17 魅惑のハローワーク
17 魅惑のハローワーク
放浪してから三日目。エリックは決して多くはない手持ちのお金を何とか駆使しながら寒い冬の日々を耐えて過ごしていたが、ついにとんでもない場所を発見してしまった。そこの名前はハローワークという。何でも「就職先」とやらを斡旋してくれる場所らしいが果たしてその実態とは。エリックはいったん適当なうどん屋に入ってそこの素うどんを平らげると、午後からちょっと余裕をもってその建物に潜入してみることにした。
建物に入るなり、30代半ばくらいの男が話しかけてきた。「ご利用は初めてですか?」
「ご利用ですか?」エリックは答えた。「一体何の利用のことですか?」
「この施設のですよ」男が言う。「見ない顔だ。あなたはあまり見ない顔ですね。私はずっとここに立っているという仕事をしているもんですからね、仕事がらよく人の顔を覚えてしまうくせがあるんですよ。それであなたは見ない顔だ。あまり見たことがないというか、初対面じゃありませんか? あなたきっとここへ来るのは初めてなんでしょう。何をしに来たんですか? まだとてもお若いように見受けられますが」
「確かに若いかもしれませんね」エリックは言った。「実は、僕は高校生なんですよ。高校三年生なんです。それで今の時期は卒業を間近にして比較的があるんですよ。決して昼間の学校をさぼってきているわけじゃないんです。ところでおききしたいのですが、ここは何という施設なんですか? 何という施設で、何をする場所なんでしょう。きいたところによると、何やら『就職先』というものを個人に斡旋しているらしいですが、それって本当なんですか? 本当だとしたら就職先とは一体何なんでしょう。そしてそれを斡旋することでどんなメリットがあるんですか?」
「就職先を斡旋することのメリット?」男が言う。「さあ就職先を斡旋することのメリットと言われましてもね、そんなことをきかれたのは初めてだから難しいな。難しいですけれども何とか答えられるようにがんばってみましょう。我々はハローワークの人間なのです。ここはハローワークという場所で、何をするところかと言いますと、仕事のない人に仕事を紹介しているんですよ。つまり就職先を斡旋している、ということは、いいかえれば仕事を人に紹介している、ということなんですね。おわかりいただけましたか?」
「すごいところですね」エリックは言う。「つまりこういうことですか? 仕事を探している人のために仕事を紹介していると? そしてそういうことをしているこちらの施設の名前がハローワークということなんですね? しかし疑問だ。僕には疑問があるんですよ。仕事を紹介してもらった人はいいでしょうね。仕事を探している人が、この施設を利用したことによって仕事を紹介してもらえるというならば、それはとても利用する価値があるというものですよ。ただあなた方は? あなた方にとってみたらどこがどういう風にメリットになるというんですか? まさか紹介を受け取ってよろこんでいる人の笑顔で満足です、なんておっしゃるんじゃないでしょうね。そんなうすら寒いことをおっしゃるんじゃないでしょうね。いいですか、この世の中は金なんです! みんなきれいごとを言いたがりますがね、結局は金がすべてなんですよ!」
「我々のメリットですか」男が言う。「我々のメリット? そうですね、改めてそこの部分を問われると、やはり何と答えたらいいのか迷いますね。わからないといえばもしかするとわからないかもしれません。私も自分たちのメリットを考えて働いたことなんてありませんからね。ですが一つだけ言えるのは、私はここに毎日のように立っていて、そして立っているといつの間にか生活できているということですね。いつの間にか銀行の口座に給与が振り込まれていますし、またそれを誰にも言わずに黙って引き出しても、今まで怒られたことなど一度もないのです! お客様の笑顔に関しては、残念ながらここに立っているとあまり見られる光景ではありませんよ。むしろ不満げな表情でこの施設をあとにする人が多いですね。やはり斡旋・紹介という形を取っていますので、雇い入れる側の企業と求職者との条件に大きな隔たりがあれば話はまとまりませんし、また当然話がうまくまとまらなければその人は不満を持つことになりますよね。私にあきらかにいらだちながら帰って行く人も中にはいますよ。私はここに突っ立っているだけなんですがね。もしかすると突っ立っているだけだからにらまれるのかもしれませんが」
男の話が一通り終わった。エリックは彼と話してみて、彼の言っていることの半分ほどしか理解できなかったが、しかしとにかくこのハローワークという施設がとんでもない施設であるということだけは何となく理解できた。ここは天国なのでは? なぜならここへ来れば、就職先とやらを斡旋してくれて、生活のための仕事を保障してくれるからである。ここへ通いさえすれば、どれだけ自分の将来というものに不安を持っていたとしても、いずれそれの解消される確証みたいなものが得られるのではないだろうか。しかも斡旋・紹介ときているのであるから、自分の希望する条件などを上手に伝えることができれば、それなりのところをあてがってくれるに違いない。なんてすばらしいところなんだろう。本当にここは天国みたいなところじゃないか。
