冤罪をかけられた男爵
風で窓がガタガタと鳴る。蝋燭の光の中でヴォルド―男爵は手紙を書き終えてため息をつく。疲れたのだ。ガトス侯爵の野望、政治の渦、冤罪と知りながら面白可笑しくうっ憤を晴らす王、今も忠誠心を捨てきれない自分を含める全てに。彼は、もう一度、手紙を読む。
『子の名はアルヴァ』
良心が痛む。
「頼む、ラギ。」
震える手で男爵は静かに手紙を折り、封筒へと入れる。
「ヴォルドーは、正々堂々と逆らいますよ。こんな小細工や姑息な手は使うような真似をしません。」
一か月前の王都市での査問会議を思い出す。あの日、ラギ・フォスター伯爵は友情を最優先し男爵にかけられた疑いを真っ向から反論して見せた。度重なる無理な冤罪に、男爵の無実は貴族間では知れ渡っている。冤罪と知りながらも、誰も男爵を庇わない理由が、冤罪の作成者が若き王のお気に入りであるガトス侯爵だからだ。
先王陛下存命時に、ヴォルドーは信頼高い伯爵家だった。しかし、代々騎士の家系で真面目なヴォルドーは、当時の我儘な王太子とは気が合わなかった。いや、憎まれていたと言っても良いだろう。王族分家が数を減らした当時では、王の一人子である王太子を廃嫡することは出来なかった――例え、それが王命で決めた隣国王女との結婚を嫌がり、婚約が決まり王宮を退官する予定だった子爵令嬢を無理矢理手籠めにしたとしても。美人ではあっても自分より賢い王女を嫌い、王の直轄地である隣国国境付近で予定に無い軍事遠征を王太子が強硬したとしても。側近や議員や大臣が王太子を諫める中、男爵だったガトス一人だけが王太子に味方した。
それ以降も度重なる王太子の我儘に、議会で廃嫡を見直すと発表した翌日、先王は寝室で息絶えていた。明らかに怪しい状態だが、廃嫡されていない王太子は自然死だと言い切り、そのまま先王の葬式と王太子の即位式が行われた。
婚約者である隣国の王女を嫌った新王は、即位の場で、三年前に無理矢理手籠めにし第一王子を産んだ子爵令嬢を、王妃とした。先王に信頼されていたヴォルドーは、同月のうちに、元婚約者である王女を王妃となった子爵令嬢の侍女にすることを反対したことで子爵位に落とされた。王妃の切実なる要望に応えて、第二王子の誕生時の混乱で捕えられていた隣国の王女を隣国まで護衛した咎でさらに男爵へと落とされたのは即位二年目である。
それ以降は、大人しく王都市の館にこもっていたのだが、嫌がらせは続けられた。新王即位から毎年爵位を上げ、四年後に大臣へと昇格したガトスは、新王以上にヴォルドーを憎み、冤罪を被せる嫌がらせを続けた。庇ってくれたのは、若くして亡くなった前ヴォルドー伯爵の姉の嫁ぎ先である王国ただひとつの公爵家タンタロットである。しかし大陸一大王国ただひとりの公爵~~常に議会に出席もかなわず、先月の突発的な議会は隣国との話し合いで不在だった。
査問会議を思い出し、男爵は口元を歪めた。
馬鹿な友である。ヴォルドーを庇った咎でフォスター伯爵も男爵同様に自領地での謹慎を言いつけられた。冤罪からの死刑は免れたのだが、ヴォルドー男爵は身重の妻と冬到来時に王都市の北にある領地へと移動を余儀なくされた。
本格的な吹雪の前に、この砦に到着出来て良かったのだろう。一週間も続いた風が少し緩んだように思い、男爵は窓のカーテンを引いた。
闇が窓の外に広がる。雪はまだ降っているが風は殆ど無くなっている。しかし、防寒用の重工なカーテンと夜の闇の向こうに光が見えた。砦の周りを囲む丘の間を松明の列が見える。兵隊である。しかも一個隊だ。間違っても一領地の砦一つを攻める量ではない。
今夜は第一王子の七歳になった誕生祝いの宴会が王都市で行われているはずなので、王の勅命とは思えない。しかし、現実に、討伐隊が砦に向かっているのである。ヴォルドーは慌てて手紙を持ったまま部屋を飛び出した。
寝室前の廊下は二日前からざわめいている。走り回る産婆たちのうち、一人を捕まえて男爵は妻の状態を聞く。
