5話 命知らず
夕暮れ時。それは冒険者ギルド支部が一番賑やかになる時間帯である。
任務を終えた冒険者たちが木製のテーブルに集まり、豪勢な酒や料理を片手に大きな声で今日の冒険の話を面白おかしく語り合っていた。
その隅、二杯のコップが慎ましやかに乗った小さな席に座る、二人の姿。
肘をつき、無表情にそっぽを向くアルスと、机に突っ伏したソフィーであった。
あの後、彼らは何とか逃げ切ることができた。だが、当然任務は失敗。報酬を全くもらうことなく、ただただ卓上の葡萄ジュースをちびちびと飲むことしかできなかった。
「…………」
顔を上げたソフィーが、アルスの様子をうかがうように彼の顔を覗き見る。
「…………しゅん」
だが、その不機嫌そうな様子を見て、すぐさま視線を落としてしまった。
そんな彼女の様子を気にすることもなく、アルスはそのまま小さく口を開く。
「…………よくある話だ」
「……え?」
アルスの呟きに、ソフィーの視線が再び上がる。
「新しく組んだパーティの初任務がうまくいかないことなんて、よくある話だ」
そう。連携が取りづらい分、新たなパーティでの任務は難しくて当然だ。
「だが、お前はそれ以前の問題だ」
そこまで言うと、アルスはソフィーの顔を威圧するように睨んだ。
「もう、俺を騙そうとするのはやめたらどうだ?」
「えっ……!? ……はは……もう、何のこと……ですか……?」
ソフィーはその言葉に一瞬動揺した後、ぼけるように笑う、が。
「冒険者のフリすんのは、やめろって言ってんだよ」
「っっ――――」
声音を下げたアルスの言葉に、彼女は笑みを消した。
「致命傷を受けたら一発で死ぬ。冒険者は緊張感のある職業だ。だから新人でもマシな奴が多い。だがお前は、状況判断はできてない、ここぞって時の冷静さも足りない。危機感も足りない」
その言葉に、ソフィーは痛いところを突かれたように顔を曇らせる。
「それに、お前のその格好」
そう言って、アルスはソフィーの体の隅々を見渡す。
「ローブもブーツも、傷一つついちゃいない。それで冒険者だって?」
「っっ……!」
なにも反論できずに、ソフィーの顔には、汗が滲んだ。
そう、こいつは冒険者じゃない。それらしい格好を揃え、そのフリをしていただけだ。
そして、こいつは俺に近づいてきた。何故かはわからないが、何らかの目的で。
「冒険者名乗って、危険な目に遭わせやがって。お前みたいな命知らずが一番嫌いなんだ」
気づくとアルスの口調は、ソフィーを咎め、責めるようなものに変わっていた。
彼は命を粗末にする者が嫌いだった。命をむやみに危険に晒す、彼女のような者が。
「俺を脅して、つきまとって、良い迷惑なんだよ。一体何が目的だってんだ」
彼女はその言葉に、少し傷つくように眉をひそめた。
「なあ、そろそろ教えろよ。お前は、何者だ」
アルスは冷ややかな口調で、ソフィーの目を射抜くように見て言った。
もともとこいつは、教会に追われていた。不法侵入者でないにしても、何らかのタブーを冒していることは確実だ。容赦する必要はない。
「…………」
ソフィーは視線を下げ、だんまりを決めた後、
「…………ごめんなさい……。それは……言えません……」
眉をひそめ、歯がゆそうに口をすぼめて、
「ただ私は、本当に、あなたの側にいたいだけ……なんです……」
ただそれだけ言って、再び黙り込んでしまった。
「フン」
それを聞いて、アルスは聞き出すのを諦めたように葡萄ジュースに口を付けた。
どのみち、俺は勇者の力のことでこいつに脅されている。それがある限り、無理やりこいつを追い出すことはできない。どれだけ問い詰めたところで無駄だ。
アルスが、せめてこの気まずい空気から抜けてさっさと帰ろう、と思っていると、
「――なぁんだ、誰かと思ったら、どこかの『失格勇者』様じゃねえか」
