19話 冒険者として
真っ白な壁、柱、天井。ただ広く、奥行きのある空間がそこに広がっていた。
神聖で厳かな雰囲気の中、床に敷かれた赤いカーペットの上を、白装束を纏った教会構成員が四人ほど歩いている。
そしてその中心に、神妙な顔をした白髪のダークエルフがいた。
ソフィー。その身には、特に何の拘束具も身に付けてはいない。
それは、彼女が自ら身柄を差し出し、抵抗する意思も無いことを示していた。
「…………」
彼女は連れられて歩きながら、ふと辺りを見渡す。
ここは中央の中心にある、教会の本拠地、その内部。
灯りが規則的に並んでいるものの、やや薄暗く、先がよく見えない。
横目には、柱の上に立った人型の像が映る。その体には白衣を纏い、背中には翼を携えている。天からの使いとして神聖視されている、天使を模しているのだろうか。
室内は物静かで、嫌に人気がない。ソフィーは何となく、気味の悪さを覚えた。
そのまま、カーペットに沿って奥までしばらく歩いていく。すると。
「っっ――」
目の前。緩やかに設けられた階段の先に、開けた空間が目に映る。
天井を埋めるステンドガラスから光が差し込み、広場の中心に据えられた小さな玉座に座る、一人の人物を明るく映し出していた。
修道士のような白装束に縦長の帽子を被り、長い白髪と髭を下ろした、老人。
その老人はソフィーを見ると、厳かな顔を緩め、口角を上げた。
「――お待ちしておりましたぞ。ソフィー・アランスール殿」
そのしわがれた声を聞くと、ソフィーは一歩踏み出し、神妙な顔で彼を見上げた。
「……あなたが、教会の総統、マグル・ランシー様ですね」
「いかにも」
正義の名の下に世界を統治する最高権力機関。そのトップたる存在。
アルスを勇者として養育し、教会を指揮して魔王討伐を実現した人物。
そして、勇者としての力を失った彼を、見放した男。
「…………」
ソフィーはマグルの顔をキッと睨む。その表情には、怒りが現れていた。
「……十年前、あなたはなぜ、力を失ったアルスさんを保護しなかったのですか。勇者は、この世で最も優遇されるべき存在のはずです。そんな彼を、あなたは見放した」
「……、ふむぅ……」
長い髭を弄り、真剣さの感じられないマグルの返事に、彼女は苛立つ。
「勇者を妬む人々に、命を狙われる危険さえあったはずです! 生き延びた今も、彼の暮らしは貧乏そのものです! なぜ、彼を救ってくださらなかったのですかっ!」
彼女は叫ぶように、抱えていた憤りを訴えた。
この十年、彼女はアルスに関して何も知らなかった。ひどい仕打ちを受けていたことも。
アリシアから彼の過去を聞いた時から、小さな怒りの感情がくすぶっていた。
その訴えを聞き、マグルは髭を弄るのを止めると、目を細める。
「たしかに、勇者は高貴な存在であり、その身は一生優遇されるもの。しかし、それは勇者であればこその話。聖剣を失った出来損ないに、何の価値がありましょうか」
「っっ――!!」
その言葉に、ソフィーは衝撃を受けた。
勇者の力を借りておきながら、もう利用価値がないからと、捨てたのですか。
まるで使い捨ての道具のように、必要なくなった彼を、捨てたというのですか。
「あなたはっ――――」
正義と秩序の象徴たる教会。その上に立つ彼の振る舞いに、疑念を覚えた。
なぜお父様は、こんな男と親交を深めているのでしょう。
「ソフィー殿。私はあなたを、こんな話のためにお呼びしてはおりませんぞ」
今にも激高しそうなソフィーの言葉を、マグルは淡々と遮る。
そしてその指をパチンと鳴らすと、広場の奥から十数人の構成員たちが姿を現す。
その中心には、体を縄で縛られた、赤髪の猫人の少女がいた。
「はなせ~~~~~~~っ!!」
「っっ――、シャルちゃんっ!」
ソフィーはその光景を見て驚きの声を上げた。
シャルミィが、教会に取り押さえられながら、必死に身じろぎしていた。
「速やかに、サフィアへと帰って頂きましょう」
「っっ……」
その言葉を聞いて、ソフィーは歯がゆそうに俯く。
そう。彼女はそのために連れてこられた。そして、捕われたシャルミィを救うために自ら身柄を引き渡したのだ。
「……正義と秩序の象徴である教会が人質を取るなんて、皮肉ですね……っ」
ソフィーは敵意と嫌味を込めて、吐き捨てるようにそう言う。
「正義も秩序も関わりますまい。必要であるからこそ、この手段を取ったまで」
「……?」
そう言うマグルを見上げ、ソフィーは不可解そうに眉をひそめた。
必要? 彼女を人質に取ることが、必要だった?
