17話 東国の貴族令嬢
東の国、サフィア。
私の故郷は、エルフとダークエルフが共存する、穏やかな国でした。
木々が多く自然豊かで、先祖代々、魔法を利用して発展してきた土地です。
父はそんなサフィアを治める領主で、その娘である私も、貴族として何不自由ない暮らしをしていました。
父はとても優しい人でした。そして母は、それ以上に優しかった。
遠方に渡り、人々の怪我や病気を治療していた母は、偉大な医者でした。
人当たりが良く、どんな種族にも分け隔てなく接する母は、誰からも好かれていました。
人々の体に、そして心に寄り添う彼女の姿に、私は憧れました。
母は家を出ることが多かったため、一緒にいられたのはその合間だけです。
「おいで、ソフィー」
でも母は、幼い私にこれ以上ないくらいの愛をくれました。
私の成功を自分の喜びのように、頭を撫でて、誉めてくれました。
悲しいときは側にいて、優しく慰めてくれました。
怖い思いをした夜は、私を抱きしめて、一緒に寝てくれました。
母がいれば、幸せでした。この人さえいてくれればいいと、思っていました。
それくらい、私の全てでした。
でも、平穏な日常は長くは続かなくて。
十二年前、この世界に魔王が誕生しました。
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魔物の軍勢が最初に現れたのは、北の国々でした。
千年に一度、魔王は誕生する。その伝承は語り継がれ、人々もそれを信じていました。
その周期が近いうちにやって来ると、誰もが警戒していました。
しかし、何の前触れもなく現れた魔物の大軍に、か弱い人々は対応できませんでした。
北の国々は襲撃に遭い、甚大な被害を受け、荒廃しました。
私が「勇者」という存在を知ったのは、その時でした。
この世界の中心にある大都市、中央。そこからやってきた「勇者」と呼ばれる少年が、北の国にいた魔物たちを討伐したと聞きました。
北の大地に魔物が現れたことから、魔王の本拠地も北にあるのだと考えられました。
世界中の国々が防備を固め、「勇者」を含む教会軍も、北の国で調査を行っていました。
そんな時です。母が再び家を発つことになったのは。
人々の要請を受け、母は医者として、南の国に向かうことになったのです。
「元気にしていてね、ソフィー」
「うん! お母様も、頑張って!」
私は何も心配することなく、母を送り出しました。
魔王がいるのは北だから、南の国なら大丈夫だと、思っていました。
しかし、それは違いました。次に魔物が現れたのは、南の大地だったのです。
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母は死にました。まだ幼かった私は唐突に、その知らせを受けました。
頭の中が空っぽになりました。私の全てだった人が、突然いなくなったのです。
私はその現実を受け止められず、心を閉ざし、塞ぎ込みました。
悲しみ、強い怒りに駆られた父は、人が変わったように、魔王への復讐を誓いました。
それとは対照的に、私の心には怒りも生まれず、ただ虚無感が広がっていました。
母は私の生きる意味でした。私はすでに、生きる意味を失ってしまっていたのです。
それを境に、世界各地で次々と魔物が現れるようになりました。
さまざまな国が魔物の襲撃を受け、その度に「勇者」が向かい、魔物を討伐する。
魔王の本拠地は北の大地にある。浸透していた推測は、すでに信憑性を失っていました。
そんな世界の情勢に、私はもう、何の興味もありませんでした。
生きる意味を失った私は、ただ虚無に、毎日を生きていました。
そしてついに、十年前、サフィアは魔物の大群の襲撃を受けました。
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サフィアに押し寄せた魔物を前に、エルフたちは魔法で対抗しました。
復讐に駆られる父は、この日のために、いくつもの策を練っていました。
しかし、固めたサフィアの防備も、エルフたちの魔法も、父が二年かけて練った策も、強大な魔物の前では意味を持ちませんでした。
城壁は破られ、木々は燃やされ、魔物はもう、私の目の前まで迫っていました。
私は逃げようとはしませんでした。生き延びても、何の意味もないと思っていたから。
