9話 いつもと違う朝
日が昇り、小鳥が囀り、中央に再び朝がやって来た。
朝日が石畳を照らし、その上に建つ借家の木が白く色づく。
「…………」
朝日が差し込む一室の中、アルスはベッドの上で目を覚ました。
体を起こすと、彼は自身の体に違和感を感じた。
「……体が……軽い?」
表現しがたいが、いつも寝起きに感じるはずの疲労が軽く、頭も冴えているような、すっきりした感覚だ。
「とにかく……今日もギルドに行かねえとな。シャルミィにどやされても面倒だ」
アルスはベッドに手を着きながら、徐々に体を起こしていく。
「……あ? そもそも俺、昨日は何してた?」
そこで、アルスは昨夜寝付くまでの記憶を遡る。
任務に失敗して、ギルドで絡まれて、寝室に直行して、それで――――――。
「…………っ」
アルスはそこまで思い浮かべて、何か感づいたようにバッと横を見た。
「―――――っっっ!!」
そして見つけた。
「…………すぅ……すぅ……」
アルスのすぐ隣、同じベッドの上で、心地よさそうに眠るソフィーの姿を。
「ひょっ、ひょわああああああああああっっっ!?」
アルスは戦慄し、狼狽えるような大声を出した。
そして昨夜寝付くまでの記憶を、完全に思い出した。
「な……なな……」
狼狽えるアルスの顔が、だんだんと紅潮していく。
ソフィーと一夜を共に明かしてしまったこと、そしてそれ以上に、昨日彼女にしてもらったことが頭の中でフラッシュバックし、羞恥の色が体を染めていく。
アルスは固まってしまったものの、咄嗟に冷静さを取り戻す。
「とっ、とにかく隠せっ! こんなところを誰かに見られるわけには――――」
アルスが慌ててベッドから体を起こそうとした、その時。
「――ア~ルっ! いつまで寝てんだよう、もうご飯できてるぞー?」
「――アルス、ソフィーが見当たらないのだが、何か知らないか?」
シャルミィとアリシアが、部屋の中に入ってきた。
「あ……」
シャルミィとアリシアの視線が、ベッドの方を向く。
その上には、動揺した表情で二人を見るアルスと、その隣で眠るソフィーの姿があった。
「な……」
アリシアの顔が一瞬にして赤く染まると、
「何をやっているんだぁぁぁぁ! アルスーーーーっ!!」
彼女はアルスに向かって思い切り怒鳴り散らした。
「いや待て、誤解だ! これには訳が――――」
「男女が二人で一夜を共にするなど、いいいくら私でも聞かなくてもわかるわぁ!」
言葉を遮るアリシアの顔は動転し、意味ありげに紅潮している。
「何勝手に勘違いしてんだ! 別に何もしてないからな!?」
アルスはベッドに手を着いたまま、必死に自己弁護する。
そう、何もしていないはずだ。…………少し、されはしたが。
遠い目をするアルスの上に、突然何かが覆い被さる。
「おぶっ!?」
「えー!? あたしとは寝よって言っても寝てくれないのに! なんで!?」
今度はシャルミィがお腹の上に跨がり、不服げにそう訴えてきた。
「……うえっ……苦しい、降りろ……!」
「ねえねえ、なんでなんで~!? なんでフィーはいいんだよ~!?」
アルスの訴えも聞かず、シャルミィはお腹の上でピョンピョン跳ね出す。
「おふっっっ、はっ、跳ねんなーーーーっ!」
お腹を圧迫され叫びながら、アルスは視界の隅に何かを見つける。
それは、抜き放たれた黒と青の大剣。その柄を握り、鬼気迫る表情で彼を見ていたのは、アリシアだった。
「なんでお前はこんなとこで抜刀してんだ!」
「黙れぇい! 出会ったばかりの女性と、なんて不埒なことおぉぉぉぉ!」
身動きの取れないアルスに、アリシアが目を回したまま怒鳴る。
混乱しているのか、もう言葉の意味も伝わっていないようだ。
「覚悟ぉぉぉっ!」
アリシアは大剣を両手で握り、思い切り振り上げる。
「両手……っ!? 待て! それはほんとにヤバいやつ――――」
アルスが戦慄し、身構えたところで、
「ってシア! もう出発しなきゃいけねーじゃんか!」
シャルミィがお腹から飛び降りると、アリシアの前に立つ。
「遅れちまうぞ? はいはい、あっち向いて。早く行くぞ~?」
シャルミィは手慣れた様子で彼女に反対を向かせると、部屋の出口へと押していく。
アリシアは「ううう」と呻きながら、シャルミィと共に部屋から出て行った。
「…………はあ……、朝から騒がしい奴らだ」
その背中を呆然と見送ったアルスは、頭を抱えてため息をつく。