後ろのテーブル席から、嘲るような口調でそんな言葉が聞こえてきた。
そこでは、酔ったオークの男が三人、下衆な笑みを浮かべてアルスを見ていた。
アルスはそちらを振り返ることもなく、面倒くさそうに目を瞑った。
時が経ち、かつて非難の的となった失格勇者は、人々の興味の対象から外れていった。
しかし、今になってもいるのだ。こうしてつっかかってくる輩が。
「見ろよあいつ、愛想ねえぜ。ここじゃいつも一人でいるしなぁ」
「――あいつ、魔物だけじゃなくて、人間も亜人も斬っちまったんだろ? おっかないねぇ。そりゃあ人も寄りつかないわけだ」
「――あんな奴の所属を認めてるギルドもどうかしてるよなぁ。あんな人殺し無理して置いたところで、なんもいいことなんてないっつーの」
それを聞いたアルスは、動じることもなく、ただ小さくため息をついただけだった。
こういうことは、これまでに数え切れないほど言われてきた。だから慣れてしまった。
言われたところで、特に何も感じない。怒りも悲しみも湧き上がってくることはない。
ただ、俺は言われるほどのことをした。いくら言い訳しても、その事実は変わらない。
だから、当然の仕打ちだ。これは、かつて罪を犯した俺が受けるべき罰なのだ。
――――なのに、どうして。
どうして目の前にいる少女は、怒った顔をして立ち上がっているのだろう。
「アルスさんを、悪く言わないでくださいっ!」
ギルドの中に、凜とした声が響き渡った。
ぽけっとするオークたちの前に、ダークエルフの少女が飛び出す。
ソフィーが、見たこともないような怒り顔で、オークたちを睨んでいた。
「アルスさんは素敵な方です! あなたたちには、きっと一生わかりません!」
その大きな声に、周りの冒険者たちも静まりかえり、声の主の方に注目する。
「……おっ、おいおいお嬢ちゃん、ちょっと落ち着こうや……」
ソフィーの様子に面食らったオークの一人が、宥めるように言う。だが。
「アルスさんは素晴らしい人です! 優しいし、かっこいいし、すごく強いんです! そんな人の良さがわからない人なんて愚か者ですっ! ばかっ! ばかぁ!」
「あぁ!?」
ソフィーの勢いはむしろ強まり、歯止めのきかない子どものように、必死で訴えていた。
さっきまで意気消沈してたのに。さっきまで、当の本人に傷つけられていたのに。
どうしてこいつはそこまでして、俺のことを庇う?
アルスはその様子を見て、呆然としながらそう思った。
「あなたたちなんて、ばかです! あ、阿呆です! えっと、あんぽんたんですぅ!」
「何だと! この女っ!」
明らかに言い慣れていない罵倒の文句に、オークたちの頭も熱くなる。
「あまり調子に乗るなよっ! ダークエルフ!」
「きゃっ!?」
我慢を切らしたオークの一人が、ソフィーに手を上げようとした、その時。
「おぶぅっ!?」
そのオークの顔に、たっぷりの葡萄ジュースが浴びせられた。
「そっちから仕掛けといて、自分がキレてんじゃねえよ。ド低脳」
コップの飛んできた先。席を立ったその少年は、アルスだった。
その目線が、ソフィーの方を向く。今にも泣きそうな涙目で、きょとんとした顔だった。
怖いなら、俺なんか庇わなければいいのに。本当に、命知らずな奴だ。
アルスはほのかに微笑んだ後、再びオークの方を向いた。
「悪いがそいつは俺の連れだ。傷つけることは許さない」
「……!」
その言葉に、ソフィーは驚くように目を見開いた。。
「お前ら、そいつじゃなくて俺に用があるんだろ? 相手してやるからさっさと来い」
アルスは構えを取り、前に出した手を前後に振ってオークたちを煽る。
「このガキ、ナメた真似をっっ!」
葡萄ジュースを浴びせられ、激情したオークの一人が、アルスに向かって飛び出す。
「ぬあぁっ!」