母のいないこの世界で生きる意味はない。私は、そのまま死んでしまおうとしました。
しかしその時、彼が現れました。白い聖剣を携えた、「勇者」の少年が。
「大丈夫だよ。もう、僕が来たから」
そう私に微笑むと、彼は一息のうちに、魔物たちを切り伏せていきました。
信じられませんでした。エルフたちの魔法でも退けられなかった魔物の軍勢が、たった一人の、自分と歳も変わらないくらいの少年一人に、滅ぼされていったのを。
その少年は魔物をすべて倒すと、私に向き直り、優しく微笑みました
「大丈夫? 怪我はない?」
そう言う少年に、私は俯くと、歯を食いしばりました。
「……なんで助けたの?」
刺々しくそう言い放つと、彼は少し驚いた顔をしました。
そんな彼を、私は顔を上げ、睨みつけました。
「あなたがもっと早く来てくれていたらっ! お母さんは死ななくてよかったのにっ!」
私は大声でそう言いました。
それを見て、彼は何か悟ったように、顔を曇らせました。
「……ごめんね。君のお母さんは、助けられなかった」
「なんで私なの! そんなに強いのに、どうしてお母様を助けてくれなかったの!」
声を荒げながら、気づけば私は涙を流していました。
「……」
黙り込む彼を前に、私は泣き崩れ、再び俯きました。
「お母様のいないこんな世界に、もう生きてる意味なんか、ないのに……」
私はそう言い、目を瞑りました。
すると、頭の上に、何かの感触を感じました。
「泣かないで」
目を開けると、彼に優しく、頭を撫でられていました。
きょとんとする私を、彼は目を細め、穏やかに見つめました
「君のお母さんを助けられなかったのは、僕の力不足だ。ごめんよ」
「っっ……」
本当はわかっていました。母が死んだのが、誰のせいでもないことを。
誰も、突然魔物が南の大地に現れるとは、予想もできなかったはずだから。
それでも、彼に当たってしまうほどに、私は追い詰められていました。
そんな私を、彼は意思の通った大きな目で、真っ直ぐに見つめました。
「……でも、君は生きないといけない。君のお母さんのためにも」
その言葉に、私は表情はたちまち崩れていきます。
「……私にはもう、生きている意味がないの……っ。お母様が、私のすべてだったからっ」
声を震わせる私の目尻に、またも涙が浮かびました。
そんな私を見て、彼は穏やかに笑います。
「お母さんは、君に生きていてほしいって、そう思ってるはずだよ」
「っっ――」
その言葉に、私はハッとするように目を見開きました。
それは真実でした。母はいつも、私の幸せを願ってくれていたから。
彼は零れそうになった私の涙を、指で静かに拭います。
「だから、君は生きて。お母さんが生きられなかった分を、君が生きてあげて」
そう言いながら、彼は私に優しく微笑みかけました。
「生きる意味が見つからないなら、僕が君の生きる理由になってあげる」
「……え……?」
言葉の意味がわからない私に構わず、彼は続ける。
「僕は今、旅をしている。だからここから離れないといけない。けど、いつか――」
彼は私の目を見て言いました。
「僕の、お嫁さんになってよ」
「――」
その言葉に、私は言葉を失いました。
固まって、呆然として、それでも私の頬は、赤く染まっていて。
それは、唐突なプロポーズで。でも不思議と、私の中にそれを拒むものは無くて。
「それで、どうかな……?」
目を逸らし、不安げに彼が掻いた頬も、ほのかに赤く染まっていました。
「……」
そんな彼に、私も恥ずかしくなりながら、目を逸らして答えました。
「うん……それで……いい」
「えっ! いいの!? ほんとに!?」
私の答えに、申し出た彼の方が動揺し、あたふたしていました。
「……」
私はそんな彼を、今度は真っ直ぐに見つめました。
生きる意味の無い私のために、その意味になろうとしてくれる人。
自分の身を投げ売って、見ず知らずの他人のために、そこまでしてくれる人。
そんな彼に、興味が湧いた。もっと知りたいと、そう思った。
母と父以外の人のことを初めて、ここまで愛おしいと思った。
目尻にまた、涙が浮かんできました。でもその涙は、悲しいものではなくて。
「……お母様が、生きててほしいって思うのなら、私、生きるよ……」
お母様を失った私に、まだ生きる理由があるのなら。
この人がその理由になってくれるというのなら、もう少しだけ生きよう、と。