この状況は『炎帝』の気まぐれで起きている。
だが、実はそれが命令で、この男の差し金で起きていることだとしたら?
ソフィーはハッとしてマグルを見る。嫌な予感がした。
「……私が身柄を引き渡せば、シャルちゃんは、解放していただけるのですよね?」
歯切れの悪いソフィーの問いに、マグルは密かに口角を上げた。
「いえ。それとこれとは話が異なりますなぁ」
「なっ――――!!」
ソフィーは戦慄し、また一歩前に出る。
「なぜです! 私が帰れば、彼女を捕らえておく必要はもう無いではありませんかっ!」
「この猫人にはまだ利用価値がありますゆえ、ここで手放すのは少々惜しい」
「っっ――」
髭を弄り、にたりと笑むマグルに、ソフィーは感づいたように目を見開く。
シャルちゃんを捕らえておけば、アルスさんは黙っていない。もう利用価値はないと、興味を示さない素振りをしながら、この男はまだ彼に接触しようとしている。
一体何のために? わからない。でも、この男は最初からそのつもりで彼女を連れ去った。それは疑いようがない。
「フィー! 逃げろ!」
彼女の思考は、囚われのシャルミィの声によって遮られた。
マグルが少し煩わしげに見ると、彼女は彼を睨み返した。
「そうだ! フィーが来ても、こいつは最初から私を解放する気なんて無い! ニオイでわかるんだよ……こいつは、根っからのゲス野郎だ!」
そう叫ぶと、シャルミィはソフィーを見る。
「だから早く逃げろ! フィー! ――――――くぅっ」
暴れようとするシャルミィは構成員によって、無理やり床に押さえつけられた。
それを見たマグルが、愉快そうにほくそ笑む。
「今さら逃げようとしたところで、こんな状況では不可能ですぞ」
彼がそう言った途端、部屋の内部に突然人の気配が溢れ出す。
「っっ――!?」
薄暗い部屋の隅。その影から、当惑するソフィーの周囲を取り囲むように、白装束の人間が多数、忽然と姿を現していた。
何十人もの教会構成員。マグルの座す玉座の後ろからも、次々と彼らは現れる。
ここは教会の本拠地、その深部。彼女にはすでに、逃げ場など無かった。
「この猫人がどうなろうと、あなたにはもう関係の無いことです。あなたは故郷に帰り、元通り悠々と暮らしていればいい。では、向かいましょうか」
マグルがゲスな笑みを浮かべ、指をパチンと鳴らす。
「くっ……!」
ソフィーは両腕を構成員に抱えられると、その身動きを封じられる。
ガッチリと押さえられ、抵抗もできない。もとより、逃げ場はない。
「…………」
絶望的な状況に、彼女は諦めるように肩を下ろすと、俯き目を閉じた。
ああ、覚悟してはいましたが、とうとう帰ることになるのですね。
このまま連れて行かれれば、もう二度と、あなたに会うことは無いでしょうね。
「……ごめん、なさい……」
私はあなたを元気づけるために、ここに来ました。十年前の恩を返すために。
けれどあなたは、すっかり次の生活を始めていて。すでに素晴らしいお仲間もいて。
結局、私ができたことはほとんどなかったかもしれません。
そればかりか、私の事情にあなたたちを巻き込んで、危険を負わせて。
私のせいで、こんなことになってしまいました。
「ごめんなっ、さい……っ」
弱々しく呟くソフィーの目から、一粒の涙が零れた。
ソフィーは声を震わせ、何かに縋るように、天井のステンドガラスを見上げる。
「アルスさん……」
あなたは、強くて、優しくて、格好良くて、私を救ってくれた英雄で。
幼いあの日、不安げな私に、そっと言葉をかけてくれたんです。
ああ、なぜでしょうね。こんなことを思い出しても、何にもならないのに。
