61・収監生活、4日目、5日目、6日目
前話のあらすじ「サティ助け隊の行動開始」
評価、ブックマーク等々ありがとうございます。拙筆な物書きなりに執筆の励みになっております。感謝の言葉しかありません m(_ _)m
4日目。
起きては聖書を読み、疲れては眠り、そしてまた起きては聖書を読むという生活を続けていた。最初のページが欠けたこの聖書をもう何回読んだかわからない。読めない文字も多かったが、それでも本の大きさとしては比較的薄っぺらく、そして内容も素人小説のように面白くない。過去凶悪な魔王がいて、それを神の使者が魔王の力を奪い取って倒して、だから神は偉大だ素晴らしい信仰の元に従おう、というのが大体のあらすじだった。魔王の件で楽しんでいたのは最初だけで、今では完全に内容を把握して暗記してしまっていた。真剣に読んでいる風で流し読みをしている。目が滑る。聖書を読んでいて何一つ面白くない。でも止めることができない。
何度目かの夢の中で嫌な物を見た。気絶するように眠った自分の周囲を、例の黒い染みの顔がぐるぐる回っているのだ。逆さの口が細かく動いてボソボソ囁いている。手を振りまわして追い払おうとするが全然離れてくれない。悟をあざ笑うかのように周囲を旋回し続け、疲れた悟が手を降ろすといきなり耳元に黒い染みの顔が近づいてきて、小さいのにはっきりした声で呟く。
「お前はここから出られない」
ハッとして目を覚ます。冷汗はかいていなかったが全身の鳥肌が立っていた。自分のいる場所を確認しようとして、西側の壁に向けかけた目線を強引に逸らす。もはや壁の黒い染みは恐怖の対象だった。そちら側に目を向けることはもうできない。再び聖書を開いて目を集中させる。
その頃から幻聴も聞こえ始めてきた。最初は空耳だと思った。だけどはっきりと声が聞こえてくる。どうやら黒い染みから声が聞こえているらしい、と気付いて気が狂いそうになった。聖書を読む。黒い染みの声は最初はよくわからない呟きだった。ただその声色は、時によって違う人の声に変っていることに気付いた。気付いてしまった。あるときは裁判のとき有罪と断じた裁判長の声、あるときは道端で騒いでいた近所の子供の声、あるときは千恵に怒られている叔父の声、あるときはシィーラの鳴き声、あるときは初めて紹介されたときのベアチェの緊張気味の声、あるときはデパートの中での雑踏に紛れた声、あるときはアイツァが悟を心配する声。
アイツァの声が聞こえたとき、悟は本から視線をあげた。ようやく彼女が助けに来てくれたのだと思ったのだ。もつれる声で助けを求める。アイツァ、早くここから出してくれ! もう2週間近くこんなところに放り込まれているんだ。もう限界だ、お願い、早く!
