死んだはずの転入生
執筆当時は禁書の御○美琴やストブラの姫○雪菜などのツンデレキャラが大好きでした。前半の茶番は自分なりのツンデレキャラを作ろうとした結果です。
……というか、また予想以上に長くなってしまいました……。
すみません、ほんとに…
九弦と別れてから十分後、特に大きな問題も無く学校へと着いた。そして二人はエレベーターを使って八階にある自分たちの教室へ向かう。
しかし海斗と夏音は、教室の入口の前で立ち止まった。
「……罠だよな」
「……きっと罠ね」
二人して同じ感想を呟く。
横にスライドさせる式の扉は完全に閉まっておらず、空いたスペースの上の方には黒板消しが挟んであった。古典的なイタズラである。
「けど先に見つけられたら意味ないよな」
そう言って、海斗は躊躇いなく扉を開けた。そのまま黒板消しが彼の目の前を落下していく。
「はいはい、くだらないくだらナグァ⁉」
黒板消しが落ちた後、バケツがスイングしてくるという二重の罠。海斗はそのバケツを顔面で受け止め、勢いよく吹っ飛ばされる。
「ちょ、大丈夫⁉」
「イエーイ、やりましたよ!」
教室の中から楽しそうな声が聞こえてくる。すると教室の中から、カメラを持った短髪の少女が出てきた。夏音はその少女の高テンションぶりに、呆れた顔になる。
「佑夏……朝から何やってるのよ」
名前を呼ばれたその少女―――白石佑夏は無邪気そうな表情を夏音に向ける。
「おっ、夏音さんじゃないですか! おはようございます!」
「おはよう。 ……この罠アンタが作ったの?」
「いえいえ違いますよー。佑夏ちゃんは冗談で提案しただけです。けど九弦さんはガチになったみたいで、朝来たらそれができてたんですよ」
そう言いながら、佑夏は再度罠を設置し直している。
「……一応アンタも関わったのね。まったく、アンタらはいつも変なものに全力を注ぐんだから」
「アハハー、褒められると照れちゃいますよ」
「褒めてないけどね」
そこで夏音は会話を中断し、倒れて呻き声を上げている海斗のもとへ向かう。
「意識はあるかしら?」
「なん、とか。……ていうか、佑夏は知ってたのなら撤去しろよ! なんでそのままにしてたんだ⁉」
「だってせっかく作ったのなら壊すのはもったいないじゃないですか。それに他にも引っかかる人がいたら面白そうだなーって思いまして」
「お前な……」
この祐夏という少女は、面白い出来事や事件に目がなく、日々校内を走り回って取材したりしている。そしてその取材した内容を『祐夏新聞』という記事にして、校内にばらまくという大変迷惑なことを行っていたりする。
そんな祐夏からしてみれば、この罠に引っ掛かる人間の写真はいいネタになるだろう。
そう考えていた海斗だったが、祐夏の返答に違和感があった。
「……あれ、他にも?」
「うっ……」
すると佑夏がしまった、という顔をする。
その顔をよく見れば鼻が若干赤くなっており、頭には少しだけ白い粉が付いていた。
たぶん黒板消しとバケツの両方を受けたのだろうと、海斗は察する。
「……ごめん」
とりあえず謝ることにした。
「ざ、残念なものを見たような表情で謝られた⁉ ちょ、ちょっと、なんか負けた気分になるのでやめてくださいよ!」
「……ごめん」
「だからやめてくださいってば‼ あとなんでさっきから顔を逸らし続けるんですか⁉」
佑夏は猛然と抗議してくるが、海斗は申し訳ない気持ちがあって彼女の顔を直視できない。
「う~。こうなったらさっき撮った、海斗さんが吹っ飛ばされている写真を一面に飾ってスクープ組んでやりますよ!」
「八つ当たりが過ぎる! なんで俺がそんな仕打ちを受けなきゃいけないんだ⁉」
「そんな理由、海斗さんの面白い写真が撮れたから、で十分です! とにかく善は急げ、ひとまず五十部ほど印刷してきます!」
そういって佑夏は愛用の一眼レフカメラを抱え、教室から脱兎の如く飛び出していった。慌てて海斗も追いかける。
「ちょっと待て、そのカメラ置いていけええええええぇぇぇぇ――――――――――‼」
「ハッハッハー‼ 普段取材とかで校内を走り回ってる佑夏ちゃんには追いつけませんよ!」
そして嵐のように二人が過ぎ去ったあと、一人残された夏音は口元を緩ませて、
