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34「エピローグ : 春の訪れと踏み出された一歩」

「エノさん、いらっしゃい!」

胡桃ちゃんが出迎えてくれる居酒屋「濁庵(ダミアン)」はもはや俺の心の故郷と言っても過言ではない。


俺の目の前では時塚と莉奈ちゃんが結婚式の打ち合わせをしている。明治神宮で挙式するそうな。しかも梅雨時のジューンブライドで。もう二人を覆う幸せオーラにすでに俺は慣れてしまった。もう嫉妬すら覚えるのも馬鹿馬鹿しい。お前らなら梅雨空さえも尻尾をまいて退散しそうだな。外国人観光客のエジキになるがいいさ。


「結局、芽依ちゃんはエノさんと同じアパートになったんですか?」

ああ。俺のすぐ下の部屋な。ほんとは賄い付きの女子寮を希望してたんだけど、警視庁のボランティアの勤務時間が不規則な関係で門限とか守れないらしく、諦めたようだ。


「そうなんですよ。これで芽依ちゃんも我が家のご近所さんで大切な店子ですから。」

そう言いながら胡桃ちゃんが俺の前にビールのジョッキを置く。

「それなら警視庁の女子寮なんかは駄目なんですか?」

莉奈ちゃんの問いももっともだがこちとら正規職員じゃないんでね。対象じゃないのですよ。


「でも、『半分』賄い付きみたいなもんだからいいじゃないですか。」

時塚が勝手なことを言う。そう、なぜか飯時になると芽依ちゃんが俺の部屋にやってくるのだ。まあ、俺も調子に乗って毎回二人分作っちゃいることもあるのだが。


「まだ学生さんなんですから、くれぐれも手は出さないでくださいね。」

莉奈ちゃんが俺に釘をさす。心配するな。まあ、芽依ちゃんは可愛いんだけど、俺の好みのタイプとは違うんだよね。小動物の餌付けという感じかな。あの一心不乱にもぐもぐしてる感じを眺めているのがたまらないのよ。⋯⋯っていったい俺は何を言っているのだ。


「いいですか、タイプとかこだわりが過ぎると婚期逃しますよ。結婚は勢いも大事ですから。」

 時塚がまさに大上段の上から目線で俺様に講釈を垂れる。うむ、確かに30過ぎると却って好みにうるさくなるのも事実、気をつけねば。つーか、だいたい、時塚め、なぜおふくろと同じこと言っているのだ?


自分の部屋に帰ると、芽依ちゃんがソファでぐったりとしていた。晴れて女子大生になった芽依ちゃん。さすが理系学科の勉強は基礎科目ですらきついらしく、警察の仕事も合わせるとぐったりのようである。なお、シャワーは警視庁で済まして来た模様。芽依ちゃんはうつ伏せになったまま訴える。

「⋯⋯冷蔵庫に何も入ってなかったです。お腹空いて力が出ません⋯⋯。」

じゃあ、僕の顔を食べなよ!⋯⋯ってどこの菓子パンマンだよ。つーか人さまのおうちの冷蔵庫を開けるなんてお行儀が悪いざます!


 芽依ちゃんは大家さんの胡桃ちゃんから俺の部屋の合鍵も入手(ゲット)したらしく、まさに俺の部屋に入り浸り(フリーパス)状態である。あ、そうだ。この前実家に帰った時、おふくろに春巻をもらったんだたっけ。揚げる前のやつを冷凍してるやつだから、ちょっと調理に時間かかるけど待てる?


「⋯⋯ぅん。」

うつ伏せだった芽依ちゃんがこちらを見る。相変わらず笑い方がぎこちない。俺が春巻きを揚げ、ついでにレンチンご飯とインスタント味噌汁と刻み野菜の用意をしていると芽依ちゃんが封筒をテーブルに置く。


「エノさん、郵便物が来てました。」

それは実家の住所から転送されたものだった。そして俺が卒業直前に転校した小学校の同窓会のお知らせだった。


  芽依ちゃんがご飯を済ませ、さらに皿洗いと後片付けをさせている間に、俺は内容を確認する。同窓会か。考えてみれば、卒業生ではなかったからこれまで通知が来なかったのか。幹事はなんと俺をいじめていたグループの主犯格の同級生だった。まあ、医師になって親の診療所を継いだそうだし、地元の名士だからな。そして、そこには彼の書いたメモが挟まれていた。


「ご無沙汰しております、榎本君。最近、私は結婚して子供を授かりました。そして、ふとあなたの顔を思い出したのです。私は親になってみて初めて、とても自分が恐ろしいことをしてしまったことに気づき、後悔しました。もし自分の子供に私があなたにしたのと同じ仕打ちをする人間がいれば、私は絶対に許せそうにないのです。だからあなたに許してもらえるとは到底思えませんが、私はとても後悔しています。もしよろしければ同窓会であなたに謝罪する機会を頂けませんか。」


 俺は泣きそうになった。いや、芽依ちゃんがいなければ声をあげて泣いていたはずだ。誰かが俺に言ってくれたように、みんな時間の経過ととも少しづつ変化している。メンバーの全員が改心するはずもないが、誰一人として変わってないとは言い切れない。だからこそ、独りで苦々しさと憎しみの中でのたうち回っているより、明日への一歩を踏み出すことができたら、どんなにいいだろうか。


俺も出欠席の返答用紙のメモ欄に一筆加えた。

「最近、偶然ですが釼持先生にもお会いしました。時間が問題を解決することはありませんが、少なくとも互いに理解しようとする勇気ときっかけを与えてくれるのかもしれません。」


そして、出席に丸印をつけた。


「皿洗い完了しました。本日もご馳走様でした。」

芽依ちゃんが俺に敬礼する。俺も苦笑を浮かべて答礼すると芽依ちゃんの頭を撫でる。封書を出してくるついでにコンビニ行くんだが、付き合わない?

「アイスを奢っていただけるのであれば御供いたします。榎本特尉。」

再び慇懃な表情で敬礼する芽依ちゃん。よろしい、では出撃せよ!


「赤くて小さくて丸いやつぅ~。」

芽依ちゃんが不吉な歌を口ずさむ。あんまり高いのはだめだかんね。でも一個ならいいかあ。


 街灯の下を夜風が吹き抜ける。俺の足取りは仕事で疲れている割にとても軽いものに思えた。


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