9 ジョゼ再び
9 ジョゼ再び
二月になった。一月を迎えるときよりも幾分か安定した気持ちで新しい月を迎えることができた。これもすべてあの大学で出会った警備員のおじさんたちのおかげだとエリックは理解していた。あの日勇気を出してイレールと大学への突撃を敢行して心の底から良かったと思える。もしあの日の出会いがなければ、今ごろ自分たちはさらに途方に暮れていたことだろう。もう一歩も部屋から出ない、出たとしても近所のコンビニくらい、しかも相当――どうして今食べなければ気が収まらない食べたいもの(たとえばプリンとか)があるときくらいしか外へ出ようという気力もなかったことだろう。あのするめはうまかった。伝説だった。もはや伝説としてのちのちに語り継がれてもまったくおかしくないほどのクオリティーだろう。またするめが食べたい。
エリックはその日、いつの日かココアを買い求めたように、今日はするめを近くのコンビニまで買い求めに出かける予定だった。あの日の伝説のするめと同じものが手に入るとは思っていなかったが、それにしてもするめが食べたかったのである。するめであればある程度のクオリティーでもまったく問題がなかった。むしろあのときと同じクオリティーのするめがコンビニ販売の品で再現されていたら伝説への価値が下がるというものだ。どうかクオリティーは若干低めで、しかし十分に「ああするめを食べた」と満足させてくれるくらいのものを手に入れたかった。彼からは、いつしか高校を卒業したあとの不安は何となくだが、漠然と以前よりは取り除かれていた。具体的に何かしらの行動に着手したというわけではなかったが、頭の中には大学が君臨することになっていた。その大学のあるおかげで、無駄に悩むことが少なくなっていたのだ。果たしてそれがいいことなのか悪いことなのか、もしかするとエリックは考えたくなかったのかもしれない。考えたくなかっただけなのかも! まだまだ卒業後の未来に対する不安はぬぐえていないはずだが、しかし人生には休憩という時間の必要なこともまた確かである。エリックは近くのコンビニまでするめを買い求めに出かけた。
コンビニに入ると、レジに見覚えのある人物の顔があった。いつの日かココアを買い求めにやってきたときにばったり遭遇し「これからの時期は学校へはほとんど通わなくてもいいんだぜ」という情報をくれたジョゼだった。ジョゼ・パストゥールその人だった!
エリックは思わず彼に声をかけた。「お前こんなところで何をしているんだ? こんなところで何をしているっていうんだ! そんなコンビニの店員の制服のようなものをきやがって! そんな制服のようなものを召しやがってな。一体何に対する悪ふざけだというんだ? 何のためにそんなことをしているんだ? ここへやってくるクラスメイトたちを笑かそうとでもいうのか? ここにやってくる自分の知り合いたちをちょっと笑かせてやろうとでも考えているんじゃないだろうな? ははは、そうはいかんとも。俺はお前のそんな浅はかな策略にはのらんのだ」
「どうしたんだエリック」ジョゼが言う。「急に笑って気持ち悪いぜ。俺はここで働いているんだよ。俺はここで昔からアルバイトの店員として働いているんだぜ? だからふざけているわけではないよ。ふざけているわけでここの店員の服を着ているわけじゃないんだ。ちゃんとここの店員の一人として今日この服を着ているのさ」
「だから笑わせないでくれってばジョゼ!」エリックは言った。「本当にお前はさっきから何を言っているんだ? 何のことについて語っている? わけのわからないことをわけのわからないまま延々と喋っていたい気持ちというのは、もちろん俺もお前と同じ若者だからそれなりに共感してやれるが、しかしそれにも度というものがあるんだぞ、度というものがな! お前がここのコンビニの店員だって? これがふざけていないとしたら一体何がふざけていることになるというのかな。お前はここの店員じゃなくて高校生だろう! 俺と同じ高校に通っている高校生じゃないか。あの一緒に学んできた三年間の日々は何だというんだ」
「は?」ジョゼが言う。「エリック、エリックよ。お前こそどうかしているんじゃないのか? お前こそ言っていることの意味がわからないんだぜ? 確かにそうさ。俺は確かに高校生だよ。お前と同じ高校で三年間学び続けてきた高校生なんだ。だがここの店員でもあるんだよ。ここのコンビニの店員として、俺はずっと昔から働いてきたんだ」
