2 元旦の攻防
2 元旦の攻防
気持ちのいい朝日で迎えることになったある年の元旦、エリックが何をすればいいのかわからずに部屋の中でゴロゴロしていると、一階から彼の父親であるクロードの声が聞こえてきた。「おーいエリック、降りてくるんだ。エリック降りてくるんだ。今親戚のアダムおじさんが訪ねてきてくれたぞ。お前が子供の頃に大好きだったアダムおじさんだ。彼が今久しぶりに我が家を訪ねてきてくれているんだよ。さあだから降りてくるんだ、降りてくるんだエリック! 今すぐに部屋から降りてきておじさんに挨拶するんだ」
何てことが起きてしまったんだ! エリックは困惑した。まさかあのアダムおじさんが急に訪ねてくるだなんてな。今日は盆か正月か? そうだ正月だった! 今日は年が明けて一月一日、つまり元旦なのであった。だからやってきたんだ。だからやってきたというわけなんだな、あのおじさんめ。ところでアダムおじさんってどんな人だったっけな。アダムおじさんってどんな人だっただろう。ずいぶんと親戚の人たちには顔を合わせていないから、彼がどのような人物だったか忘れてしまった。メガネをかけていたかかけていなかったか、頭はハゲあがっていたかいなかったか――重要なのはそんなことではない。そんなことではなくて、これから俺がどのように対応するかってことだ。
しばらく沈黙を守っていると、部屋のドアをノックする音が聞こえてきた。「こんにちはエリック。久しぶりじゃないかエリックどうしたんだ。早く顔を見せておくれ。早くおじさんに顔を見せてくれないかね。私は久しぶりにやってきたんだよ。正月ということもあってエリック、久しぶりにお前たち家族に会いに来たんだ。私はお前たち家族に会うのをとっても楽しみにしていたんだよ。だからおじさんは今年の正月のやってくるのがとっても待ち遠しかったんだ。年末はほかにもクリスマスとかもあったから、おじさん最近はずっと楽しい気持ちでいっぱいだ」
どうやらアダムおじさんの声らしかった。彼がいつまでも降りてこないエリックに業を煮やして自分から二階へとあがってきたのである。エリックはどうしようかと思案しながらも何か言うしかないと思ったので言った。「アダムおじさんなの? もしかして今僕と話しているのはあのアダムおじさんだっていうのかい? アダムおじさん! アダムおじさんじゃないか。信じられないな、何てことなんだ。本当に久しぶりのことすぎてびっくりしてしまうね。あなたとまたこうして会えることになるなんて思ってもみなかったから驚きの出来事ですよ」
「おおそうだエリック、我がいとこの子供よ」アダムが言う。「久しぶりだな。本当にお前とは何年ぶりだろうか。さすがに住んでいるところが遠いからな。おじさんとお前たちでは住んでいるところが遠いから、頻繁に会うことはできないな。だから年に一度のこのタイミングがベストだろう。本当なら毎年だってこうして訪れてやりたいところだが、そうすると交通費とかを年間の家計の出費の中で必ず計算しなくちゃならなくなってくるからな。何が言いたいかわかるか? つまり年に一度の行事にこの家の訪問をカウントしてしまえば、それは我が家のあからじめ予定されている出費として考えなくちゃならないから、それは大きな痛手なんだよエリック。それは嫌というわけなんだなエリック。申し訳ないがそれはちょっとプレッシャーのかかることだからできればやりたくないんだよ。何ていうかさ、遠い親戚の家への訪問って、やっぱりお金と時間の余裕のある時にふらっと済ませておきたいものだと思わないかね」
「思いますねアダムおじさん」エリックは別に思わなかったが思ったということにして話をすすめた。「そりゃ思いますよアダムおじさん。だって僕たちの家は本当に離れているんですからね。本当にものすごい距離があるんですから、そこの行き来を毎年やっていたらお互いにひどい出費になってしまいますよ。もしそれを節約していたら今頃はあれも買えていたかもしれないこれも買えていたかもしれないなどと変な妄想に取りつかれてしまって大変なことでしょうね。無駄な時間を過ごさないためにも、そしてもちろんお金を浪費しないためにも賢明なご判断だと思います」
「ドアを開けろエリック!」アダムが大きな声を出して言う。「さあ早くドアを開けるんだ。この薄っぺらでいつでも本気を出せば壊せるような、汚れもそろそろ目立ってきたような明るめの木の色をしたこのドアを開けて見せるんだエリック! お前はまったくいつまでそうやって俺に顔を見せないつもりなんだ。いつまでそこで大人しく待機しているつもりなんだ。ドア越しに会話をして、それでこの俺が満足して一階へと帰って行くと思ったか。引いては満足して今日の訪問を切り上げてくれるかと思ったか。そうはいかないんだぞ。現実はそうはいかないんだからな。エリックよ、今日こそはお前の顔を見せてもらうぞ。久しぶりにお前のその怠けた面を拝んでやろうじゃないか」
