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8話 そのために来たんです

「僕はもう、戦えないよ。さよなら」

 

 十年前、俺は勇者をやめた。

 

 正確には、聖剣を失ったフリをして、家代わりでもあった教会を飛び出したのだ。

 教会は俺の言葉を信じ込んだ。なぜなら〈白き方舟(ヴァイス・アルヒェ)〉は、ありとあらゆる場所を探しても見つからなかったからだ。

 〈白き方舟(ヴァイス・アルヒェ)〉は虚空に消えたのだ。他でもない、俺自身の手によって。


 突然の出来事に騒然とする民衆に、教会は勇者としての適正が失われたと説明した。

 まさに「失格勇者」。勇者としての俺の最期を、民衆は嘲笑った。

 勇者の力は聖剣あってこそのもの。力を失った勇者に、教会は見向きもしない。

 一生の身の安全を保証する――――勇者となる報酬として聞かされた言葉はどこへ行ったのか、教会は使えなくなったガラクタを捨てるように、逃げ出した俺を見放した。


 教会を飛び出した俺は、中央(セントラル)を出ることはせず、その中を彷徨った。

世界で最も発展している中央(セントラル)は、働くのに最も適した場所だった。親もなく、養ってくれる者もいなくなった俺は、なんとかここにしがみつき、生き延びるしかなかった。

出店や宿屋で働かせてもらえるよう、その主人たちに話を持ちかけて回った。


「――出て行け! 『失格勇者』なんぞに働かせる場所なんてねえんだよ!」

 

だが話さえ聞いてもらえず、そのたびに痛めつけられ、店から叩き出された。


「――無理だね。『失格勇者』なんて入れたら、うちの評判が下がっちまう」

「――馬鹿が。お前みたいなのを雇う奴がいるわけないだろ。『失格勇者』が」


 どんな仕事場も選ばずに声をかけた。だが、雇ってくれる人は一向に現れなかった。

 それでも、探すしかなかった。空腹に襲われ、路地裏に捨てられたゴミとも呼べる食べカスで命を繋ぎながら、毎日働き口を探した。


 ある日、ついに見つけた。中央に新たに開店した、腕のいい料理人の料理店だ。

 発展地である中央(セントラル)には人々の流入も多い。地方から中央に移り住み、勇者の顔を知らない主人が、何知らぬ顔で快く俺を迎えてくれた。

 

 俺は裏方で働き、店の繁盛のおかげもあり、人らしい食事にありつけるようになった。

 

 だが、そんな日々は長くは続かなかった。

 

 開店して数日後のある日、その店は原形もとどめぬほどに潰されていた。

 俺の正体を知った主人は、怒りに駆られた表情で俺を殴りつけた。


「――今まで俺たちを騙してやがったんだな! 消えろ! この悪魔が!」


 そうして、俺は再び居場所を失った。それでも、次の食い扶持を探すしかなかった。

 新しい仕事場で働き、追い出されを繰り返して、なんとかこの世にしがみついた。

 

