3話 猫人少女
昼時前、アルスとソフィーは中央にある、小さな家の前に立っていた。
そこはエルフが所有する木造の借家で、アルスの生活する住処でもある。
アルスは扉を開けると、玄関から中へと入っていく。
ソフィーは彼に続いて中に入ると、その家の中を見渡した。
外観通りの狭いスペースに、長机と、いくらかのイス。生活感の見える少し汚れた台所。
不要な物が少なく、綺麗に整理されており、奥にもいくらか部屋があるようだ。
そこは狭苦しくもあるが、木の匂いも相まって落ち着ける、良い場所だと感じた。
ソフィーがアルスの家を感慨深く眺めていると、
「――おうアル、おかえり! 今日は早かったなっ!」
家の奥から、活発そうな高い声が聞こえてきた。
声の方を向くと、奥の部屋から、小柄な少女が飛び出してきた。
フードのついた、ぶかぶかの赤の上衣。白のミニスカートからは華奢な脚が伸びる。
その赤髪はふんわりとツインテールにまとめられ、何より特徴的なのは、その頭からピンと立った大きな猫耳と、お尻から生えた細い尻尾だった。
「猫人……?」
それは獣の特徴を持ったヒト、獣人族。中でも猫人と呼ばれる種族の特徴だった。
顔立ちは整い、やや童顔で、ソフィーよりも少しだけ若く見える。
綺麗な黄色の瞳を持ち、八重歯の見える、元気そうな笑顔が印象的な少女だった。
「あり、アルぅ、後ろに誰かいる?」
猫人の少女はひょこっと頭を動かして、アルスの後ろを確認する。
そして、そこにソフィーの姿を認めると、目を見開いた。
「…………あ、アルが、女を連れて帰った~~~~~~っ!」
「このバカ猫! でかい声で誤解されるようなこと言うな!」
「あうっ」
大声を出した少女の頭に、アルスのチョップが炸裂した。
「いちち~、なにすんだよアルぅ!」
少女は頭をさすり、アルスを咎めるように見つめて抗議する。
笑い、驚き、痛がり、怒る。表情も反応も豊かで、とても分かりやすい。
「お前がバカなこと言うからだ。いいか、こいつはただの――――」
アルスは訂正しようとして、言葉に詰まった。
ソフィーのことをどう説明したらよいものか、分からなかったのだ。
アルスはソフィーの方を振り向いて、小声で彼女に呟く。
「おい、お前が無理やりついてきたんだから、適当に説明しとけ」
「あっ、そうですね。わかりましたっ」
アルスの言葉に笑って答えると、ソフィーは猫人の少女の前に立った。
「こんにちは、猫人さん。私の名前はソフィーといいます」
「ソフィーか、じゃあフィーだな。フィーはアルとどういう関係なんだ?」
その言葉に、ソフィーが嬉しそうに胸を張る。なんだか嫌な予感がした。
「私は、アルスさんの許嫁です!」
「…………」
ほら、やっぱりな。
「ええええええええええええええええええええええええっっっ!!」
少女はとてつもなく驚いた声を上げると、ゆっくりと顔をアルスに向ける。
陽気そうな目つきは険しく変わり、その口から発せられる声音は低くなる。
「…………ねえ、アル……、これはどういうことなんだ……?」
その顔には影が差し、責めるような視線がアルスを襲う。
「許嫁がいるなんて話、あたしは聞いてねーぞ?」
理不尽な威圧感に襲われ、アルスは目を閉じると、ため息をついた。
「……全部こいつの嘘だ。お前も簡単に騙されんな」
「そういうこと、あたしには話してくれるって思ってたのにっ!」
「いや、お前話を聞――――――」
アルスの言葉を遮るように、少女がソフィーの目の前に立つ。
「ソフィーって言ったな! あたしはシャルミィ! 許嫁だかなんだかしらねーけど、あたしはアルと一緒に暮らしてるし、アルの料理だって作ってるんだぞ! えへん!」
そう言って、シャルミィはソフィーに向かって誇らしげに胸を張った。
「おい、落ち着け。落ち着いて俺の話を――――――」
「え、アルスさん! 一緒に暮らしてるって本当ですか!? こんな小さな娘と!?」
アルスの言葉を遮るように、今度はソフィーが食いついてきた。
「ややこしくなるからお前は黙ってろ! いちいち誤解される言い方をするな!」
「あーっ! 今小さいって言ったか!? こう見えてシャルは十六だぞ!」
今度はシャルミィが食いついてきて、全く収拾がつかない。
「もう怒った! どちらがアルにふさわしいか、料理で勝負しろ!」
「望むところです! アルスさんの胃袋を掴むのは、この私ですっ!」
「お前ら、俺の話を聞けええええええええええええええっっ!!」
アルスの叫びもむなしく、ソフィーとシャルミィの料理対決が幕を上げるのだった。
