63・異世界行ったら嫁できた
前話のあらすじ「これもまた一つの政略結婚」
二人の兵士と官僚と思しき男に連れてこられたサティは、想像していた以上に悲惨な姿をしていた。シンプルな布の服を着せられたその背中は丸まっており、髪の毛はボサボサ、目は何かに怯えているかのように忙しなく動き回り、頬は痩せこけていた。魔術牢は厳しいところだと聞いていたが、わずか6日か7日でここまでなってしまうとは思ってもいなかった。もっと早くに助けに来るべきだったと歯噛みをする。平和な異世界にいればこんな目に遭わなかったはずだ。チエやオバサマたちになんて謝ればいいのだろう。
サティは玉座の間の煌びやかさに目を瞬かせ、そしてこちらを見ると露骨に安堵した顔になった。声には出せなかったけどその様子に申し訳ない気持ちでいっぱいになる。サティは何も悪くないのに、こちらの不手際と異世界側の一方的な都合でサティに嫌な思いをさせてしまったのだ。師匠として、いや、まっとうな一人の人間として絶対に彼を救わねばならない。だというのに、その命運を握っているのがサティ自身というのが問題だ。状況はかなり不味い。
「サティ・スレイ・フォーリアを連れて参りました、皇帝陛下」
「うむ、下がって良い」
官僚らしき男がそう報告するとヒゲの大臣……確か皇帝陛下がキリク大臣と呼んでいた気がする……が皇帝に代わって返事をする。そしてキリク大臣が怯えているサティに向かって威圧的に質問してきた。
「自称、サティ・スレイ・フォーリアと名乗る者よ。お前に聞きたいことがある。正直に答えよ」
「は、はい」
キリク大臣の口調にかすれた声でサティが返事する。ダメだ、完全に気圧されている。きっとキリク大臣はサティを威圧して縮みあがらせて、余計なことを考えさせることなく言質を取ってやろうと考えているのだろう。腹立たしいことに、この場の対応としては実に正しい。サティはこちらの事情を知らない。魔術牢で何をされたか知らないが、恐怖に脳を支配されている状態で真正面から質問すれば、素の状態で答えてしまうだろう。
焦っているアイツァの内心など露知らず、事態は勝手にどんどん進行してしまう。
「お前は、そこにいるアイツァ・スライグ・フォーリアとこの秋の寿ぎの祭りで結婚したと聞いたが、それは真実か?」
顔を強張らせて怯えていたサティの表情が、急に素に戻ってキリク大臣を見つめていた。まるで「何言ってんだこのおっさんは」と顔に書いてあるようだった。だがこれは好機だ。何か戸惑っているらしきサティはまだ明確に返事をしていない。偶然なのかサティの咄嗟の判断かわからないが、うっかり即答しなかったのは僥倖だ。アイツァはいまだかつてないほど頭を回転させる。今この状況をどう打破すれば良いか。
……目的はサティに肯定させること。条件は直接伝えることができない、私は発声をしてはならない、時間的猶予は全くない。言葉を発することなくサティに意思を伝えることができれば問題解決。だが、どうやって?
悩んだのは一瞬。答えは意外と近くに転がっていた。考えてみれば簡単なことだった。サティと私は半年以上の意思交流の経験がある。この手の技術は苦手だとか弱音を吐いてる場合じゃない。道具もないし条件も最悪だが、できないことはないはずだ。サティだってシィーラが墜落したとき上手く共振して助けてくれた。ならば自分だってなんとかなる、いや、必ず成功させてみせる。
そうアイツァは決意すると、目を瞑ってサティの魔力の気配を探った。弱っているが、慣れ親しんだ魔力の波形を力任せにひっ掴むと、頭の中で心象を形成した。
…………
……何言ってんだこのおっさんは。
ポカンとした悟が真っ先に思いついたのはその一言だった。こんな大勢の前で、しかも皇帝陛下までいらっしゃる豪勢な玉座の間で、なんでそんな意味不明なことを聞かれたのか全く理解できない。ふと階段下に跪いているアイツァを見て、慌てて眼を逸らす。なんというか、恥ずかしかったからだ。
……アイツァと結婚? オレが? いや、確かにアイツァは可愛いと思うし、それにちょっと前にキスしてもらったけど、それで結婚になっちゃったとか? いや、でもあれは魔力補給のためって言ってたし、人工呼吸のようなものだから違うって言ってたよね? それともこの異世界の風習で、未婚の男女が唇を重ねたら結婚とかあるってこと? 寿ぎの儀式って書類に名前書くだけで結婚だとかベアチェが言ってなかったっけ。そういえばベアチェもいる。もしかして無理やり結婚させられそうになってるのか? なんで?
