13話 信秀の演説
1989年6月25日(日) 午前6時
信秀が選挙演説を行う日が来た。
そのため朝がいつもより早かったらしく信長は春花にまた形稽古の場面を見られるところだった。
タイミングよく小休止を入れたところだったのでそのまま誤魔化し、起きているならということでそのまま春花に連れられリビングへと向かう。
リビングでは信秀と道岳が話し込んでいた。
「中目黒と自由が丘を押さえたは良いとして応援の片方…あれで大丈夫なのか?わしが仲介した手前なんとも言えんが。」
「若干博打ではあるけど知名度のパンチ力…言い方悪いけど集客になってくれればそれでいいし、何より取り込みたい票の年齢層にはハマるのは間違いないからね。」
「念のため殿下にどちらもお願いするか?わしも頭下げに行くぞ。」
「いや、流石にお歳もお歳だし今日の今日でそれを言うのは申し訳が立たな過ぎるよ。当日になってバタバタするんじゃなく予定通り行こうと思う。」
「なんやかんやで肝が据わりおったのう。まぁ今更わしがしゃしゃり出てもお前の選挙にならんしの。」
「親父が表に出たら全部勝手に進めそうだもんな。まぁ実際インパクトは相当あるはずだから。あとは俺の考えを聴衆に刺せるかどうか。反応見ながら上手いことやってみるよ。」
「うむ。お前の意思をぶつけてみぃ!そして道を開いてこい!」
そう言うと会話はひと段落したようで道岳は新聞を、信秀はテレビでニュースを見ながら朝食を進め始めた。
会話がひと段落したのを察して春花は信秀の隣に座り朝食を取り始める。
信長は春花の膝の上で朝食を食べながら考える。
-親父殿の策は誰か人を呼んだと言うことか。それも少なくとも二人。一人は殿下…?帝に連なる者だろうか?それにもう一人は博打とも呼べるような者…ということは政治とは繋がらん人物なのだろうな。祖父上殿が仲介しているとなれば会社で関係のある芸能人の類か?
信長もテレビを見ているので『芸能人』という存在は認識していた。
そして2人の会話を繋げて考えるとその線が浮かんだ。
-いずれにせよ親父殿の手腕を拝ませて頂くとしよう。楽しみじゃな。
と、今後の自身の糧にするために傍観者として今日に臨む腹であった。
午前10時50分。中目黒駅周辺。
信秀は演説の準備をしていた。
通る人々に挨拶をしながら原稿に目を通している。
人だかりもできていた。
ただその集まっている人は信秀の話を聞きにきたというよりは何か誰かが出てくるのを待っているような、そんな雰囲気ではあった。
そんな様子を見ながら信秀は自身の博打の第一義である『集客』には勝ったと感じていた。
それが成功するかどうかは置いておいて、だ。
そしてその時が来た。
11時。演説が始まった。
信秀が使わないと言っていた選挙カーの上に作られた櫓のような場所に立ち、そして話始めた。
『こんにちは!この度東京都都議会議員選挙に立候補した藤原信秀でございます。皆さんもご存じのサニーユニフィケイションの藤原道岳の長男、ということもあって親七光りと思われる方もいらっしゃるかとは思いますが、私の考える今の日本の現状と将来への展望をお聞きください。そのうえで私「藤原信秀」という人物が皆さんの声を代弁するのに値する人物かどうかをご判断くだされば幸いでございます。』
こんな冒頭から信秀の演説は始まった。
簡潔に信秀の主張をまとめるとこうだ。
『現在の好況は続かない。来年には膨らみすぎた分の反動で長く深い不況がこれから始まる』
『政府もそれを認識しているから消費税の導入に踏み切り、さらに先月の利上げと安定財源の確保へと向かった。』
『それは国の財源を潤すものであって国民の生活が潤うものではない。』
『これからくる不況へ向けて今から対策を打つ必要がある。』
『よりミクロに生活を守っていくためには自治体レベルでの対応が必須。』
『今後起きる不況に先回りして手を打つために立候補した。』
『生活保護施策と企業への倒産回避支援策を進める。』