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お昼時、料理対決の審査員をすることになったアルスは、長机の前に座っていた。
頬杖をつき、無表情な顔は心なしか不機嫌そうに口角を下げている。
「――まーまーアル、あんま拗ねんなって~。あたしも話聞かないで悪かったよ」
そこに、台所からエプロン姿のシャルミィが顔を出す。
その手には料理の乗った大皿を持ち、漂う湯気がとても良い匂いを運んでくる。
「拗ねてねえよ」
「拗ねてんじゃんか。でも、突然でビックリしたぞ? 新しい仲間ができたなんて。アルが人を連れてくることも珍しいしな~」
「……まあ、な。いろいろあったんだよ」
アルスは顔を背けたまま、複雑な表情でそう呟いた。
あの後、ソフィーはちゃんとシャルミィの誤解を解いたようだ。自分が俺の新しい仲間だと、そう説明したらしい。
「さあアル、珍しく気合い入れて作ってやったから、味わって食べろよ~?」
シャルミィが机に乗せた皿の上には、見るからに美味しそうな光沢を放つ物体。
角切りにした豚肉が、赤黒いソースで煮込まれ、食欲をそそる匂いを醸していた。
「ほう」
こう見えてシャルミィは料理がうまい。アルスと出会い、彼の借家に住み込むようになってから、家事全般は彼女の得意分野だった。
「……おっ、フィーもできたみたいだなっ」
シャルミィの声に、アルスが台所の方に目を向けると、
「うぅ……」
今にも泣き出しそうな顔をしたソフィーが、自分の作った料理を抱えていた。
その皿の上に乗っているのは、黒く禍々しい、不定形に揺れる何か。
見た目からそれが肉料理か卵料理か、はたまた野菜料理かどうかも判別できない。
「おおう……」
得体の知れない物体を見て、アルスは思わずそんな声を上げた。
「どうぞ……召し上がれ……」
ソフィーは覇気のない声でそう言うと、アルスの前にその料理を置いた。
そして、魂が抜けたように呆然とすると、そのまま固まった。
なんでこいつ、料理で勝負しようと思ったんだよ……。
「それじゃあアル、まずはあたしのから食べてみ?」
対照的に自信満々のシャルミィに促され、アルスは彼女の料理を口に運ぶ。
「……!」
口の中でとろけるような食感に、目を見開いた。しっかりと煮込まれた豚肉に、手製のソースの味がちゃんと染みこんでいる。味加減も、火の通りも絶妙だ。
うまい。そこらの料理人に引けを取らないほどに、うまい。
「にひひっ」
だが、予想通りの反応と言わんばかりに笑うこいつに、素直な感想を言うのは癪だ。
「フン、変わり映えしない味だな」
「うんうん、『いつも通り美味しい』か! よっし!」
「言ってねえ」
そうではないと言っているが、シャルミィは納得したようにうんうんと相づちを打つ。
これは、数年の付き合いでアルスの扱い方を覚えた、彼女なりの解釈の方法であった。
「~~~~っ」
彼女の横では、ソフィーが焼餅を焼くように頬を膨らませていた。
なんでそんなに必死になるんだよ。料理対決くらいで。
「じゃあ、次はフィーの料理だな!」
「……」
シャルミィに促され、アルスはその物体を見ると、目を細める。
「…………はぁ……」
だが、そのうち覚悟を決めたように、ソフィーの料理に手を付け始めた。
せっかく他人が自分のために作ってくれた料理だ。見た目だけでそれを蔑ろにするのは、さすがのアルスでもできなかった。
「あうあうあう……」
心配そうに見るソフィーを横目に、アルスは料理を口に運んだ。
「…………」
もきゅ、もきゅという食感。自分が何を食べているのか、口に入れても全く分からない。
だが、苦かったり、味が強烈過ぎるということはなかった。
部分部分で味加減がまばらだったり、固さがが変わってしまったりしてはいるが。
それでもまあ、食べられないということはない。
「…………フン、普通だな」
「え……?」
アルスの感想に、ソフィーが意外そうに目を見開く。
そんな彼女の耳元で、シャルミィが笑顔で囁いた。
「『普通に美味しい』ってさ」
その言葉を聞いたソフィーは、ゆっくりと両手で口を押さえ、
「~~~~~~っ」
とても嬉しそうに目を細め、長い耳をパタパタと動かした。
「…………はぁ」
アルスはそんなソフィーの反応を見て、顔を逸らした。
そんな顔されたら、こっちまで恥ずかしくなるだろうが。
シャルミィは料理対決などもうどうでもいいのか、ソフィーの頭を撫でて笑っていた。
そうして、二人料理対決は幕を下ろした。