「難産です。もう二日も産気付いているのに、いまだお生まれになっておりません。このままでは...」
疲れた顔で、言いにくそうに彼女は呟いた。
ヴォルドーの胸が痛む。体の弱く、霞のように今にも消えそうなターニャが出産に耐えられないことは知っていた。でも、彼女は産むっと言ったのだ。命に代えても子が欲しいと。妻の難産を覚悟していたのに、いざ始まってみると、男爵は落ち着かなかった。ただ、自分の元では命の危険があると思い、妹に頼んでラギの元に届けて貰おうと手紙を書いていたのだ。
男爵は砦の中央にある広場の上に位置するバルコニーに立った。闇の中の兵隊の列を見張りの者がすでに知らせたらしく、階下はすでに戦の準備を始めている。駆けつけて来た兵の報告を聞きながら、三日前の出来事が脳裏に蘇る。説得に応じないで砦に残ると言った人々、責めて子どもが生まれるまでいたいと涙ぐんだ者、死を恐れずに残ってくれた20人余りの兵たち、男爵は後悔した。無理にでも追い出せば良かった。まさか、討伐隊を出されるとは思ってもいらず、ましてやこんなに早く手を撃たれるとも。
バルコニーの主に気づいたのか、広場が静まった。言わねばならない思い事実に心が震えた。遅いかもしれない。でも犬死はさせたくない。一人でも多く助かってほしい。心からの祈りを神に捧げ、男爵は名門ヴォルドーの当主として指示を出した。
シェリ―はうとうととしていた。すでに一日半も寝ていない。待ち疲れて眠ってしまったのだ。ただ座って待つことの辛さは、父に叱られた幼児時代以来である。ふっと意識が戻り、起きていなければとシェリーは頬を叩いた。子が生まれ次第、彼女はともに逃れないといけない。王はすでに兄を断ち切っているだろう。敵対するガトスは、討伐隊の派遣を出そうと王を説得するはずだ。
覚醒した意識に様々な音が響く。部屋の奥からは何十回目だろうか、産婆さんたちの励ましの声が聞こえるが、シェリーが気になったのは砦の音だ。砦中が騒がしい。何事だろう?産婆さんたちの声に荒さが出て、シェリーの意識は部屋へと戻る。早口で互いに声を掛け合い世話なく動く産婆さんたち。パンパンと叩く音。産声と叫び声。部屋の中を想像して、シェリーは凍った。時が止まる。そして、ゆっくりと...本当にゆっくりと囁かれる悲鳴がドア越しに零れてくる。ヴォルドー家に長子が産まれ、奥方様が召された。
シェリーは疲弊した産婆さんから小さな命を渡された。弱弱しい声で泣いているこの子には輝かしい未来はない。寧ろ、王からは疎まれれる存在になるだろう。にもかかわらず、シェリーは微笑んだ。優しかったターニャ譲りの髪がふわふわしている。赤毛の混じった金髪...ストロベリーブロンドだ。瞳はヴォルドー家の濃い蒼色。壊れそうに無力で、人形の様に可愛い姪である。
突如兄が部屋に駆け込んだ。すすり泣く声を聞いて悟ったのか、彼はベッドに直進する。握っている抜け身の剣に驚く女性たちには目もくれず、彼は妻の頬にそっと触れる。
シェリーは廊下の向こうから聞こえ始めた乱闘の音に目を見張る。まさか、すでに討伐隊が来ているのか?兄の後に続いて来た騎士たちが産婆さんたちを纏める姿で、シェリーは現状を理解した。砦には非戦闘員が殆どだ。戦力となる騎士は20ちょっとしかいない。見習いを入れても30には足らず、産婆さんたちでも10人に近い。近くの村まで逃がす人数は、女こどもだけでも50人はいるだろう。脱出ルートがいくつかあるとはいえ、肝心の表と裏の門が確保出来なければ逃げられない。
「ターニャ」
廊下の向こうからの喧騒に消されそうな囁きだった。泣く訳でもなく、取り乱しもしない兄の姿にシェリーの心に怒りともどかしさが満ちた。逃げるために階段を下りているのだろう女たちの悲鳴が上がる。赤子を自分に括り付け、根気強くシェリーは、爪に別れを告げるヴォルドー当主を待った。振り返ってすれ違う時、彼はシェリーに一枚の紙を渡した。
