25話 失格勇者と喪失癒手
「シアっ!」
シャルミィが叫ぶも、アリシアの体は動かない。目を瞑り、気絶しているようだ。
「これで邪魔者は消えた。さあ、御令嬢の身柄をいただくとしようか」
ガラハルドはアリシアから視線を外すと、今度はソフィーを見据えた。
「っっ――!」
瞬間、アルスが歯を食いしばり、地面に足をつく。
「ぐぅっ……!」
途端、体に激痛が走る。だが、気にしてもどうにもならない。
この世界に回復魔法などない。今頼れるのは、傷ついたこの体だけだ。
どれだけ絶望的であっても――――それでも今は、立ち上がらなければ。
「アルスさん、ダメですっ! 傷が開いちゃいますからっ!」
心配そうなソフィーの言葉に構わず、アルスはシャルミィの方を向く。
「シャルミィ、ナイフを返せ……。そいつが必要だ……」
「馬鹿かアルっ! そんな体で何言ってんだ! マジで死ぬぞっ!」
シャルミィまでもが緊迫した表情で、彼を咎める。
「言ってる、場合かよ……。今あいつを止めなきゃ、全部終わりだろ……」
アルスは微かに揺れる視界の中、前方に佇むガラハルドを見つめた。
絶望的な状況だった。アルスは負傷し、希望の綱だったアリシアは敗れた。
そんな彼らを、さらなる危機が襲う。
「…………!?」
コツコツコツ――と、何かが近づいてくるような音に、アルスは顔を上げた。
ソフィーやシャルミィ、冒険者達まで、だんだんと強まるその音に周りを見渡した。
そして次の瞬間、ガラハルドの後方にある、壁の扉が勢いよく開かれた。
「なっ……!」
そこからジャーマル通りへと入り込んで来たのは、数多くの教会構成員だった。
「――後ろにもいるぞ!」
冒険者の声に、アルスがバッと振り向く。
すると、彼らの進んできた道の方からも、何十もの教会構成員がやって来ていた。
構成員達は、ガラハルドの後ろと、アルス達の後ろを塞ぐようにして立ち止まる。
進路と退路、両方を塞がれ、アルス達にはもう、逃げ道は残っていなかった。
「くっ……!」
絶望的な状況に、アルスは俯き、歯を食いしばった。
構成員の一人が、ガラハルドに近づく。
「――ガラハルド殿! 指令通り、追いつきましたぞ!」
「ああ、ご苦労。あとは俺だけで十分だ。下がっていろ」
「はっ!」
ガラハルドの言葉に、構成員は再び部隊へと戻った。
ガラハルドは笑みを浮かべながら、炎の剣をアルス達に差し向けた。
「さあ、こんな状況なわけだが。まだ刃向かおうとする奴はいるのか?」
ガラハルドの問いに、冒険者達も顔を見合わせ、答えようとする者はいない。
この絶望的な状況に、抗おうとするものはいなかった。
ただ一人、立ち上がった少年を除いては。
「俺だ」
アルスは、体を走る痛みに耐えながら、ゆっくりと立ち上がった。
「アルス……さん……っ」
隣に佇むソフィーが、傷だらけで立つ彼の姿に、声を震わせる。
ガラハルドは彼を見ると、おかしそうに笑った。
「貴様が、だと? 先程無様に敗北した貴様が? その体でか?」
「関係ねえよ……。体はまだ動く…………、俺はまだ、戦える……!」
アルスは鬼気迫る表情で、ガラハルドを睨んだ。
「ぐっ……!」
しかし、体を襲う激痛に、アルスは崩れ、地に膝をついた。
「アル……無茶だっ……! そんな体で、まともに戦えるわけない……!」
シャルミィも、傷ついた彼の姿に涙を浮かべながら、引き留める。
「くっ……」
だが、アルスは構わず、再び立ち上がろうとする。痛む体に鞭を打って。
この絶望的な状況で、強大な敵を前にして、なお。
彼の仲間を――――ソフィーを、救うために。
「っっ」
だがもう、立ち上がれない。体をまともに動かせないほど、彼は衰弱していた。
そんな彼の姿に、ソフィーは意を決したように、口を開いた。
「アルスさん。もう、いいんです」
その言葉に、アルスは彼女の方を見る。
すると、ソフィーは彼に向けて、穏やかに笑っていた。
「あなたは私のために頑張ってくれました。戦って、傷ついて、それでも立ち上がって」
アルスは呆然としながら、その言葉に耳を傾ける。
「だからもう、私のために傷つかなくていいんです。もう休んでください。私がいなくなっても、皆さんと一緒に、幸せに暮らしてください」
ソフィーはアルスに向けて、満面の笑みを浮かべた。
「…………」
彼女の言葉に、アルスは少し呆然とした後、
「……はっ」