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同じくお昼時、アルス達は昼食を摂りながら、三人で机に座っていた。
「改めまして、私はソフィーといいます。先程アルスさんの仲間にしていただきました。これからよろしくお願いしますっ」
ソフィーが礼儀正しく自己紹介すると、シャルミィが明るく返事をする。
「おう。あたしはシャルミィ。この家で家事をしてるんだ。よろしくな、フィー」
「はいっ、シャルミィさん」
「さんはいらねーって。シャルでいいぞ」
「……じゃあ、シャルちゃんで」
気さくに言うシャルミィに、ソフィーは柔らかく笑って応えた。
さっきの料理対決の影響か、この二人、すっかり仲良くなったらしい。
自分の素性も明かさないソフィーを、シャルミィは不審には思わないのだろうか。
いや、そもそもこいつは、そんなもの詮索してどうこういう奴でもなかったな。
「……ったく、貴重な食料を豪快に使っちまいやがって」
アルスは目を瞑り、さらに作られた料理を食べながら小言を言う。
「まあまあ、新しい仲間が入るめでたい日だし、ご飯くらい奮発しないとな!」
シャルミィがそう言ってソフィーを見ると、彼女は照れくさそうに頬を掻いた。
「それにシアが帰ってくれば、またたーんとお金も入ってくるだろ」
「?」
聞き慣れぬ呼び名に、ソフィーは首を傾げる。
「それに、アルも今朝はギルドで稼いできてくれたしな~」
その言葉に、アルスの顔がギクッと強ばる。
「…………いや、今日は、何も受注せずに帰ってきた」
「………………は?」
食卓に、不穏な空気が流れ始める。
「一日一つは依頼こなすって、約束したよな……? なんで帰ってきたんだ……?」
目つきを鋭くし、声音のを下げたシャルミィが、威圧するようにアルスを見る。
「……良い依頼が残ってなかったんだよ」
「アルぅ~~~~?」
「…………」
その冷たい視線から、思わず目を逸らしたアルスの首筋に、汗が伝う。
くそ、まさかこんなところでバレてしまうとは。
こいつと出会ったのは四年前だが、最初の頃はずっとこうして睨まれてたな。
シャルミィはやがて、痺れを切らしたように元の顔つきに戻ると、
「ばかアルっ! うちは貧乏なんだから、お前が頑張らなきゃダメだろーっ!」
アルスを思い切り叱り飛ばした。
「えっ、ちょっと待ってください。アルスさん達って、貧乏なんですか?」
「……金があったら、こんな狭苦しい家には住んでねえよ」
疑問を投げるソフィーに、アルスは耳が痛そうに片目を閉じて答えた。
ソフィーは改めて部屋の中を見渡し、その狭さを見てその言葉に納得した。
「そうですね……。あっ、それと、『シア』さんって一体……?」
「ああ、そうだったな。シアはあたしたちのもう一人の仲間だよ。フィーのこと、シアにもすぐ紹介したかったけど、なあアル、シアは今どこにいるんだっけ?」
「危険種の討伐依頼で、中央外に滞在するんだと。死にたがりのバカだな、あいつは」
「こらばかアル! 誰のおかげであたしたちが生活できてると思ってるんだよ~!」
アルスの言い草に、シャルミィが彼の頭をべしっと叩く。
「ってーな……」
たしかにあいつの稼ぎには少し……どころか、かなり助けてもらってはいるが。
なんであいつは、ちっとも稼げない俺なんかとパーティを続けてるんだろうな。
「まあそういうことだ。そいつは今はいない。今日の夜には帰ると言っていたが」
「そうなんですね。アルスさんのお仲間さんなら、ぜひご挨拶したいです」
「にひひっ、今日は丁度四人揃うからな。夕ご飯も豪勢にするぞ! あ~あ、アルがちゃんと依頼を受けてくれれば、もっと奮発できたんだけどな~」
シャルミィがわざとらしく言うと、アルスの肩がギクッと動いた。
「……一人じゃ討伐依頼も受けられないんだよ。それ以外の依頼を受けても、たいした稼ぎにならねえじゃねえか」
実際討伐依頼以外となると、討伐とも呼べない害獣の駆除や、植物や鉱物の採取依頼などしかなくなる。それらの依頼は討伐依頼に比べて、格段に報酬が少ないのだ。
「あ~、またそう言って屁理屈言って! 少ない報酬を積み重ねるための一日一依頼だろーが! せっかくあたしが一生懸命家事とかしてんのにーっ!」
「頼んでねえよ」
「なにをーっ!」
アルスとシャルミィが、だんだんと喧嘩でもしそうな雰囲気に包まれているところで。
「あのっ!」
横から聞こえた凜とした声が、アルスの視線を引き寄せた。
そこには、自信満々な笑顔で自身の胸に手を当てる、ソフィーの姿があった。
「それなら私と行きませんか! 討伐依頼!」