とうとうアダムがその本性をあらわにしてきた。彼の本性とは、結局のところ正月のようなイベントの日にやってきては、エリックみたいなたまにしか会えない親戚の子供の顔を拝んで「元気だったか、ちゃんと勉強とかがんばってるのか」というようなことを上から目線で言って、それでもしそれにちょっとでもそぐわない奴がいれば、自分がすぐさま怒鳴り散らし、カツを入れて更生させてやった、気合を入れ直してやった、などと周りに吹聴しおじさんとしての権力を維持したい、もしくは振りかざしたい、というものなのだろう。まったくクソみたいな人物だ。こんな奴にドアのこちら側でびくびく震えている人間の本当の気持ちなどわかるものか。お前こそさっさと失せろ。さっさとこの場から消えてなくなってしまえばいいんだ。
エリックは言った。「ドアを開けたところでどうにもならない。ドアを開けたところであなたの今望んでいるようなことはかなわないんだ。なぜだか教えてやろうか。なぜならもしこのドアの開くようなことがあれば、すぐさま僕は体勢を切り替えて部屋の窓から飛び降りてやるからだ。だいたいあんたがこの部屋の前にやってくるまでは、本気でそういうことを考えていたんだ。僕はそういうことを考えていた。考えていて、だが思っていたよりも早めにあんたがやってきてしまったから、それでまんまと今このような対応をしているというわけなのさ。俺はあんたから逃げるためだったら二階の窓から平気で飛び降りてやる。平気で二階の窓から飛び降りてあんなたが近づいてきても俺は延々と逃げ切ってやるよ」
「そんなに顔を見せたくないのかエリック!」アダムが言う。「どうしてなんだ。どうしてお前はそんなに親戚の私に顔を見せたくないのだ。もうこうして普通に喋っているじゃないか。ドア越しだけれども、こうして立派に会話は成立しているんだぞ。まったくわけのわからない内容かもしれないけれども、お前が望めばその内容だってよくなる。今よりもずっとよくなることだろう。だからもっと落ち着けエリック。落ちついて見せるんだエリック。何も取り乱すような場面じゃない。もっと物事を普通に考えろ。物事を普通に考えてもう一度今自分がしようとしていることを振り返るんだ」
「俺にはまだ誇れるものが何もない」エリックが言う。「あんたがもし心優しい大人で本当に俺のことを考えてくれているっていうなら、今は会わないでくれ。今は無理やりに会おうとしないでくれ。俺はまだ何を成し遂げちゃいないんだよ。何か夢中になれるものに没頭しているというわけでもないんだよ。俺は今自分でも自分をつまらない人間だと思っている。自分でも自分をつまらない人間だと思っているだ。だから俺が大人になるまではそっとしておいてくれないか。放っていてくれないか。いずれあいさつをするとはくるはずさ。いずれ俺の方からあんたに立派にあいさつしてみせる。だがそれは今じゃない。申し訳ないが、本当にこれ以上何ていえばいいのかわからないが、今はただそのときじゃないんだよ。あと思い出したがあんたは口臭のおじさんだ」
「口臭のおじさん?」アダムが言う。「どういうことだ? それは一体どういう意味なんだ。何を指している言葉だというんだ」
「そのままの意味さ!」エリックは勢いよく言った。「今思い出したんだが、本当に俺はたった今自分の過去の記憶を脳内から引き当てたんだが――あんたはメガネでもハゲでもない。俺にとってただの口臭のおじさんだ。ただ単純に口臭があんまりにもきついから俺はあんたが嫌いなんだ。自分でもどうしてそこまであんたを嫌うのか不思議だなって思ってた! だからたとえ俺がこれから何か自分の誇れるものを手に入れたとしてもやっぱりあんたとは会わない。あんたとはもう一生会いたくないんだ。あんたみたいな人とは一生会わないでも大丈夫な人生をこれから手に入れてみせる! お年玉はドアの前に置いて行ってくれ!」
強引な幕切れだった。強引な幕切れだったが、エリックの最後の口臭の件がアダムの心を粉砕したのか、彼はそれ以降ドアをノックしてくることはなかった。こうしてエリックの正月の平和は守られた。だがだからといって彼に部屋の中で何かするべきことがあるわけではない。正月っていつも思うのだが何をしてすごせばいいというのだろう。ここら辺の地域では行事らしい行事もやっていないし、本当にただテレビを見て過ごすだけ? 正月らしいテレビを見てゆっくりと、しかし何となくそわそわしながら時間をつぶすしかないのか。ああこんなことで彼の高校最後の正月はいいのか。まあお年玉がまだみんなからギリギリもらえる年齢だからいいのか。とにかくおじさんの口臭を元旦からかがずに済んだので御の字だ。