その顔を見て、おかしそうに笑った。
「それは、できない」
「っ……、なぜですか……」
問うソフィーに、アルスは俯き、口を開いた。
「見捨てるのは、もう嫌なんだ……。諦めるのなんて、もうこりごりなんだよ……」
「……アルス、さん……」
「……守りたいんだ。俺の大切なものを……。今度は全部、救いたいんだ……」
「っっ……!」
俺は勇者だった。魔王を倒して世界を救った。それと同時に、多くの人を見捨てた。
それから地べたを這いつくばって、虐げられて、人から離れ、目を逸らした。
しばらくして、仲間ができた。こんな俺を慕い、関わり、助けてくれる奴がいた。
俺を嫌う奴ばかりじゃなかった。俺に感謝してくれる人や、協力してくれる奴らもいた。
そのことを気づかせてくれた奴がいた。そいつは、俺のことを肯定してくれた。
救いたいと思ったんだ。そいつら皆のことを。
勇者の頃には救えなかった「全て」を、今度は救ってやろうと思ったんだ。
「だから、俺は捨てない。この体の動く限り、救うことを諦めない……!」
彼は顔を上げ、決意を固めるように、力強くそう言った。
「それに」
アルスはソフィーの顔を見ると、穏やかに笑った。
「泣いてる奴は、余計に見捨てられねえだろ」
「~~~~っ」
その言葉に口元を引き締めるソフィーの目には、涙が浮かんでいた。
そして、彼女はやがて観念したように、アルスに向けて笑った。
「……わかり、ましたっ。私はもう、あなたを止めません」
その言葉に、アルスはにっと笑う。
「だけど」
そう付け加えられ、彼はきょとんとする。そして、
「私にも、手伝わせてください。あなたの願い――――――叶えさせてください」
ソフィーが、抱きつくように、アルスの肩に手を回した。
「『喪失魔法』――――――〈ハイレンス・クラーレ〉」
その瞬間、アルスの周りに、いくつもの白く眩い光が現れる。
「……!?」
アルスだけでなく、冒険者、教会、その場にいる全員がその光景に目を奪われた。
その光は、やがて収束するように、アルスの体を包み込む。
暖かく、どこか優しい。白い視界の中で、そんな感覚を覚えた。
すると、疲労感が抜け落ち、たちまち体が軽くなる。
「これは……!」
体の傷が癒えているのだ。それも急速に。切り裂かれた傷跡が、みるみると消えていく。
そうして、体中の傷が完全に消えると、白い光は虚空へと消えた。
「…………」
それは、光属性の――――回復魔法。
千年前、先代の魔王によって封印され、この世から消失した魔法。
アルスが横を向くと、そこには目を閉じた、ソフィーの顔がある。
そう。彼女が癒やしたのだ。この傷を。実際にこの目で見た。
彼女が唱え、発動したのだ。「喪失した魔法」である、回復魔法を。
目の前の出来事に、その場にいる誰もが言葉を失い、動きを止めた。
その中で、ガラハルドが、驚愕した顔でソフィーを見つめていた。
「まさか…………『喪失癒手』、だと…………っ!?」
そんな彼を見て、アルスは優しく、ソフィーの頭に手を置いた。
「……ありがとうな、ソフィー。もう大丈夫だ」
その言葉に、ソフィーは目を開くと、嬉しそうに笑った。
「はいっ」
彼女の腕が解けると、アルスは立ち上がり、ガラハルドと対峙した。
「勝負だ、ガラハルド」
体に痛みはない。それどころか、調子がいい。
これも、ソフィーの魔法のおかげなのだろう。
「っっ、『失格勇者』……っ!」
ガラハルドは我に帰ると、立ち上がったアルスを睨みつける。
「多少動けるようになろうと、戦況は変わらん! 貴様に何ができる!」
彼の声を気にも留めず、アルスは踏み出し、彼へと近づいていく。
この世から消失したはずの、回復魔法。それをソフィーは唱え、俺を救った。
世界で唯一、傷を癒やせる存在。そんな人物が存在すること。
それが知れれば、彼女は世界から追われるだろう。
彼女の力を必要とする者に、そして、その力を利用しようとする者に。
なぜなら、傷を癒やすことができるのは、この世で彼女しかいないのだから。
「剣も失った状態で、この『炎帝』に刃向かおうと? 愚か者が……!」
アルスはしばらく歩くと、ガラハルドを前にして、ふと立ち止まる。
だけど彼女は、ソフィーは、その秘密を明かした。
自分の身を危険に晒してまで、俺を救うために。俺の願いを、叶えるために。
そんな彼女を前にして、まだ俺は、覚悟を決められないのか?