「まったく、朝から元気ね」
と呟いた。
そして教室の中へ入り、自分の席で一限目の準備をすることにした。今日の日程を確認するため、黒板に目を向ける。
「……あれ? 時間割変わってる」
夏音の記憶が正しければ一限目の内容は国語だったはずだ。しかし国語だった場所はLHRと書き換えられていた。
「まあ、LHRなら教科書いらないし大丈夫よね」
そして、ふと気づいた。いつも通りの教室に、些細な変化がある。
「え……机、増えてる……⁉」
本来四つしかないはずの机が五つに増えていた。これが意味することは一つ。
「転入生が来るっていうの……?」
覚醒者の訓練や調査を行う『乖離の箱庭』において、時季外れの転入生というのはそこまで珍しいことではない。なぜなら覚醒者と判明した者は、よほどの理由がない限り、この『乖離の箱庭』に移住することを義務付けられているからだ。
だからこそ、夏休み一歩手前のこの時期に転入生が来るということに、誰も疑問を抱くことはない。
だが、知らず夏音の手が震えていた。ただし新しいクラスメイトが増える喜びを感じているのではない。
彼女は純粋に、焦っていた。
(早い、まだ早すぎるわ……! ただでさえ、アイツはあの事件を乗り切れていないのに……)
たまらず歯噛みする。しかしこの転入生の件は、学校側で決定事項となったのだろう。きっと彼女の一存で覆すことは不可能だ。
そう考え、深呼吸をして無理やり苛立ちを抑えつけた夏音は、机に腰かけて天井を見上げた。
「本当に、現実ってのは容赦が無いわね……」
そう言って、ひとまず転入生のことを考えるのを止めた。代わりに、教室から出ていった海斗らを待つか、それとも追いかけようか考える。
すると、どこかで太鼓を叩くような音と、ついでに「ほわーっ⁉」という声が聞こえてきた。
「佑夏の声? なにかあったのかしら」
様子を見に行こうと廊下に出てみると、佑夏の首根っこを掴んだ海斗が帰ってきた。
「お帰りなさい、遅かったわね」
海斗の実力を知っている夏音は、予想以上に佑夏が逃げ続けたことに内心驚いていた。
「直線ならすぐにでも追いつけたんだけどな……」
海斗はゲッソリとした表情でため息を吐く。佑夏を捕まえるのにかなり体力を使ったらしい。
というのも、佑夏は自分で言った通り、かなり足が速かった。さらには小回りの利くその小さな体で、角やカーブをきれいに曲がり海斗との距離を縮めないよう奮闘していた。
しかしその努力も空しく捕まった佑夏は、口を尖らせて不満を漏らしていた。
「卑怯ですー! 海斗さん能力使ったんですよ。ひどいと思いませんか?」
「ああ、あの『技』を使ったのね。……にしても、こんなくだらないことで使う必要あったかしら?」
「とりあえず俺の不名誉が拡散されるのは防げたから、何も問題ない」
「まあ『佑夏新聞』に載ってもいいことないものね。そう考えるとその判断は妥当だと思うわ」
「ちょっと⁉ 夏音さんもそんな理由で納得しないでくださいよ!」
「まあその件はさて置いて、アンタも能力を使うのは大概にしときなさい。一応禁止されているんだから」
たとえ全生徒が覚醒者であるこの学校でも、不用意に能力を使用することが禁じられているのは変わらない。基本的に使っているところを見られたら、即刻指導室行きである。
「努力はするけど……」
「……ふーん、断言できないんだ」
すると少し考えた夏音は、海斗に勢いよく指を突きつける。
「なら、先生の代わりにアタシが罰を与えてあげるわ」
「え、なんでそうなるの⁉」
「だってルールを破ったのなら、お仕置きって必要でしょう? それを先生の代わりにアタシ行うだけだし、何も問題は無いわ。……というわけで、アンタには今度、アタシの命令を聞いてもらいます」
そう言う夏音の頬は、なぜかうっすらと赤かった。
(ああ、なるほど……夏音さんってば、ただ単に海斗さんと遊ぶ口実を作りたいだけなんですね)
彼女の意図に気づいた佑夏は、そのあまりの不器用さに思わず小さく苦笑した。
(いやー、にしても罰はないでしょ罰って。そんなんじゃ海斗さん怖がっちゃいますよ? まっ、そんなこと無いと思いますけど……あれ?)
