6話 炎帝
そのまま、アルスはギルドの出口へと向かう。だが、
「――待て、『失格勇者』」
聞き覚えのある男の声に、彼は呼び止められた。
振り返ると、ギルドの奥から、不敵な笑みを浮かべた長身の男が歩いてくるのが見えた。
頭部以外に着込んだ、派手な赤色の鎧とマント。背中にかけた一振りの長剣。
後ろに掻き上げた短い金髪。切れ長の目と、自信に満ちあふれる整った笑い顔。
女を惑わすような美男といえるその男は、アルスよりも一、二、年上に映る。
「――おい、見ろよ……。『炎帝』だ……『特許等級』の」
「――『炎帝』に絡まれるたあ、『失格勇者』の奴、何やらかしたんだ?」
途端、ギルド内の冒険者がざわめき出す。『炎帝』という言葉を口に出しながら。
「何か用か、ガラハルド」
アルスが非交友的な眼差しで、その男、ガラハルドに問いかける。
ガラハルドは立ち止まり、アルスとその隣にいる、きょとんとした顔のソフィーを見る。
「なに、何やら騒がしいと思って出てきてな。珍しく貴様が暴れていると思えば」
ガラハルドはふっと笑い、アルスに向き直ると、訳知り顔で口を開いた。
「女か、『失格勇者』」
「違う。少しムカついたから相手してやっただけだ」
アルスの答えに、ガラハルドはやはり訳知り顔のまま笑う。
「何だ、違うのか? 貴様が諍い事をふっかけられるのは、今日に限った話ではあるまい」
「…………しつこいぞ。用がないなら、俺は帰る」
試すような口調に、アルスは敵意を含めて応え、出口へと歩き出した。
だが、その途端、ギルドの出口の前に、突然幾本もの火柱が燃え上がった。
「っっ――!」
「まあ待て。用ならばある」
そう言ったガラハルドが目を向けたのは、床に伸びているオークたちの姿。
「この男らは教会の御用達でな。こんな風にされては、俺としても見過ごすことができん」
ガラハルドはそう言うと、背中の剣の柄に手をかける。
左腕に帯びた、白い腕章が揺れる。それは、彼が教会の構成員であることを示していた。
「この『炎帝』――――ガラハルド・イースベル、貴様に決闘を申し込もう」
その言葉と共に振り抜かれたのは、透き通るような光沢を放つ、深紅の剣だった。
その光景に、ギルドの冒険者たちが、より一層ざわめき出す。
「――抜いたぁ! 『炎帝』が抜いたぞ! 」
「――『炎帝』と『失格勇者』の決闘だって!? こりゃあ面白いもんが見れそうだな!」
ガラハルド・イースベル。教会が構成する兵団の兵士長にして、中央で一、二を争う冒険者。その強さから、『炎帝』の異名を我が物とする。
討伐依頼は一人では受注できない。だが、それには一つ例外がある。
冒険者の中でも、圧倒的な強さを持っていること。その強さを認められた者は、一人で討伐依頼を受注できる。それが『特許等級』。ガラハルドが属する等級だった。
「アルスさん……」
隣にいるソフィーが、心配そうな表情でアルスを見つめる。
アルスそんな彼女を見てため息をつくと、ガラハルドの方を向き、首を横に振った。
「断る。夕飯作って待ってる奴がいるんでな」
このオークたちが教会の御用達というのも、俺につっかかるための作り話だろう。
それに決闘などやっても得などない。決闘を受ける理由は、一つもなかった。
「また貴様はそうして逃げるのか? 十年前のように」
「……なに?」
だが、その一言に、アルスの思考は釘付けとなった。
「十年前、貴様は逃げた。名誉ある勇者という立場からな。奇跡の力を授かり、世を照らす存在として生きる責務を、貴様は自ら棒に振ったのだ」
そう言うガラハルドの微笑みが微かに崩れ、そこから少しの怒りが垣間見えた。
「力を持ちながら正義を行使せず、自ら剣を捨てるとは、まさしく『失格勇者』よ」
