23話 決戦
路地裏。日の当たらない薄暗さの中、アルスとソフィーは進む。
狭く、複雑に入り組んだ道を、何度も曲がりながら走って行く。
「――きゃっ!?」
道ばたの砂利を踏みつけ、ソフィーがバランスを崩す。
「っと……!」
アルスは咄嗟に振り返り、前方に乗り出した彼女の体を受け止めた。
「……あ、ありがとうございます……」
ソフィーは彼に支えられながら、少し恥ずかしそうに笑う。
「大丈夫か?」
「はいっ。アルスさんが受け止めてくれましたから」
ソフィーは笑いながら、元気そうな眼差しをアルスに向ける。
追われ続けているものの、今だ彼女の気は滅入っていないようだ。
だが、汗の伝った彼女の顔に、アルスは心苦しそうに顔を曇らせる。
「…………少し、休むか」
「…………はい」
アルスの言葉に、ソフィーが少し気落ちするように視線を下ろした。
気持ちが平気でも、体がついてこなければ意味が無い。
ソフィーの体力が心配だった。躓いたのは、少なからず彼女が消耗しているからだろう。
見た目以上に、彼女は無理をしているのかもしれない。
「目的の廃屋まで、もう少しだ。そこまで歩こう」
「…………はいっ」
アルスが再び手を取ると、ソフィーは嬉しそうに顔をほころばせた。
そうして路地裏の中、二人は手を繋ぎながら、ゆっくりと歩いて行く。
目的の廃墟までは、このまま行けばじきに到着する。あのまま大通りを進めばもっと早く着けたが、入り組んだ路地裏の道ではそうはいかない。
だが、ファフニールに大通りを監視されている以上、それは仕方がない。
今は、その目から逃れて先に進める道があることに喜ぶべきだ。
「…………」
アルスは狭く薄暗い道を、今度は右に曲がった。
「……………………」
「……あの、怖い顔されてますけど、大丈夫ですか?」
「あ、ああ?」
ソフィーに指摘され、アルスは不意を突かれたような表情で振り返る。
「…………いや、なんでもねえ……」
そして、歯切れ悪くぼそぼそとそういうと彼は顔を逸らした。
「?」
不思議そうな顔をするソフィーの前で、アルスは少しだけ、顔を赤らめていた。
走っているときには気にならなかったが、こうして歩いていると、手を繋いでいることを変に意識してしまうのだ。
「…………? …………あっ」
しばらくすると、ソフィーは何か感づいたように、繋いだ手を見る。
「……えいっ」
そしてアルスの手を、繋いでいないもう一方の手で包んだ。
「んなっ!?」
突然触れた彼女の手の感触に、アルスは振り払うように手を上げた。
手を振り払われたソフィーは驚き、狼狽えた彼の表情を見ると、
「…………ぷっ」
口元を抑え、とてもおかしそうにそんな笑いを漏らした。
「お、お前なぁ…………っ!」
たちまち顔を赤くしたアルスは、責めるように彼女を見る。
ソフィーは楽しそうに笑いながら、彼を見つめ返す。
「なんだか、あなたとはいつも、教会から逃げてますねっ」
「……おかげさまでな。まったく」
アルスは照れ隠しするように、頭を掻きながら目を逸らした。
「逃げ切らなければいけませんね。皆さんのためにも」
彼女の言葉に、アルスは顔を引き締める。
ソフィーはにこっと笑うと、アルスに向けて手を差し出した。
「行きましょう、アルスさん」
「……ああ!」
アルスは力強くその手を取ると、道を歩き出した。
そうだ。いろんな奴の力を借りて、俺は今ここにいる。
アリシアに、シャルミィに、マリンに、冒険者達に、助けてもらった。
それに、こいつにも。ソフィーにも、背中を押してもらった。
いろんな奴に助けられて、俺はまだこうして希望を見ていられる。
だからあいつらのためにも、今はなんとしてもあの場所に辿り着く。