佑夏としては冗談のつもりだったのだが、海斗を見てみると若干青ざめていた。その反応に、夏音は怪訝な顔をする。
「……ちょっと、どうしたのよ?」
「い、いや、お前からの罰って想像するだけで怖いんだが……ま、まさか的になれとか言わないよな? な⁉」
これがまだ、余裕の混じった冗談ならば、夏音もそんなわけないと簡単に否定できた。……が、どう見ても彼は本気で怯えている。
その様子を見て、佑夏は事の成り行きを想像し頭を抱える。
(ちょっと海斗さーん⁉ あなたも恋愛関係はバカの類の人なんですか⁉ ちょっと考えたら冗談だとか言い回しだってわかりますよね⁉)
……とは言うものの、海斗は昨日よくわからない理由で夏音に追いかけまわされたばかりである。そう考えると今の海斗の反応も仕方なく感じる。
しかし、夏音はその反応がお気に召さなかったようで、
「……………………………………あ?」
思わず漏れた、重低音の威圧声。夏音の背後に鬼神のようなものが見えるのは果たして気のせいか。
事態の深刻さをいち早く感じた佑夏は全力で海斗の手を振りほどき、急いで距離をとった。夏音はそんな彼女に目もくれずに、ゆっくりと海斗へ近づいていく。
「ねぇアンタ。……アタシをどういう人間と思ってるのかしら……?」
「いやだって! こういうときのお前は物騒なことしか考えてないだろ⁉ 昨日とかも道中でいきなり発砲し始めるし、今度は何を考え―――⁉」
海斗の言葉が途切れたのは、夏音が海斗目掛けて足払いを掛けたから。ただし、その威力は尋常ないものだったため、海斗は転ぶのではなく、宙に浮かんで半回転。そのまま顔面から着地した。
「ェグッ!」
間抜けな悲鳴を上げる海斗を見下ろし、夏音は怒り心頭と言った感じだ。
「……アタシがいつもいつも物騒な事しか考えていない、ですって? そんなわけないでしょうがこの大バカ‼」
そう言い放つと、夏音は自分の席に荒々しくついた。
一方、海斗は顔を手で押さえながら弱々しく起き上がる。
「今の、俺が悪いのか……?」
「そりゃもう、死刑レベルです」
心底呆れた、といった様子で避難していた佑夏が戻ってくる。
「……もしかしてお前も怒ってる?」
「怒ってはいませんよ。ただ呆れてるだけです」
「はあ?」
「ともかく、海斗さんは乙女心をもっと知った方がいいですよ」
そう言って制服を翻し、優雅に立ち去ろうとする佑夏。
が、海斗は彼女の肩を掴んで逃走を阻止する。
「おい、どさくさに紛れてカメラを持っていくな」
「……ナ、ナンノコトデショウカ?」
「いいからデータを消せ……!」
そんなやり取りをしていると、九弦が思いっきりドアを開けて登場した。
「おいコラてめベラッ⁉」
そして自分で作った罠に吹っ飛ばされる。
「……海斗さん、同じリアクションですよ」
何気ない佑夏の感想は、海斗の心を粉々にした。
「くそっ、昨日作ったの忘れてた!」
悪態を吐きながら、九弦は海斗へと詰め寄っていく。
「テメェよくもやってくれたな! お前のせいで救急隊員のおっちゃんにすげぇ怒られたんだぞ!」
「知るか。そもそもの発端はお前が原因だろ」
「冷てぇなおい⁉」
その後も突っかかってはみるものの、見事にあしらわれたため、九弦は別の方法で仕返しを行うことにした。
(こうなりゃ夏音をブチ切れさせて、テメェにぶつけてやんよ……覚悟しやがれ!)