「コピーロボットの話かな?」エリックが言う。「お前は今それくらい不思議な話をしているんだぜ。俺の口から今コピーロボットなる謎の単語を引き出してくるくらいにわけのわからない話をしている。はまっているのか? 今お前はそうやって他人にいきなりわけのわからない話を仕掛けて、それでそいつのリアクションを見るという悪趣味にはまっているというのかな? とにかくわけがわからないだろう。本当にわけがわからないのはどっちだ! お前の言っていることは矛盾しているぞ。高校生だがコンビニの店員でもあるだって? ということはお前は二人いるのか。二つの体を駆使して毎日という時間をがんばって生きているとでもいうのかな?」
話は平行線だった。ジョゼがエリックにとってわけのわからないことを言ってくるのである。コンビンのレジの中でぼうっとした表情で「いらっしゃいませ」と言ったジョゼの顔が忘れられない。イタズラを仕掛けているにしては確かに自然すぎるくらいにぼうっとしている顔だったが、だからといってまさか彼の言うように「俺はここのコンビニで店員としてちゃんと働いているんだよ」などということは信じられないのである。正直アホかと思った。アホか。俺を騙して笑かしてやろうという魂胆はわかるが、それだって引っ張りすぎてずっとそのネタでいくのはよくないんだぞ。ああおもしろかったおもしろかったさ! ではもうそろそろそのネタは終わりにしよう。終わりにして、俺はするめを買い求めに行き、お前はお前でショッピングを楽しんだ後に家に帰れ。
しばらくジョゼとカウンターのレジ越しに睨み合っていると、奥から店長らしい中年の男が現れて会釈をしてきた。いきなり奥から現れてきて何なんだこの男。不審に思いながらも軽くこちらも会釈をし返すと、続けて男が言った。「いらっしゃいませ――どうかなさいましたか、お客様」お客さまとはエリックのことだ。なるほど。この店長、まずは客である俺に気を配って話しかけてきたというわけなのである。
エリックは言った。「いやなんかこいつが――俺のクラスメイトのジョゼが何か今日に限ってずっとわけのわからないことを言うんでね。それで軽くもめていたというわけなんですよ。俺は冗談は好きだけど、ずっとそればっかり言っている奴は苦手でね。何にでも限度というものがあってしかるべきだと思いませんか?」
「そりゃあってしかるべきですね」男が答える。「私も冗談は好きですよ。私も冗談というものは好きでね。でも確かにあんまりにもしつこすぎるのはどうかと思いますね。せっかくの面白い冗談も、そればっかりやられるとどうもね。どうしてなんでしょうね、しまいにはうっとうしくなってその場から立ち去りたくなるときさえありますよ」
「そうでしょう?」エリックは言った。「ですが残念ながら今がそのときなんですよ。今が残念ながらそのときだと言えるのです。なぜならこのジョゼ――同じクラスメイトであるこの男がね、こうやっていつまでもカウンターのレジの中に入って、そして自分はここの店員だって言い張るんですよ、しかもご丁寧にしっかりとここの制服まで用意してね! そうだ、あなたがここの店長だとおっしゃるのならば、どうかこの若者を叱ってやってくださいな。この若者に『いい加減にしろ』と一言カツを入れてやってくれませんか」
「あいにく私は若者に怒ることを苦手としていましてね」男は言った。「私は確かにここのコンビニの店長ですが、しかし直接若者にものをいうのは苦手にしているんですよ。何か問題があったときも、二十代中盤のフリーターのオーバンという青年に任せているんです。ですから私が直接誰かを叱るということはほとんどないのです。もしあなたに今お時間があるとおっしゃるのなら、今からでもそのオーバンに取り次いで、そして彼から怒らせるようにしておきましょうか?」
「そんなに時間をかけてどうする!」エリックは言った。「こんな問題くらい、店長のあなたがガツンと一言いってやればすぐにすむ話でしょう。こんな些細な話にそれほど時間をかけてどうしようっていうんだ。まったくこんなに話のわからない人だとは思いませんでしたよ。先日はここでココアの缶と粉も買わせてもらったというのにね」
「ありがとうございます」
「ありがとうございますじゃないよ」
エリックはここのコンビニの店長だという男との会話に不快になった。そして彼のその不快感をさらに深めたのは、結局最後までイタズラだという姿勢を認めなかったジョゼの存在だった。もしかすると本当に彼は高校生でありながらも、しかしコンビニの店員も兼ねているのでは? まさかそんなはずはないだろう! エリックは「もう結構です」というと足早に店を出ることにした。するめはまた別のコンビニで買うことにしよう。コンビニならばあと一軒、違う屋号だがないことはないのだ。今日の目的のするめはそこで買うことにする! そして高校生でありながらコンビニの店員であるというごくわずかな謎の可能性については、またイレールあたりに情報提供をかねて相談してやろう。コンビニのドアを開けると寒い風がほほをつついた。