アルスは扉を押し開け、路地裏を抜けると、開けた場所までやってくる。
そこは、ジャーマル通り。大通りの間に位置する、小区域の通りだ。
道の幅もそこまで広くはなく、周りは城壁や高層の家屋に囲まれている。
上空からも死角となり、ファフニールの目も届くことはないはずだ。
「この通りを抜ければ廃屋だ。行くぞ!」
アルスはソフィーを連れて、シャーマル通りをどんどんと進んでいく。
その道を先へ先へと進み、曲がり角を曲がり、次の角をまた曲がる。
そうしてアルスの前方に見えてきたのは、石で築かれた高い壁と、その麓に備えつけられた鉄製の扉。
「あの扉の先だっ!」
扉の先にある目的の廃屋に、ようやくたどり着けたと思った、その時。
「――――どこに、行こうというのだ? 『失格勇者』」
気取ったような、聞き覚えのある声に、アルスは目を見開いた。
扉のある、前方の高い壁。その上に、真っ赤な鎧を纏った金髪の男が立っていた。
腕を組み、マントをひらめかせながら、笑みを浮かべて彼らを見下ろしている。
「ガラ、ハルド……っ!」
アルスはその顔を睨みつけながら、その男――ガラハルドの名を呼んだ。
『炎帝』の異名を賜った、中央最強格の一人。そして今、一番出くわしたくない相手。
目的の場所の目前にして、出会ってしまった。最強の敵に。
ガラハルドは壁から飛び降りると、華麗に着地し、アルス達に対峙する。
アルスは素早くナイフを構えると、ソフィーを庇うように前に立つ。
キッと睨みを効かせるアルスに、ガラハルドは目を細めた。
「……それが貴様の答えか。どこまでも、救いようのない男だ」
彼はそう言うと目を瞑り、愉快そうに笑った。
「この期に及んで、貴様は決められなかったというわけだ。どちらを救い、どちらを捨てるのか。過去の過ちから目を逸らし――――」
「うるせえよ。もういい」
言葉を遮るように発せられた落ち着いた声に、ガラハルドは目を開く。
「俺は決めたぞ、ガラハルド。ちゃんと自分の意思でな」
その目に映るのは、意を決したような顔で彼を見る、アルスの姿だった。
「こいつも、シャルミィも、アリシアも、全員守る。それが俺の答えだ」
アランスールと教会を敵に回したとしても、俺の仲間は絶対に守り抜くと。
アルスは構えたナイフを、ガラハルドに突きつけた。
「俺は全てを救ってみせる! ガラハルド、お前を倒してだっ!」
咆えるアルスの姿に、後ろのソフィーが目を見開いた。
「アルス、さん……!」
「…………ほう……?」
ガラハルドは興味深げにそう言うと、口角を上げ、
「ふっ、ハッハッハッハッハ!」
高らかに笑うと、アルスの顔を真っ直ぐに見つめる。
「ならば見せてみろ。貴様のその、覚悟というものを」
彼は背中の剣を、ゆっくりと抜き放つ。そして――――、
「この地に猛り、燃え盛れ――――〈天より授かりし紅蓮の炎〉!」
瞬間、剣に炎の渦が纏うと、その刀身が深紅の光を放つ。
強い熱を帯びたように煌めくその剣を、ガラハルドが構える。
「この『炎帝』、押して参ろう」
そう言うと、ガラハルドはおもむろに地を蹴った。
それと同時に、アルスも彼に向かって駆け出す。
向かってくるアルスを前に、ガラハルドは足を止め、剣を横に振りかぶる。
「ふん!」
剣は音を立てて空を切る。しかし無論、彼の狙いはアルスだ。
アルスの目の前の地面から、おもむろに幾本もの炎の柱が立ち上る。
膨大な熱の壁を、彼は瞬時に横に転回し、紙一重にかわす。
再び足を前に踏み出すと、アルスはそのままガラハルドに肉薄した。
「ふっ、面白い!」
アルスの薙いだ片方のナイフを、ガラハルドは構え直した剣で受け止める。