罠だった。目線を向けた先には黒い染みの顔しかなく、そしてそいつが必死な顔の悟を嘲笑っていた。夢の中での言葉がアイツァの声でもう一度リフレインする。お前はここから出られない。急いで聖書を読み直して現実逃避する。考えちゃいけない、考えちゃいけない、待っていれば必ず出られる、出られないかもとは考えちゃいけない、考えちゃいけない。
頭の中に染み込まない聖書の文字と、耳から滑り込んでくる幻惑の声に抗いつつ、悟は一日過ごした。
…………
5日目。
正確な時間はわからない。ただいつの間にか、悟は幻覚にも襲われるようになってしまった。周囲の白い壁が1cmずつ迫ってくるのだ。じわりじわりと狭くなる部屋。悟は総毛だつ。このままでは潰されてしまう。片方の壁を押さえると、その押さえた壁は簡単に止まってくれるが、なぜか逆側の壁が倍の速度で迫ってくる。それならばと両手を広げて両方の壁を押さえるが、すると自分の両手が壁にめり込むような嫌な感覚が襲ってきて悟は慌てて手を放す。怖い。黒い染みが慌てる悟を指さして笑ってくる。この部屋から急いで逃げなければならない。逃げられそうなところは食事が運ばれてくる横穴と、トイレ代わりに縦穴。こんな状況でもさすがにトイレへ逃げ込むのは躊躇われた。横穴に手を突っ込む。腕一本なら悠々入るが、頭や肩は通りそうにない。でも急いでここから逃げ出さないと潰されてしまう。どうしよう。
タイミングが良かったのか悪かったのか、ちょうど食事の時間だったらしい。横穴の奥で何かが動く気配がする。人だ、人がいる。悟は無我夢中で手を伸ばし大声をあげる。助けてくれ、このままじゃ潰されてしまう、すぐに出してくれ。混乱している悟は相手に通じない日本語で助けを求めていた。
外にいる人間が戸惑う気配を感じた。ただ、事務的な声で返事をしてきた。
「……何を騒いでいるのか知らないが、貴様の刑期はまだ終わっていない。これ以上騒ぐのなら罰則を与える」
久しぶりに聞いた他人の声に、思わず感動してしまった。耳に響くその音が心地いい。自分では思っていた以上に孤独が堪えていたらしい。横穴の向うにいる相手は自分を捕まえた看守であるにもかかわらず、誰かがそこにいる、ということだけで救われてしまった。一瞬異世界語が脳内で理解できなかったので、もう一度聞き直した。悟は慎重に異世界語で返事する。万が一にも相手に嫌われないように。
「お願い、ここ、出して。壁、部屋、狭くなる。潰れる。助けて、助けて!」
なんとか異世界語を思い出し助けを求めた。横穴の向こうには変わらず人の気配があったが、今度は何も返事をしてくれなかった。焦る。自分の異世界語が間違っているのだろうか、それとも声が届かないのだろうか。悟は押し寄せてくる壁に戦々恐々としながら大声で何度も助けてくれと叫んだ。
どの程度の時間が経ったわからなかったが、悟は喉が痛くなるまで叫び続けた。人の気配は相変わらずある。だけど返事をくれない。助けてくれなくていいからこちらの声に応えてほしい。話をしてほしい。何でも言うことを聞くし欲しい物なら何でも用意するからここから出してくれ。何度も、何度も、何度も叫び続けた。そして急に体が脱力した。膝から力が抜ける。顔面を壁にぶつけつつその場に転がった悟は、息をするのも苦しくなって必死に酸素を求めて喘いだ。何が起こったのかわからない。
「罰則だ。しばらく苦しむがいい」
横穴の向うからそう言われた。外にいる看守が何かしたらしい。悟は知らないことだったが、この魔術牢はさまざまな魔術回路が仕込まれている。脱出防止のために土の魔術で壁を硬化させてあったり、風の魔術で空調も管理している。また水の魔術の応用で排泄の処理も自動で行っているし、光学操作魔術で部屋の中の明かりを常に一定に保っている。そしてそれらの魔術回路を満たす魔力を収監者から強制徴収している。ベーラの街に通じるトンネルと同じ方法の魔術の使い方だ。そのため外部からの操作で、例えば魔力の徴収ペースを「通常」から「多量」に変更すれば、今の悟みたいに魔力不足で苦しむことになる。この管理の権限は看守に一任されており、殺さない範囲であれば自由に設定できる。
