前編
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一二月三〇日。今年も終わろうとしている。
テレビを回せば大晦日に放送できなかったが特番が始まっており、平和そのものだが痛々しいニュースも感激の間隙で飛び込んでくる。
「アメリカ、ネバダ州のテレビ局での銃乱射事件で自殺した犯人は、防弾チョッキを付けておらず……」
「今日で、倉橋里美ちゃんの遺体が発見されて半年、依然犯人は捕まっておらず……」
「一昨日の一家轢き逃げ事件では、遺体に轢いて戻った形跡があり、特に父親の須藤敦司さんの体には多くの損傷があり……」
「中学で取り入れられている柔道の授業中の事故を減らすためには……」
「先週の大雨で起きた土砂の中から、行方不明だった山村トキさんが発見され……」
被害に逢った人々に襲い掛かった理不尽。理不尽はいつ日常を破壊するかわからないとテレビが教える。
僕の名前は葉山正平。自動車販売会社に勤める二七歳。理不尽とは程遠い年始までの連休を恋人とゆっくり過ごそうとする平凡でどこにでも居る男だ。なんでもないような幸せ、しかしそれが崩れ去ってしまった人たちもいる。僕はそんなことを感じながら年越しそばの材料が足りないことに気が付いた。長ネギなしでそばは食えない。ちょっとした理不尽だ。
「恵美? ちょっと俺、買い物に行ってくるから」
同棲している恋人に一声掛けてから、僕は年末準備のための買い出しに向かう。今が十一時、昼時だが、スーパーは空いているだろうか? 混んでいると恵美を寂しがらせてしまう。
僕には熱中できるような趣味もない。野球で大声を出すようなこともないし、長距離の旅行にも興味がなく、読書もあまりしない。
職場では退屈な奴だと云われることも多いがそれでいいと思う。ただ彼女と一緒の時間が過ごせれば、あとは何もいらないのだから。
ふと、スーパーに向かう交差点、視界の隅に駐車しているステップワゴンと、腕を振って助けを呼ぶドライバーが入った。
「すみませんが、パンクしてしまって……スペアタイヤの取り方がわからないんです」
四〇代くらいのガッシリした男。この歳で車を自分で直せず年下に助けを求めるというのも恥ずかしいだろう。
「……ああ、このタイプですか。これはトラックの中に金具があるんです」
僕は営業スマイルで、“なんてことない”と接する。彼が理不尽から逃げ切り、気持ち良い年末年始を過ごせるかは今の僕にかかっているのだ。
「まず、工具を取り出します。ここが収納になっています」
「ああ、助かります。どうやって取り出せば……」
「それなら」
ステップワゴンのテールハッチから膝を乗せて乗り込み、金具の取り付け口に指をかける。
理不尽に落ちつつある人物を助けられて良かった。きっと楽しい年末を過ごすことができるだろう。
「今日はこれからお出かけですか? レンタカーみたいですけど」
「ああ、お前を迎えに来たんだよ。ハヤマショウヘイくん?」
どうして僕の名前を? そう思うのと同時に抗いがたい力で車のトランクに体を押し付けられた。
「!? 苦し……離……」
「喋るな、葉山正平」
威圧的な声に続き、背中を強く圧迫される感触。膝で背中に乗られているようだが、呼吸ができず、大声が出せない。
混乱してもがく僕の手を男は後ろに捻じる。
冷たい金属の感触と同時に手首が固定される。筋が伸び切った状態で肩関節が強く痛む。
「なん、どうし……ッで」
男は応えず、淡々と僕の口に拘束具をねじ込む。レザーの触感が口全体に広がった。
「いやあ、すいません! 助かります! それじゃ、カーショップまで案内、お願いします! 助かります!」
周囲に聞こえるように男が演技がかった言い回しをし、僕は車のトランクスペースに体全体を押し込まれた。
身動きが取れない。設置してあったチェーンに手足をつながれたらしい。
「本当に……助かりますよ」
血走る瞳を私に向けたまま、男はリアハッチを勢いよく閉めた。
車は走り出し、恐怖に震える私の意識は徐々に遠退いていった。どうやら口の拘束具に何か薬品が仕込まれていたらしい。
恵美、今日は帰れないかもしれない。
「起きろ、葉山正平」
目が覚めると、そこは見知らぬ部屋だった。九畳ほどだろうか?