キィィィィィィン、と甲高い音が響き、両者の獲物が交差する。
「はっ!」
がら空きになった腹部に向かって、アルスはもう片方のナイフを薙ぐ。
だがその瞬間、空いているガラハルドの左手に、赤い魔方陣が浮かんだ。
「っっ――」
「浅いな、『失格勇者』」
彼が笑った途端、その魔方陣から大きな炎の弾丸が飛び出す。
ドンッ――――。その炎は弾け、アルスの体を後方に吹っ飛ばした。
彼は体から煙を放ちながらも、すぐさま体勢を立て直し、地面に着地する。
その目は真っ直ぐガラハルドを見つめ、そのナイフからは煙が立ち上っていた
「……ほう、咄嗟にいなしたか」
アルスは炎の弾丸を、咄嗟にナイフで防いでいた。だが。
「ちっ……あっちいなぁ」
ナイフを携えた彼の左腕は、重傷ではないものの、火傷の痕が残っていた。
防がれた炎は飛散し、高温の熱となって彼の身を焦がしたのだ。
剣士は自分の剣に魔法を乗せる。ガラハルドが乗せるのは、無論炎属性の魔法だ。
全属性のうち最も殺傷力の高い炎属性魔法は、しばしば攻撃魔法として利用される。
ガラハルドは、その炎の火力を最高まで引き上げ、自在に制御することができる。
虚無から炎を生み出し、相手を燻る。それが彼の剣だ。
この炎を突破しなければ、ガラハルドに刃は届かない。彼には勝てない。
「熱いが、突破しなきゃ話になんねえなっ!」
アルスは咆えると、再びガラハルドに向かって飛び出した。
「ほう……」
その瞬間的な肉薄に、ガラハルドは思わず声を上げる。
アルスが彼に勝っているもの。それは速さ。身と獲物の軽さは、彼の持ち味だ。
ガラハルドの炎を突破するために、その速さは大きな武器となる。
「たいしたものだが、対応できない速さではないっ!」
ガラハルドが剣に手をかざすと、アルスの足下の地面が突然、破裂する。
そこから爆発を起こすように炎が吹き上がると、アルスに襲いかかる。
だがその直前、アルスは自身の速度を、さらに一段上げた。
爆発を掻い潜り、その力を推進力に変えた彼は、ガラハルドの視界からふと消える。
次の瞬間、アルスは彼の背後にまで回り、そのナイフを振りかざしていた。
「はぁっ!」
急速に速度を上げ、完全に不意を突いた、死角からの一撃。
――だがその刃は、深紅の剣によって受け止められた。
アルスは目を見開く。その目に、笑みを浮かべたガラハルドが映った。
「言ったはずだぞ? 対応できない速さではないと」
「っっ――」
ガラハルドの剣から発した膨大な熱に、アルスは思わず身を仰け反る。
アルスは弾き飛ばされ、地面に足を滑らせながら後退する。
「そんなものか? それもそうか。貴様は所詮、聖剣が無ければそこまでの男よ」
そして、いつの間に目の前に迫っていたガラハルドに、彼は目を見開いた。
振り上げられた深紅の剣が、アルスに向かって容赦なく振り下ろされる。
「くっ――――」
アルスは咄嗟にナイフを交差し、身を守るように構える。
だが、バランスを崩した状態のままでは、その攻撃を完全には受け止めきれず。
その深紅の剣が、アルスの腕と肩を切り裂いた。
「ぐぅっ……!」
苦痛に顔を歪めたアルスの肩から、鮮血が飛ぶ。
「アルスさんっ!」
戦慄した表情のソフィーが、悲鳴のような声を上げた。
アルスは痛みを堪えながら後方に飛び、ガラハルドから距離を取る。
そして着地すると、肩の傷を庇いながら、肩で呼吸をし始めた。
「はぁ……はぁ……」
その目は死んでいない。傷はまだ浅く、斬られた腕もまだなんとか動かせる。
だが、持ち前の速さが通用しない今、彼の頭に突破口は浮かんでこなかった。
その姿を見たガラハルドが、少しだけ哀愁を含んだ表情を浮かべる。