看守は煩い悟の世話をめんどくさいとばかりに設定を「多量」に調整してその場を去った。もちろん食事は横穴に入れておいたが、今の収監者は食事を受け取るどころか立ち上がることすらできないだろうと予想していた。だが看守にとっては、そんなことよりこんな埃っぽいところから立ち去りたいという気持ちの方が強かった。口元を手で押さえながら足早に去っていく。
悟は案の定床にへばりついていて身動きが取れなかった。立ち上がれないどころか指一本動かせない。体がうつ伏せのせいで呼吸すら困難だ。このままでは死ぬ、と恐怖した。最後の力を振り絞ってなんとか仰向けになって気道を確保する。息を吸って吐いて吸って吐いて、ようやく落ち着く。頭が痛い。泣きそうだった。
そして地獄が始まった。
仰向けになって身動き一つ取れない悟に例の黒い染みが襲いかかってきた。直接的には触れてこない、しかし悟の周辺に漂いながらクスクスと嗤ってくる。目を逸らしたいが顔も動かせない。聖書に逃げ込みたいが部屋の反対側にある聖書までの距離があまりに遠い。目を瞑ると嫌な妄想が目に浮かんでしまうため目を閉じることすら憚られる。そして壁はじわじわと悟を押しつぶそうとしてくる。もう嫌だ、もう帰りたい、だれかたすけて、おねがいします、もういやだ、かみさま。
悟は小さな声で笑い出した。笑い声は止まらなかった。何時間も笑ったあと、ようやく疲れて眠ることができた。
…………
6日目。
自分はもしかしたらここで生を終えるのかもしれない。悟は本気でそう思っていた。もう外には出られない、自分は外の景色を見ることはもうない。そもそも外ってなんだっけ。
時間の感覚が完全に失われた。今が何日くらい、という発想すらない。日本にいた時の記憶がついさっきのことにも思えるし、アイツァにキスされたことが数百年も昔のようにも思える。悟は完全に塞ぎこんで自分の記憶の世界の中で生きようとしていた。黒い染みがクスクス笑っている。今ならこいつとも友達になれそうだった。思えば、目に映るものすべてが平坦なこの白い部屋で、こいつだけは悟に干渉してきた。もしかしたらこの黒い染みは良い奴なのかもしれない。悟は手を伸ばして頭を撫でようとしたが、相変わらず体は脱力していてほんの僅かにも動かすことはできなかった。
悟はこれまでの自分の行いを全て顧みる。この異世界に来たこと。アイツァに助けてもらったこと。異世界に慣れるために必死だったこと。帰れないと思っていた日本に帰ることができたときの感動。日本にアイツァを連れてきたときの気持ち。凶悪な魔獣を倒した高揚感。拉致されたときの恐怖。それらすべてを思い出す。そしてそれらの記憶一つ一つに、何とも言えない感情がこびり付いていた。激しい炎のような怒りではなく、冷たい水のような悲しみではなく、快晴の空のような喜悦でもない。何とも言えない、濁った排水に浮かんでいるヘドロのような感情だ。強いて表現するならば後悔という言葉が近いが、それとも違う。とにかく不快な感情で心を犯されていた。なぜ自分が裸で収監されたのかという理由が唐突にわかった。着ている服で首を締めないためだ。今の悟はここから抜け出せるのならば、何の躊躇もなく首をくくれるだろう。ぼやけた眼差しで天井を見ていた。
もう2日分食事を取っていない。与えられた水も飲んでいない。確か人間は飲み物を3日飲まないと死ぬのだという。今の悟はその3日目が楽しみでしかたなかった。空腹が弱った体を痛めつけ、喉の渇きが死のカウントダウンをしていた。悟はそれらに一切抵抗せず受け入れていた。
唐突に部屋の空気が動いた。目を動かして周辺を探る。感情が死滅しかけていて、しかも体力の限界だった悟にとっては、それは最大級の驚きの表現だった。白い部屋の壁の一つ、横穴の開いていた出入り口の壁が重低音を響かせながら開いていく。何が起こった、どうして、なぜ出入り口が?