空間全体が窓一つないゴム張りになっており、充電式のランタンがいくつか吊り下げられているだけの仄暗い部屋の中には僕を含めて四人の人間が居た。
先ほど僕を拉致した四〇代の男だけが自然に立ち、残る三人はひとりは僕、もうひとりは若い美人さん。もうひとりは身長二メートル近い大男。三人とも壁に拘束され床に座らせられていた。
「葉山正平、タキグチキョウコ、クボタショウイチロウ。お前たちはここで生活してもらう」
「ああ? ふざけるな!」
僕が状況を把握しきれず沈黙する中、そう云ったのは大男。女性がタキグチキョウコだろうから“クボタショウイチロウ”さんだ。
「意味わかんねぇよ! いいからこれを外し」
言葉の途中でクボタショウイチロウさんも沈黙した、というか僕たちを拉致した男が黙らせた。
クボタショウイチロウさんの口にキックの要領で自分のスニーカーを押し込むことで。
男は片足をあげたままの不安定のポーズのまま喋りだした。暴れるクボタショウイチロウさんの動きに合わせて足を動かしてついていきながら体は全くブレない。
すごいバランス感覚だと歓心する辺り、心の機能がどこかマヒしている。
「クボタショウイチロウは今年の一月四日、葉山正平は六月二二日、タキグチキョウコは一二月二八日日、それぞれ俺と勝負してもらう。勝負に勝ったら帰してやる、簡単だろ?」
「しょ……うぶ?」
「それぞれに決めてある。クボタショウイチロウ、お前はリミットまで五日しかない、こんなことしてる場合じゃないぞ」
「その……勝負で勝てば本当に帰してくれるんですか?」
「ああ、タキグチ。約束する。それに勝ち目のないゲームじゃない。クボタは柔道、俺より体格は大きいから有利だよな?
ハヤマはカラオケ、タキグチは暗記力。両方、俺もほとんど知らないお題だし、ふたりとも半年以上あるから、決して不可能じゃない。隣の部屋に用意してあるからあとで見てくれ」
「何が……何が目的なんですかっ!?」
「勝負だと云っただろ? その扉が洗面所、入って右手が風呂で、左手がトイレ。隣の部屋とここが生活空間だな。飯は届けに来る。アレルギーとかあれば先に教えてくれ」
民宿の店主が旅行者に語り掛けるようなフレンドリーさも交えた普通の口調だった。
「必要なものがあれば云ってくれ。用意できる物なら用意する。じゃあな」
クボタショウイチロウさんの口から足を抜き、誘拐犯の男は先程隣の部屋だと云っていたドアから出て行った。口汚く……というか、唾液と折れた歯の出血で本当に口元を汚したクボタショウイチロウさんが罵り続けるのを僕はただ聞いていた。
「絶対に……殺されてなんか、やらねえからな……!」
男が出て行ってから二分ほど経って手錠が外れた。ただの手錠のように見えるがリモコンでも入っているのだろうか。外れると同時に、タキグチという女性が壁をドンドンと叩き助けを呼ぶが、僕はその行動が無意味であると知っている。
「やめておいた方がいいですよ。この壁に使われている加硫ゴムは頑丈な上、防音機能がかなり優れているタイプです。道具もなく破壊するのは……かなり難しい」
「詳しいな」
「自動車販売の仕事でして。その中であるんですよ。防音の依頼というのも……僕は葉山正平、二七歳、自動車販売をやっています」
「あ、あたしは滝口京子、京都のキョウに子供で京子です。大学生二年生、一九歳です」
滝口さんの自己紹介に続き、大男が俺のことは知ってるだろ? と伝えるが、僕と滝口さんの困惑した表情に大男はオーバーすぎるリアクションを交えて話す。
「オイオイ! 俺は久保田だよ、アイアン久保田! プロレス見たことないのか? 三二歳! 最年少で大日本とDGVベルトのダブルホルダーになった男だよ!」
「……レスラーさん、ですか?」
「そう、レスラーさん! 年始の興業にも出る予定だが……一月四日じゃ間に合わねえ」
「……じゃあ、僕たちは車屋、学生、プロレスラーで……年齢も性別も職業もバラバラ、ってことですね?」
「当たり前だろ? 何云ってるんだ?」
「犯人は何を基準に私たちを誘拐したか、ってこと……ですか?」
滝口さんの回答に僕はうなずきつつ、言葉を選ぶ。
「僕は路上で捕まりました。自動車が壊れたと嘘を吐かれて……僕だけを狙っていたように、思いました」
「私は自宅で眠っていて、起きたら……ここに」
「俺はトレーニングの帰りにいきなり襲われた。俺は一月一三日生まれの射手座の辰年、血液型はRH+のAO型、身長一八九センチで九七キロ、愛媛県生まれで、動物占いはコアラ、趣味はプロレスで好きな映画はハスラー、愛車はハーレー2000とボルボ、好きな食べ物はハンバーグとチョコレートとワックのチキンナゲット……なんか共通点、あるか?」
「私も血液型Aですけど、葉山さんは?」
「残念……かは分かりませんが、僕はAB型ですし、今教えていただいた中に、共通項はありません」
「つまり、なんだ? なんの関係もない俺たち三人を狙ったってことか? なんで?」
無論、久保田さんの問いに答える術を僕らは知らない。一拍の間を置いて僕が切り出した。
「……えっと、これも関係ないとは思うんですが……おふたりとも、自分の日付……久保田さんは一月四日、滝口さんは一二月二七日、覚えはありますか?」
そのときだった。ふたりの表情が曇った。
続けざまに久保田さんはあるわけがないと断言し、誤魔化すように周囲を調べだし、滝口さんは黙ってしまった。
そこに何かあると云うだろうか?