アリシアは冷静さが取り柄だが、純情で馬鹿正直なところが玉に瑕だ。
彼はふと、隣を見る。
「…………すぅ……すぅ……」
すると、ソフィーが先程と変わらない様子で穏やかに眠っていた。
「あの騒がしさの中で、まだ寝てんのかよ……」
その様子に、アルスは少し呆れるように目を細めた。
「この状況、お前のせいなんだからな。わかってんのか?」
言いながら、指でソフィーの頬をペチペチと叩く。
「……んんぅ」
すると、ソフィーが寝苦しそうに声を出した。
「アホ面さらしてんなよ。さっさと起き――――」
そこまで言って、アルスは言葉と、頬を叩く指をピタッと止めた。
「…………いや、別に寝かせてやってもいいか」
アルスはソフィーの寝顔を見ながら、そう呟いた。
こいつは冒険者じゃない。だからもう、こいつと依頼に受ける必要はない。
アルスはベッドから起き上がると、リビングへと歩き始める。
いつもと違う体の軽さに戸惑いながらも、彼は寝室を出て行った。
その後ろ、取り残されたベッドの上で、
「……うにゅぅ……」
ソフィーは、気持ちよさそうな表情で微睡んでいた。
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「――おうアル、目は覚めたかー?」
リビングに来ると、台所にいるシャルミィが声をかけてきた。
「おかげさまでな」
アルスは皮肉げに言うと、部屋の中を見渡す。
「アリシアは?」
「さっきすぐ出かけたぞ。ワイバーンの討伐依頼だってさ」
「…………そうか」
アルスはそれを聞いて、少し呆然とする。
相手が危険種ともなれば、一日二日で済む任務ではないだろう。
それなら、あいつともう少し話をしてもよかったかもしれないな。
「困ってる人を放っておけないんだってさ。シアらしいだろ?」
「……それで休暇も取らずに出発か。相変わらず、馬鹿真面目だな」
まあ、あいつのおかげで生活が成り立ってるし、悪くは言えない。
それどころか、出会ってからあいつには迷惑かけっぱなしかもな。
アルスは心の中でそう呟きながら、椅子に腰掛けた。
長机に、シャルミィが運んできた朝食が並べられる。
「あ、シアの誤解は解いといたからな。さっきの」
シャルミィがさりげなくそう言い、明るく笑いかけてきた。
「……おう」
きょとんとしたアルスが返事をすると、彼女は再び台所にかけていった。
いつもはしゃいでいるように見えて、時々シャルミィはやけに察しがいい。
実際、先程アリシアを諫めたのが偶然なのか故意なのかさえわからない。
だけどまあ、時々すごく頼りにはなる。もぬけの殻になりがちなこの家の家事を、この小さな体一つでこなしてくれているしな。
「…………」
アルスは朝食を食べ進めながら、思考を巡らす。
気づけば俺には、自分にはもったいないぐらいの仲間ができていたのかもしれない。
そうだ。いくら昔のことを言われたところで、今が壊れる必要なんて無い。
俺は冒険者として、変わらずこの暮らしができていればいい。
過去を肯定できなくても大丈夫だ。今の俺には頼りになる仲間がいる。
それに、過去のことも、少しは――――。
アルスはそこでふと、昨日の夜のことを思い出した。
「――――、あーやめやめ、柄でもねえ」
アルスは少し顔を赤らめ、誤魔化すように席を立つ。
「ア~ルっ」
シャルミィの方を振り返ると、彼女はアルスの顔を見て笑っていた。
「昨日は心配したけど、なんかすっきりしたって顔してて安心した!」
「ああ……?」
どんな顔だ、と思っていると、シャルミィが悪戯っぽい顔で笑った。
「夜、なんかあったのかぁ?」
「っっ…………、別に、何でもねえよ」
アルスは一瞬動揺を見せると、それを隠すように目線を逸らした。
……そんなところまで察しがよくなくていいんだよ。
アルスは再び前を向くと、玄関に向かって歩き出す。
さあ、今日もいつもの一日が始まる。昨日よりかは、いい日にしたいもんだ。
「……じゃあ行ってくる。メシ、まあまあうまかったぞ」
「…………えっ」
家を出たアルスの言葉に、シャルミィは不意を突かれたように固まる。
「…………な、なんだ……? アルのやつ、いきなり……」
シャルミィは彼の背中を見送ると、頬をほのかに赤らめてそう言った。
それは、久方ぶりに聞く、彼からの素直な褒め言葉だった。