「弱い。あまりにも弱い。結果を変えうるほどの力を、貴様は持ち合わせていない」
そして今度は、アルスを責めるように、彼の顔をじっと睨んだ。
「全てを守るだと? 守るという言葉は、強さを持つ者のみ使うことを許される。力の無い貴様に――――あの時、自分の使命から逃げ出した貴様に、その言葉を語る資格は無い」
「っっ――」
アルスは彼の言葉に、視線を下ろした。
そう。俺は逃げ出し、目を逸らした。勇者という立場から。自分自身の罪から。
「……だから今、あの時俺が救えなかったものを、救おうとしてるんだよ……っ」
今の自分では、勝てない。力を持たざる今の俺では、ガラハルドを倒せない。
――〈白き方舟〉。あの剣を抜けば、この強大な敵に太刀打ちできるだろうか。
だが、抜けばどうなる? 十年隠していた秘密は暴かれ、俺の存在は勇者へと戻る。
教会は必ず接触してくる。それだけじゃない。勇者の再誕に、世界情勢は大きく変わる。
反教会勢力や、勇者に恨む者が動き出す。のうのうと暮らし続けることはできない。
きっと、全てが変わる。そしてそうすればもう、この日常は戻らない。
「……それが、どうしたよ……」
そんなの、今さらのことだ。俺は決めた。教会を相手にしてでも、ソフィーを救うと。
世界など、知ったことじゃない。俺はもう勇者じゃない。一人の冒険者だ。
それを自覚した。自覚したからこそ、今は純粋に、俺の仲間を助けたいと願うんだ。
だから、抜け。抜け。抜け。あの聖剣を、今こそ、抜け。
「抜けっ……!」
アルスはそう言い、覚悟を決めたように目を瞑った。だが――――。
――――人殺しっ! ――鬼畜っ! ――偽善者っ!
「――――っっ」
脳裏に浮かんだ光景に、アルスはバッと目を開いた。
その顔には汗が浮かび、その体は微かに震えている。
――――抜けない。俺には、この力を解放する覚悟が、できない。
一昨日、ソフィーの前では抜いた。だが、助けるため咄嗟に抜いたあの時とは違う。
多くの人を殺した血みどろの剣。その力を人に向けることを、彼は恐れていた。
「くっ……そ……」
吹っ切れたと思った。だが、過去の呪縛から逃げ切れなかった。
彼は落胆するように、力なく肩を下ろした。
「沈め、弱き者よ。貴様には、何人も救うことはできない」
「っっ!!」
突如、身を襲った強烈な熱風に、アルスは腕で体を庇う。
「くぅっ……!」
膨大な熱は身を焦がし、その勢いによって身動きは取れない。
しばらくして熱風が止む。すると、彼の目の前には――――。
「さらばだ、『失格勇者』」
哀れむような表情で彼を見下ろす、ガラハルドの姿があった。
振り下ろされた〈天より授かりし紅蓮の炎〉がナイフを砕き。
その刀身が、アルスの胴体を勢いよく切り裂いた。
「が……はっ……!」
鮮血が飛び、地面に落ちると、やがてアルスは力なく倒れた。
「アルスさぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁんっ!!」
悲鳴のようなソフィーの叫びが、ジャーマル通りに響き渡った。
ガラハルドは間髪入れず、倒れたアルスに近づく。
そして剣を振りかぶると、容赦なくアルスに振り下ろした。
深紅の剣がアルスに襲いかかろうとした、その直前――――。
甲高い音を響かせ、黒と青の大剣がその剣を受け止めた。
「――待たせた、アルス」
ガラハルドの前に現れたのは、鎧を纏った金髪の女騎士。
その人物を見て、ガラハルドは腹立たしげに顔を歪めた。
「……また俺の邪魔をする気か、アリシアっ!」
憤るガラハルドを見つめ返し、その騎士――アリシアは大剣に力を込めた。
「私の仲間に、よくもここまでしてくれたな、ガラハルド!」