私は涙をぐしぐしと拭い、「だから」と彼を見つめます。
「その時は、よろしくお願いしますっ」
私はそう言って、満面の笑みを浮かべました。
母が死んでから失ったその表情を、取り戻りました。
彼は私の笑顔を見ると、安心したように笑いました。
「うん、わかった」
彼はそう言うと立ち上がり、後ろを向きます。
「じゃあ、僕は行かなきゃ」
「…………もう、行っちゃうの?」
寂しげに言う私に、彼はふと振り返り、優しく笑います。
「うん。でも安心して。僕は――――――」
その後、彼がかけてくれた言葉を、私はずっと、忘れてはいません。
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それから数ヶ月が経ち、魔王が勇者によって滅ぼされたという知らせを受けました。
しばらくして、アルス君が勇者をやめたということも知らされました。
「何か、あったのかな……?」
彼のことが心配になり、私は中央にいる彼に会おうと考えました。
私の窮地に彼がしてくれたように、今度は私が、彼の側にいてあげようと。
しかし父は、そんな私の門出を許してはくれませんでした。
アランスール家は代々、魔法を極めることで発展してきました。
私が魔法を使いこなせるようになるまで、家を出ることは許さないと父は言いました。
私は歯がゆく思いましたが、父の条件を飲みました。
彼のことを思いながら、毎日必死に修練をして、月日が経ちました。
そして五年後、私はアランスールの名に恥じないほどに、魔法を極めていました。
これでアルス君に会える。そう思い、私は喜びました。
しかし父はまたも、私の門出を受け入れてはくれませんでした。
私は条件を破った父に強い怒りを感じました。
しかし父が許してくれない以上、中央に辿り着くのは困難でした。
アランスールの屋敷には見張りとも呼べる従者が多くいます。そして中央は、サフィアから馬車で十日は要する遠方の地。密かに抜けだし辿り着くには、条件が悪すぎました。
それでも、諦めきれませんでした。彼の側にいて、元気づけてあげたい。その気持ちと共に、純粋に彼に会いたいという気持ちに駆られました。
中央までの地理や交通網を徹底的に調べ、思案し、来たるべき時を待ち続けました。
そして、五年後。
父が所用で家を発ち、それに従者が付き添い、屋敷の人間の数が減ったある日。
私は屋敷を飛び出し、中央へと向かいました。
サフィアどころか屋敷から出たことも少ない箱入り娘の私は、何もかも初めてで戸惑いながら、屋敷の中で培った知識をもとに進んでいきました。
そしてとうとう、中央に辿り着きました。
中央はサフィアとも、他の土地とも異質な場所で、何もかも発展していました。
異種族が入り交じって互いに助け合い、いろんな文化の混ざり合った、賑やかな場所。
ここが彼の住んでいる場所なんだと、少し感嘆しながら、彼を探し始めて。
不法侵入したせいか、教会の人たちに追われて、偶然会った男の人に助けられて。
そしてその人が、アルス君だと気づきました。
雰囲気も、背格好も変わっていて、最初は彼だとわかりませんでした。
でも、改めてその姿を見て、本当にアルス君だって、泣きそうになりました。
ここまで来るのに十年もかかってしまったけれど、ちゃんと会えました。
じきに父が要請を送り、連れ戻されるだろうと確信していました。だからそれまで、彼と過ごせる最後の日々を目いっぱい楽しもうと決めました。
一緒に過ごす中。雰囲気は変われど、彼は私の知っているアルス君でした。
自分より他人のことを思いやる。そんな優しい心を持っている人です。
前より少しだけ天邪鬼になっていたけれど、彼は変わっていませんでした。
それに、シャルちゃんにアリシアさん。彼には素晴らしい仲間がいました。
彼はもう大丈夫なんだとわかって、私はとても安心しました。
だから、私にできる精一杯の後押しだけして、さよならを迎えることにしたんです。
少しの間だったけど、ここでの日々は何もかも新鮮で、楽しかったです。
そして最後に、あなたに会うことのできた私は、とても幸せなダークエルフです。
これからどんなことが起こっても、あなたならきっと大丈夫です。
だから、頑張って。私はあなたのことをずっと、応援していますから。
それでは、さよなら。