過去の罪に目をくらませて、立ちすくんでいるつもりか?
――――違うだろ。
あいつが繋いでくれた願いを叶えてやらないで、何が英雄だ。
俺はあいつの思いに応える。そして、皆を救ってみせる。
覚悟の元に自らを削り、救いを求める人を助ける、勇気ある者。
それが、小さい頃に憧れた――――「勇者」ってやつだろ。
「剣ならあるさ、ここに……!」
アルスはその右手を空に掲げ、大きく口を開いた。
「魔を滅する聖剣よ! 英雄の元にて、希望の光を灯せ! 〈白き方舟〉!」
その瞬間――――空から降り注いだ光の粒子が、掲げた右手に収束する。
まばらなその光は凝縮し、一定の形をかたどると、その手に収まる。
それは、白く眩い光を放つ、一振りの剣だった。
聖剣。その名を――――〈白き方舟〉。
十年前――――魔王を滅ぼし、消失したとされる、勇者の剣。
その聖剣が、今、こうして、かつての勇者によって呼び戻されたのだ。
その光景に、静まっていたジャーマル通りが、再び騒然とし始める。
教会も、冒険者達も、驚きを隠せない様子で彼の姿を見つめた。
そして、一番衝撃を受けていたのは、ガラハルドだった。
「そんなっ、ありえない……っ! 聖剣は、とうに失われたはずだっ!」
そこにいつもの余裕はなく、狼狽えるように声をうわずらせている。
対し、アルスは落ち着いた様子で、その聖剣を構える。
「来いよ、ガラハルド。決着をつけてやる」
「っっ――」
その言葉を聞くと、ガラハルドは拳に力を込める。
そして、炎の剣を手に、アルスへと肉薄した。
「ありえんっ! ありえんんんんんんんんんっ!」
ガラハルドは〈天より授かりし紅蓮の炎〉を大きく振りかぶり、振り下ろす。
すると、アルスの目の前に、これまでよりも遥かに巨大な炎が現れた。
視界が赤く染まり、鉄をも溶かすほどの膨大な熱の塊が、アルスを襲った。
その中でアルスは、〈白き方舟〉を後ろに引くと、思い切り振り切った。
「はああっ!」
すると、白の聖剣を避けていくように、巨大な炎が真っ二つに分断された。
そして、飛散した炎は、まるで魔法のように、一瞬で虚空へと消失した。
「なにっ……!?」
ガラハルドはその光景に驚愕する。
それも当然。全力ではなった巨大な炎が、たった一振りで消されてしまったのだから。
アルスの剣――〈白き方舟〉に乗せられているのは、彼の固有魔法だ。
それは、空間転移魔法。彼に斬られたものは、一瞬で虚空へと消失する。
その剣の前では、防御力も、耐久力も意味をなさない。それはまるで、最強の矛だ。
彼を超える剣士など存在しない。魔王でさえ、彼の剣に為す術もなかったのだから。
消失した炎の中からアルスが姿を現し、ガラハルドを見つめた。
「な…………あ…………っ」
アルスを前に、目を見開いたガラハルドが言葉にならない声を漏らす。
アルスはそんな彼に向けて、〈白き方舟〉を構えた。
「終わりだ、ガラハルド」
アルスはガラハルドに肉薄すると、聖剣を振り抜く。
「〈エクス・ブリンク〉!」
アルスの放った十字型の斬撃が、ガラハルドの鎧を砕いた。
「ぐああああああああああああっ!!」
ガラハルドは叫びながら、宙に吹っ飛ばされる。
その長身の体は高く飛ぶと、構成員達の前で崩れ落ちた。
そして、戦慄した表情を浮かべていた彼は、ガクッと頭を下ろした。
そうしてガラハルドは気絶し、動かなくなった。
「命は取らねえよ。別にお前に恨みなんてねえからな」
アルスはそれを見届けると、目を瞑って頭を掻いた。
アルスはとどめの一撃に、魔法は乗せなかった。剣技だけで、彼を鎮めたのだ。
「――がっ、ガラハルド殿っ!?」
気絶したガラハルドに構成員達が駆け寄り、彼の身を案ずる。
「おい、お前らはどうするんだよ」
その言葉に、構成員達はゆっくりとアルスを見た。