九弦はこれまで、怒った夏音に四苦八苦する海斗の姿を何度も見てきた。だからこそ何かしらのデマを彼女に流して怒らせて、それを海斗にぶつければ一泡食わせられるだろう。
そして彼は、すぐさま実行に移した。気さくな笑みを作って夏音に話しかける。
「なぁ、かの―――」
名前すらまともに呼び終わっていないのに、銃弾という形で返答が飛んできた。耳を掠めていった風切り音に、九弦の表情が笑顔のまま固まる。
自身の愛銃を構える夏音は、不機嫌極まりないといった様子で九弦を睨みつける。
「黙りなさい。……ぶち殺すわよ?」
「……いぇ、イェッサー……」
ガチガチになりながら、なぜか敬礼をする九弦。そして回れ右をすると、壊れた機械人形のようにぎこちない動きで海斗たちの方へ向かい、小声で話始めた。
「……おい、なんであいつはブチ切れてんだ⁉ 気迫だけで殺されるかと思ったぞ⁉」
「さぁ、俺はまったくわから―――」
「元凶は海斗さんですよ」
「海斗テメェェェェェェェェェェェェ!」
「だからなんで俺なんだよ⁉」
九弦と海斗の取っ組み合いが始まる。そこに再び銃弾が飛んできた。
「……ねぇ二人とも。アタシは今、黙りなさいって言ったわよね」
ヘビににらまれた何とやら。固まった二人に銃を向け、彼女はほぼ感情の無い目で睨みつける。
「そんなことも守れないなら……ゴム弾と鉛弾、どちらがいいかしら?」
「九弦、席につけ! このままだとお仕置きと称して殺される!」
「オッケーだぜ親友!」
そして二人は慌ただしく席についた。途端、教室に沈黙が流れ始める。
一方、先程から傍観を決め込んでいた佑夏は、ニヤニヤしながら夏音の方へ近づいた。
「ドンマイです、夏音さん。現実ってホント恐ろしいですね」
「何よ。……アタシだって好きでやってるわけじゃないのに……」
話しかけてきたのが祐夏だとわかると、途端にしおらしくなる夏音。
祐夏はそんな彼女を気づかって、何も言わずに自らの席にく。
「うーん、恋する乙女というのも大変ですねぇ。……私も人のことは言えませんけど」
そして、誰にも聞こえない声で、そう言った。
◆◇◆◇◆
「おーし、全員揃ってるかー? 朝礼始めっぞ」
そう言って教室に入ってきたのは、海斗たちのクラスの担任である式織秋隆だ。
ちなみに九弦が仕掛けた罠はすでに撤去しておいてある。
「連絡事項は……あー、二つだな」
秋隆は連絡簿を広げると、いきなりしかめっ面になる。
「アキちゃんどうした? 朝からそんな顔して、将来しわになるぞ」
「黙れクソガキ。教師をフレンドネームで呼ぶんじゃねぇ、蹴り飛ばすぞ」
……教育委員会が聞いたら卒倒しそうな乱暴な言葉使い。どうやら極めて不機嫌な様子だった。
(あれはあんまり刺激しない方がいいな……)
口にせず、そう考えていた海斗に、秋隆の不機嫌な視線が向けられた。
「一つは朝っぱらから、よりによって校内で能力を使用した大馬鹿野郎がいるらしい。知ってると思うが、無許可の能力使用は校則違反どころか条例違反だ。決して勝手に使ったりしないように。……だそうだ、海斗」
「……以後、気を付けます……」
まさかの原因は海斗本人だった。
「ったく、次に同じことしたら『秋隆スペシャル』だからな? 気を付けろ」
『秋隆スペシャル』とは、秋隆の得意とする柔道の技のフルコースである。前に一度だけ九弦が受けたことがあるのだが、キレイな花がいっぱいの川を見た、と受けた本人が語っている。
