11・指切りげんまん
前話のあらすじ「普通の村人以下のサティくん」
悟は文字の勉強を中心に、たまに火の魔術の練習をしていた。
最初のうちはアイツァが、文字の発音について細かく口を出してきていたが、しばらくすると飽きたらしく、すぐ部屋から出て行ってしまった。
悟は黙々と文字の形を手でなぞって覚え、日本語の部分を隠して単語の意味を当てたり、逆に異世界語を隠して言葉を当てたりして勉強をしていた。
慣れない異世界語と木彫りのお手製単語帳の見辛さに悪戦苦闘しつつ、しかし状況のなせる業か、半日ほど勉強を続けているうちに木の板3枚分の単語はなんとか覚えることができた。
人間、やればできるものである。
途中でアイツァが様子を見に来たためテストをしてほしいと頼んだ。
しかし、やはり現地語のリスニングとヒアリングは難しくて、合格点をもらうことはできなかった。ただ単語の書きとりはほぼ完璧にできていたため、アイツァから変な顔をされたが、そちらは合格点を貰った。
アイツァ曰く「普通、文字を書けない人の方が多いんだけどね」とのことだった。どうやらこの世界での識字率は高くないらしい。
アイツァはさらに2枚ほどの木の板を悟に渡して、「ここまで覚えれば、日常最低限の単語は理解できるはず」と伝えた。
悟はそれからお昼ご飯の時間まで勉強したが、集中力が切れたのか、その2枚については覚えきることができなかった。
文字の勉強の合間に、休憩と称して火の魔術をつける練習もしていた。
頭の中にライターに火をつけるイメージを思い浮かべて、指輪にグッと力を込める。単純作業の繰り返しであるが、これがなかなか楽しい。
小指の先ほどの大きさの火しか出せないが、自分が魔法使いにでもなったような気分になれるのだ。大袈裟なポーズをとってから火をつけてみたり、「我は放つ、光の灯!」とそれっぽく詠唱してみたりと遊んでいた。
何度も練習しているうちに、いくつかコツがわかってきて、火をつけるだけなら一瞬でつけられるようになったし、特に火を指輪以外の場所に灯せるようになったら、面白さが倍増した。
指輪から火を出すだけでなく、手の甲や指先からでも火が出せるようになったのだ。相変わらず長くは火を灯せず、一瞬で消えてしまうけれど。
これをアイツァに見せたところ、顔をこわばらせたあと「集中力が致命的に欠けるが、想像力は人並み以上だ」と褒められたんだか貶されたんだかよくわからない評価をいただいた。
集中力が欠ける、という点を悟は否定できなかった。なぜなら、文字の勉強を優先すべきなのに、悟は結構な頻度で休憩いれて火の魔術の練習をしていたからだ。
そりゃ火の魔術の技術は向上するだろうし、集中力もないのも頷ける。学生時代のときも定期テストの勉強期間中になると、悟は掃除を始めて部屋が綺麗になっていたものだ。
ある程度の時間が経って、アイツァがお昼ご飯を用意してくれた。悟は慣れない異世界語で「ありがとう」と言ったが、アイツァは『不自然なり、もう少し抑揚をつけよ』とばっさり切って捨てられた。
ただそのあと肉声でありがとう、という言葉を何度も聞かせて練習をさせてくれた。やっぱりお人好しである。
食事を終えたらまた魔導の練習をしよう、と伝えてアイツァは部屋を出て行った。悟が満腹になってしばらくするとアイツァは彼女の腕くらいの太さの丸太を3本ほど持ってきた。
丸太のうち1本を近くの木の箱の上に立てて置いて、それを4本の指の1本で指差す。
『汝、魔術における形成の力は十分であると想定する。故に強く念じ、結実を形成すれば、魔導を再度使えると読む。そちらの丸太が真っ二つになる様を強く想像し想起せよ、さすれば魔導が発現するなり』
……魔術の発動は上手だから、同じ感じで切断の魔導が使えるはず、ってことかな?
球を握って、わかった、やってみる、と伝える。
ついでに異世界語で「OK」の意味の言葉を声で伝えてみたが、そちらは渋い顔をされた。発音については相変わらず要練習だ。
左肩はまだ痛むため、右手で丸太を軽く触って強くイメージをする。丸太が真っ二つになるイメージ。丸太がパカッと割れるイメージは頭の中で浮かんだが、どうにも効果は現れない。本当に魔導の力が自分にあるのか不安になってくる。
うーんうーんとしばらく唸ってみたが、丸太は一切の変化なし。イメージの力は足りているとアイツァに言われたが、どうにもこうにも上手くいかない。次第に焦ってくる。
『……火の魔術を使う感覚を想起せよ。そのときの現象を呼び起こし、丸太を切断する心象を形成せよ』
見かねたのか、アイツァがアドバイスを送ってくる。
「ありがとう」と異世界語で答えて、言われたとおりにする。火を熾す魔術のときのイメージ。
悟が火を熾すたびにイメージするのはライターである。タバコを吸わないためそこまで思い入れはない日用品であるが、小さな火を生むイメージで真っ先に思いついたのはライターだった。
火の魔術を使うときも、ライターを毎回イメージしていた。つまり何かの道具を使うイメージを真似して、丸太も真っ二つにすればいいということだった。
丸太を真っ二つ、と聞いて真っ先に思いついたのは鉈だった。小さいころ、田舎で丸太を割るのを見たことがあった。
実際の鉈での丸太割りは、切れ込みを入れてから鉈ごと丸太を叩いて二つにするのだが、丸太が最後の割れる瞬間のイメージだけ上手く取り出せば魔導が発動するかもしれない。
さっそく丸太の上の部分を抑えて、鉈で丸太が真っ二つになるイメージを思い浮かべる。勢いよく鉈を振り下ろして丸太がパカーンと割れる。目をつぶってグッと強く念じながら丸太を抑え込むと、シュッと鋭い音とともに手で押さえていた丸太がズレる感触があった。丸太の半分が落ちる音がする。成功だ。薬指に冷たい感触。
目を開けて丸太を見ると、縦に半分になった丸太の片一方が気箱の上に立っており、残り半分が床に落ちて転がっていた。
嬉しくてアイツァの方を見たら、彼女は凄く焦った表情を見せていた。声をかけてくるが、肉声では何を言っているかわからない。乱れた思念が伝わってくる。
どうしたのだろうとアイツァを見て、彼女が指差している方を見た。右手に目をやる。そこには真っ二つに割れた丸太の半分と、火の魔術を使うための指輪と、真っ赤な血と、指が4本しかない右手が見えた。
……え?
急に目の前が赤く染まる。激痛。右手を慌てて胸元で押さえる。血で服と左手がぬれる感触。激痛。木の箱の上に転がっている赤と肌色の何かが見える。部屋から走って出ていく足音。激痛。涙が止まらない。心臓の音がうるさい。激痛。激痛。
ふいに気が遠くなる。眠りに落ちる瞬間に意識があったらこんな感じだろう。じわじわと自分の意識が遠くなっているのを感じる。悟はそれに逆らわなかった。痛みから逃れられるなら気絶した方がマシだ、と脳のどこか冷静な部分が考えた。目の前が真っ暗になる。
そして悟は、異世界に来て2度目の気絶をした。
次話「治療のためのお使い」