「このままやるっていうんなら、相手になるぞ。手加減できる保証はないがな」
「「「…………っ」」」
目つきを鋭くしたアルスに、構成員達は怯むように後ずさる。
それでもなかなか動こうとしない彼らに、アルスが握る手に力を込めた。その時、
「――撤退せよ! 総員撤退――――っ!」
構成員の一人が、大きな声でそう告げた。
その途端、構成員達が素早い動きでその場を立ち去り始めた。
気絶したガラハルドを連れ、前方の構成員も、後方の構成員も一斉に退く。
彼らの後ろ姿を見つめながら、アルスは険しい顔を浮かべた。
「……マグルの指示か……」
アルスが目を瞑り、そして再び目を開ける。すると。
ジャーマル通りに、すでに教会の姿はなかった。
「…………ふう」
アルスが一息つくと、〈白き方舟〉は光の粒子となって虚空へ消えた。
退けた。世界最高の軍事力を。強大な敵を。
勇者の力を見せた以上、教会が仕掛けてくることはもう無いだろう。
肩の力を抜くと、それと同時に強ばらせていた表情も緩んだ。
「…………救えた……」
救うことができた。皆を。仲間を。ソフィーを。
確かな達成感と共に、アルスは見つめた手のひらを、固く閉じた。
その時、警戒を解いていた彼の腰に、何かが飛び込んできた。
「おぶっ!?」
アルスはバランスを崩し、地面に倒れる。
「……なっ……」
座り込んだ彼の腰に抱きついていたのは、ダークエルフの少女だった。
「アルスさんっ!」
彼女、ソフィーは涙ぐんだ目をアルスに向け、嬉しそうに微笑んだ。
「やりました、教会を退けましたよ! ああ、よかった……っ!」
「……ああ、見ればわかる」
苦笑しながら応えると、ソフィーは目を瞑る。
「皆さんが無事で、本当に良かったです。正直、アルスさんのことは心配してませんでしたけど」
「なんだよ、それ」
頭を掻いて言うアルスに、ソフィーは目を開き、穏やかに笑った。
「あなたのこと、信じてましたから」
「…………そうかよ」
その言葉に、アルスは照れ隠しするように目を逸らした。
ガラハルドに勝てたのは、勇者の力があったからだけではない。
ソフィーが傷を癒やしてくれなければ、動くこともままならなかっただろう。
「…………ありがとな」
アルスはそう呟き、ソフィーの頭を撫でた。
ソフィーは少しきょとんとした後、
「…………はいっ」
とても嬉しそうに、そう言った。
「アル~~~~~~っ!」
「おぶぅぅっ!?」
その瞬間、今度は反対の腰にシャルミィが突っ込んできた。
「うおおおおっ! よくやったアルーっ! 体は大丈夫かよーっ! うおっ、本当に治ってる! 大丈夫なんだなーっ! あははっ!」
アルスに抱きつき、腰に顔を擦り付けながら、彼女は元気よくはしゃいでいる。
「シャルミィてめっ、急に飛び込んでくるんじゃねえ、痛えだろうが」
「えーっ! フィーも同じことしてるのに! なんでフィーは特別扱いなんですかー?」
シャルミィが抗議するように、おどけた口調で言う。
「ああ、もう、めんどくせえ……っ」
アルスは目を細めながら、だんだん自分の体が沈んでいくのに気づいた。
「……?」
張り詰めた糸を切らしたように、だんだんと体から力が抜けていく。
勇者の力。その膨大な力を全力で振るったことで、体が悲鳴を上げていた。
たった二振りで、ここまで消耗してしまうとは。
「やっぱ、全盛期みたいにはいかねえか……」
アルスは「はっ」と笑い、沈んでいく体にただ従った。
その時、体を引っ張られる感覚に、アルスは視線を向けた。
するとそこには、満足そうに笑いながら、地面に寝そべったアリシアが、目を閉じながらアルスの服を引っ張っていた。
それを見て、アルスは穏やかに笑った。
「お前もすげーよ。お疲れさん」
そう言って、アルスは体の力を抜く。
そうして勇者の少年は、ゆっくりと目を閉じた。