大混乱だった。成人したらすぐ結婚を考える異世界人と違い、ごく一般的な日本男児である悟にいきなり結婚がどうたらとか話がきたら驚くに決まっている。戦後30年くらいまでの日本ならお見合いによる結婚もまた普通だったけれど、今は恋愛結婚が主流だとされている。もちろん悟もその考えなので、まともな恋人すらいない状態でいきなり結婚なんて話はいささか突拍子が無いにも程がある。アイツァは恩人で師匠で友人だとは思っていたけれど、恋愛対象としては見たことがない。少なくとも、日本観光する前までは。
謁見の間にいる大人たちが思っているより真剣な目で悟の様子を眺めているのも悪かった。寝耳に水な結婚話をされたうえ、不特定多数の人間にそんな真面目な顔で凝視されたら、どう返事したらいいのかわからない。言葉に詰まる。これは何かのドッキリイベントだろうか、と考えた方がよほどあり得る気がした。アイツァが一人でゴーレムを張り倒したのも相当驚いたが、今はそれと同じくらい動揺している。
なかなか返事をしない悟に業を煮やしたのだろう。ヒゲの立派な男が大きな声で質問してきた。
「で、貴様。あそこにいる女性と結婚したというのは本当なのか? サッサと答えろ」
「え、あ、その……」
よくわからないが、とにかく質問に答えなければならないらしい。そして質問の答えは「ノー」だ。少なくとも悟はアイツァと結婚するという話は今まで聞いたこともなかった。ただいくら察しの悪い悟とはいえこの状況が異常だってことくらいわかる。本当にノーと答えていいのか判断に困った。「あ、え、その」と言葉を濁して回答を延期し続ける。ヒゲ大臣の眉とヒゲの覚悟が上がっていく。
……状況はよくわからないけど、なんかあってオレとアイツァが結婚しているって話になってるのかな? だけどなんでそんな話に? 全く事情がわからない。そういえば刑期は64日だって言ってた割に早く出してもらえたような。結構長く入れられてた気がするけどせいぜい長くても30日未満だよね。ということはアイツァとオレが結婚していると嘘をついたから今こんな状況になっている? でもなんで?
状況を把握しようと全力で頭を働かせた悟だが、牢獄暮らしで弱っていた体と思考能力でまともに考えることはできなかった。理由がわからない以上、とりあえず嘘をついて心証を悪くしたらまずいだろう、と正直に結婚していないと告げようと思った。嘘をついてそれがバレて、またあの白い牢獄に入れられたら嫌だ、という心の弱さがそう決断させた。冷静に考えれば、どんな答えを選んでもまた牢獄戻りにされる可能性がある以上、適当に話を合わせる方が適切だったのだが、そこまでの考えは悟には思いつかなかった。日本人的事なかれ主義は、概ね悪い方向へと物事を発展させるものだ。
悟が顔をあげて返事をしようとしたら、そこで誰かに止められた気がした。慣れた感覚。脳の表面を誰かに軽く触られるような、でも不快ではないようなそんな感覚。すぐに何が起こったのかわかった。
アイツァからの念話だ。
『サティ……結婚……肯定……サティ……結婚……肯定……』
ふと視線をアイツァに送ると、俯いていたのでわかりづらかったが、目を瞑ってなにやら必死の表情をしていた。遠目でも汗をかいているのがわかる。今は念話のための薬も、念話をするのに使う球の補助もない。そんな状態でアイツァが必死に悟に向けて念話を送っているのが見ていてわかった。念話のための波形操作魔術は苦手だと言っていたのに、ここ一番で助言を送ってくれたアイツァに感謝する。また借りができてしまった。
悟はサッと顔をあげるとヒゲ大臣を見上げた。そしてさも当然といった表情を装って冷静に返事をする。そして悟は後々、このときの台詞をこっ恥ずかしがって後悔することになる。
「はい、オレ、アイツァと結婚、してる。アイツァはオレの嫁、です」
…………
「アイツァはオレの嫁、です」
サティのその言葉を聞いたアイツァはこれ以上ないほど顔を赤くした。サティの台詞の破壊力がとんでもない。他人から客観的に必要だからと結婚話をされるのはまだ我慢できたが、当人から嫁呼ばわりされるとさすがに恥ずかしい。過去これ以上ないほど顔が真っ赤のを自覚する。今は跪いているこの姿勢に感謝する。サティはもちろん、ディート師匠やベアチェ、それにこの謁見の場にいる無関係の人達がどんな顔をしているのか見たくない。