――――――安心して。僕は――――、
「たす……けて……っ」
――――――――君が助けを求めるなら、また必ず、助けに来るから。
その時、彼女の見ていたステンドガラスに、ふと一つの影が浮かんだ。
直後、パリィィィィィィィン――――――と、ガラスが勢いよく突き破られた。
広場の天井から降り注ぐ破片の中から、一人の人物が姿を現した。
「――――悪い。待たせた」
それは、よく知った声で。宙を舞いながら向けられたのは、彼女がよく知る顔で。
ソフィーは涙に濡れた瞳を見開き、その少年の姿を見つめた。
「アルス……さん……」
世界で一番愛しい人、そして、今一番来てほしい人が、そこにいた。
「……なんて顔だよ。間抜け面、さらしてんなよ」
そんな彼女を見て、アルスはおかしそうに笑った。
そして、華麗に着地すると、両手にナイフを構え、瞬く間に走り出す。
素早くソフィーに肉薄すると、狙いを定め、ナイフを振り抜く。
「ぬあっ!」
彼の攻撃を間一髪でかわし、ふらついた構成員の力が緩む。
その隙を見逃さず、アルスはソフィーの肩を掴むと、彼らから引き離した。
動揺する構成員を気にも留めず、他の敵からも距離を取るように、後ろに引き下がる。
そして、片腕でソフィーを抱きながら、マグルの座す玉座の方へ向き直った。
「…………」
ソフィーはされるがままに彼の胸に手を置いたまま、呆然とその顔を見上げた。
「……アルスさん…………」
「アルぅーーーー!」
彼女とは対照的に、シャルミィが表情を明るくしながら、嬉しそうに彼の名を呼んだ。
「…………なぜですか」
彼の登場に、ソフィーは眉をひそめ、俯いた。
「どうして、来ちゃうんですか……。教会も、アランスールも敵にすることになるのに…………、私のこと、見捨てるって、言ったのに……っ」
彼女は言いながら、静かに涙を伝わらせた。
アルスは腕の中で泣くソフィーを見つめると、口を開く。
「昔、約束しただろ」
そして、彼女に向けて、優しく笑いかけた。
「また必ず、お前を助けに来るって。だから、来てやったよ」
「――――っっ」
その言葉に、ソフィーは目を見開くと、ゆっくりと彼を見上げた。
その笑顔は十年前に見た、彼の笑顔と全く同じで。
それを見て、涙目のまま、彼女は嬉しそうに笑った。
「覚えていて、くれたんですね…………アルス君……」
アルスは、そんな彼女の笑顔に、ほのかに笑い返した。
「…………」
少しだけ怪訝そうな表情で彼を見つめるのは、マグルだった。
そんなマグルを、アルスは無表情に見上げ、口を開いた。
「よう、じいさん。あんたと話すことなんて、もう二度と無いと思っていたんだがな」
「……ふむぅ……、私もだとも。お前は来ないものだと踏んでおったのだが」
マグルは目を細め、不可解そうにアルスを見る。
「こんなところにまで乗り込んで、お前は今さら何をしに来た?」
「……はっ、何をしに来たか、だって? そんなに難しい話じゃねえよ」
アルスはナイフを彼に差し向けると、ソフィーをぐいっと引き寄せた。
「こいつは俺がもらっていく。文句があるなら戦う。それだけだ」
「!?」
その言葉と、急接近した彼の体に、ソフィーは驚き、ぼっと顔を赤らめた。
マグルはそれを聞くと、頭を抱える。
「……ふふふ、ふはっはっはっは!」
そして、心底おかしそうに高笑いを発した。
「もらっていく、だと? お前ごときが、この状況を突破できるのか?」
彼の言葉に、アルスは無表情に周りを見渡す。
横にも、後方にも、マグルの座す玉座の方にも、総勢何十人もの構成員が立っている。