といったところだった。
それに対する聴衆の反応は…正直いまいちであった。
消費税の導入に対する反応はよかったものの、現在の好況が崩壊するとは思われていなかったのだ。
それゆえに信秀の不況が来ること前提での主張は響いていなかった。
その手ごたえのなさを感じていた信秀であったが、どうもそのこと自体は想定内のようで泰然としていた。
そして信秀の言うところの策の第一弾が投入された。
『私の考えに賛同してくださって、この度応援に来てくれた友人達をご紹介します。キス&クライム…キスクラの皆さんです!』
そう信秀が言うと歓声があがる。
これを待っていたのだと言わんばかりだ。
その紹介と共に5人の女性が信秀のいる選挙カーの上に現れた。
手を振りながら笑顔を振りまいている。
それだけで聴衆のボルテージは上がっていた。
少し場が落ち着くと5人の中の1人が話始めた。
その他の4人は信秀の名前が入った看板を掲げながら回りに立っている。
正直内容は無いと言えるレベルであった。
要はすごいやつだからみんな応援してくれと。そして来月シングル出すから買ってくれという自分たちの宣伝も忘れずに。
それでも聴衆は大盛り上がりだった。
これを見ていた信長は考える。
-これは…成果が上がるのだろうか?肝心の親父殿の主張は受け入れられているようには思えない。しかし場は盛り上がっている…。こんなもの…なのか?
信長には疑問しかなかった。
戦国の世であれば政治とは結局のところ武力が前提ではあった。
言い換えると武力で相容れぬ勢力を制圧することもできた。
しかし今の世はそのやり方は通用しない。
少なくとも表に見える部分においては。
武力が使えないのであれば主義主張と自身の魅力。そして根回し等の寝技で立場を作るしかないであろうと考えていた信長はその中の「主義主張」において到底受け入れられたとは思えない信秀のこの演説が成功なのかどうかの判断がつかないでいた。
演説を終えた信秀は次の自由が丘へと移動を開始していた。
信長は春花や道岳夫妻と共に別の車で移動している。
その車内、道岳は不安と不満を吐き出していた。
「あれは完全に失敗じゃろう。あやつの主張は全く響いておらなんだ。名前は売れただろうが票への影響はないだろうし、そもそもあそこに集まってた人間のうち何人が区内の人間なのじゃ…。」
そんな道岳に時子が宥めるように言う。
「そんなことはきっとあの子だってわかってやってますよ。あなたの子はそんなこともわからない愚鈍な子ではないでしょう?名前を売る、その一点に絞っただけのことでしょう。」
「それはそうなんじゃろうがのう…。まぁわしが気に病むことではないか。それよりも早う着いて殿下に挨拶せんとのう。」
と、相変わらず切り替えも早い道岳であった。
だが、信長と同様に先ほどの演説が成功ではなさそう、という感覚は同じだった。
それを確認できた信長は
-少なくともわしの感覚は間違っていない、という事か。しかしあの聡明な親父殿がのう…。奇策すぎたのであろうか…。
信長の感じた感触は道岳と同じだということから信長は今の自身の感覚がおそらく現代の常識から考えても真っ当なものだということを確信した。
しかしそれでもあの信秀がこの結果を読み切れていなかったとも思えなかったのだ。
信長、道岳が不安を覚える中、車は順調に進んで行く。
もうすぐ自由が丘というところで『東京都都議会議員選挙に立候補しました民自党の藤井竜山、藤井竜山でございます。』とあの選挙カーの声も聞こえた。
結構いろいろなところを回っているようだった。
そして20分ほどで自由が丘に到着した。
到着すると道岳はすぐに車から飛び出して行った。
その飛び出した先には1台の車が停まっていた。
-おそらく殿下とやらだろうな。
と、その道岳の様子から信長は察した。
遅れて春花と共に道岳が向かった車へと歩いて行くと道岳とその殿下が挨拶を交わしていた。