 空腹は、食事をすることで多少誤魔化すことができた。だが。

 人々に非難され、心に染みついた傷は、何をしても癒えることはなかった。

 夢にまでうなされた俺は、毎晩涙が枯れるまで泣いた。


「なんで……なんで、僕だったんだよ……っ!」


 どうして勇者に選ばれたのが、よりによって自分だったのか。勇者でなければ、もっと違った人生を歩めていたんだろうか。


人々のために戦った。だがその人々には嫌われ、抱いていた希望に裏切られた。


俺は自分の運命を呪った。そして他人を避け、一人で生きるようになった。




~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~




 月の光が差し込む、借家のベッドの上で、アルスは目を覚ました。

 寝ぼけ気味の頭と、少しだけ開いた視界に、自分が眠っていたことを理解する。


「…………また、あの夢か……」


 先程まで見ていた、子どもの頃の夢を思い出し、億劫そうに息を吐く。

 半端な時間に寝てしまったせいで、真夜中に起きてしまったらしい。


「寝るか……」


そう呟き、再び目を閉じる。すると、



「んぅ…………っ」



 突然近くで聞こえた艶やかな声に、アルスは目を開いた。


「っっ――!?」


 そして、気づいた。彼の目の前に、何者かがいることを。


「すぅ……すぅ……」


 アルスの眼前に、すやすやと眠るダークエルフの少女の顔があった。

 白い寝間着姿のソフィーが、アルスと向かい合って眠っていたのだ。


「こいつ! 何やってんだ!」


 アルスは横になったまま、咄嗟に距離を取ろうとする。だが。

 その途中で、あることに気づいた。


「すぅ……」


 僅かに動いたソフィーの体。その胸元の寝間着がはだけ、褐色の肌が顕わになっていた。


「なっ……!」


 見えそうで、見えない。だがあと少しでも動けば、見えてしまいそうだ。


「…………」


 見てはいけないと頭が警告する。だが、視線が外れない。その胸元に釘付けになる。

 ドクン、ドクン。高鳴る心臓の音に合わせて、思考の枷がだんだんと緩んでくる。


 少しくらいなら、見てもいいんじゃないか。その思考がどんどんと溢れていき――――。



「――――えっち」



「っっ――――!?」


 突然聞こえた声に、アルスは視線を上げた。


「アルスさんの、えっち」


 そこには、悪戯っぽい笑みを浮かべてアルスを見つめる、ソフィーの顔があった。


「てっ、てめええええええええええっっっ!!」


 一気に赤面し、慌てて飛び退こうとするアルスの首元に、腕が回される。


「逃がしません」


 ソフィーは優しい笑顔でそう言うと、アルスの頭を軽く抱いた。


「!?」


 眼前に胸元の褐色の肌が広がり、アルスは慌てて目を瞑る。


「……てめぇ、どういうつもりだ……! さっさと離せ……!」


「駄目です。どうかこのまま、私の話を聞いてください」


「ふざけんな。なんでお前がこんな所に……」


「なんでも何も、私の寝床が無いみたいだったので、仕方がないじゃないですか」


「寝床……? ……あ」


 そういえば、ソフィーの寝床のことを考えていなかった。この家には自分用の寝室と、シャルミィ兼アリシア用の寝室、そして三つのベッドしかない。

 しかも帰って早々に寝込んでしまったので、その件はほったらかしになっていた。


「だからってなんで俺のベッドに……! あいつらのとこに行けばいいだろ……!」


 そう言うと、ソフィーは少し寂しそうに眉をひそめた。


「……アルスさんが、とても悲しそうでしたから」


「は……?」


「アルスさん、泣いてました。寝ながら、ずっと」


「え……」


 そう呟くアルスの目元は、かすかに赤く腫れていた。


「そんな姿、シャルちゃんやアリシアさんには、見せたりするんですか?」


 ソフィーは微笑むと、首を横に振った。


「いいえ、二人にも見せないでしょうね。あなたは、そういう人だから」


「…………今日会ったばっかの奴が、俺の何を知ってんだよ……」


「知っていますよ。あなたが自分より、他人のことを想ってしまう人だということを」


 ソフィーはそう言って、語りかけるように話す。


「あのオークたちに、自分のことをどんなに言われても動かなかったのに、私が手を上げられそうになった途端、あなたは助けてくれましたから」


「……そんなの、たまたまだ。あいつらが気にくわなかっただけだ」


 無愛想に言うアルスに、ソフィーは苦笑して口を開く。


「…………今だけは、意地張るの、やめませんか?」


「……?」


 ソフィーは目を瞑っているアルスの顔を優しく見つめ、再び口を開いた。


「…………聞きました。アルスさんの昔のこと」


「っっ――」


 その言葉に、アルスは少しだけ動揺を見せる。


「勇者として魔王を倒してから、あなたに何があったのか」