次から佑夏を追いかけるときは先回りしようと固く誓う海斗をよそに、秋隆は再び連絡簿に目を通す。
「そんで二つ目。今日から転入生が来ることになった。一時間目の変更はそのためだ」
一瞬、教室が静寂に包まれる。
最初に静寂を破ったのは、九弦と佑夏の歓声だった。
「マジで⁉ アキちゃん、その転入生ってどんなやつなんだ⁉ スゲェ楽しみなんだけど!」
「その転入生って何歳ですか? 私よりも年下ですか? 年下なんですよね⁉」
「落ち着けお前ら。質問タイムならLHRの時間に設けるから、そんときに訊いてみろ。あと九弦、テメェは今日の課題、倍にしてやるから覚悟しとけ」
「そりゃないぜアキちゃん⁉」
転入生が来ることに、テンションが高くなっている九弦と祐夏。
一方、転入生が来ることに、険しい顔をしている者がいた。
海斗と夏音。このクラスで唯一、一年前の『事件』を知っている二人だ。
「ねぇ海斗、わかってると思うけど……」
夏音は他の面子に聞かれないような小声で、海斗に話かける。
「今回の転入生、必要以上に関わらない方がいいわ。その……また、つらい思いをすることになるかもしれないから」
それは忠告だった。一年前の『事件』を知っている夏音は、海斗が再び転入生と関わって不幸な結末を迎えないようにするために、あえてくぎを刺すことにした。
「……ごめん、たぶんそれは無理だ」
しかし、返ってきた言葉は夏音が期待した返事とは違っていた。
「……どうして? ここで関わったら、アンタはまた何かを失ってしまうかもしれないのよ⁉」
海斗を諦めさせるため、夏音は必死で反論する。けれど、海斗の答えは変わらなかった。
「それでもだ。……昨日のアイツと転入生、偶然にしてはタイミングが合いすぎてる。もしも、これから来る転入生が俺の知ってる奴なら……俺はもう逃げれない。きっと、見て見ぬふりなんて不可能だ」
「何を……言ってるの?」
手を握りしめ、苦しそうに呟く海斗を、夏音は本気で心配する。
「簡単に言えばさ」
海斗は夏音の目を見る。夏音はその目に、苦しみと悲しみ、そして少しだけ、喜びの色が混じっているように見えた。
「一年前の再来だよ」
海斗は、そう、告げた。
◆◇◆◇◆
そして朝礼は終わり、十分間の休み時間になった。
本来なら次の授業の準備をしたりする時間なのだが、その次の授業が何も必要ないため、雑談タイムになるのが普通だった。
しかしその休み時間、海斗と夏音は互いに深刻そうな顔をして過ごしていた。
「なぁ祐夏、あいつら何かあったのか? 夏音どころか、海斗も不機嫌そうになってるじゃん」
「……さっきの夏音さんの怒りようは、百パーセント海斗さんが悪いんですけどねぇ。その海斗さんも不機嫌となると、海斗さん自身がやらかしたことを理解したか、あるいは単なる逆ギレでしょうか?」
九弦と祐夏は、教室の隅で二人の心境について、考察し合う。
「そういや朝も夏音は怒ってたが、海斗は何かやらかしたのか?」
「やらかしたも何も、いつも通り海斗さんが唐変木力を発揮して、それに夏音さんがブチ切れて、空回りしたってだけですよ」
「なんだ、本当にいつも通りじゃねぇか」
「だからそう言ってるじゃないですかー」
二人は、下らないと言えば下らない話を続けていた。
が、突然九弦が真面目な顔になる。
「……んで、海斗は笑ってたか?」
その質問に、祐夏は首を横に振る。
「ダメでしたね、昨日九弦さんが仕掛けてたあの罠に引っ掛かっても、全然笑っていませんでした」