入口の男に案内されたとおりにとあるパソコンの前に座ってみる。そのパソコンには個別の番号が振られていて、当然エリックの目の前のパソコンにも番号が振られてあった。このパソコンを操作してまずは自分の条件にあった「就職先」を検索してみろということなのだろうか。何やらインターネットと似ている……もしかするとこのハローワークの就職先紹介システムとは、インターネットの機能の一部を利用したものなのかもしれない。あくまでも憶測に過ぎないが。
エリックはパソコンの操作にはなれていたので、自分のプロフィールなどを簡単に作成して入力すると、すぐに就職先の検索画面が出てきた。急に隣に座っていた男が話しかけてきた。「兄ちゃん入力早すぎるだろ。ちょっと早すぎやしないかね。まさかそんなに早いもんだとはね。そんなに早くできるもんなんだね。入力のスピードが早すぎて、なんていうかスピードそのものに驚くっていうよりは、そのスピードのレベルにもこのパソコンって対応してるんだってことにびっくりしているくらいだよ」
「そうですか?」エリックは答える。「そんなことないですよ。まあ確かに普通の人よりはちょっとは早いかな? でも本当に早い人と比べると遅いと思いますし、しかし遅い人と比べるととんでもないスピードであることは間違いないでしょうね」
「俺は入力が遅いんだ」男が語りかけてくる。「俺は入力が遅くてな。せっかくハローワークというすばらしいところを見つけたというのに、なかなか有効活用できておらん。兄ちゃんは入力が早くていいな。きっとハローワークにぴったりだろう。ハローワークという施設を十二分に活用することができるんじゃないかな。まさに現代のハローワークにピッタリの人材だといえるだろう。見たところ若いようだけれどもいくつなんだい?」
「高校生です」エリックは答える。「今僕は高校三年生で、もうすぐ学校の卒業を控えているんですよ」
「学校の卒業だって?」男が言う。「そりゃ大変じゃないか。学校を卒業してしまったらそのあとどうするんだい? もちろん卒業したあとのことは決まっているんだろう……と言いたいところだけれども、どうやら事情はそうシンプルではないようだね。察するよ。だって高校生という若さの君が今日ここにやってきているのだからね。我々は君のことを察さなければならないことだろうね。苦労しているんだろう。だがその苦労はいつか報われるよ。きっと報われるはずさ! パソコンの入力をいとも簡単にこなすんだから、君にはすばらしい未来が待っているはずさ」
「すばらしい未来ですか」エリックが言う。「今の僕にはそんなものちっとも感じることができませんがね。初対面の人の前で自分の暗い部分を披露する趣味はありませんが、しかし今はちょっとブルーな気分ですよ。僕はもうある意味限界を迎えているんです。限界を迎えてしまっていると言っても過言ではないことでしょうね!」
「その未来に対する漠然とした不安や怒りが今のそのお兄ちゃんの入力スピードの根源ってっわけか」おじさんが謎の解釈を突然披露する。「でも本当に君には未来があると思うよ。とってもすばらしい未来が待っているんじゃないかな? こういうのはどうだろう! 君は本当にパソコンの入力が早いし、まだまだ若いんだから、ちょっとの間だけでもこのハローワークに通ってみるというのは? きっと通ってみたら楽しいことばかりだと思うよ? 自分の知らないことを知れるようになるし、何よりたくさんの人たちとの出会いがあることだろうね。本当にどうだろう。今暇があるというのなら、そして今後も多分暇があるというのならば、毎日でもいいからきたらいいじゃないか。そしてその早い入力スピードをほかの奴らにも見せてやってくれよ。きっと君にとって後悔しない選択になると思うよ」
「見つけなきゃならないんです」エリックは答えた。「お誘いはうれしいんですが、申し訳ないです。僕は見つけなきゃならないんですよ。寒い風にふかれまくってもうこの世界に期待するのはやめました。僕は僕なりの何か……というよりも、本当に見つけなくちゃならないんです。何かを! ええ、本当に何かを見つけなきゃならないんですよ。そして僕は救われなくちゃならない。救われなくちゃならないことでしょうね。本当に申し訳ないんですが、僕はもうそろそろ行かなくては。ハローワーク、いいところですね。ぜひがんばってみてください。僕は違うことをします」
エリックはハローワークがどういうところなのかということが何となくわかったのでその施設をあとにした。彼の放浪が再開された。行く当てはいまだになく、適当に持ってきた財布の中身もあと少しというところだった。現実的に考えてみて、毎日寝るところもないし空腹も十分には満たされていない。体の汚れもかなりひどいはずだし、もう人前に立って紳士的に話せるのは今日が最後ではなかったか。放浪に対してあきらめの気持ちが芽生えてきたとき、足は自然と家路へと向かうのだろうか。何か見つけたら? 何か自分でもよくわからないものを見つけたら満足して俺は本当の天国にでも旅立てるのだろうか。救われたい救われたい救われたい。膝も腰もまだ大丈夫。まだ歩ける。衣食住が本格的に足りなくなってからが勝負か? エリックが施設を出ると冷たい風がいつもどおりに頬に吹き込んできた。構わないという気持ちだった。