「…………」


「私、全然知りませんでした。勇者をやめたあなたが、どんな境遇で生きてきたのか」


 ソフィーはそこまで言うと、悲しげに目を細めた。


「辛かったですよね。苦しかったですよね。きっと、想像もつかないくらいに」


「やめろ……」


 そう言うアルスの表情が、少し強ばる。


「この世界に暮らす人々を、幸せにしたかったんですよね」


「やめろって、言ってんだろ……っ!」


 途端にアルスの顔が険しくなり、瞑った目が揺れ動いた。


「我慢しなくて、いいんですよ」


 ソフィーは柔らかく微笑むと、目を瞑る。

 そして、アルスの頭を思いっきり胸元に抱き寄せた。


「っっ――!」


 顔を包み込む柔らかな感触に、アルスは動揺して目を開く。


「おまっ! 何をっ!」


 アルスは暴れるが、ソフィーはちっとも離そうとはしない。


「あなたが本音を話してくれるまで、離しません」


「………………、なんの、ことだよ……」


 しばらくすると、アルスは観念したのか、身動きを止めた。


「…………」


 柔らかな感触と、いい匂いに、アルスの体から力が抜けてゆく。

 すると、目を閉じ、微笑んだソフィーが再び口を開いた。


「あなたは天邪鬼で、素直じゃない人だから、自分の気持ちを包み隠してしまいます」


「……」


「だけど、あなたのその気持ち、私には、見せてくれませんか?」


「……っ」


 ソフィーの言葉に、感情が揺さぶられる。


「シャルちゃんや、アリシアさんに見せない姿でも、私にだけは、見せてもいいんですよ」


「っっ~~~~」


 閉ざしていた感情の枷に、ヒビが入る。


 ソフィーが目を開く。透き通った赤い瞳が、アルスを優しく見つめた。


「言いましたよね。私は、あなたを甘やかしに来たんです。そのために、あなたに会いに来たんですから」



「……っくぅ――――うあああああっっ!!」



 アルスの感情が爆発し、大きな泣き声と共に、その目から大量の涙が流れ出る。


「あああああっ!」


 胸の中で泣きだすアルスを、ソフィーは穏やかな表情で見つめた。


「ずっと、苦しかったんだよっ! 死ぬほど、苦しかったんだよぉ……っ!」


「そうですね」


 アルスの揺れる声を、ソフィーは優しく受け止める。


「魔王がいなくなって、みんなが幸せになればいいって、そう思ったんだよ……!」


「はい」


「だから勇者になったんだっ! だから頑張れた! だから厳しい修行にも耐えた!」


「はい」


「だけど、みんな俺を目の敵にした……っ! ああ当然だ、だって俺は人間でも亜人でも形振り構わず殺す、人殺しだったんだからっ!」


「……」


「俺は頑張ったよ! でも救えなかった! 傷ついた人を見殺しにしかできなかった!」


「……」


「救った人たちには虐げられたっ! みんな俺のことを、悪魔だって言ってたよ!」


「……」


「なんで俺だけが、こんな目に遭わねえといけねえんだよっっ!」


 部屋の中に、アルスの怒りが響き渡った。


 その叫びを最後に、アルスの力は抜け、すすり泣くように静かに涙を流した。


 すると、ソフィーは目を瞑り、さらに強く、アルスを抱きしめた。


「……たしかにあなたは、なりたかった勇者にはなれなかったのかもしれません」


 そう言って、ソフィーは再び目を開いた。


「だけど、これだけは覚えておいてください。あなたは、あなたに憧れを抱く人にとっては、とても立派な勇者であったということを。そして人々の中には、あなたに感謝している人も必ずいるはずです」


「っっ」


 その言葉に、アルスの表情が少しだけ揺らいだ。


「あなたは魔王を退け、世界を救った。それは他でもない、あなたしかできなかったことです。私はそんなあなたを、とても誇らしく思いますよ」


 ソフィーは優しい口調で言うと、柔らかく微笑んだ。


「たとえ世界中の人々があなたを否定しても、私があなたを肯定します」


「…………」


 その言葉を聞いて、アルスは少し安心したように、ゆっくりと目を細める。


「今日は私のせいで疲れさせちゃいましから。ゆっくり、眠ってくださいね」


「…………」


 すると、彼の瞼が、ゆっくりと閉じられた。


 しばらくして、すぅすぅと、安定した寝息が聞こえてきた。


 ソフィーはアルスから離れると、彼の寝顔を覗き見る。

 その穏やかな顔を見て、彼女は思わず笑った。


「子どもみたいな、可愛い寝顔……。こんな顔も、してくれるんですね」


 ソフィーはそう言って、しばらくアルスを見つめる。

 そして不意に、愛おしそうに眉をひそめると、ゆっくりとその顔に近づく。


 そして、顔がくっつきそうなほどに近づくと、


「ずっと、大好きだよ…………アルスくん」


 ソフィーはアルスの額に、そっと口づけをした。

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