「そうか……あれ、自信作だったんだけどなぁ……」
がっくりと肩を落とす九弦。祐夏は、その肩を優しく叩いた。
「まぁ気長に行きましょう」
「そうだな、……じゃあ次はどうする?」
そして、二人は海斗を笑わせるため、再び作戦を立て直し始める。
(……………………聞こえてるんだよな)
一方、海斗は表情を変えず、心の中でそう呟いた。
(まぁ、朝の罠もそんなことだろうとは思っていたけど)
そう。海斗があれだけ理不尽な目にあっているのは、裏を返せば全て友人たちの気遣いだったりする。……当事者たちは隠してるつもりでも、普通に耳に入ってくるためバレてはいるのだが。
(確かに笑いそうになることもあるけどさ……心の中のアイツがそれを許してくれないんだよ)
笑いたくても、笑えない。笑おうとすれば、心のどこかでストッパーが掛かってしまう。
(それに……そんなこと聞いたら、怒るに怒れないじゃないか……)
そう、九弦たちが気遣い続けた結果、海斗は彼らの前で怒ることもできなくなった。
笑顔に続き、怒りも失いかけている。
人間から二つも感情が抜けて、果たしてそれが人間と呼べるのか、海斗は怖くてたまらない。
だけど、
(……くそ、何が怖いだ。全部の原因を人のせいにして事実から目を逸らして逃げてるやつに、そんなことを考える権利は無いだろ)
そうして再び自己嫌悪の螺旋階段を降りていく。
最深部に着いたとき、そこに何があるのか、海斗にはわからない。
◆◇◇◇◆
やがて、一限目の開始を示すチャイムが鳴った。
「うーし、それじゃあ始めんぞー」
そう言いながら秋隆が教室に入ってきた。しかし、肝心の転入生はどこにもいない。
「あれ? 先生、転入生の方はどこですか?」
皆の疑問を代弁して夏音が訊く。すると秋隆は肩をすくめて廊下の方を指さした。
「いやな、ここに来るまでずっと一緒にいたんだが、どうも緊張しすぎててな。とりあえず落ち着いてから入って来いって言っといたから、もう少し待ってやってくれ」
「そりゃしゃーね―な。俺だってアキちゃんみたいなゴツい先生といたら冷や汗ダラダラだし」
「ようし、テメェには特別に『秋隆スペシャル』を三セット行ってやる。泣いてよろこべ」
「おお、前に一度で九弦さんに三途の川を見せた、あの『秋隆スペシャル』を三セットもですか。やりましたね九弦さん、きっと三途の川横断いけますよ!」
「止めてくれよ⁉ あれ本気で死ぬかと思うくらいキツかったんだからな!」
あっという間に教室が騒がしくなる。このクラスでこうなるのはいつも通りのことなのだが、今日に限っては海斗と夏音はそろって呆れていた。
「……ねえ、これってさ、……転入生の人、すごく入りづらいわよね?」
「この空気の中に入るのはアウェー感が凄いだろうな……」
しかし意外にも早く、転入生の「せ、先生! もう大丈夫です!」という声が聞こえてきた。おそらく極限の緊張状態で、周りの音が聴こえていなかったのだろう。そこは不幸中の幸いと言うべきか。
(……え、この声って……)
一瞬、夏音は聞こえてきた声に眉をひそめる。すると横で、顔を伏せた海斗が「……やっぱりか」と小さな呟きを漏らした。
だがその意味について問い詰めようとする前に、秋隆が静かにするようにと合図を掛けた。
「それじゃあ紹介するぞ。今日から新たなクラスの一員となる―――」
異様に張り詰めた空気の中、静かに音を立てながら教室のドアが開かれる。そしておずおずと、転入生が入ってきた。