「殿下!本日はわざわざ愚息のために御足労頂き感謝の極み。」
「そんな仰々しくせんでもいいじゃないか。第一、殿下と呼ぶのも控えなさい。私は50年前から一般人だよ。そちらは義娘さんとお孫さんかね?」
「左様であります。義娘春花と孫の信長です。」
「はっはっはっ!信長とはいい名前を付けたね。まさに道岳くんのお子さんならではのセンスだ。歴史好きもしっかり子供に受け継がれているみたいだね。」
「お恥ずかしい限りです。その名に恥じぬ人物になるよう日々精進させております。」
「そんなこと言いながらきっと孫にはデレデレなんじゃないの?あ、馬術とか教えるなら紹介するから言ってよ。」
そう言われ道岳は図星で照れ笑いだ。
どうも殿下という人物はなかなかにフランクな人物のようだった。
明らかに老人。それも相当に。
しかし道岳の態度口調がここまで変わる人物。
信長は確かに大物なんだろうと感じていた。
武宮 常崇。御年80歳。
太平洋戦争を生き抜いた元皇族で、戦後に皇族離脱。
馬術を好み、様々なスポーツを愛し発展に貢献してきた元皇族である。
話ぶりからもわかるように元皇族だからといってそれを全面に押し出すような人物ではない。
むしろ親しみやすさを感じるような度量の深さが伺えた。
「今日は信秀くんの応援だ。もうすぐ着くのだろう?一緒に出迎えようじゃないか。」
そういうと武宮は車を降りた。
そんな様子を見て信長は
-出来人じゃな。この男と繋がりを持っている祖父上殿はやはり相当な立場なのだろう。それに『50年前から一般人』ということはそれまで一般人ではなかった…帝の傍流か何かなのだろうな。
何気ない一言から信長は答えにたどり着いていた。
そしてこの人物が影響力を大衆に対して発揮できるのなら信秀の勝ち筋はここにあるのだろうということも感じていた。
そして遅れること3分ほどで信秀も到着した。
信秀も道岳同様に車から飛び出してくる。
「武宮様!本日は本当にありがとうございます。無理を聞いてくださって感謝の言葉もありません。」
「信秀くん…本当に君は道岳くんの子だねえ。さっきの道武くんと同じこと言ってるよ。」
と、笑顔で信秀に応える武宮。
それを受けて信秀は照れ笑い、道武は恐縮、といったところだった。
そんな2人を見て武宮は笑い声をあげ、そして真面目な顔に切り替え言った。
「私は信秀くんの言う通りこの景気は続かないし、今から手を打たないと20年くらいは日本が死ぬと思ってる。それを感じている若者を応援しに来たんだ。いいところ見せてくれよ?」
「はい!」
信秀がまっすぐ武宮を見据えよい返事をしたところで再度演説の準備が始まった。
ボランティアのスタッフたちが慌ただしく動いている。
武宮と道岳一向は控室代わりに貸し切った喫茶店へと入って行った。
14時。自由が丘駅前。
信秀の2回目の演説が始まった。
絵面は変わらず車の櫓の上だ。
信秀が話す内容も変わらない。
しかし最後の切り札が違った。
『本日は私と同じように今後の不況が起こると、そして手を打たねばならぬと考えておられ私の考えに同調してくださった元皇族、武宮 常崇様が応援に駆けつけてくださいました。東京オリンピック開催にも尽力されたあの武宮 常崇様です。』
そう紹介の一言と共に武宮が櫓へと上がった。
そして信秀の主張が真っ当であることを説いていく。
聴衆の反応は中目黒とは違い、聞き入って考えている様が見て取れた。
信長もこの反応の違いを見て信秀の意図に気づいた。
-親父殿得意の印象操作だったか。親父殿は無所属で後ろ盾がない。だからこそ名前を売るための一手。そして自身の主張に正当性を感じさせるための一手としてこの元皇族。この二手でそれぞれ話題を振りまくと広まって行く頃には聡明かつ有名な人物、となる狙い。なるほどのう。相変わらずの親父殿じゃ。自身に足りぬものを人の箔で補い、話が広まり方で印象付ける…か。今の世ならではの狙い目じゃな。情報戦はわしも突き詰めるべきじゃのう。
