19 イレールの胃
19 イレールの胃
いよいよ長かった冬も終わりもうすぐ春が訪れようとしていたある日、エリックはいつもの公園でイレールと待ち合わせていた。この前ここで彼とあったのはいつのことだったか。いつのことだったかは明確には思い出せないが、しかし少なくとも言えることが一つだけある。高校を卒業してからイレールとこうしてこの公園で待ち合わせをするというのは初めてのことだった。彼とは高校三年間を一緒に過ごし、また高校卒業後に向けて何をするのかという話も一番にしてきた仲なのだ。三学期に入ってから自然と、何となくお互いの存在が怖くなって? 疎遠になってしまった部分があるが、彼を無視して新しい生活をスタートさせることはできないだろう。それをしてしまうと、今までの自分というものをまるきり否定してしまったような気分になるからである。それと、もしかするとイレールはまだ自分たちが卒業したという事実を知らないのかもしれなかった。考えてみて、エリックは謎の放浪の中で奇跡的に他校の卒業式に遭遇し、それで自分たちもいつの間にか卒業の日を迎えていることに気が付いたのだが、たとえばネガティブな気持ちのまま自分の部屋に閉じこもる日々を繰り返していたらどうだろう。自分たちがいつの間にか卒業の日を迎えていたなんて知る由もないじゃないか。エリックは公園でイレールがやってくるのを待った。彼がどんな態度で今回の再開をよろこんでくれるのか。もしかしたら今回の再開を疎ましがられる可能性もないことはなかったが、しかし変な自信はあった。きっとイレールならば大丈夫だろう。彼ならば、彼なりの方法で今回の卒業にも何かしらの意味や結論を与えているはずなのだ。
しばらく公園で待っているとイレールがやってきた。スウェットにダウンジャケット、マフラーにぼさぼさの寝癖、それからマスクといった出で立ちで、完全に今の今まで家の中で過ごしていたのだろうという感じだ。もしかすると外出するのも久しぶり、といった具合かもしれない。エリックは声をかけた。「おおイレール。イレールじゃないか! 久しぶりだな。元気にしていたか? 俺は元気にしていたけれども、いろいろとあったんだよ。ずっと会っていない間お前は何をしていたんだ? お前のことだから、きっと何かしらの行動はしていたんだろうが、それは何だ? 一体どんなことをしていたというんだろうな。まあ会っていきなりそんな話をするのもあれだというのならば、もっと別の話でもいいんだぞ。もっと別の、たとえば最近はまっているものの話でもいい。何かおもしろくておかしな、笑えるような話でもいいんだぞ。さあとにかく久しぶりに会えたんだ。ちょっとここで話をして、それから昼飯でも食べに行こうじゃないか」
「エリック」イレールは言った。「何だかずいぶんと明るいじゃないか。明るい表情で明るい話題を話したがってくるじゃないか。何かあったのか? 俺たちが会っていない間に、きっとお前の身に何かあったんだろうな。どうした、就職か大学か、それかそれら以外の別の何かになることが決まったのか? もし決まったというのならばおめでとう。俺はおめでとうとお前に言うよ。変に妬んだりとか恨んだりとかはしないよ。俺はお前と会っていない間、普通に体調を崩していた。最初は軽い風邪かなと思っていたのだが、急に体が異常にしんどくなってきて、それで病院に行ったらインフルエンザと診断された。そしてインフルエンザの治療で一週間がつぶれ、ようやく元に戻ったと思って街に出たら、今度はノロウイルスだとよ! 正直ノロウイルスの方が俺的にはきつかったよ。だって吐いたり下痢したりがずっと続くんだからな。恐怖の連続だった。絶望の毎日だったよ。それまでは高校を卒業したあとはどうしようということばかりを考えていたが、病気になって体調を崩してみて、俺は何ていうかもうそういうことはどうでもよくなってしまった。インフルエンザとノロウイルスのダブルコンボをくらって、俺は一回り成長したんだよ。エリックよマスクはした方がいいぜ。マスクとか、それからマフラーな! マフラーとかかなり重要だぜ。やはり首元を冷やすと危ない。これは俺からのささやかな経験談だ」
「ありがとう」
エリックはイレールと最初の数分間話してみて、そういえば自分はこの数日外を適当な格好と装備でうろうろとしまくり、家にはちっとも帰らないという生活をしていたのだが、よく病気にならずに済んだな、と思った。イレールはマフラーやマスクの重要性を説いてきたが、正直それらの話も自らの経験と照らし合わせると「そんなの病気になるときは何をしていたってなるし、ならないときは何をしていてもならん」みたいなことしか言えないのではないかなと思った。とにかくイレールとしては、この数週間はずっと連続して体調を崩し、相当つらい目に合ってきたらしい。挙句の果てには「高校卒業後のこととかどうでもよくなってきた」みたいなことを話し始めるのである。まあ卒業後のことが結構どうでもよくなってきたという感覚は通じるところがあるかもしれないが、質が違うというか何というか「同じにされたくはないかな」みたいなことをちょっと思わないでもなかった。