力を込めた大振りの蹴り。アルスは容易く横にかわすも、彼の座っていたテーブルが音を立てて砕け散る。オークの持つ力は、人間よりも一段階大きいのだ。
その光景に、ギルド内の冒険者たちが息を飲み、ざわめき出す。だが、
「――喧嘩だ喧嘩だ!」
「――いいぞ! やれやれ! やっちまえ!」
冒険者はもともと荒くれの集まり。その喧嘩を、むしろ楽しむように騒ぎ立て始めた。
「このっ、ちょこまか避けやがって!」
怪力を持つオークの殴打だが、その分鈍い。アルスは素早く動き、攻撃をいなしていた。
「遅いな。出直してこい」
隙を晒す一振りをかわしたアルスが、オークの腹に渾身の突きをかました。
「ぶぅぅっ!?」
鳩尾を突かれたオークは唾液を吐き出すと、その場にばったりと倒れた。
「棒っきれの人間がぁ、オークに逆らいやがって! 調子に乗るなよっ!」
それを見て激高した残りの二人が、一斉にアルスに向かって突進してくる。
一人の突進をいなした後、もう一人の殴打を紙一重で避け、その足に足を引っかける。
「うおっ!?」
オークはバランスを崩すと必死に持ち直そうとし、アルスの前に背中を晒す。
「はぁっ!」
アルスはすかさずその後頭部を蹴りつけ、その巨体を吹っ飛ばした。
「アルスさん! 危ないっ!」
ソフィーの高い声に反応するアルス。その背後には、両手を合わせて上に振り上げ、その拳を彼に叩きつけようとする、もう一人のオークの姿。
「おらぁっ!」
獲った、そう確信して放たれた振り下ろしは空を切り、ギルドの床板にぶつかる。
木板が砕かれ、床に大きな穴が空く。その木片が空中に巻き上がる中。
アルスはさらにその上、オークの頭上に跳躍していた。
「やたらと壊すな。賠償請求が来るだろうが」
アルスは隙だらけのオークの頭の上に着地すると、
「ぶむうぅ!?」
その頭を踏みつけ、先程空いた床の穴に思いっきり突っ込んだ。
木の砕ける派手な音が響いた後、アルスは後ろに飛び、華麗に着地する。
そして、オークたちが動かなくなったことを確認すると、やれやれとため息をついた。
その瞬間、ギルド内に大きな歓声が響き渡った。
物珍しいイベントの見物にのぼせた冒険者たちの声は、ギルドの名物でもある。
その歓声と共に、勝利したアルスのもとに人々が寄ってかかる、ことはなかった。
その代わり、意気揚々とした冒険者が寄って集ったのは、ソフィーのもとであった。
「――お嬢ちゃん、びっくりしたぜぇ? その体からそんな大きな声がでるんだなぁ」
「あはは……すみません、お騒がせしました」
「――なかなか度胸あるじゃねえか! オークたちにあんな堂々と物言うなんてな」
「いえいえ、それほどでも」
「――失格勇者と絡んでるみたいだけど、あいつとはどういう関係なんだ?」
「えっと、それは、ですね……何と言いましょうか……はは……」
ギルドの冒険者に囲まれ、関心の的になったソフィーは、苦笑いで受け答えをしていた。
アルスはそんな彼女を見て、少しおかしそうに、密かに笑みを浮かべた。
少し庇われたくらいで助けるなんて、俺も相当単純だな。
アルスは伸びをし、面倒くさそうに人だかりを横切ると、前を向いたまま口を開いた。
「さっさと帰るぞ」
「あっ……、はいっ!」
ソフィーは慌てて返事をすると、人だかりを抜け、アルスの後ろに駆け寄ってきた。
「また今度でいい」
「……え?」
不思議そうな顔で返事をする彼女を前に、アルスは億劫そうに頭を掻いた。
「いつかは全部話してもらう。面倒だから、今はいい」
「…………」
ソフィーはきょとんとしたまま、そう言った彼の後ろ姿を見た。
「……はいっ」
そして、安心したように柔らかく微笑むと、嬉しそうにそう言った。
アルスは彼女を気にも留めぬまま歩いて行く。
こいつと関わる以上、その秘密は知っておかなければいけない。
それでも、それは今じゃなくてもいいかと、そう思った。