「北西のマイルのラギ宛だ。こっちから行くぞ。」
続き部屋である当主の寝室の秘密通路を使って、二人は裏の厩の近くに出る。至る所で戦う人影が見える。兄が敵兵を倒し、逃げるように命令しながら走って裏門を確保する間に、シェリーは用意された兄の軍馬に飛び乗る。
「シェリー、生き延びろ!」
果敢にも敵兵を倒さんと砦へと戻る兄の最後の言葉だった。
裏門を潜り、シェリーは馬を走らせた。逃亡を防ごうとする敵兵の中、シェリーはただ抜ける事に集中した。人影も気配も消えた頃、追っ手が無いことを確かめたのち、彼女は砦を振り返った。空が赤く染まっている。ついさっきまで住んでいた砦は炎に包まれ天まで届く勢いで炎上している。もう、誰も生きてはないだろう。
足の焼けるような痛みが彼女を現実に戻した。股に怪我をしている。出血がひどい。馬を歩かせながら、シェリーは赤子を身体に括り直す。それからドレスの裾を裂いて足の応急手当をする。傷口は深かった。このままでは恐らく命を失うだろう。羽織っていたコートの留め金を固定し、子どもの温もりを確認してから、馬を走らせる。
『あのバカたちはヴォルドーが滅んだと思うだろう。確かに一個隊を相手に戦うのは不利。だが、ヴォルドーならば、戦うだけなら出来る。非戦闘員を非難させながらが無理に近かっただけだ。はたして、あの一個隊の何人が王都市に帰れるのか。私は死ぬけど知りたかったわ』
止んだ雪に感謝しつつ、凍った丘を越えながらシェリーは微笑んだ。心臓が足にあるように痛みが鼓動となって頭に響く。徐々に消えている足の感覚。足を伝って流れる血を感じなくなった頃、後ろから空が明るくなる。シェリーは必死に馬を走らせた。方角に間違いは無い。休まなければ今夜遅くには着くだろう。
ラギは手紙を破いて暖炉の中に投げた。しばらくは炎の熱気で舞った紙もすぐに燃えてなくなった。怒りのせいか、はたまた暖炉の炎からか、ラギの赤い髪は一層凄みを増した。
「止まらすに走らせたのでしょう。彼女は発見された時、すでに死んでいました。」
「手厚く葬ってやれ。子どもはどうした?」
「生きているのが不思議です。どうすれば良いでしょうか?」
ラギは信頼する老婆に目を向けた。
「どうするかだと?親友の忘れ形見だぞ!」
怒鳴る彼を恐れずに、彼女は答えた。
「私が聞きたいのは、貴方様の決心です。侯爵と対峙するのか、どう生き残るかということです。」
ラギは老婆に背を向けた。彼女はため息を吐く。ラギが産まれる前からエマというこの女性はフォスター伯爵家に仕えていた。先々代は彼女の才能を惜しみ、使用人でありながら跡取り息子と同じ教育を与えた。ラギはそのエマから学び、妻を得た後もエマに家のことを任せている。そんなエマには、今の当主が子どもの様に駄々を捏ねているように感じたのだ。こうなるだろうと踏んでいたが、いまだ自分に我儘を言う甘えた当主にエマは複雑に感じる。ラギが沈黙に耐えきれなくなる頃、エマは前もって考えていた事を口にする。
「馬を見つけた者三名、女中二名、計五名に特別ボーナスを口止め料として支払います。子どもは五日前の遠乗りで拾ったことにして養女にしましょう。ヴォルドーの事は知らなかった事にしてください。」
エマは話しながら、扉へと足を向ける。
「ばあや、ありがとう」
ラギが嬉しそうに声を掛ける。
「子どもはライ様が奥方様に見せるといっていました。」
ラギはライっという四歳になった次男を思い出して微笑んだ。年下は損をするっと日頃から文句を言っていた彼は、妹が出来ることを喜ぶだろう。ふと、エマの言葉を思い出す。なんでライが妻にこどもを見せるのだ?慌ててラギはエマを見るが、扉が無常にも閉まった瞬間だった。
エマは廊下を急いで渉る。そろそろ東の空が明るくなるだろう。その前に、あの五名に約束したボーナスが許されたことを話さないと。
気に言ってくれたら、こどもの話を続編にしようかと思っています。
あやふやな日本語ですみません。