「―――雨宮詩歌さんだ」
その姿を見て、九弦はクラスに女子が増えたと、両手を叩いて喜んだ。
その姿を見て、祐夏は転入生の年齢を推測し始めた。
その姿を見て、夏音は今起こっている出来事が本当に現実なのかと思わず疑った。
その姿を見て、海斗は歯を食い縛りながら俯き、呻き声を小さく上げた。
「え、えっと……あ、雨宮詩歌です。ほ、本日から、こにょクラスに、なることになりました! よ、よろしゅくおねがいいたしましゅ‼」
雨宮詩歌と名乗った少女は、顔を真っ赤にしながら自己紹介をしてくる。極限の緊張状態によって、所々噛んでいるのはご愛嬌と言うべきか。
「てなわけで、今日からクラスの一員となる雨宮さんだ。みんな、仲よくしてやれ。……そんじゃ、堅苦しいのも終わったところで質問タイムと行くか!」
「はい⁉ ちょ、質問タイムって何ですか⁉ 私聞いてないんですけど……」
「ハハハ、細けぇことはいいんだよ、このクラスに馴染んでもらうための一興だと思ってくれ」
ただでさえ緊張でガチガチの詩歌に、追い打ちをかけるようなこの仕打ち。気のせいか、本人の顔色が徐々に青ざめているように見える。
「はいはいはーい! 失礼ですが、年齢を教えてくださいです!」
いきなり始まった質問タイム。そんな中で、いち早く手を上げたのは祐夏だった。
クラスで一番年下の祐夏は、周りとの年齢差に若干コンプレックスを持っており、こうして入ってくる転入生にはとりあえず年齢を聞いている。
「じ、じゅうろ……あ、いや、十七歳です」
「……?」
何か言いかけたが、ふと思い出したような感じで自分の年齢を答える詩歌。その答えに、海斗は小さな違和感を抱いた。
「ああああああああああ……また年上ですか―――――!」
一方、祐夏は詩歌の年齢を聞いて、大袈裟に悲鳴を上げた。
「まあ、その、なんだ……ドンマイだ、佑夏」
「そんな無理して作ったような爽やかな笑顔でなんでも解決できると思ったら大間違いです! というか九弦さんに同情されたのが心底腹立たしいですよクソッタレ‼」
「わかったわーかった。いずれお前も成長するんだから、焦らずに我慢しとけ。な?」
「腹立ちますねぇその余裕! チクショー、私より年上の奴らなんて滅んでしまえー!」
「……先生、質問タイムっていつ終わるんですか……?」
「……すまない、このバカ二人には質問権を与えるべきじゃなかったな……」
既に空気の流れについていけなくなった詩歌の救援要請を受けて、ひとまず落ち着くようにと秋隆は二人に注意した。……いつもなら鉄拳制裁なのだが、今日は転入性がいる手前、自重したのだろう。
「……はい」
そしてようやく静かになった中、次に手を上げたのは夏音だった。
「おっ、夏音か。いいぞ、お前なら変な質問もしないだろう」
普段の行動がアレでも、学校内では優等生な夏音は、秋隆からの評価は高い。そのため、彼も安心して指名することができた。
「アンタ、誰なの?」
「………………んー?」
が、彼女の質問は秋隆を呆けさせるほど、おかしなものだった。
「え、えっと、私は雨み……」
「アタシが聞いてるのはそういうことじゃない。アンタは何者かって聞いてんの」
「ご、ごめんなさい、言ってる意味が……」
「お、おい夏音どうした? いつものお前らしくないぞ」
夏音のただならぬ威圧感に、詩歌は怯え、秋隆は怪訝な顔をした。
「夏音、やめろ。雨宮さんが困ってる」
すると今までずっと俯いていた海斗が、興奮しかけている夏音をなだめた。