その言葉に、アルスは顔つきを険しくし、ガラハルドを睨んだ。
「……あんなものに、名誉なんてない。あるのは血にまみれた、偽善の産物だけだ」
「失笑よ。それは貴様が至らなかっただけの話」
ガラハルドはアルスが怒るのを見て笑うと、自分の胸に手を当てた。
「この俺が勇者に選ばれていれば、貴様のような失敗などしなかっただろうに」
「黙れ……」
やめろ。それ以上言うな。
「貴様は何だ。正義を謳い、多くの人々をその手にかけ、自らはその罪から逃げ出した。これ以上無様な話があると思うか? 『失格勇者』」
「黙れと言ってるっ!」
アルスが痺れを切らしたように、ガラハルドに向かって飛び出した。
「アルスさんっ!」
叫ぶソフィーの声さえも耳に入らず、アルスは腰のナイフを抜き放つ。
ガラハルドは思惑通りと言うようにほくそ笑むと、その剣を縦に振るった。
キィィィィィィィン。長剣と二つのナイフが重なり、甲高い音が響き渡った。
ギリギリと剣が擦れ、その合間から両者の顔が覗き、睨み合う。
「勇者なんて、おとぎ話だ……! 魔王のいない世界に、あんなものは必要ない……!」
「その目よその目! まるで殺人鬼の目よなぁ。貴様にお似合いだなっ!」
キンッという音と共に剣が離れ、また次々と互いの剣がぶつかり合う。
怒り顔のアルスの薙いだナイフを、ガラハルドがすまし顔でかわす。
ガラハルドが振り下ろした剣を、アルスが後方に飛びながらかわす。
その剣が床を砕き、音を立て木片が飛びちる。アルスは着地し、素早く体勢を立て直す。
その戦いに、騒ぎ立てていた冒険者たちは静まり、固唾を呑んだ。
剣を一振りし、埃を払いながら、ガラハルドはアルスを見て笑む。
「茶番はこのくらいでよかろう」
「っっ――――」
その不敵な笑みに、アルスは息を飲んだ。
ガラハルドは剣を前に突き出すと、目を瞑り、口を開いた。
「この地に猛り、燃え上がれ――――〈天より授かりし紅蓮の炎〉」
その瞬間、剣の周りに炎が渦巻いたと思うと、その剣が炎を吸収する。
途端、深紅の剣は赤い光を帯び、黒みの抜けた真っ赤な刀身へとその色を変えた。
それを見た冒険者たちが、たちまちざわめき始める。
「――でっ、出たぞ! あれが!」
「――北国のバハムートを屠ったっていう、『炎帝』の剣だ!」
そんな中、再び目を開いたガラハルドが、アルスの姿をしっかりと捉えた。
「この『炎帝』、押して参ろう」
真っ赤な炎を纏ったようなその剣が、唐突に振り上げられる。
「っっ――、ぐあぁっ!」
その瞬間、突如アルスの目の前から炎が生まれ、その体を後方に吹き飛ばした。
「ぐっ……!」
床に手を着き、体勢を立て直そうとしたところで、左方に膨大な熱を感じた。
「っっ―――!」
すでに、ガラハルドはその剣を横に薙いでいた。
巨大な炎の波がアルスに直撃し、その体を大きく横に吹っ飛ばす。
「ぐあああっ!」
アルスは宙を舞い、勢いよく床を転がると、その場に倒れ込んだ。
「っっ――! アルスさんっ!」
その光景を見て、ソフィーは戦慄するように叫んだ。
ガラハルドは倒れたアルスにゆっくりと近づきながら、ソフィーを見る。
「……あの女はなぜ、貴様を心配している?」
ガラハルドはアルスに向き直り、にやりと笑った。
「大方、貴様に騙されているのだろう。時々いるのよな。勇者だった貴様に憧れを抱く輩が。実物の貴様は、こんなにも空虚な存在だというのに」
その言葉に、倒れていたアルスの腕が床を叩く。
「うる、せえよ……」
ガラハルドを睨みながら、アルスは腕に力を込め、起き上がろうとする。
その様子を見て、ガラハルドは鼻で笑った。
「どこまでも愚かな奴だ。これで終わりにしてやろう――――力無き者よ」
