける。中身が変わっておらんのならこの近衛…藤井は信頼しても良さそうじゃの。
と、今のところこの藤井竜山は信頼を置いても良い人物だと判断した。
その話しぶりに確かに近衛前久を感じたからだ。
そしてさらに思ったのが
-親父殿と近衛が共闘するか。これは楽しみなことになりそうじゃの。突破力のある親父殿と意思を曲げない近衛なら気が合うのも確かじゃろうて。
この2人が手を組むことで何をしでかしてくれるのか。
そんなこの先の展開を楽しみにしていたのであった。
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