「っ、けど……!」
「いいから座れ。お前の言いたいこともわかるけど、この反応からしてこいつは何も知らない。だから今は追及しても無駄だ」
その声は重く、未だ納得しきれていない夏音を渋々ながら席に座らせた。
そして彼が前を向いた時、空気の流れに戸惑っていた詩歌と目が合う。その瞬間、彼女は目を見開いて驚いていた。
「なんで、あなたが……⁉」
「すみません雨宮さん、俺も質問いいですか?」
「え? あ、はい」
突然の質問に面食らった詩歌は、思わず頷いてしまった。
そして海斗は一呼吸の間を置いて、切り込むように訊ねる。
「あなたの、能力は何ですか?」
その問いは、海斗にとって確信を得るためのもの。もしもこの答えが、海斗の考えているものと合致するのであれば―――
「えっと、たしか『翻訳=全種対応』って言われました」
―――この少女は、間違いなく一年前と同じ運命を辿ることになる。
(こんな……こんなの、嘘よ……)
その答えを聞いて、夏音は呆然とした。もはやこれは酷似の比ではない。
名前、性格、特徴、顔つき、能力に至るまで、その何もかもが、かつての少女と全て同じだった。
「ゆなふぁ……ダメだわかんねぇ……。いったいどんな能力なんだ?」
一方、能力名を聞き取れなかった九弦は、首を傾げてその能力の詳細を尋ねる。
「……どんな生物でも会話ができる、といった感じです。例えば草や虫とかですね」
自分の能力を説明する詩歌。その口調は、ひどく淡々としていた。
しかしそんな些細なことに気づかない九弦は、勝手に興奮し始める。
「なにそれスゲェ! じゃあそこらを飛んでるトンボとかとも話せんのか⁉」
「は、はい。たぶん大丈夫だと思います。……やったことは無いですけど」
「マジか! よっしゃ、ちょっと外出て捕まえてくるわ!」
そう言って時間が惜しいとばかりに、九弦は速攻で教室から出ようとする。
「逃がすかこのボケェ‼」
「ブゴォア⁉」
しかしそうはさせまいと繰り出した秋隆のラリアットが、見事に九弦へヒットした。
「ったく、今は授業中だろうが。……まあお前の気持ちもわからんでもない。どうだ雨宮さん、皆に能力を披露してやってくれないか」
それは秋隆なりの配慮だったのだろう。そうすることで、詩歌とクラスの距離が縮まると、考えたに違いない。だけど、
(ああ、それは……)
禁句だ、と海斗は口だけを動かした。誰も、その意味はおろか、言葉にすら気づきはしない。
「え⁉ ……いえ、それは……」
始めは驚きこそしたものの、やがてその表情に陰りが見える。自分のスカートを、大きなしわができるくらい握りしめ、俯いている。
「だろアキちゃん! じゃあ、次の休み時間にでも捕まえてくるわ!!」
でも、その異変に気づいているのは海斗と夏音だけ。そして、その異変の理由を知っているのは海斗だけ。
「草とかも大丈夫って言ってましたよね。なら私はその辺に生えてる雑草とか取ってきましょう!」
だから海斗は、耳を塞いで目を閉じた。もう二度と、その悲痛な表情を見たくなかったから。
「や……やめてっ‼」
追い詰められた者の悲鳴が、楽しげだった空気を引き裂いた。
「お、おい? 雨宮ちゃんどうした?」
「なんか私たち、悪いことしましたか……?」
生物採取の計画を建てていた二人は戸惑って、詩歌を心配する。
彼女は、泣いていた。
「……お願いします。私に、能力を使わせないで……」
彼女は泣きながら、そう言った。