7・異文化コミュニケーション魔法編
前話のあらすじ「何しゃべってんだかワッカンネ」
何日このベッドの上で過ごしただろうか。たぶん3日ぐらいだと思うけれど確証がない。この部屋には窓も時計もないため、時間の感覚があやふやだ。
推定少女は定期的に食事を持ってきてくれて、そのたびに色んな単語を聞いてくる。
おそらく悟の話す言語がどこの物か特定しているのだろう。自分の推測が正しいのなら意味がないかもしれないが、そのことを伝えたくてもやっぱり言葉が通じない。
一度、国際言語と名高い英語を片言で喋ってみたが理解してもらえなかった。ナイフで木を削って日本語を書いてみたりもしたが、そちらもダメそうだった。
ただ、言葉以外にはいろいろわかったことがある。何日か看病してもらって少しずつ理解してきたが、日本とここの生活習慣はだいぶ違うようだ。
一番わかりやすかったのは食事と睡眠だ。まず食事の間隔が異様に長い。毎回同じスープと黒パンのメニューなのだが、朝は少なめに、昼は野菜が多く、夜は肉スープになっていた。
そして朝と昼のスパンが、悟の体感では10時間近く開いていた。昼と夜でも10時間くらいなので、定期的に食事が与えてくれているというのはわかったのだが、間食なしで長時間我慢を強いられるため、食べざかりの若者としては結構つらい。
世話になってる身としては文句を言うわけにもいかないし、そもそも文句を言っても伝わらないから我慢するしかないのだが……。
また色々タイミングが悪かった。例をあげると、そろそろ夜だと思って寝ようとして、うつらうつらとしたタイミングで推定少女が肉スープを持ってきてくれたことがあった。
空腹だったためありがたかったが、悟の感覚でそれは完全に夜食だった。また、朝起きると枕元に冷めたスープが置かれていたこともあった。生活リズムが全く噛みあっていない。
推定少女が自堕落な生活をしているのか、それとも悟は思っていた以上に時間や一日の感覚がめちゃくちゃなのか、それとも……一日の長さが違うのか。
最後の可能性については後で一考すべきだろう。
他に気付いたことは色々ある。例えば厠がボットン式なのに、なぜか臭いはほとんどしなかったとか、階下で何かが動いている気配や物音はするのに、人の話し声だけは一切聞こえないとか、部屋の扉はカギ穴すらないのに悟では開けられないとか、どうやらたまに推定少女は外を出かけているようだとか。
どれもこれも謎ではあったが、今更謎が一つ二つ増えたところで困らない。現状の悟にとって、全部が全部理解不能だからだ。
そんなわけでどうにでもなれという開き直った気持ちで悟はスープを飲む。悟にとっては朝ごはんの時間なのだが、目の前にあるのは肉を使った贅沢なスープだった。
肉の脂とこってりとした味わいの、非常に食欲をすするスープであるが、寝起きの悟にはちょっと大変だ。
パンをスープに浸けて必死に食べる。せっかく出されたご飯を残すのは日本人の感覚として許せなかった。
あとなぜか今日は珍しく、推定少女がこちらの食事を見ていた。いつもは皿とパン籠を置いて、単語を聞いたらそのまま部屋から出て行ってしまうのに、今日は部屋の隅にある壺のようなものの上に腰を置いて座っている。
そして少女の足元には見慣れない箱が置いてあった。今日はそれを使うのだろうか、と悟はパンをムグムグ噛みながら眺めていた。
悟は食事を終えると両手を合わせて「ごちそうさま」と呟いた。まだ左肩の傷は痛むが、少し動かす分には問題なく動くようになっていた。
痛くないというより痛みに慣れてきたのかもしれない。推定少女のほうに顔を向ける。
推定少女のほうも食事が終わったことに気付いたようで、足元の箱をもってこちらにやってきた。ベッドの上に箱を置いて開ける。
中にはピンク色の液体の入った試験管のようなものと、丸い宝石みたいな球が二つずつ入っていた。
「شرب هذا」
推定少女はピンク色の試験管の一つを悟に渡して、すぐに自分でもう一本を飲みほした。何かのジュース、ということはないだろう。お酒にも見えないが、とにかく飲まないとダメという雰囲気だ。
試験管を持って鼻に持っていく。変な臭いだった。この臭いを無理に例えるならハチミツをかけた焼き肉だろうか。
ステーキだったら食欲が増す臭いだが、ピンク色の飲み物からその臭いがするのは抵抗感がある。
臭いを我慢して一気に飲む。味は良くもなく悪くもなく。不味いといえば不味いが我慢できないほどでもなかった。空になった試験管を推定少女に返すと、今度は丸い玉を差し出してきた。
「هذا وقد」
何の気なしに丸い球を受け取ると、球の内部が微かに光った気がした。
球はビーダマを3倍くらいに大きくしたくらいか。黒の半透明で、中心部に発光ダイオードより小さな光が見える。
同じく推定少女も球を片手に握っていた。そして悟の方を向くと、おもむろに喋り出した。
『汝、我が言葉伝わるか否や?』
驚いた。二重の意味で驚いた。
かなり独特というか、古風な喋り方だったが、それは間違いなく日本語であった。久しぶりに聞いた日本語に悟は変な感動を覚えていた。
自分にわかる言葉というのはこんなにも安心するものか、と悟は思った。
ただ、声の出所が不明だった。なにせ、推定少女の口は動いていないのだ。直接脳内に響いている、と言う感じでもなく、なぜか日本語が聞こえた。
テレパシーの類なのだろうか、いままでテレパシーで会話したことなんてないからよくわからない。
悟は慌てて返事をした。
「あ、わ、わかります。声聞こえました!」
推定少女は悟の言葉を聞くと、すぐに口に手を添えて、次に頭を指差した。
『汝、口からの言葉では我に通じず。精神と魂によりて言葉を伝えるべし』
やはりテレパシーだったようだ。先程のピンク色の薬か丸い玉か、それとも両方があって初めて通じるテレパシーだと悟は予想する。
慌てて悟は頭で考える。言葉伝わった、日本語が理解できた、これなら会話できると。
推定少女は顔をしかめたようだ。
『汝、思考が脆弱なり。強く言葉を留めよ。拡散せし意思は消えゆくものなり』
なんとなく平安時代のお貴族様と話している気分になる悟だが、相手の考えてることが伝わるのは心地よかった。今まで碌に会話ができていなかったためか、会話に飢えていた。
次は頭を空っぽにして強く一つの言葉を伝えるようにしてみた。言葉伝わった、言葉伝わった、言葉伝わった……。
『なればまこと重畳なり、して、我は汝に聞し召すべきことあり』
……重畳ってどういう意味だっけ、聞し召すは聞きたいことがあるって意味で良いんだよな?
悟は強く、何でも聞いて、という言葉を何度も念じた。
推定少女は一つ頷くと、こう聞いてきた。
『汝、魔導士たるや、如何?』
次話「久しぶりの会話で地味にテンションが高い悟くん」
【スーパー言い訳タイム】
本当は、全くのゼロからの異文化コミュニケーションを表現したかったのですが、あまりにもシナリオが多くなりすぎて話が進まなくなりそうだったため、魔法と言う便利ツールを使って簡略化してしまいました。もし初期からの異文化コミュニケーションの詳細を物語に盛り込まれることをご希望だった方には申し訳ありませんm(_ _)m
後々この手の意思疎通方法の確立を、かなり簡略化した形で乗せるつもりですが、上手く表現できるかどうかを含めて見送りになるかもしれませんので、予めご了承ください。