「サティ・スレイ・フォーリアよ。面会だ。出ろ」
出入り口の向こう側にここまで案内してきた看守と衛兵と思しき軽鎧を着た兵士が二人立っていた。悟は仰向けのまま驚愕の表情で三人を見たあと、悲鳴を上げて反対側へと逃げようとした。弱った体は思うように動かず、ズリズリと後ずさる。あちこちに肘や膝をぶつけるが知ったことではない。出入り口の反対側の壁に縮こまって少しでも三人から遠ざかろうとする。
悟自身もなぜこんなに看守たちが怖いのかわからなかった。わからないけど、ただただ怖い。白い部屋の中にいることに慣れた悟にとって、外の色鮮やかな世界は眩しすぎて何だかよくわからないナニカに見えていた。わからないというのはとにかく怖い。先程のヘドロのような感情は、どうやらコールタールだったらしい。外への記憶にコールタールという負の感情が纏わりつき、恐怖と言う火種が注がれて一気に燃え上がった。なんだかわからないけど外の世界が怖い。体中が震える。また外へ行ったら嫌な目に遭わされるんじゃないか。それともこの看守たちは外に連れ出してさらに虐めるつもりなのだろうか。この白い檻は不愉快極まりないところだけど、外へ出てまた変なところへ連れて行かれるよりかはマシだ。あれほど外へ出たがっていたのに、今はその外の世界が怖い。嫌だ、ここから出たくない。出たいけれど出たくない。
「……こいつ、どうすればいいですか? 何か異様に震えてますが」
「気にするな。いわゆる牢屋ボケと言う奴だ。よくあることらしい。構わず連れていけ」
「はっ」
そういうと兵士二人が悟の横につくと、その両手を取って無理やり立ちあがらせた。悟は抵抗したが、体の力が尽きかけていたことと、激しく抵抗したら何をされるかわからないという思いのせいで、むずがる幼児のような動きしかしなかった。あっさり立たせられ、貫頭衣のような服を着させられて、引きずられるように白い牢屋から出させられる。白い牢屋から出る瞬間激しく痙攣したが、屈強な兵士二人の力には敵わなかった。そのまま引きずられていく。
何度も転びそうになる悟に、兵士は嫌気がさしたらしい、まるで宇宙人を連れてく黒服のように悟を持ち上げて運びだした。つま先だけ床に滑らせて歩いて行く。やつれ果てた悟に好奇の視線を送ってくる監獄の囚人たちの前を素通りし、帝都の城の一室に連れられて行った。
そこは玉座の間だった。豪華絢爛な装飾がなされた天井や壁、真っ赤で綺麗なカーペット、そして階段の上に玉座が堂々と鎮座し、その華美な装いにふさわしい主を迎えていた。エグランド皇帝陛下である。キラキラした色合いの玉座の間は今の悟には目に痛い。目を細めて様子を伺うと見覚えのある姿もあった。ディート師を筆頭に、アイツァとベアチェが脇に控えている。皇帝の前なので跪いていたため顔は見えなかったが、懐かしい面々に涙が溢れそうになる。他にも偉そうな人や兵士たちが皇帝側に控えていた。
悟は下座の扉から入ると、階下で跪くディート師やアイツァと、玉座で大仰に座っている皇帝の間あたりに立たされた。皇帝が一つ頷くと、進行役と思しき偉そうな人が悟に質問を投げかけてくる。
「自称、サティ・スレイ・フォーリアと名乗る者よ。お前に聞きたいことがある。正直に答えよ」
「は、はい」
かすれ声で何とか返事をする。ここで変な受け答えをしたら、また白い牢屋に逆戻りさせられてしまうのではないか。いや、下手したらもっと酷いところに連れて行かれるかもしれない。そう思うと否が応にも緊張してしまう。喉がからからに干上がる。
大臣と思しき偉そうな男が緊張している悟の顔を見ながら、とんでもない質問をしてきた。
「お前は、そこにいるアイツァ・スライグ・フォーリアとこの秋の寿ぎの祭りで結婚したと聞いたが、それは真実か?」
「……は?」
恐怖と混乱の極致にいた悟だったが、その余りにも予想外の質問の内容に、思わず素面に戻って素っ頓狂な声をあげてしまった。
次話「サティ救出なるか!?」