「そ、そうか。ならディート伯爵やそちらの伯爵令嬢の言ってることは間違いないということだな。うむ、なら確かに彼の『生誕地詐称』について告発するのはおかしいのかもしれないな」
ヒゲのキリク大臣がうろたえたようにそう言った。サティは魔術牢に入れられていたので、私たちは裏で繋がっていないはず。なのに結婚したかという質問に対してイエスと答えたのだ。動揺しないはずがない。もしかしたら違う意味で動揺したのかもしれないが、それは考えないことにする。とにかく「告発するのはおかしい」との言質は取れた。心から安堵のため息が出る。一時はどうなるかと思ったけれど、何とか丸く収まった。
その後、ディート師匠が皇帝陛下と直接話し合って、サティの身を引き受ける旨の約束を交わした。詳しい話は聞き流してしまったが、サティが魔術牢から解放されること、慰謝料としていくらかの金貨が貰えること、帝国のために協力を要請することなどが決められたらしい。サティが空間魔導でワープホールを帝国中に繋げることは以前からの約束されていたことなので、この辺りは問題なかった。大臣連中もサティの魔導の重要性は知っているのだろう、特に口を挟むことなく黙って聞いていた。
ただ、ファルヌス皇帝陛下の次の一言に玉座の間の空気がざわめいた。
「そこの二人は夫婦で、しかも二人ともディートの弟子だという。ならば、二人まとめて宮廷魔術師として召し抱えてしまおうと思うが、異論のある者はいるか?」
「なっ!? 皇帝陛下、さすがにそれは……」
大臣連中が慌てた様子で声を上げる。声こそ出さなかったが、アイツァも驚いていた。この帝国にいる魔術師で、もっとも優秀でもっとも憧れる存在はと聞かれたらディート師匠の宮廷魔法使いだと言うだろう。そしてそこに最も近い席次として存在するのが宮廷魔術師だ。権力と言う意味では大臣たちの足元にも及ばないが、宮廷魔術師は政治の分野だけでなく、軍事、一般生活、重要な祭事、皇帝陛下の護衛など幅広く活躍する役職であり、魔術師を志すものなら誰もが憧れる役職だ。黒髪黒目の魔族モドキの夫婦なんかには大抜擢がすぎる、という大臣たちの意見に、アイツァはむしろ同意していた。
だが皇帝陛下は意見を変えなかった。
「聞けばその二人はかなり優秀な魔術師だと聞いている。女の方はたった一人で護衛騎士数人を一瞬で叩き伏せたと聞く。護衛騎士を圧倒できるというなら宮廷魔術師として相応の実力があるであろう。そうであるな、ルーインよ」
「はっ、閉所での戦闘を行い、護衛騎士のうち2人が戦闘不能、1人が軽傷を負いました。あのまま戦闘行為を続けていた場合、私を除いて全滅していた可能性があります」
皇帝陛下の隣にいたリーダー男がそう報告した。左右で違う色の瞳でニヤリとアイツァを見降ろす。まだまだ余力を残していた癖に良く言う、と心の中で反論したが黙っておく。嘘はついていない。
そして皇帝陛下は、今度はサティの方を見て話し出す。
「男のほうは、これから帝国内で行う重要な案件について必須の魔導を使えるし、またディートと距離の近い場所にいた方がその魔導の研究にも役立とう。また皇国での立場を与えればそう問題が起こることはあるまい」
民間での引き抜きや財産を狙う盗賊避けに宮廷魔術師の立場を与えつつ、ディート師匠の近くにおいて管理しようという話だ。もし仮にサティが魔族だったとしても、強力な魔法使いであるディートの近くにいれば問題は起こすことはない、と大臣に対して釘を刺した形にもなる。やたら豪華な釘であるけれど、効果的なのは確かだ。
「今回はこちらの確認不足にて、そのサティとやらには多大な迷惑をかけた。そのことを水に流す意味を含めた任官だ。これからも帝国のために力を貸してほしい。サティ・スレイ・フォーリアとアイツァ・スライグ・フォーリアよ」
「はい、御心のままに」
アイツァがそう返事をして頭を深く下げた。サティは少し離れた場所で慌てて頭を下げているのが見えた。頭にわずかな違和感。アイツァよりよほど上手なサティからの念話だ。
『なんか大変なことになったね』
ほんの僅かに笑いを含んだサティの声を聞いて、アイツァは冷静になっていた顔がまた赤くなる。ほんとに、まったく、どうしてこうなったのか。アイツァはわざとらしくため息をついて自分の感情を誤魔化した。
次話「その後の進路」