エリックは言った。「ところでイレール、俺たちが高校卒業後に何をするのかということだが、その前にお前はもう俺たちがすでに高校を卒業していまっているという事実を知っているのか? いやもしかしたら知らないんじゃないかと思ってな。だってこの数週間体調を崩して寝込んでいたんだろう? 俺はそのあいだに自分の足で調べてあらゆる情報にアンテナを張っていたんだが、その中の一つで『卒業式というものが開かれた』というものを手に入れたんだ。これが何を意味するかわかるか? そうさ、卒業式が執り行われたからには、俺たちはもしかするともうすでに高校を卒業してしまっているのではないだろうか」
「何だって?」イレールが言う。「そんなバカな。俺たちがもうすでに高校を卒業しているだって? そんなはずないだろう。そんなわけないじゃないか。だってまだ三月に入ったばかりだぜ? そんなすぐに卒業なんてするわけないだろう。それに卒業するっていうなら、何かしらの連絡があって当然だ。勝手に卒業なんてさせられてたまるか! でも待てよ……卒業式? そういえば卒業式って聞いたことがあるな。まさか卒業式って俺たちが中学の時にもやったあれのことじゃないだろうな。あの厳かな式典のことじゃないだろうな! だとすると大変じゃないか。とんでもないことだ。あの式典が俺たちに知らされないままに執り行われていただと? 中学のときにも感じたことだが、あれをされてしまうと、何だか卒業する気分じゃなかったとしても、ものすごく卒業した気分にさせられちまう。あれをされると問答無用で卒業した感じにさせられちまうんだよ! おいエリック本当なのか、お前のその情報は真実だと誓えるんだな? もしこれがお前の冗談だったとしたら、俺はお前のことを『うわこいつ冗談を言ってはいけないことに対しても平気で冗談を放り込んでくるめっちゃ空気読めない奴じゃん』って思うぞ」
「申し訳ないが真実なんだ」エリックは言った。「お前が体調を崩している間、俺は高校卒業後のことについて真剣に抗って考えていたんだが、目撃してしまったんだよ。俺たちの通っている高校の卒業式というわけではないんだが、とある偶然で、俺は他校ではあるが、確実に卒業式だろうといえるものを遭遇してしまった。そこで俺は確信したんだ。この学校で卒業式が執り行われているからには、俺たちの学校でもほとんど同じタイミングで卒業式が執り行われているに違いないってな。だから嘘や冗談でもないんだよ。嘘や冗談でもなくて、これは紛れもない事実なんだ。確かに卒業式が行われてしまえばもう俺たちは終わりさ。俺たちがいくら喚いたところで卒業生という烙印をおされてしまうことだろう。イレールよ、さあイレールどうする。俺たちはどうやらもうすでに高校をいつの間にか卒業してしまったらしいぞ。ちょっとこのことについてお前とは話し合っておかなければならないなと思ってな、それで今日のこの場をわざわざセッティングしたというわけなんだ」
「俺たちが本当に卒業してしまっているというのならば、もうグダグダ言っていても仕方ないじゃないか」イレールが言う。「もし本当にお前の言うとおりに俺たちが何者かの力によって高校を卒業させられていたとしたら、俺たちにはもうどうすることもできないじゃないか。素直に高校を卒業したものとして活動していくしかないことだろう。別に卒業後に何をするのかを決めなくても、高校自体は卒業できるってことだ。結論としてはそれでかまわないだろう。だが本当なのか? 本当に俺たちは俺たちの知らない間に高校を卒業させられちまったのかな? 確かにお前の話をきいていると、他校で卒業式があったからには、俺たちの学校でも卒業式があった可能性が高いが、それだって絶対というわけじゃないだろう。一度確認が必要なんじゃないだろうか。お昼ご飯を食べたら、ちょっと学校によって卒業式があったのかどうかだけでもたずねてみないか? それくらいだったらあの先生たちだって教えてくれることだろう。だってもう俺たちは生徒じゃない可能性が高いんだからな。だとしたら一般の部外者として俺たちのことを丁寧に扱わなければならないはずだ。ぞんざいな扱いを受けることはまずないだろう。エリックどうかな? 一度俺たちの通っていた学校にもコンタクトを取ってみようぜ」
「そうだな、じゃあまずお昼ご飯をどうするかだな」
こうしてエリックとイレールは再びタッグを組んで新しい謎の解明に取り組むことになった。そして今からは、その新しい謎に取り組む前に腹ごしらえとしてどこのお店を利用するのかという会議に入る。きっとイレールは病み上がりだから、あまり胃にガツンとくる料理はリクエストから外してくるかもしれない。だが逆に、病み上がりだった時期を超えてやっと普通の体調に戻ったというならば、胃にガツンとくるものでも何でもたらふく久しぶりに食べてやりたいという欲求があるのかもしれなかった。エリックはイレールの意見を待った。エリックとしては、今回の昼食の選択権については、おおよそ彼にゆだねてやってもいいかなという気持ちだった。自分としては、胃にくるものでもあっさりしたものでどちらでもいい。お昼ご飯を食べた後、学校に向かうことにしよう。