派手かつ正当性。
この2面が信秀の狙いだった。
そして信長もその意図へとしっかりとたどり着いていた。
おそらく道岳も気づいたようで納得顔だった。
演説が終わり武宮へ感謝を述べに行く信秀。
そんな信秀に武宮は手を取りながらまっすぐに信秀の目を見て言った。
「信秀くん。私は所詮死にゆく老兵だ。年齢も年齢。この先の日本を創っていくのは君たちの世代だ。そんな世代からちゃんと時代の流れを見えている人物が出てきたことが素直に嬉しい。だから今日ここに来たんだ。道岳くんとの交流があったからじゃなく、君の考えに真に同調したからこそ来たんだ。これからの日本を頼むよ。時代の先駆けとなってこの愛すべき国をさらなる発展と幸福にあふれた国へと導いてくれる人物になってくれ。君ならきっとやれるから。」
「そんなに評価してくださっていたなんて…。武宮様!僕は必ず成し遂げてみせます。武宮様の思い描くような幸福にあふれた世の中にしていくためにも…自分の意思を貫いてみせます!」
「うん。よい目だ。きっと君ならやれる。そして君の子、信長くんにも自分の背中で見せてあげなさい。伝えるべくを伝えなさい。そうやってより先の世まで切り開いていけるよう精進していきなさい。未来を創るのはいつだって若者だ。頑張りなさい。」
「はい!本当にありがとうございます!」
そんな会話がなされた後、武宮を乗せた車は去っていった。
信秀は武宮の激励の言葉に感涙しながらも選挙活動のため車に戻って行った。
そして信長は思案していた。
-幸福にあふれた世…か。今の世において考えるべくはそういう思考なのか。幸福…それはなんぞや。十人十色であろう。大望を語りそれを実現する。わしにとってこれ以上の幸福はない。いや…なかった。両親がいて暖かい家庭がある…これもまた幸福。様々な幸福の形があってそれが実現する世の中。こんな世を創る…なるほどのう。儚き人間を堪能する…だけではなく、強者も弱者もひっくるめてまっすぐに進める世の中だろうか?まだまだ考えも今の世の求むるところも知らんといかんな。
信長の中で目指す世の中が朧気には見えてきたようだった。
まだ2歳。やれることも学べることも無限にある。
信長は改めて本来ならあり得ない学びができている現状に感謝した。
-こんな幼年から思考できていれば時間も足らすことはできよう。わしの新たな人間がようやっと始まった気がするのう。
武宮の言葉に信長もしっかりと感化されていた。
この日のこの邂逅が織田信長改め藤原信長の現代社会での天下取りのスタートラインになった。
ちなみに武宮はこの3年後、日本が不況の真っただ中にその生涯を終えることになった。
「託すべきは託した。あとは若い世代がやってくれる。」
そう言い、死に際のその表情は晴れやかであったそうだ。
先人の想いを受け取った信秀。そして信長。
この親子が確かに時代を切り開いていくことを武宮は予感…確信して世を去って行ったのであった。
そんな2度の演説を終え、藤原邸へと帰宅した一行。
投票は1週間後だが道岳はすでに信秀の当選を確信しているようだった。
「やはり殿下の言葉の重みは違ったのう!それに信秀の戦略も全部を通してみたら見事なもんじゃった!」
そんなテンションの道岳に時子が一言差し込む。
「手のひら返しがすごいことですね。あんな言い方してたくせに。」
「五月蠅いわい。最初だけ見ておったらああなるじゃろ。」
「わからないでもないですけどね。でも自分の子がすることは人の道を反れてないのなら信じて最後まで見届ける度量は持ちましょうよ。」
「うっ…そうじゃな。時子の言う通りじゃ。」
しっかりと言い込められる道岳。
そんなやり取りを見て信長は
-やはり祖母上殿が最も強者なのだな…。
などと思いながら信秀にとっても信長にとっても有意義だった1日が終わっていった。
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