そう言って、ガラハルドが剣を振り上げようとしたところで、
「――それ以上、私の仲間に手を出すのはやめてもらおうか。ガラハルド」
透き通るような高い声が、彼の動きを止めた。
その隣で、彼に差し向けられてたのは、黒と青の混じり合った一本の大剣。
ガラハルドが目を向けた先。そこに、片手に大剣を持った、細身の少女がいた。
胸、腹、脚を鎧で覆い、白い厚布の上衣と、青のロングスカートを身に纏い。
その透き通るような金の長髪は、青いリボンで一つに纏められている。
端正な細面は美麗さを感じさせ、その澄んだ青色の瞳は意志の強さを感じさせる。
その顔つきは十八、九ほどに見える。女性の中では長身といえるが、構える大剣が大きく映るほどに、その体は細身だった。
「…………アリシア」
その少女を見て、ガラハルドは物憂げに目を細める。
「――おい、あれ!」
「――『戦姫』だ! 『炎帝』と同じ、『特許等級』の!」
その少女を目にした途端、またも冒険者たちが騒ぎ立て始めた。
アリシアと呼ばれた少女は、その目をガラハルドから離さぬまま、口を開く。
「……久々に帰ってきて、なにやら騒がしいと思えば、またお前の仕業か」
そこまで言うと、アリシアは目つきを険しくし、ガラハルドを睨んだ。
「アルスに手を出すな。私の友人を傷つける者は、お前だろうと許さない」
凄みを見せるアリシアを、ガラハルドは物怖じせずに見つめ返す。
「アリシア。お前ほどの女が、なぜこの男と共にいるのか。全く理解できんよ」
「お前には理解できないだろうな。とにかく剣を納めろ、ガラハルド」
アリシアは大剣を持つ手に力を込め、目を細める。
「これ以上続けるというなら、私も剣を振るわざるを得ない」
鬼気迫る彼女の表情に、周りにいる冒険者たちも生唾を飲んだ。
「……」
ガラハルドは彼女の表情を見て黙り込むと、
「ふっ」
目を瞑り、〈天より授かりし紅蓮の炎〉を鞘に納めると、後ろを向いた。
「やめておこう。このギルドが壊れてしまったら、俺としても困るのでな」
そしておどけたように笑うと、出口に向かって歩いて行く。
「さらばだ、アリシア。そして、『失格勇者』」
最後に振り返り、勝ち誇ったように笑うと、ガラハルドは去って行った。
「…………ふう」
それを見届け、アリシアは安心したように一息つきながら、腰の鞘に剣を納める。
そして、素早く後ろを振り返ると、倒れているアルスと、それを介抱しているソフィーのもとに駆けつけた。
「あっ……」
アリシアを見て、ソフィーが少し戸惑うように声を上げる。
すると、先程の凄みが嘘だったかのように、アリシアは柔らかく微笑んだ。
「安心してくれ、私は彼の友人だ。君は?」
先程と違う優しい声に面食らいながらも、ソフィーは慌てて口を開く。
「わっ、私はソフィーといいます! アルスさんの仲間です!」
「へえ、知らないうちに仲間が増えたのだな。私はアリシア。騎士だ」
「アリシアさん……? あっ……!」
そこでソフィーは気づいた。アリシアがシャルミィの言っていた「シア」、つまりアルスのもう一人の仲間だということに。
その間に、アリシアはアルスを見つめ、彼の容態を確認する。
「……うん。大きな怪我はないみたいだな。よかった」
アリシアは頷くと、アルスの肩を担ぎ、その体を起こした。
「…………アリシア」
アルスは無表情のままアリシアを見て、悔しそうに歯を食いしばった。
その様子を見て、アリシアは彼に優しく笑いかけた。
「ただいま、アルス。さあ帰ろう。シャルミィが待っている」
アリシアはそう言うと、彼に肩を貸したまま、出口へと歩き出した。
「あっ! 待ってください!」
その後ろを、慌ててソフィーがついていった。