周囲を完全に取り囲まれながらも、彼は笑った。
「ああ、そうだな。今の俺は、どこにでもいるただの冒険者だよ」
アルスは言いながら、天井の割れたステンドガラスを見上げる。
「だけどな、今の俺は、あの頃には無かったものを持ってる。一人で悩むのは、もうやめたんだ」
「っっ」
その言葉に、マグルは何か感づいたように目を見開く。
次の瞬間、ステンドガラスに空いた穴の向こうから、一人の人影が飛び込んできた。
「――破壊剣――――〈ツヴァイ・ヘンダー〉」
透き通るような声と共に、鎧を纏った金髪の少女が、右手で黒と青の大剣を抜き放つ。
「はぁっ!」
そして勇ましい声を上げ、振りかぶった大剣を、玉座の方に放り投げた。
「ぬぅっ!」
戦慄するマグルだが、飛んでくる大剣の軌道が、玉座とはズレていることに気づく。
直後、大剣は玉座を通り過ぎると、その後方にある壁に勢いよく突き刺さる。
そして大剣に一瞬、青い光が流動したと思えば、唐突にその壁が砕け散った。
「なっ……!」
飛び散る瓦礫と共に大きな衝撃波が生まれ、周りにいた構成員たちが吹き飛ばされる。
シャルミィを抑えていた構成員も、そして彼女自身も、勢いよく宙に飛ばされる。
「うわっ、うわわわわわぁ~~~~~~~~っっ!?」
慌てたシャルミィが、宙を泳ぐように足をバタバタとかく。
小さな体が勢いよく飛んでいく先に、鎧の少女が颯爽と駆けつける。
そして、シャルミィの体を受け止めると、少し安心したように彼女に笑いかけた。
「無事だったか? シャルミィ」
「あ、アリシア~~~~っ!」
優しく言う鎧の少女、アリシアに、シャルミィは明るく笑って抱きついた。
「……アリシア……」
物憂げに目を細めるマグルに、アリシアはシャルミィを下ろすと、見つめ返した。
「お久しぶりです、総統殿。まるで、どうしてお前がいるのか、といった顔ですね」
「…………」
「やはり、私の不在を狙って、このような企てをけしかけたのですね」
アリシアは、ほのかに怒りを含めた顔つきでマグルを睨んだ
「どういう理由があろうと、私の仲間を傷つけることは許しません。たとえ、あなたを相手にしたとしても」
そう言うと、彼女はシャルミィを連れて、砕けた壁の方に走っていく。
それに合わせて、アルスもソフィーを連れて走り出した。
虚を突かれた構成員の中に、彼らを妨げられる者は無く。
壁に空いた大きな穴から、アリシアとシャルミィは外に飛び出した。
それに続いて、アルスもソフィーの手を取り、穴を通り抜けようとする。
「アルスよ」
だが、不意に玉座から聞こえたマグルの声に、彼は立ち止まった。
「お前は勇者だった頃から、必要な犠牲には目を瞑れる男だと思っていた。小さな犠牲で、より多くの民を救う。そんな明朗な行動のできる者だとな」
そこまで言うと、マグルはわざとらしく首を横に振る。
「だが、それは違ったようだ。今のお前は、取るべき犠牲も選択できない、ただの愚か者だ。その女が、お前にとってそこまで大事か?」
その言葉に、アルスは顔も向けぬまま、ただ無表情に口を開いた。
「言っただろ。今の俺は勇者じゃない。冒険者だ。救いたい奴なんて、俺が勝手に選ぶ」
救うべき者と捨てるべき者の判別を、教会に委ねてしまったあの頃とは、もう違う。
「俺はこいつも、あいつらも、誰も捨てない。それを邪魔しようってんなら、やってみろ」
彼ははっきりとそう言うと、壁の穴へと姿を消した。
「…………」
一人、取り残されたマグルは、しばらく黙り込んだ後、
「見せてもらおうか、お前のその覚悟とやらを」
僅かに口角を上げながら、そう言った。