しかしながら、僕には六月二二日という日付になんの覚えもない。
ふたりに尋問のようなことはできないし、やりたくもない。
仕方なく僕と滝口さんも狭い部屋の探索を始める。部屋は壁が防音ゴム張りである以外は普通のLDKのように見える。備え付けのキッチンにはガス台は付いていないしガスも止まっている。キッチンシンクにはこびり付いた水垢や補修防水テープなどに生活感が見られる。
自分たちより前に誰かがここに住んでいたのは間違いないらしく、よくよく見れば壁のゴムには細かな傷が付いているが、それだけだ。
しっかりした刃物があれば可能かもしれないが、素手での破壊は不可能であると判断せざるをえない。
既に滝口さんがキッチンの収納を開けており、入っているのは合成樹脂の食器や食器洗い用の生活雑貨だけと確認した。
僕も何かしなくちゃ、と洗面所に向かう。
置いてあるのは生活雑貨や畳まれた無地の着替え。雑貨の中には電気シェーバーがあり刃を確認するが、安物であり、取り外さなくともゴムを切れるだけの強度がないことは明白。当たり前のように洗面台からは鏡がない。外して割ればナイフの代わりになるからだろう。
次のドアを開けると、男の云ったようにトイレだった。洋式トイレだが貯水タンク部分の蓋がなく、ガムテープとプラスチックのカバーで代用してある。
僕は直感した。“以前ここにいた誰かが便器は陶器だから割れば刃物の代わりになる”と気付いて蓋を割ったんだ。
結果を断定する要素はないが、おそらく失敗したのだろう。そうでなければ同じ素材の便器をそのままにしているはずもない。
そしてそこでもうひとつ気が付いた。僕のズボンは薄っすらとと濡れている。眠らされている間に粗相していたらしい。 そして込み上げてくる吐き気。気持ち悪いが先ほどまでは全く気付かなかった。そう、先ほどまで恐怖でマヒしていたストレス。
こみ上げる吐き気、嘔吐はかろうじて便器に間に合った。
僕はいま、理不尽の中にいる。僕の日常は終わったんだ。
洗面所には何着もの着替えが整理しておかれていた。僕は自分のサイズを探し、着替えることにした。
ふたりは僕が漏らしていることに気が付いているだろうが、この状況で気を遣わせていたことが、ひどく申し訳ないと感じた。
部屋に戻ると二人ともおらず、隣の部屋へのドアが開いていた。
「おい正平! お前のカラオケ、大変そうだぞ!」
久保田さんの言葉に隣の部屋に向かうと、そこには薄型テレビとカラオケが一台。
すでに久保田さんと滝口さんが電源を入れてモニターに表示されている曲目はひとつだけ。
その曲名は『三人そろってキュートライ』となっている。
「女の子向けのアニメ、ですよね」
「魔法少女モノだな、お前、見たことあるか?」
「何度か……違いますよ!? 知り合いの女の子が家にいるとき、一緒に観てただけですから!」
「私は……観たことがありません」
滝口さんが云っているのはキュートライの話ではなく、その手の中にある『ウルトライダー怪物百科事典』の方だろう。一緒にワープロで作ったような分厚い問題集があった。
「私の暗記、これらしいんですけど……ウルトライダーって、男の子が見てるヤツですよね、私、知りません……」
「どういうことですかね、久保田さんの柔道は格闘技ですし得意科目という気もしますが、あとは……」
「オタクみたいな悪玉がいて、俺たちがもがいている様を見たがっている、とかはどうだ?」
「柔道とキュートライとウルトライダーのファンの悪玉が僕たちを拉致させた、と?」
「他に考えられるか?」
久保田さんの説を否定も肯定もできないが、釈然としなくとも僕たちは動かなければならない。
僕たちはこの非日常を生き抜かなければならない。
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